妖育―忠義の果てにー

水戸けい

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それぞれの望み

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 森の中を駆け続け、飛び出した先は街はずれの大きな川だった。二時間ほど走っただろうか。久しぶりの遠出に満足しているオルゴンの背の上で、リュドラーは目の前の街並みを見つめた。

「こっち」

 ティティが馬首を向けた先に石造りの立派な橋が見えた。

「街道を通ったらもっと時間がかかるんだけど、森を突っ切れば半分以下の時間で来られるんだ」

 そう言ってのんびりと橋を渡ったティティが、街の入り口で馬を降りる。リュドラーもそれにならい、街へ入った。

 城下の街ほどではないが、多くの人でにぎわう街はきちんと整備されていてうつくしかった。広い街道の真ん中を馬車や荷車が行きかい、人々はその脇を歩いている。ずらりと並んだ店の奥に住居区画があるらしく、路地から人が現れては街道の人波に混ざり、またその逆もあった。

「よく整えられているな」

「計画性を持って造られた街なんだって。もともとの村をいったん潰して、作り直したらしいよ」

 なるほどと無言で示したリュドラーは、ふたたび街を見回した。王はそういう政策をよくなされていたと思い出す。無秩序に広がって大きくなるよりも、区画を決めて整備をするほうが見目も流通の効率もいいと指示をしていた。反対意見を沈めるための説得や武力行使をしてきたなと、懐かしみつつ足元に視線を落とした。

 そんなリュドラーを、外の世界を見て自分の境遇を恥じているのだと、ティティは思った。顔なじみとうっかり出会うかもしれないと案じているのかもしれない。だから顔をうつむかせているのだ。けれどいまのリュドラーを見て、かつての彼だと気づく人はいるだろうか。体躯は隆々としたままで、騎士としての尊厳の破片は感じられる。けれど館に来た当初の彼とは明らかに違った空気をまとっていた。

 リュドラーは気づいていないようだが、ティティは敏感にすれ違う人々の視線に気づいていた。自分にそそがれるものは慣れているので無視をして、リュドラーに向けられるものを観察する。男女問わず、彼に向けられる視線の端に性的な好奇心が混じっていた。以前の彼ならば、もっと健全な視線を送られていただろう。リュドラーの体が発する性的な匂いを、通りすがる人々は無意識に察している。これこそサヒサが見つけ、引き出したがっていたものだとティティは奥歯を噛んだ。

 リュドラーの変化に満悦するサヒサの姿が目に浮かぶ。

「リュドラー」

 ティティの声に棘が混じっていると感じて、リュドラーは驚いた。自分はなにか、彼を苛立たせることをしたのだろうか。

「さっさと用事を済ませて帰ろう」

「……ああ」

 きびきびと進むティティの背を見て、のんびりとしていたから苛立たれたのかとリュドラーは納得した。許された時間は夕方までだと言っていた。それまでに用事を済ませたくて、急いているのだろう。

 ティティは目的のある足取りで大通りをずんずん進み、いくつかの区画を通り過ぎた先の空き店舗前で立ち止まった。

「ここ。この裏に入るから」

 そう言って路地に入ったティティを、オルゴンとともにリュドラーは追いかけた。店の裏に回ったティティは勝手知ったる様子で馬小屋に自分の馬を繋ぎ、リュドラーを手招いた。

 ティティの馬の横にオルゴンを繋いで水を与える。馬小屋はよく手入れされていた。

「こっち」

 ポケットから鍵を取り出し、ティティは裏口のドアに差し込んだ。カチリと軽い音がして扉が開く。中に入ったティティに続き、足を踏み入れたリュドラーはこぢんまりとした部屋を見回した。頑丈なタンスが並べられており、引き出しのすべてに鍵がかかっている。真ん中には大きな丸テーブルとイスが四脚。そこにティティは手を置いて、ニッコリとした。

「商談用のテーブルだよ」

「商談?」

「そう。顧客と個人的に話をする場所さ。タンスは商品をしまっておくためのものだから、鍵付きなんだ。高価な品をヒョイと取られないためにね」

 言いながらティティはふたつの扉を指した。

「こっちは店へと通じる扉。こっちはお客人にお茶やお菓子を出すための給仕室」

 ティティが給仕室を覗くようリュドラーに示す。足を踏み入れたリュドラーは食器棚や流し台、オーブンなどもある厨房を見た。大柄なリュドラーがふたりいても、充分に身動きのできる広さがある。

