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 講義をはじめる前に報告があると言って、教官はひとりのオメガの名を呼んだ。呼ばれたオメガは誇らしげに教官の隣に立つ。

「沢瀬香音は引き取られることに決まりました。相手は重森さま。昼食後に重森さまが香音を迎えにいらっしゃいます。みなさんも、すばらしいアルファとの縁を結べるよう、努力するように」

 おめでとうと、あちらこちらから声がかかる。香音は胸を張って別れの挨拶をし、準備のために部屋を出ていった。

「重森さんって、前は美月に声をかけていたのにね」

「前って言っても、財前さんが来る前だから、何年も前のことじゃないか。――まあでも、美月がちっともなびかないから、香音にしたんじゃない? 美月はもう財前さんの専用でしょう」

「でも、財前さんが美月を引き取りたいって話は聞かないね」

「言っているけど美月が断っているか、遊び相手にはいいけど、引き取るにはちょっと……って思っているのかもね」

 そんな声が耳に届いて、美月の心がざわめいた。しかし反論する気は起きない。好きなように言っていればいいと聞き流す。けれど祐樹はそう思わなかったらしく、わざとらしい咳ばらいをして自分に注目を集めた。

「香音はほんと、よかったなぁ。やさしいやつだもんな。陰口なんて叩かなかったし、妙な勘繰りもしない素直なやつでさ。そういうところが気に入られたんだろうなぁ」

 おおきすぎるひとり言は、あきらかに美月をかばってのものだった。恥ずかしくもうれしくて、美月は笑みの形にゆがみかける唇をなんとか抑えて、平静をよそおった。

「さて。それじゃあ、それぞれのクラスに別れて勉強しようか。僕もはやく引き取られたいしさ」

 祐樹にうながされる形で教官が「それぞれの教室に行くように」と声をかけ、オメガたちはおしゃべりをしながら自分の教室へと向かった。

「美月。気にすんな」

 さりげない祐樹の気遣いに、美月は薄く目を伏せた。

「もう慣れたよ」

「慣れだろうがなんだろうが、気分がいいもんじゃないだろ。悪意のある声っていうのはさ」

 内容ではなく含まれた感情で気分を害すると言われて、なるほどそうかと美月は笑った。

「なんで笑うんだよ」

「祐樹の気遣いがうれしいからだよ」

「気遣いじゃないさ。僕が感じ悪いって思ったから言っただけ」

「だけど祐樹も、僕と話してみるまではああだったんじゃない?」

「それは、まあ……うん、ごめん」

「いいよ。気にしていない」

「うん。ありがとな」

「こちらこそ」

 並んでクラスに入ったふたりは、そのままの流れで隣同士に座った。成人クラスには、これといった講義はなされない。新聞や情報誌などが置かれており、それらを読んで館の外の情報を得て、より詳しく知りたければ教官に質問をしたり、自分の興味のある分野についての本を読んだりするだけだった。なので、誰がどこに座って、なにをしていてもかまわない。

「香音が引き取られたんなら、護衛はどうするんだろうな」

「いっしょに行くんじゃないのか」

「どうだろう。重森さんが護衛も引き取るつもりなのか、新しい護衛を雇うかは、わからないからな。護衛がやめたいって言うかもしれないし」

「護衛が?」

「なんだ。長くいるのに、美月はなにも知らないんだな」

 しゅんとした美月に、攻めているわけじゃないと祐樹があわてる。

「怖い目に遭ったんだから、まわりから意識をそらしていてもしかたがないさ。僕はなんていうか、館に入るにしては年齢が高かったから、いろいろと外のことも知っているし、だから館の制度についても興味を持ったのかもしれない」

「そうだったのか」

「そうそう。館に入れる要素はあっても、調査員に見つからなければそのまんま。だから美月に、どうして館に来たかったのかって聞いたんだ。調査員に見つけてもらいやすくするために、なにかしたんだと思ったから」

「見つけてもらいやすくする?」

「うん。まあでも、努力しなくても見つかるやつは見つかるってこと、美月に教わったし。運しだいってことなんだろうなぁ」

 しみじみとつぶやく祐樹に、そういうものなのかなと美月は室内にいるオメガたちに視線を投げた。

「でも、なんで財前さんは美月を引き取ろうとしな……ああ、美月はアレだったな。財前さんは」

 声をひそめた祐樹にうなずきながら、それもあるけどと美月も声を落とす。

「僕を引き取りたいと、言ったことがないみたいなんだ」

「え」

「教官がなにも言わないから、きっとそうだと思う」

「ふうん。なにを考えているんだろうな」

「ステータスみたいな感じなのかもしれないね。自分で言うのもなんだけど、僕は……ほら」

「うん。特別視されているからな」

「まったく、ありがたくないんだけれど」

「でも、そういうものは自分でなりたいと思ってなれるものじゃないからな。素養があるってことだろう。美月、きれいだもんな」

 さらっと褒められ、美月はどう反応していいのかわからなくなった。固まっていると、鼻をつままれた。

「まあ、いいや。それよりさ。午後、また僕の部屋に来る?」

「アルファに見つけてもらいたいんだろう? 引きこもっていたらダメなんじゃないか」

「いまはそれより、美月ともっと話がしたい」

 心を熱くさせながら、美月は「まったく」とあきれたフリをした。
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