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第3章 当惑と模索
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事情を知っているらしい人の傍に行きたくて、カナミは部屋を抜けてスルドの食堂へ足を運んだ。出迎えてくれたスルドは、カナミの困惑している様子にほほえみ、すぐに飲み物を用意してくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
口をつけたそれは、後味がほんのり果物のように甘い。
「おいしいです」
笑みを深めたスルドに勧められるまま、炒った木の実をつまみながら、カナミはポツポツさきほどのラチェットとの会話を語った。
聞き終えたスルドが考え深げな顔をして顎を撫でる。
「私、もっとちゃんとクラベスのことが知りたいんです。――いずれわかるとか、そんなふうに言われるかもしれないですけど。でも、このままずっと気にしたままじゃいられませんし、気にしないでいるのも無理だし……」
うつむいたカナミを横目で見ながら、スルドは「ふうむ、ふうむ」とうなり続ける。
「すみません。なんか、困らせちゃって」
「ああ、いや。そうじゃないんだ。もとはといえば、おふたりが兄弟であられると教えたのは私だからね。しかし、この問題について、なにをどう言えばいいのか……、料理人ごときが説明をしてしまってもいいのかと考えているんだ」
「やっぱり、困ってるじゃないですか」
あはは、と眉を下げてスルドは頭を掻いた。ふうっと盛大に気鬱を吐き出したカナミは唇を尖らせる。
「私、ここでも役立たずなのかなぁ」
スルドがキョトンとする。
「ここでも、とは?」
「もといた世界のことです。私、仕事はちゃんとしてました。人間関係も、悪くなかったと思います。ふつうに話をしたり、お昼も同僚と一緒にしたりしてましたけど、でも、仕事が終わってから、個人的にどうとかなかったし。……まったくなかったってわけじゃないんですけど、でもなんか、私じゃなくてもいいんだろうなぁっていうか、なんていうか」
「変わりはいくらでもいる?」
コクリとカナミは首を動かし、そのままうなだれる。
「べつに、特別扱いしてほしいとか、そういうんじゃないんです。でも、私だからっていう感じがほしくて……。なのに私、田舎育ちだし見た目もパッとしないのが恥ずかしくて、ついつい見栄を張っちゃうっていうか、なんていうか。それで『私だから』がほしいっていうのも、身勝手だってわかっていて。――余計になんか、へこむっていうか」
だから誰も自分を知らない世界に行って、素直な自分でやり直したいと望んだのだとカナミは改めて思う。定着してしまった自分像を崩すよりも、新しく素のままの姿を出せるほうが、きっと楽だし見栄を張る必要もないのではと考えたから。
(でも、浅はかだったかなぁ)
ありのままの自分と言っても、なにをどうすればそうなれるのかがわからない。自信もない。だからクラベスが妻にと言ってくれている理由を、求めてしまっているのかもしれない。
そしてクラベスも自分とおなじだと、カナミはなんとなく察していた。それがチェレスタとの関係に繋がるのだと、ぼんやりと感じているのにうまく説明できない。
情けないなと落ち込むカナミの肩に、そっと肉厚の手が触れた。顔を上げると、幼子を導く顔のスルドに見つめられる。
「カナミは居場所がほしいんだな」
「居場所」
スルドの言葉がしっくりと心になじむ。カナミは手のひらを胸に当てて、ちいさく「居場所」と口の中で言葉を転がしてみた。
「受け入れられているという実感は、どんな人間にも必要な要素だからね」
「クラベスは、それを私に求めているの?」
どこの誰ともわからないカナミだからこそ、王でもなんでもないクラベス自身を受け入れてもらえると、彼は考えているのだろうか。
半ば確信を持ちつつ疑問として音にしたカナミに、スルドはあいまいな表情を浮かべた。
「ねえ、スルドさん」
肯定が欲しいとカナミが示すと、スルドは眉尻を下げて首を振った。
「国王の心情を、たかが料理人が推察して断定するなどできないよ」
カナミは落胆した。ほかにこの問題を相談できそうな相手はいない。
途方にくれるカナミの気分を変えようとしてか、スルドがあれこれと食べ物を勧めてくれる。そのどれにも食指が動かず、カナミは申し訳ないと思いつつも、スルドの好意を受け取れなかった。