「確認し終わったら、こっち」

 次に案内されたのは店内だった。カウンターがあり、商品棚が並んでいる。扉や窓にはカーテンがかかっていて、中が見えないようにされていた。

「ここに商品を並べるんだけど、アクセサリーのほかに、手袋や帽子なんかを扱ってもいいかな。装飾品全般の店にしても、トゥヒムなら一流のものを選んで店に置けると思う。審美眼があるって、褒めていたから」

 誰が、とは聞くまでもない。

「サヒサがトゥヒム様のために用意した店なのか、ここは」

 笑みを浮かべて肩をすくめたティティは、カウンター奥にある階段を上った。けげんに片目をすがめつつ、リュドラーはその後を追う。

「ここがプライベートルーム、ってところかな。寝室がふたつと物置がひとつ。食事はさっきの倉庫兼商談室で食べればいいから、まあ……、上等とまではいかないまでも、はじめて店を持つにしては、いい具合なんじゃないかって話。豪華すぎても変に思われるからね」

 ティティの手がリュドラーに伸びる。肩に唇を寄せられたリュドラーは、反射的にティティを抱きしめた。

「ふふ。――ねえ、リュドラー。僕のこと、好き?」

 かわいらしく上目遣いで問うてくるティティは、無垢な気配の奥に淫靡な匂いをさせていた。リュドラーは体の奥がじんわりと熱くなるのを自覚しながら、「どうだろうな」と低くうめいた。

「その“好き”がどの位置を指しているのかによる」

「恋人としてなんて言わないよ。そう、友人として……っていうのは、どうかな」

「それなら」

 迷いなくうなずいたリュドラーに、ティティは目の奥を熱くさせた。潤む目を見られまいと、リュドラーの胸に顔を伏せる。

「うれしいなぁ。……友人だなんて、僕、生まれてはじめてだよ」

「ティティ」

 リュドラーはガラス細工に触れるよりも丁寧に、ティティを腕で包んだ。サヒサの館に住むようになってから、トゥヒムと過ごすよりもティティと長くともにいる。この境遇に堕ちきることができたのは、ティティの指導のおかげだとリュドラーは思っていた。友情とはすこし違った、親愛の情をティティに感じていた。

「ねえ、リュドラー。ここでトゥヒムとふたり、どういう名前で過ごすのか決めている?」

 リュドラーの分厚い胸に顔をうずめたまま、ティティは問うた。心の震えが声に乗ってしまわないよう、いつもの口調を心がける。

「どんなふうに過ごしたいとか、どんな飾りつけをしたいとか、希望はあるのかな」

「……俺はただ、トゥヒム様が笑顔で生きていてさえすれば、それでいい。それが最大の望みだ」

 口に出し、改めて想いの深さを噛みしめたリュドラーは目を閉じた。腕の中にあるティティよりもずっと、トゥヒムは華奢で背が低い。ティティとは違った意味で性別を感じさせなかったトゥヒムだが、いつしか男の気配を持つようになっていた。

 性欲に目覚め、リュドラーの扱いを覚えるにしたがって雄になっていく主を思い出し、リュドラーは身震いした。耳奥にこびりつくトゥヒムのかすれ声が、たまらなく愛おしい。耳の内側に熱が灯り、魂が満たされる。骨の髄まで支配される喜びと、己のすべてを捧げられる幸福は、騎士のままでは得られなかった。

 トゥヒムにとって悲劇としか言いようのない革命が、リュドラーに文字通り“心身を賭す”行いをさせてくれた。なんとも身勝手な感想だと、リュドラーは皮肉に頬をゆがめる。あの革命は国だけではなく、リュドラーの内側にも変革を起こした。

(俺だけじゃない。トゥヒム様も……)

 良かれ悪しかれ内面に潜むものを引きずり出された。この結果が今後どうなるのか。

(トゥヒム様が心身ともに健やかであられればいい)

 そしてその姿を間近で見続け、守れるのならばどうでもよかった。騎士としての矜持などなんの役にも立たないと、サヒサに助けを乞うてから学んだ。むしろ矜持は不要なものだ。大切なのは、己がなにを望んでいるかだけ。そのためにできることをする。矜持はそれを足踏みさせるだけのものだった。

 そう教えてくれたティティに、リュドラーは深く感謝をしている。だからティティが自分を連れて逃げてくれと望めば、トゥヒムにそれを伝えようと考えていた。トゥヒムはリュドラーとの逢瀬のたびに、ティティへの謝辞を口にする。それを彼に伝え、気持ちを形にできる日を楽しみにしているとも言っていた。

(危険を冒すに値する恩がある)

 誰もいないこの場所で、ティティはそれを言い出すはずだとリュドラーは確信していた。
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