妖育―忠義の果てにー

水戸けい

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首輪

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 ◇

 目覚めたリュドラーは、自分の首に手を当てて、そこにある慣れぬものに眉をひそめた。

 彼の首には犬につける首輪があった。革でできたそれはゆったりとしていて苦しくはないが、違和感がはなはだしい。

(まさか、この俺が首輪をつけられることになろうとは)

 サヒサが去ってしばらくの後、メイドと従僕が客間に現れ、メイドはトゥヒムを客室へと連れて行った。そしてリュドラーは従僕に案内されて、屋敷の片隅にある粗末な部屋に通された。

 そこで湯を使うように指示をされ、桶で湯を運んできたものたちに世話をされて体の汚れを落とした後に、肌身が透けるほど薄く軽い生地でできた裾の長いシャツと、光沢のある革の首輪を身に着けるよう命じられた。

 シャツはわずかな風にも裾が浮くほど軽く、光が当たればリュドラーの鍛え抜かれた肉体が透けて見えるほどに薄い。下肢にはなにも穿いておらず、布越しでも男の証と繁みがわかった。身幅はリュドラーにとっては少々きつく、厚い胸筋がクッキリと型押ししたように布に浮かんでいる。鍛錬で焼けた褐色の肌にある胸の尖りは盛り上がりの大きさに反してちいさく、明るく薄い色をしていることも、布を通してわかるほどにピッチリとしていた。

 しかしシャツはまっすぐなラインで筒状に作られており、細く締まったウエストのあたりは、ゆったりしている。形よく持ち上がっている尻のあたりは胸ほど窮屈ではなく、裾は太くたくましい腿の半ばあたりで終わっていた。

 光沢のある首輪に装飾らしいものはなく、外れないようしっかりと鍵をかけられていた。馬の口輪にできるほど丈夫な革製のものなので、引きちぎろうとは考えないようにと鍵をかけた従僕に忠告されたが、外すつもりはまったくない。

(俺が受け入れてさえいれば、殿下の身は安泰なんだ)

 騎士としての修練をはじめた幼いころ、命を賭して守る相手に会っておけと父に言われて、赤子のトゥヒムに目通りをした。少年だったリュドラーはそっと指を出して、生後半年ほどのトゥヒムの頬をつついた。するとトゥヒムは愛らしい声で笑い、ギュッとリュドラーの指を掴んだ。その瞬間、リュドラーの魂はトゥヒムに掴まれた。

 この無垢で愛らしく、ちいさなものを守るのは俺の使命だと、年端もいかぬリュドラーは確信し、賢明に騎士としての修行に励んで一騎当千の騎士とまで言われる存在となった。

(体を使って殿下を守る、ということにおいては、なにも変わりない)

 性奴隷の仕事を具体的に知っているわけではないリュドラーは、腹の底にわだかまる不安に言い聞かせた。幼き日の誓いどおりに、トゥヒムを守ってみせると首輪を握る。

(このくらいの屈辱、わけはない)

 まだ奴隷としての衣装を渡されただけで、なんの仕事もしていない。この程度で不安を得ていては、先のことは務まらないぞと己を奮い立たせるリュドラーに、朝食が運ばれてきた。

「殿……。トゥヒム様は、どうしておられる」

 肉を挟んだパンにスープ、果物を運んできた従僕に問えば、彼は人懐こい顔で答えてくれた。

「足の裏にケガをなされておいでだったんで、今朝もまた治療をして、いまは朝食を召し上がられているところだ。ずいぶんとキレイな若様だな。女の子かと思ったよ」

「……俺が奴隷だとは、聞いていないのか」

「ん? ああ、聞いているさ」

「それならばなぜ、そんなふうに気さくな態度でいる。奴隷と従僕を比べれば、そちらのほうがずっと地位が高いだろう」

 従僕はキョトンとしてリュドラーを見、あははと声を上げた。

「なら、まずはそっちが態度をあらためてくれよ。ちっともへりくだっていないじゃないか」

「あ。いや、これは、すまない」

 うろたえるリュドラーに、いいさいいさと従僕は手を振った。

「従僕といっても、いろいろさ。俺は馬番と犬の世話をしている。いわゆる、動物相手の従僕だな。つまり、あんたはこの屋敷では、動物とおなじ扱いってことだ。動物と言っても、いろいろある。とくに馬なんかは、プライドが高くてこっちが頭を下げなきゃいけない場合なんざ、めずらしくない。人間を見ているんだな、ありゃあ」

 リュドラーはうなずいた。馬は人をよく見ている。名馬は気に入った人間しか背中に乗せないこともある。

「サヒサ様は、あんたを名馬とおなじに扱えとおっしゃった。サヒサ様と、あのキレイなお客人にしか手綱を持たせない名馬だと思えってな。だから、俺はそんなふうにあんたを見ている。馬はこっちが偉そうにしたり卑屈になったりすれば、すぐに心根を嗅ぎ取って扱いづらくなっちまう」

「だから気さくな態度をしているということか」

「そうだ。――それに、ただの奴隷には、こんなに厚い肉をはさんだパンや、新鮮な果物なんか与えやしない。俺でも手が届かない高級肉さ。それだけ、あんたが価値のある貴重な存在ってことなんだろう」

「……そうか」

「喉が渇いたら、これを飲んでくれればいい」

 従僕が瓶の詰まった箱を部屋の隅に置いた。

「それは……?」

「なんでも、蜜酒とかいうそうだ。あんたの飲み物はぜんぶ、サヒサ様が手配した蜜酒にするよう言われている。水がいいって言うんなら用意をしてもいいが、普段はこれを飲んでおけ、だとさ」

「そうか」

 リュドラーは蜜酒の瓶を見た。この国の一般的な飲み物は果実酒か果汁、牛乳か水で、ハチミツから作り出される蜜酒は民の口には入らない高級品。それを専用の飲み物として置いておくというのは、どういう了見なのだろうか。

(奴隷とはいえ手厚く扱うという意味か、それとも――)

 なにか細工がしてあるのか。

 どちらにしても、拒否権はないとリュドラーは蜜酒の瓶を手に取った。

「なにか、入用があったら呼んでくれ。俺はだいたい馬場か馬小屋にいる。どっちにもいなかったら、馬小屋近くの俺の家だ」

「この部屋から勝手に出てもいいというのか」

 リュドラーは驚いた。

「馬がうろつくあたりなら勝手に出歩いていいそうだ。このドアを開けたらすぐに馬場に出る。柵がめぐらされているから、そこより外に出なけりゃいい」

「こちらのドアは」

 リュドラーは男が入ってきたのとは反対側の、昨夜ここに連れてこられたときにくぐったドアを顎で示した。

「そっちは屋敷の中に通じている。あんたの仕事があるときは、そっちのドアからお呼びがかかるだろうさ。それじゃあ、俺は馬を遊ばせなきゃならないから、失礼するよ」

 パタンと扉が閉まり、ひとりになったリュドラーは蜜酒のふたを開けて口に含んだ。

 むせかえりそうなほど、甘ったるい花の香りが鼻孔に抜けた。
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