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「隼人も。あまり克頼をからかってくれるな」
ヘラリと笑った隼人が、書状に目を向ける。晴信が気付き、墨が乾いている事を確認して、成功を祈るような手つきで折り、文箱に納めて隼人に渡した。
「よろしく頼む」
「まかせておけって」
力強く請け負った隼人は、するすると滑るように後ろへ下がった。
庭に下りた隼人が、庭木に飛び乗り塀を越える。彼の姿が見えなくなってから、克頼が硬い声を出した。
「引っかかってくれれば良いのですが」
「そうなるよう、祈るしか無いさ」
願いを込めた晴信の目は、ふわりと浮かぶ雲を映していた。
晴信は頼継を連れて栄の元を訪れていた。
頼継は栄の姿を遠目で見た事はあるが、話をした事は無かった。彼女が今回の策にどれほどの意識を持っているのか、どんな人物であるのかを、直接に会って確かめたいと、頼継は晴信に申し出た。晴信はすぐに栄へ訪問の使者を送り、栄からもっともな事だと返事を受けて、頼継と二人でやってきた。
克頼は、逃げた民が紀和で保護されているという流言を、人々がどのような表情で口にしているのか、自分の目で確認するため町に出ている。
「この館も、愛妾の館という呼び名を改めなければなりませんな」
ここにいた孝信の愛妾は、一人も残っていない。しみじみとした様子の頼継に、晴信は小さく頷いた。
「こちらでお待ちください」
案内の侍女が下がり、茶が出される。それに手を着けずに、二人は栄を待った。事前に知らせてあったので、栄はすぐに現れた。
顔を伏せ気味に室内に入った栄が、丁寧に頭を下げる。薄紫の小袖に濃紺の袴を着た彼女に、頼継は目を細めた。
「うわさ以上に美しい姫君ですな」
思わずといった声に、栄の顔が上がる。頼継は柔和な笑みを浮かべ、話しかけた。
「お初にお目にかかります。私は克頼の父であり、霧衣の宿老を務めさせていただいている、牟鍋頼継と申すもの。気の利かぬ愚息が無作法を働いていたと思いますが、あれもまだまだ若輩ゆえ、お許し願いたい」
悠然とした頼継の姿に、栄の目が吸い込まれるように引きつけられた。寸分の隙も無く整えられた髪に、嫌味の無い渋好みの着物を身につけている頼継は、あるかなしかの微笑を唇にたたえて栄の視線を受け止める。
「あ。……いえ。こちらも未熟な身でございますので、お気になさいませぬよう」
答えた栄の声が、いつもよりもやわらかく恥じ入るようで、晴信は目を丸くして小首を傾げた。栄の頬が、ほんのりと赤い。
「栄姫、とお呼びしてよろしいか」
「栄、でよろしゅうございます。頼継様は、国政に携わるお方。私は国内の郷士の娘でしかありませんもの」
笑みを深めて受けた頼継が
「それでは、栄殿と呼ばせていただこう」
と返し、厳しく顔を引きしめた。
「単刀直入に話を進めさせていただく。今回の件、どのような手はずになっているかは、ご存知ですな」
頬に赤味を残してはいるものの、キリリと引きしまった声で、栄は「はい」と頷いた。
「村杉との連絡は、どのように?」
栄はちらりと傍に控えている侍女に目を向けた。
「この者は、村杉からこちらへ参るときに連れてきた者です。私への文は全て、この者が受け取っております」
紹介を受けた侍女が深く頭を下げる。
「姫様の諸事一切を承っております、茜と申します。ふた月ほど前に村杉の里より使者が参りました。姫様は村杉が地方郷士から領土を広げ、いずれは重んじられる家柄になるための、大事な役目を申しつけられる。少しの落ち度も無いように、万事に注意を払えと」
頼継と晴信が顔を見合わせる。
「大事な役目とは、やはり紀和の佐々様の所へ行くという事でしょうな」
「俺も、そうだと思う。――栄殿。村杉は以前より、紀和の者と親しくしていたのか」
「国境付近ですから、顔を合わせる事は、そう珍しくはございません。人の行き来も、ひそやかに行われておりました」