かといって、気まずく重い空気がただよっている食堂から出て、ひとりになるのもイヤだ。
なんてワガママなんだろうと、さらに気持ちを沈めていると、沈殿した空気を拡販するかのように、明るい声が食堂に飛び込んできた。
「スルド、カナミはここに――。ああ、いたいた」
軽快な足取りで現れたのは、パンデイロだった。赤褐色の髪と藍色の瞳に、カナミは救いを求める。
「パンデイロさん、あの……」
「ラチェットから話は聞いた。ちょっと散歩に出ようか、カナミ。――スルドは、なにかおいしいものを作っておいてくれ」
「かしこまりました」
「ほら、カナミ」
差し伸べられた手を取って、カナミは外に出た。扉をくぐると「王に嫉妬をされては困るからな」と、パンデイロがおどけて手を離す。クスリと笑みを漏らしたカナミは、さんさんと降り注ぐ陽光に目を細めて、先を歩くパンデイロを追いかけた。
「あの、ラチェットさんから聞いたって」
「ん? ああ。ラチェットからめずらしく呼び出されたから、なにごとかと思ったら、カナミの相談に乗ってやってくれってさ」
意外すぎる展開に、カナミはポカンとした。振り返ったパンデイロが快活な笑い声を立てる。
「あいつはあれで、けっこう情に厚い。いや、情に厚いからこそ、あんなふうにそっけない態度をしたり、厳しい顔をしているのかもしれないな」
パンデイロがウインクをする。
「だから、怖がらないでやってくれ」
うっ、と言葉に詰まったカナミに、パンデイロが楽しそうな声を上げて腰に手を当てた。
「さて、カナミ。この庭は、いわば王族のプライベート空間だ。めったな人間は入り込めない。室内に閉じこもっているよりも、開放的な空や緑の中でのほうが、明るい気持ちで相談もできるだろう。――知りたいのは、クラベス様とチェレスタの関係だったな」
「はい」
「なぜ、知りたい?」
「えっ」
「知りたい理由だ。どうして、ふたりの関係を知りたいんだ」
「どうしてって……」
(どうしてだろう)
カナミは考える。
「……ええと、クラベスが急に態度を変えたのが気になったんです。いきなり、チェレスタさんに惹かれたか、なんて聞かれるし」
「それを聞いて、カナミはどう思った」
「クラベスは、チェレスタさんにコンプレックスがあるのかなって……」
ふむとうなり、腕を組み顎に手を当てたパンデイロがふたたび歩きはじめる。カナミはすこし後ろをついて行った。
「カナミはこの国のことを、まったく知らないんだったな」
「はい」
「じゃあ、簡単に王族や貴族にまつわる説明をしよう」
立ち止まることなく、パンデイロは背後のカナミに言葉を向けた。
「グリッサンド国の歴史は長い。つまり王家の親族も多いということになる。子どもを全員、王にするわけにはいかないからな。王になれなかった者を、貴族にするしかなくなる。なかには商人になりたいと、庶民の生活に入る方もいらっしゃったそうだが、まあ、たいていは貴族になるか、他国に縁づくか……。ああ、豪商の子になることもある。ここまでは、理解できたか」
「はい。……どこの国でも、そういう感じなんですね」
「カナミの国も、そうなのか」
「ええと……、昔はそうだったみたいです。いまは、よくわかんないんですけど」
「昔のことは知っているのに、いまを知らないとは不思議だな」
えへへ、とカナミは受け流した。歴史の授業で過去のことは勉強したが、現在の皇室を気にしたことはない。
「まあいい。そういうわけで、王に子があるときはいいが、そうでないときは血縁の濃い貴族の中から養子が出る。子が多いときは、子の母を出した家が一族の血を引く王子を次代の王にしたいと画策する」
それも歴史の授業で似たような事例を習っていたので、知識としては理解できた。
「でも、クラベスとチェレスタさんって、お母さんがおなじなんですよね」
「そこだ」
クルリと振り向いたパンデイロに指をさされて、カナミは足を止めた。
「だからこそ、よけいに面倒くさい」
「……はぁ」
「先々王の時代までは、戦があった。先王の代でそれが集束した。つまり、先代までは王の資質は武芸にあった時代だったんだ」
それがどうクラベスたちの関係に繋がるのだろうと、カナミは続きを待った。パンデイロはカナミの周囲を歩きながら、教師のような口調で話す。
「だが、いまは違う。武よりも文の資質が必要な時代になった。戦が終わり、その後始末もあらかた終わった。次に求められるのは、戦で疲弊した民の暮らしを豊かにすることだ。となると、人々の生活を重んじる王のほうが、武芸に長けている王よりもいいだろう?」
