霧衣物語

水戸けい

文字の大きさ
上 下
20 / 42

率直に

しおりを挟む
 娘から手を離せば、娘はまた頭を下げて許しを乞うた。晴信は全体を見回し、熊の敷物から下りて、床に手を着いた。克頼がわずかに目を開く。彼に止められる前にと、晴信は腹に力を込めて声を出した。

「すまなかった!」

 響いた声に、怯えていた者たちが硬直した。彼らの目に、頭を下げている晴信が映っている。何が起こっているのか判らずに、里の者たちは呆然と晴信を見つめた。

「謝って済む事ではないと、理解している。だが、謝らせてくれ。父が酷い事をして、すまなかった」

 晴信の謝罪に接した彼らが、押さえつけられていた恐怖を怒りに変えて、襲いかかってくるかもしれない。そう懸念した克頼は目を光らせ、すぐにでも刀を抜けるよう片膝を立てた。

「俺は、安穏と守られてきた。我が父がどれほどの事をしていたのか、知らずにいた。無知という罪を、俺は犯していた。それを知った今、償いをしたい。父上を追放し、国主となったからには、国を、民を守るよう努めたい。だから、どうか怯えおもねるのではなく、皆の窮状をありのままに教えてくれ」

 晴信は顔を上げ、困惑している顔ひとつずつに目を置いた。全員の目が自分に向いている事を確認すると、晴信は腕を広げ、にっこりとして敵意の無い事を示した。

「せっかく用意してくれたものを、食べないと言うのも失礼だ。俺が来ると知り、朝から苦労をしてくれたのだろう?」

 晴信の目に、やせ細った者たちが映っている。自分が当たり前のように口にしていたものを、彼らは搾取され続けていたのだと、その姿から容易に知る事が出来た。目の前にある品々も、なけなしの食料を集め、朝から狩りなどをして必死に用意をしたものだろう。

「共に食そう。食べながら、色々な話を聞かせてくれ。その後で、手入れの者がいなくなり荒れてしまった田畑や、里の米蔵などを、隠さずに見せてくれ」

「食べていいの?」

 庭先からの声に、皆が顔を向けた。子どもが四人、寄り固まって立っている。様子を伺いつつ、餅に目を向けている子どもたちに、晴信は笑いかけた。

「ああ。一緒に食べよう」

 晴信は子どもらに、餅の乗った皿を示した。恐る恐る近付いてきた彼らに、晴信は餅を掴んで差し出した。子どもが晴信と餅を見比べる。晴信が「ほら」と勧めるように手を動かすと、わあっと歓声を上げて走り寄った子どもたちが、我先にと頬張った。うれしそうに食べる子どもの頭をなで、晴信は大人に顔を向けた。

「俺が用意をしたものでは無いのに、こんな事を言うのも妙だが。……遠慮せずに、食べてくれ」

 晴信は怯える娘に餅を差し出した。恐る恐る受け取った娘は晴信を見、子どもたちを眺め、再び晴信を見てから餅をかじった。

「……ふ、ぅ、うう」

 胸に溜まっていたものを瞳から零す娘に、晴信が労わりの目を向ける。克頼は立てていた膝を収め、ヨモギ茶に手を伸ばした。晴信と克頼、大喜びで食べる子どもと泣きながら頬張る娘を声なく見つめる人々は、誰一人として近寄ろうとはしなかった。


 胸に苦い味を抱えたまま、晴信は久谷の里を後にした。

 里の大人たちは、誰も晴信を案内しようとはしなかった。里を案内してくれたのは、晴信が餅を勧めた子どもたちだった。

 晴信が庭から上がってきた子どもたちと食事をしていると、どこかで様子を伺っていたのだろう。里中の子どもが次々と現れて、晴信の前に並べられている料理に飛びついた。よほど腹が減っていたらしい様子に、晴信は胸を痛ませながら、子どもらが料理をむさぼるのを眺めた。晴信に餅を渡された娘は、手にした分は口にしたが、それ以上を食べようとはせず、居心地が悪そうにしていた。餅を食べるのは久しぶりだと、子どもたちは大喜びだった。普段は何を食べているのかと晴信が問うと、雑穀か芋だと言う。雑穀も無い時があると口を尖らせた子どもに、遠巻きに見ていた大人が、余計な事を言うなと気配を怒らせ、殴りかからんばかりの目を向けた。

「あの子どもたちは今頃、叱られてはいないだろうか」

 ぽつりと晴信がこぼすと、叱られているでしょうと克頼が答える。

「ですが、どうしようもありません」

「子どもは素直だ」

「彼らの発言に、大人はさぞ肝を冷やしていたでしょうな」

「ああ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小童、宮本武蔵

雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。 備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。 その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。 宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。 だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く! 備考 宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助) 父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。 本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

朱元璋

片山洋一
歴史・時代
明を建国した太祖洪武帝・朱元璋と、その妻・馬皇后の物語。 紅巾の乱から始まる動乱の中、朱元璋と馬皇后・鈴陶の波乱に満ちた物語。全二十話。

桔梗一凛

幸田 蒼之助
歴史・時代
「でも、わたくしが心に決めた殿方はひとりだけ……」 華族女学校に勤務する舎監さん。実は幕末、六十余州にその武名を轟かせた名門武家の、お嬢様だった。 とある男の許嫁となるも、男はすぐに風雲の只中で壮絶な死を遂げる。しかしひたすら彼を愛し、慕い続け、そして自らの生の意義を問い続けつつ明治の世を生きた。 悦子はそんな舎監さんの生き様や苦悩に感銘を受け、涙する。 「あの女性」の哀しき後半生を描く、ガチ歴史小説。極力、縦書きでお読み下さい。 カクヨムとなろうにも同文を連載中です。

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。 彼女は気ままに江戸を探索。 なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う? 将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。 忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。 いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。 ※※ 将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。 その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。 日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。 面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。 天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に? 周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決? 次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。 くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。 そんなお話です。 一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。 エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。 ミステリー成分は薄めにしております。   作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

ライヒシュタット公の手紙

せりもも
歴史・時代
ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを巡る物語。 ハプスブルク家のプリンスでもある彼が、1歳年上の踊り子に手紙を? 付き人や親戚の少女、大公妃、果てはウィーンの町娘にいたるまで激震が走る。  カクヨムで完結済みの「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」を元にしています https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 なんか、あれですよね。ライヒシュタット公の恋人といったら、ゾフィー大公妃だけみたいで。 そんなことないです。ハンサム・デューク(英語ですけど)と呼ばれた彼は、あらゆる階層の人から人気がありました。 悔しいんで、そこんとこ、よろしくお願い致します。 なお、登場人物は記載のない限り実在の人物です

処理中です...