ヘラリと笑った隼人が、書状に目を向ける。晴信が気付き、墨が乾いている事を確認して、成功を祈るような手つきで折り、文箱に納めて隼人に渡した。
「よろしく頼む」
「まかせておけって」
力強く請け負った隼人は、するすると滑るように後ろへ下がった。
庭に下りた隼人が、庭木に飛び乗り塀を越える。彼の姿が見えなくなってから、克頼が硬い声を出した。
「引っかかってくれれば良いのですが」
「そうなるよう、祈るしか無いさ」
願いを込めた晴信の目は、ふわりと浮かぶ雲を映していた。
晴信は頼継を連れて栄の元を訪れていた。
頼継は栄の姿を遠目で見た事はあるが、話をした事は無かった。彼女が今回の策にどれほどの意識を持っているのか、どんな人物であるのかを、直接に会って確かめたいと、頼継は晴信に申し出た。晴信はすぐに栄へ訪問の使者を送り、栄からもっともな事だと返事を受けて、頼継と二人でやってきた。
克頼は、逃げた民が紀和で保護されているという流言を、人々がどのような表情で口にしているのか、自分の目で確認するため町に出ている。
「この館も、愛妾の館という呼び名を改めなければなりませんな」
ここにいた孝信の愛妾は、一人も残っていない。しみじみとした様子の頼継に、晴信は小さく頷いた。
「こちらでお待ちください」
案内の侍女が下がり、茶が出される。それに手を着けずに、二人は栄を待った。事前に知らせてあったので、栄はすぐに現れた。
顔を伏せ気味に室内に入った栄が、丁寧に頭を下げる。薄紫の小袖に濃紺の袴を着た彼女に、頼継は目を細めた。
「うわさ以上に美しい姫君ですな」
思わずといった声に、栄の顔が上がる。頼継は柔和な笑みを浮かべ、話しかけた。
「お初にお目にかかります。私は克頼の父であり、霧衣の宿老を務めさせていただいている、牟鍋頼継と申すもの。気の利かぬ愚息が無作法を働いていたと思いますが、あれもまだまだ若輩ゆえ、お許し願いたい」
悠然とした頼継の姿に、栄の目が吸い込まれるように引きつけられた。寸分の隙も無く整えられた髪に、嫌味の無い渋好みの着物を身につけている頼継は、あるかなしかの微笑を唇にたたえて栄の視線を受け止める。
「あ。……いえ。こちらも未熟な身でございますので、お気になさいませぬよう」
答えた栄の声が、いつもよりもやわらかく恥じ入るようで、晴信は目を丸くして小首を傾げた。栄の頬が、ほんのりと赤い。
「栄姫、とお呼びしてよろしいか」
「栄、でよろしゅうございます。頼継様は、国政に携わるお方。私は国内の郷士の娘でしかありませんもの」
笑みを深めて受けた頼継が
「それでは、栄殿と呼ばせていただこう」
と返し、厳しく顔を引きしめた。
「単刀直入に話を進めさせていただく。今回の件、どのような手はずになっているかは、ご存知ですな」
頬に赤味を残してはいるものの、キリリと引きしまった声で、栄は「はい」と頷いた。
「村杉との連絡は、どのように?」
栄はちらりと傍に控えている侍女に目を向けた。
「この者は、村杉からこちらへ参るときに連れてきた者です。私への文は全て、この者が受け取っております」
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「姫様の諸事一切を承っております、茜と申します。ふた月ほど前に村杉の里より使者が参りました。姫様は村杉が地方郷士から領土を広げ、いずれは重んじられる家柄になるための、大事な役目を申しつけられる。少しの落ち度も無いように、万事に注意を払えと」
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「大事な役目とは、やはり紀和の佐々様の所へ行くという事でしょうな」
「俺も、そうだと思う。――栄殿。村杉は以前より、紀和の者と親しくしていたのか」
「国境付近ですから、顔を合わせる事は、そう珍しくはございません。人の行き来も、ひそやかに行われておりました」
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