確かにそうだとカナミがうなずくと、パンデイロは「ところがだ」とカナミに向き合って止まった。
「祖父王や父王の姿を見ていた古い貴族たちは、武芸に秀でているほうが王にふさわしいと言う。そういう連中はたいがい、教育係なんかになっていたりするんだ。他人の意見をやわらかく受け入れ、人の心情をおもんぱかる子どもがそんな話の中で育ったら、そのとおりだと深く意識に刻まれてしまう」
「それが、クラベスなんですか」
そのとおりだと、パンデイロは満足気に口の端を持ち上げた。
「クラベス様よりも、チェレスタのほうが武芸は勝っていた。人望も高く、勇ましい連中はチェレスタが次の王に選ばれるのだと確信していた。クラベス様も人気はあったが、古い人間たちはチェレスタを推していた。そんな環境にずっといれば、自然と次の王はチェレスタだと思ってしまう。――違うか?」
違わないと、カナミは首を動かして示した。
「でも、クラベスが王様でチェレスタさんは騎士なんですよね」
「そう。先王もチェレスタを王にと考えていたフシがあるが、先々王が次の王はクラベス様だと決めたんだ」
「どうして」
「さっきも言っただろう? いまは武の王の時代ではないと」
「……でも、そんな中で育ったら、チェレスタさんのほうがふさわしいんだって、思っちゃいますよね。簡単に切り替えなんてできない」
「それが、ふたりの関係の微妙なところだ」
「チェレスタさんは、どう思っているんですか? やっぱり自分が王様になったほうがいいって、考えているんでしょうか」
「会ったんだろう? どう思った」
カナミはチェレスタとのやりとりを思い出す。
「すごく、クラベスを心配してるって思いました。クラベスが大切なんだなぁって」
「そう。チェレスタはクラベス様が王位にあることに納得をしている。だが、クラベス様がそう思っていない」
「どうして、そんな」
「さっきカナミが言っていたじゃないか。簡単に切り替えができないと」
そっかとカナミはうつむいた。なんてささいで深いすれ違いなんだろう。
「それに、いまだにチェレスタが王であればと言う、頭の古い貴族もいる。だからラチェットが気をもんでいるんだ」
「そういう声がクラベスに聞こえないように、ですか」
「そうだ。警戒が日常になってしまったから、あいつの眉間にはいつもシワがある」
おどけた雰囲気で眉間に指を置いて難しい顔をしてみせるパンデイロに、クスリと気分をなごませながらカナミは考える。
(だからチェレスタさんがクラベスの弟だっていうのは、公然の秘密なのね)
周囲の期待とは違った結果になった自分を、クラベスはもてあましている。求められる王の姿になろうとしても、クラベスはチェレスタにはなれない。それはカナミが都会の人間になろうとしても、育った地域の気風や考え方をそっくりぬぐえないのとおなじだった。
(クラベスと私は、おなじことで悩んでいるんだ)
だったら彼の気持ちに誰よりも共感できるはずだと、カナミは唇を引き締めた。
「パンデイロさんは、クラベスが王様でよかったと思いますか?」
「もちろんだ。ラチェットもチェレスタも、民だってきっとそう思っているさ」
カバサの声が、カナミの耳奥に浮かぶ。
――民がいるから、王も貴族も存在できるんだって、おっしゃってたわ。
クラベスのその気持ちはきっと、多くの民に届いているはずだ。
「あの、パンデイロさん」
「うん?」
「私、この国のこと、もっとくわしく知りたいです。そうでないと、クラベスを助けられない」
「王妃として、贅沢にのんびりと暮らせばいいだろう。誰もカナミにクラベス様を助けろとは望んでいない」
「そんなの、イヤです」
居場所がほしいんだな、というスルドの声がカナミの心に響いた。
「ちゃんと私という存在の、居場所がほしいから。――クラベスに、ちゃんとした居場所にいるんだって伝えたいから。そのためには、この国のことを知らなきゃいけないと思うんです」
まっすぐに見上げる真剣なカナミの瞳に、ニヤリとパンデイロは唇をゆがめた。
「それじゃあ、明日は変装をして町に出てみるか。話で聞くよりも、自分の目で見て空気に触れるほうが、ずっとわかりやすい」
「変装? パンデイロさんの身分を隠すためですか」
「カナミの存在を隠すためだ。この国に、黒髪の人間はいないからな」
だからカナミを神から贈られたものだとクラベスが信じたことを思い出し、カナミは自分の髪に手を伸ばした。
