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【苦悩】
2.
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雨の名残を宿す草花に袖を濡らしながら、沢のほとりで娘たちが笑顔を日にさらしつつ草を摘んでいる。
トヨホギは川の音と緑の香りに全身をゆだねるように、木陰の岩に腰かけていた。
女たちの誰もが、安堵した顔になっている。
(男たちが帰ってきたからだわ)
いつ終わるともしれない戦の間、彼女たちはどれほど不安を抱えていたのだろう。むろん、それはトヨホギもおなじだった。笑顔の下に不安を隠し、一日でもはやく戦が終わることを願い、懸命に生きてきた。
なかには、大切な人を亡くした者もいる。それでもやっと終わったのだという安心感は、日の光とおなじように誰の上にも降り注いでいた。
(私もそう)
これでまた、前のように過ごせると思っていた。
(それなのに――)
こんなことになるなんてと、トヨホギの胸が鈍く痛んだ。
残された者の誰もが、送り出した者の帰還を信じて疑わなかった。むろん、五体満足での、変わらぬ帰還をだ。
トヨホギもそうだった。父親もホスセリも、送り出したときと同様の姿で戻ってくるものと信じていた。狩りに出るのと変わらぬ感覚でいた。戦というものの恐ろしさを、誰もが本当の意味では理解をしていなかった。
(私は、どうすれば)
女たちの軽やかな声とせせらぎが遠く感じる。自分とは違う世界にあるようだ。けれどまぎれもなく、これは目の前にあること。トヨホギの心が外界との隔たりを感じているだけのことだった。
「ホスセリ」
ぽつりとつぶやいた声は、誰の耳にも届かなかった。
トヨホギの悩みとはうらはらに、木の葉の隙間から地上に落ちる光は明るい。自分の心もこんなふうになればいいのにと、トヨホギは深く重い息を吐いた。
(私は、どうすればいいんだろう)
ホスセリの妻になるのだと、ずっと言い聞かされてきた。だから、そうなのだと受け止めてきた。ホスセリの妻として、エミナの国を共に支えていくのだと。彼の子を生み育て、次代につなげていくのだと。
――我は男としての機能を、失ってしまったのだ。
聞き間違いであれば、よかったのに。
――頼む、トヨホギ。兄者を守るため、俺に気づかぬふりをしてくれ。俺を兄者の化身として受け入れ、兄者の子を産んでくれ。
シキタカは自分の存在などないかのように、寝台の上ではふるまえと言っていた。あくまでもホスセリの一部として、ホスセリの子をトヨホギに与えるための肉として、シキタカはトヨホギに触れると言っていた。
だから、ホスセリはシキタカの姿を見せないように、自分にすがれと言っていたのだと、トヨホギは気づいた。そうしていれば、視界はホスセリに奪われるから。
トヨホギは川の音と緑の香りに全身をゆだねるように、木陰の岩に腰かけていた。
女たちの誰もが、安堵した顔になっている。
(男たちが帰ってきたからだわ)
いつ終わるともしれない戦の間、彼女たちはどれほど不安を抱えていたのだろう。むろん、それはトヨホギもおなじだった。笑顔の下に不安を隠し、一日でもはやく戦が終わることを願い、懸命に生きてきた。
なかには、大切な人を亡くした者もいる。それでもやっと終わったのだという安心感は、日の光とおなじように誰の上にも降り注いでいた。
(私もそう)
これでまた、前のように過ごせると思っていた。
(それなのに――)
こんなことになるなんてと、トヨホギの胸が鈍く痛んだ。
残された者の誰もが、送り出した者の帰還を信じて疑わなかった。むろん、五体満足での、変わらぬ帰還をだ。
トヨホギもそうだった。父親もホスセリも、送り出したときと同様の姿で戻ってくるものと信じていた。狩りに出るのと変わらぬ感覚でいた。戦というものの恐ろしさを、誰もが本当の意味では理解をしていなかった。
(私は、どうすれば)
女たちの軽やかな声とせせらぎが遠く感じる。自分とは違う世界にあるようだ。けれどまぎれもなく、これは目の前にあること。トヨホギの心が外界との隔たりを感じているだけのことだった。
「ホスセリ」
ぽつりとつぶやいた声は、誰の耳にも届かなかった。
トヨホギの悩みとはうらはらに、木の葉の隙間から地上に落ちる光は明るい。自分の心もこんなふうになればいいのにと、トヨホギは深く重い息を吐いた。
(私は、どうすればいいんだろう)
ホスセリの妻になるのだと、ずっと言い聞かされてきた。だから、そうなのだと受け止めてきた。ホスセリの妻として、エミナの国を共に支えていくのだと。彼の子を生み育て、次代につなげていくのだと。
――我は男としての機能を、失ってしまったのだ。
聞き間違いであれば、よかったのに。
――頼む、トヨホギ。兄者を守るため、俺に気づかぬふりをしてくれ。俺を兄者の化身として受け入れ、兄者の子を産んでくれ。
シキタカは自分の存在などないかのように、寝台の上ではふるまえと言っていた。あくまでもホスセリの一部として、ホスセリの子をトヨホギに与えるための肉として、シキタカはトヨホギに触れると言っていた。
だから、ホスセリはシキタカの姿を見せないように、自分にすがれと言っていたのだと、トヨホギは気づいた。そうしていれば、視界はホスセリに奪われるから。
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