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知恵者
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「晴信様を案ずるというのであれば、目立つ行動はおつつしみなさるがよろしいかと」
栄が唇を噛んだ。
「そう、ですわね」
「おわかりいただけて、恐縮です」
克頼の突き放すような顔と、自分の至らなさを悔いる栄に挟まれ、晴信は自分の置かれている状況が、いかに複雑であるのかを思い知らされた。自分の立場を知っていながら、考えが及ばないのは栄だけではないと、空を見上げる。
何の憂いも無い、どこまでも高く広がる空は、気が遠くなるほどに眩しかった。
「克頼。里の見回りに行くぞ」
書類に囲まれた克頼は、晴信の発言に何の感情も浮かべていない顔を向けた。にこにこと手を伸ばした晴信は、克頼を掴む。
「さあ」
「どの里を見回るおつもりですか」
「近場だ」
「近場の、どこですか」
やれやれと息を吐いた克頼は、自分を連れて行こうとする晴信の手に触れ、離すようにと示した。手を離した晴信は、克頼の横にしゃがみ書類を見る。
「すごい数だな」
「これだけの案件を、こなさねばならないのです。そしてこれらをまとめたものは、晴信様が目を通すべきもの。里の見回りになど、行っている場合ではございません」
すげない克頼の声を聞きつつ、晴信は手近なものに手を伸ばした。
「克頼は、頼継の補佐をしているんだな」
「いずれは父の跡を継ぎ、国政を支える者となるつもりですので」
克頼の肯定に、晴信は得意げに口角を上げて立ち上がった。
「ならば行くぞ。克頼」
「私の話を、聞いておられたのですか」
眉間にしわを寄せた克頼に、晴信は勝利を確信した顔で腰に手を当てる。
「頼継の補佐をしているのなら、頼継の許可があれば良いだろう? 頼継は、俺がこの目で治めるべき民を見ることは、良いと言っていたぞ。見回る里の見当は、克頼がいくつかつけているだろうから、すぐに発っても問題ないとな」
克頼の頬がひきつった。
「信用が出来ないのなら、今すぐ頼継に聞いてこればいい」
克頼は額に手を当て、深々と息を吐いた。
「何と言って、父を説得なされたのです」
「説得というほどの事はしていない。久谷の里のような事があるから、俺自らが出向けるだけ出向きたいと言っただけだ」
「久谷のような事があるから止めたほうが良いとは、お考えになられないのですか」
「何故、止めたほうがいいという考えになる」
晴信は欠片も思いつかなかったと、首をひねった。苦い顔で克頼が立ち上がり、晴信の横を「失礼します」と通り過ぎる。
「どこに行く」
「父に確認をしてきます」
「そうか」
大股で行く克頼の後を、晴信が追った。
「父上」
中から声がかかるのを待たず、克頼は障子を開けた。息子の来訪を予測していた頼継は、穏やかな顔で二人を迎えた。
「納得がいかないか」
「当たり前です。晴信様が民に頭を下げた事、よもや知らぬとは申されますまい。その前の、刀を置いた話もお聞き及びでしょう。それなのに何故、許可なされたのです。父上は晴信様をお止めすべきでしょう」
ずかずかと頼継の前に出ながら、克頼は勢い込んで言う。それを面白そうに受け止めた頼継は、部屋の外でやりとりを見ている晴信を招いた。晴信が克頼の横に立つのを待って、座りなさいと手で示す。
「克頼。久谷の者の反応を、お前はどう見た」
「どうも何も。晴信様を孝信様の息子と見て、同じ仕打ちをするのではと怯え、身構えていたとしか思えませぬ」
頼継は数度頷き、晴信に笑みを向けた。
「晴信様をお育てしたのは、誰でしたかな」
栄が唇を噛んだ。
「そう、ですわね」
「おわかりいただけて、恐縮です」
克頼の突き放すような顔と、自分の至らなさを悔いる栄に挟まれ、晴信は自分の置かれている状況が、いかに複雑であるのかを思い知らされた。自分の立場を知っていながら、考えが及ばないのは栄だけではないと、空を見上げる。
何の憂いも無い、どこまでも高く広がる空は、気が遠くなるほどに眩しかった。
「克頼。里の見回りに行くぞ」
書類に囲まれた克頼は、晴信の発言に何の感情も浮かべていない顔を向けた。にこにこと手を伸ばした晴信は、克頼を掴む。
「さあ」
「どの里を見回るおつもりですか」
「近場だ」
「近場の、どこですか」
やれやれと息を吐いた克頼は、自分を連れて行こうとする晴信の手に触れ、離すようにと示した。手を離した晴信は、克頼の横にしゃがみ書類を見る。
「すごい数だな」
「これだけの案件を、こなさねばならないのです。そしてこれらをまとめたものは、晴信様が目を通すべきもの。里の見回りになど、行っている場合ではございません」
すげない克頼の声を聞きつつ、晴信は手近なものに手を伸ばした。
「克頼は、頼継の補佐をしているんだな」
「いずれは父の跡を継ぎ、国政を支える者となるつもりですので」
克頼の肯定に、晴信は得意げに口角を上げて立ち上がった。
「ならば行くぞ。克頼」
「私の話を、聞いておられたのですか」
眉間にしわを寄せた克頼に、晴信は勝利を確信した顔で腰に手を当てる。
「頼継の補佐をしているのなら、頼継の許可があれば良いだろう? 頼継は、俺がこの目で治めるべき民を見ることは、良いと言っていたぞ。見回る里の見当は、克頼がいくつかつけているだろうから、すぐに発っても問題ないとな」
克頼の頬がひきつった。
「信用が出来ないのなら、今すぐ頼継に聞いてこればいい」
克頼は額に手を当て、深々と息を吐いた。
「何と言って、父を説得なされたのです」
「説得というほどの事はしていない。久谷の里のような事があるから、俺自らが出向けるだけ出向きたいと言っただけだ」
「久谷のような事があるから止めたほうが良いとは、お考えになられないのですか」
「何故、止めたほうがいいという考えになる」
晴信は欠片も思いつかなかったと、首をひねった。苦い顔で克頼が立ち上がり、晴信の横を「失礼します」と通り過ぎる。
「どこに行く」
「父に確認をしてきます」
「そうか」
大股で行く克頼の後を、晴信が追った。
「父上」
中から声がかかるのを待たず、克頼は障子を開けた。息子の来訪を予測していた頼継は、穏やかな顔で二人を迎えた。
「納得がいかないか」
「当たり前です。晴信様が民に頭を下げた事、よもや知らぬとは申されますまい。その前の、刀を置いた話もお聞き及びでしょう。それなのに何故、許可なされたのです。父上は晴信様をお止めすべきでしょう」
ずかずかと頼継の前に出ながら、克頼は勢い込んで言う。それを面白そうに受け止めた頼継は、部屋の外でやりとりを見ている晴信を招いた。晴信が克頼の横に立つのを待って、座りなさいと手で示す。
「克頼。久谷の者の反応を、お前はどう見た」
「どうも何も。晴信様を孝信様の息子と見て、同じ仕打ちをするのではと怯え、身構えていたとしか思えませぬ」
頼継は数度頷き、晴信に笑みを向けた。
「晴信様をお育てしたのは、誰でしたかな」
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