「朝食が済んだら、食堂に来てくれ。準備を整えておく」
「はい。よろしくお願いします」
自分にできることが見つかった興奮に、カナミは頬を紅潮させて頭を下げた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
口をつけたそれは、後味がほんのり果物のように甘い。
「おいしいです」
笑みを深めたスルドに勧められるまま、炒った木の実をつまみながら、カナミはポツポツさきほどのラチェットとの会話を語った。
聞き終えたスルドが考え深げな顔をして顎を撫でる。
「私、もっとちゃんとクラベスのことが知りたいんです。――いずれわかるとか、そんなふうに言われるかもしれないですけど。でも、このままずっと気にしたままじゃいられませんし、気にしないでいるのも無理だし……」
うつむいたカナミを横目で見ながら、スルドは「ふうむ、ふうむ」とうなり続ける。
「すみません。なんか、困らせちゃって」
「ああ、いや。そうじゃないんだ。もとはといえば、おふたりが兄弟であられると教えたのは私だからね。しかし、この問題について、なにをどう言えばいいのか……、料理人ごときが説明をしてしまってもいいのかと考えているんだ」
「やっぱり、困ってるじゃないですか」
あはは、と眉を下げてスルドは頭を掻いた。ふうっと盛大に気鬱を吐き出したカナミは唇を尖らせる。
「私、ここでも役立たずなのかなぁ」
スルドがキョトンとする。
「ここでも、とは?」
「もといた世界のことです。私、仕事はちゃんとしてました。人間関係も、悪くなかったと思います。ふつうに話をしたり、お昼も同僚と一緒にしたりしてましたけど、でも、仕事が終わってから、個人的にどうとかなかったし。……まったくなかったってわけじゃないんですけど、でもなんか、私じゃなくてもいいんだろうなぁっていうか、なんていうか」
「変わりはいくらでもいる?」
コクリとカナミは首を動かし、そのままうなだれる。
「べつに、特別扱いしてほしいとか、そういうんじゃないんです。でも、私だからっていう感じがほしくて……。なのに私、田舎育ちだし見た目もパッとしないのが恥ずかしくて、ついつい見栄を張っちゃうっていうか、なんていうか。それで『私だから』がほしいっていうのも、身勝手だってわかっていて。――余計になんか、へこむっていうか」
だから誰も自分を知らない世界に行って、素直な自分でやり直したいと望んだのだとカナミは改めて思う。定着してしまった自分像を崩すよりも、新しく素のままの姿を出せるほうが、きっと楽だし見栄を張る必要もないのではと考えたから。
(でも、浅はかだったかなぁ)
ありのままの自分と言っても、なにをどうすればそうなれるのかがわからない。自信もない。だからクラベスが妻にと言ってくれている理由を、求めてしまっているのかもしれない。
そしてクラベスも自分とおなじだと、カナミはなんとなく察していた。それがチェレスタとの関係に繋がるのだと、ぼんやりと感じているのにうまく説明できない。
情けないなと落ち込むカナミの肩に、そっと肉厚の手が触れた。顔を上げると、幼子を導く顔のスルドに見つめられる。
「カナミは居場所がほしいんだな」
「居場所」
スルドの言葉がしっくりと心になじむ。カナミは手のひらを胸に当てて、ちいさく「居場所」と口の中で言葉を転がしてみた。
「受け入れられているという実感は、どんな人間にも必要な要素だからね」
「クラベスは、それを私に求めているの?」
どこの誰ともわからないカナミだからこそ、王でもなんでもないクラベス自身を受け入れてもらえると、彼は考えているのだろうか。
半ば確信を持ちつつ疑問として音にしたカナミに、スルドはあいまいな表情を浮かべた。
「ねえ、スルドさん」
肯定が欲しいとカナミが示すと、スルドは眉尻を下げて首を振った。
「国王の心情を、たかが料理人が推察して断定するなどできないよ」
カナミは落胆した。ほかにこの問題を相談できそうな相手はいない。
途方にくれるカナミの気分を変えようとしてか、スルドがあれこれと食べ物を勧めてくれる。そのどれにも食指が動かず、カナミは申し訳ないと思いつつも、スルドの好意を受け取れなかった。
かといって、気まずく重い空気がただよっている食堂から出て、ひとりになるのもイヤだ。
なんてワガママなんだろうと、さらに気持ちを沈めていると、沈殿した空気を拡販するかのように、明るい声が食堂に飛び込んできた。
「スルド、カナミはここに――。ああ、いたいた」
