上 下
43 / 98
【苦悩】

2.

しおりを挟む
 雨の名残を宿す草花に袖を濡らしながら、沢のほとりで娘たちが笑顔を日にさらしつつ草を摘んでいる。

 トヨホギは川の音と緑の香りに全身をゆだねるように、木陰の岩に腰かけていた。

 女たちの誰もが、安堵した顔になっている。

(男たちが帰ってきたからだわ)

 いつ終わるともしれない戦の間、彼女たちはどれほど不安を抱えていたのだろう。むろん、それはトヨホギもおなじだった。笑顔の下に不安を隠し、一日でもはやく戦が終わることを願い、懸命に生きてきた。

 なかには、大切な人を亡くした者もいる。それでもやっと終わったのだという安心感は、日の光とおなじように誰の上にも降り注いでいた。

(私もそう)

 これでまた、前のように過ごせると思っていた。

(それなのに――)

 こんなことになるなんてと、トヨホギの胸が鈍く痛んだ。

 残された者の誰もが、送り出した者の帰還を信じて疑わなかった。むろん、五体満足での、変わらぬ帰還をだ。

 トヨホギもそうだった。父親もホスセリも、送り出したときと同様の姿で戻ってくるものと信じていた。狩りに出るのと変わらぬ感覚でいた。戦というものの恐ろしさを、誰もが本当の意味では理解をしていなかった。

(私は、どうすれば)

 女たちの軽やかな声とせせらぎが遠く感じる。自分とは違う世界にあるようだ。けれどまぎれもなく、これは目の前にあること。トヨホギの心が外界との隔たりを感じているだけのことだった。

「ホスセリ」

 ぽつりとつぶやいた声は、誰の耳にも届かなかった。

 トヨホギの悩みとはうらはらに、木の葉の隙間から地上に落ちる光は明るい。自分の心もこんなふうになればいいのにと、トヨホギは深く重い息を吐いた。

(私は、どうすればいいんだろう)

 ホスセリの妻になるのだと、ずっと言い聞かされてきた。だから、そうなのだと受け止めてきた。ホスセリの妻として、エミナの国を共に支えていくのだと。彼の子を生み育て、次代につなげていくのだと。

 ――我は男としての機能を、失ってしまったのだ。

 聞き間違いであれば、よかったのに。

 ――頼む、トヨホギ。兄者を守るため、俺に気づかぬふりをしてくれ。俺を兄者の化身として受け入れ、兄者の子を産んでくれ。

 シキタカは自分の存在などないかのように、寝台の上ではふるまえと言っていた。あくまでもホスセリの一部として、ホスセリの子をトヨホギに与えるための肉として、シキタカはトヨホギに触れると言っていた。

 だから、ホスセリはシキタカの姿を見せないように、自分にすがれと言っていたのだと、トヨホギは気づいた。そうしていれば、視界はホスセリに奪われるから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

王女の朝の身支度

sleepingangel02
恋愛
政略結婚で愛のない夫婦。夫の国王は,何人もの側室がいて,王女はないがしろ。それどころか,王女担当まで用意する始末。さて,その行方は?

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

貴方の愛人を屋敷に連れて来られても困ります。それより大事なお話がありますわ。

もふっとしたクリームパン
恋愛
「早速だけど、カレンに子供が出来たんだ」 隣に居る座ったままの栗色の髪と青い眼の女性を示し、ジャンは笑顔で勝手に話しだす。 「離れには子供部屋がないから、こっちの屋敷に移りたいんだ。部屋はたくさん空いてるんだろ? どうせだから、僕もカレンもこれからこの屋敷で暮らすよ」 三年間通った学園を無事に卒業して、辺境に帰ってきたディアナ・モンド。モンド辺境伯の娘である彼女の元に辺境伯の敷地内にある離れに住んでいたジャン・ボクスがやって来る。 ドレスは淑女の鎧、扇子は盾、言葉を剣にして。正々堂々と迎え入れて差し上げましょう。 妊娠した愛人を連れて私に会いに来た、無法者をね。 本編九話+オマケで完結します。*2021/06/30一部内容変更あり。カクヨム様でも投稿しています。 随時、誤字修正と読みやすさを求めて試行錯誤してますので行間など変更する場合があります。 拙い作品ですが、どうぞよろしくお願いします。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

長い片思い

詩織
恋愛
大好きな上司が結婚。 もう私の想いは届かない。 だから私は…

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

処理中です...