軽快な足取りで現れたのは、パンデイロだった。赤褐色の髪と藍色の瞳に、カナミは救いを求める。
「パンデイロさん、あの……」
「ラチェットから話は聞いた。ちょっと散歩に出ようか、カナミ。――スルドは、なにかおいしいものを作っておいてくれ」
「かしこまりました」
「ほら、カナミ」
差し伸べられた手を取って、カナミは外に出た。扉をくぐると「王に嫉妬をされては困るからな」と、パンデイロがおどけて手を離す。クスリと笑みを漏らしたカナミは、さんさんと降り注ぐ陽光に目を細めて、先を歩くパンデイロを追いかけた。
「あの、ラチェットさんから聞いたって」
「ん? ああ。ラチェットからめずらしく呼び出されたから、なにごとかと思ったら、カナミの相談に乗ってやってくれってさ」
意外すぎる展開に、カナミはポカンとした。振り返ったパンデイロが快活な笑い声を立てる。
「あいつはあれで、けっこう情に厚い。いや、情に厚いからこそ、あんなふうにそっけない態度をしたり、厳しい顔をしているのかもしれないな」
パンデイロがウインクをする。
「だから、怖がらないでやってくれ」
うっ、と言葉に詰まったカナミに、パンデイロが楽しそうな声を上げて腰に手を当てた。
「さて、カナミ。この庭は、いわば王族のプライベート空間だ。めったな人間は入り込めない。室内に閉じこもっているよりも、開放的な空や緑の中でのほうが、明るい気持ちで相談もできるだろう。――知りたいのは、クラベス様とチェレスタの関係だったな」
「はい」
「なぜ、知りたい?」
「えっ」
「知りたい理由だ。どうして、ふたりの関係を知りたいんだ」
「どうしてって……」
(どうしてだろう)
カナミは考える。
「……ええと、クラベスが急に態度を変えたのが気になったんです。いきなり、チェレスタさんに惹かれたか、なんて聞かれるし」
「それを聞いて、カナミはどう思った」
「クラベスは、チェレスタさんにコンプレックスがあるのかなって……」
ふむとうなり、腕を組み顎に手を当てたパンデイロがふたたび歩きはじめる。カナミはすこし後ろをついて行った。
「カナミはこの国のことを、まったく知らないんだったな」
「はい」
「じゃあ、簡単に王族や貴族にまつわる説明をしよう」
立ち止まることなく、パンデイロは背後のカナミに言葉を向けた。
「グリッサンド国の歴史は長い。つまり王家の親族も多いということになる。子どもを全員、王にするわけにはいかないからな。王になれなかった者を、貴族にするしかなくなる。なかには商人になりたいと、庶民の生活に入る方もいらっしゃったそうだが、まあ、たいていは貴族になるか、他国に縁づくか……。ああ、豪商の子になることもある。ここまでは、理解できたか」
「はい。……どこの国でも、そういう感じなんですね」
「カナミの国も、そうなのか」
「ええと……、昔はそうだったみたいです。いまは、よくわかんないんですけど」
「昔のことは知っているのに、いまを知らないとは不思議だな」
えへへ、とカナミは受け流した。歴史の授業で過去のことは勉強したが、現在の皇室を気にしたことはない。
「まあいい。そういうわけで、王に子があるときはいいが、そうでないときは血縁の濃い貴族の中から養子が出る。子が多いときは、子の母を出した家が一族の血を引く王子を次代の王にしたいと画策する」
それも歴史の授業で似たような事例を習っていたので、知識としては理解できた。
「でも、クラベスとチェレスタさんって、お母さんがおなじなんですよね」
「そこだ」
クルリと振り向いたパンデイロに指をさされて、カナミは足を止めた。
「だからこそ、よけいに面倒くさい」
「……はぁ」
「先々王の時代までは、戦があった。先王の代でそれが集束した。つまり、先代までは王の資質は武芸にあった時代だったんだ」
それがどうクラベスたちの関係に繋がるのだろうと、カナミは続きを待った。パンデイロはカナミの周囲を歩きながら、教師のような口調で話す。
「だが、いまは違う。武よりも文の資質が必要な時代になった。戦が終わり、その後始末もあらかた終わった。次に求められるのは、戦で疲弊した民の暮らしを豊かにすることだ。となると、人々の生活を重んじる王のほうが、武芸に長けている王よりもいいだろう?」
確かにそうだとカナミがうなずくと、パンデイロは「ところがだ」とカナミに向き合って止まった。
「祖父王や父王の姿を見ていた古い貴族たちは、武芸に秀でているほうが王にふさわしいと言う。そういう連中はたいがい、教育係なんかになっていたりするんだ。他人の意見をやわらかく受け入れ、人の心情をおもんぱかる子どもがそんな話の中で育ったら、そのとおりだと深く意識に刻まれてしまう」
「それが、クラベスなんですか」
そのとおりだと、パンデイロは満足気に口の端を持ち上げた。
「クラベス様よりも、チェレスタのほうが武芸は勝っていた。人望も高く、勇ましい連中はチェレスタが次の王に選ばれるのだと確信していた。クラベス様も人気はあったが、古い人間たちはチェレスタを推していた。そんな環境にずっといれば、自然と次の王はチェレスタだと思ってしまう。――違うか?」
違わないと、カナミは首を動かして示した。
「でも、クラベスが王様でチェレスタさんは騎士なんですよね」
「そう。先王もチェレスタを王にと考えていたフシがあるが、先々王が次の王はクラベス様だと決めたんだ」
「どうして」
「さっきも言っただろう? いまは武の王の時代ではないと」
「……でも、そんな中で育ったら、チェレスタさんのほうがふさわしいんだって、思っちゃいますよね。簡単に切り替えなんてできない」
「それが、ふたりの関係の微妙なところだ」
「チェレスタさんは、どう思っているんですか? やっぱり自分が王様になったほうがいいって、考えているんでしょうか」
「会ったんだろう? どう思った」
カナミはチェレスタとのやりとりを思い出す。
「すごく、クラベスを心配してるって思いました。クラベスが大切なんだなぁって」
「そう。チェレスタはクラベス様が王位にあることに納得をしている。だが、クラベス様がそう思っていない」
「どうして、そんな」
「さっきカナミが言っていたじゃないか。簡単に切り替えができないと」
そっかとカナミはうつむいた。なんてささいで深いすれ違いなんだろう。
「それに、いまだにチェレスタが王であればと言う、頭の古い貴族もいる。だからラチェットが気をもんでいるんだ」
「そういう声がクラベスに聞こえないように、ですか」
「そうだ。警戒が日常になってしまったから、あいつの眉間にはいつもシワがある」
おどけた雰囲気で眉間に指を置いて難しい顔をしてみせるパンデイロに、クスリと気分をなごませながらカナミは考える。
(だからチェレスタさんがクラベスの弟だっていうのは、公然の秘密なのね)
周囲の期待とは違った結果になった自分を、クラベスはもてあましている。求められる王の姿になろうとしても、クラベスはチェレスタにはなれない。それはカナミが都会の人間になろうとしても、育った地域の気風や考え方をそっくりぬぐえないのとおなじだった。
(クラベスと私は、おなじことで悩んでいるんだ)
だったら彼の気持ちに誰よりも共感できるはずだと、カナミは唇を引き締めた。
「パンデイロさんは、クラベスが王様でよかったと思いますか?」
「もちろんだ。ラチェットもチェレスタも、民だってきっとそう思っているさ」
カバサの声が、カナミの耳奥に浮かぶ。
――民がいるから、王も貴族も存在できるんだって、おっしゃってたわ。
クラベスのその気持ちはきっと、多くの民に届いているはずだ。
「あの、パンデイロさん」
「うん?」
「私、この国のこと、もっとくわしく知りたいです。そうでないと、クラベスを助けられない」
「王妃として、贅沢にのんびりと暮らせばいいだろう。誰もカナミにクラベス様を助けろとは望んでいない」
「そんなの、イヤです」
居場所がほしいんだな、というスルドの声がカナミの心に響いた。
「ちゃんと私という存在の、居場所がほしいから。――クラベスに、ちゃんとした居場所にいるんだって伝えたいから。そのためには、この国のことを知らなきゃいけないと思うんです」
まっすぐに見上げる真剣なカナミの瞳に、ニヤリとパンデイロは唇をゆがめた。
「それじゃあ、明日は変装をして町に出てみるか。話で聞くよりも、自分の目で見て空気に触れるほうが、ずっとわかりやすい」
「変装? パンデイロさんの身分を隠すためですか」
「カナミの存在を隠すためだ。この国に、黒髪の人間はいないからな」
だからカナミを神から贈られたものだとクラベスが信じたことを思い出し、カナミは自分の髪に手を伸ばした。
「朝食が済んだら、食堂に来てくれ。準備を整えておく」
「はい。よろしくお願いします」
自分にできることが見つかった興奮に、カナミは頬を紅潮させて頭を下げた。
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