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第2章 求めと疎み
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「カナミ」
はずんだクラベスの声に、ナイトドレス姿でぼんやりと窓から月を見上げていたカナミはイスから立ち上がった。
「クラベス」
おかえりなさいと言うべきか迷っているうちに、クラベスはカナミの手を取り唇を押し当てる。
「夕食も共にしたかったんだが……。ひとりで過ごさせてしまって、すまない」
「ううん。王様って忙しいのね」
クラベスは軽く肩をすくめて、カナミをベッドに誘った。カナミの身が自然とこわばる。
「カナミ?」
「あ、ううん……、その」
カナミは目じりをポウッとさせて、うつむいた。クラベスが不思議そうに顔をのぞきこんでくる。
「――恥ずかしい?」
「それも、あるけど」
「なに?」
(クラベスは私じゃなくても、漂着していた女なら誰でもよかったの?)
昼間から小骨のように喉奥にひっかかっている疑問が、カナミの体を硬くしていた。
(それに私、クラベスのこと――)
まつ毛をそっと持ち上げると、クラベスの淡く輝く茶色の瞳とぶつかった。吸い込まれそうなほど透き通ったその瞳は、まっすぐにカナミの心の奥へと沈む。
キュンと痛んだ胸に、カナミは両手を乗せた。まだなにも知らない相手のはずなのに、カナミの心はクラベスに向かって流れている。
(どうして――)
「昼間、私が誰かの差し金じゃないかって、疑われたの」
カナミは別の問題を口にした。
「誰に」
クラベスの目が険しくなる。
――ただし、そのことは公然の秘密と言いますか。あまり口にはなさらないようにしてくださいませ。
スルドの声を耳奥に響かせながら、カナミはその名を口にした。
「チェレスタという人。クラベスにそっくりな……、雰囲気は違うけど、似てた人」
クラベスの目の奥に痛みが走ったのを見つけ、カナミの心がヒヤリとした後悔に包まれた。
(でも、知りたい)
クラベスのことをもっと知りたいと、カナミは目に力を込めた。クラベスの瞳の痛みが静かな悲しみに流されると、彼の唇は皮肉めいた微笑にゆがんだ。
「私よりも、チェレスタのほうがずっと魅力的だった?」
「そんな……」
悲哀に満ちたクラベスの瞳に、きつく心を絞られたカナミは言葉を呑んだ。クラベスの指がカナミの髪に触れ、顔を寄せられる。
「クラベス」
カナミのささやきはクラベスの唇に包まれた。ついばむようなキスは、カナミの心を確かめているようで辛く、クラベスへの想いを強くさせる。
(私、どうして――)
クラベスが愛おしい。言葉よりも体現しなければ、彼には伝わらなさそうだ。
カナミはクラベスの肩に手を置き、目を閉じてキスに応えた。
「んっ、ん……」
ついばむキスが深いものへと変化する。薄く唇を開けると、クラベスの舌がカナミの口腔に侵入した。丁寧に口内をなぞられるカナミの胸の先が甘い痺れを覚え、腰のあたりが熱くとろける。肌がふわりと淡い官能に包まれて、カナミはクラベスの首に腕を回した。
「ん、ふ……、んんっ、ん」
昨夜、キスをされたとき。あのとき、クラベスを抱きしめたい衝動にかられた。その気持ちがよみがえり、こうして思いのままに彼を抱きしめられている喜びに、カナミは口の端を持ち上げた。気づいたクラベスがカナミの口の端を軽く吸って、まぶたに口づける。
「カナミ。――私の妻。そのために、君はここへ来てくれたんだろう?」
クラベスの目はやわらかな悲哀に揺れていた。カナミは唇を迷わせて、正直に答えた。
「わからないの。私もどうして、ここに来たのか。クラベスの願いが聞こえたわけじゃないし、私も願い事をしようとして、海に落ちたっていうか、波にさらわれたっていうか……、それで、ここに流れ着いただけだから」
「――帰りたい?」
クラベスの唇がカナミの髪に触れる。
「わからない」
首を振ったカナミの髪が、しゃらしゃらと音を立てた。
「私の妻になるつもりはないか?」
「――それは」
じっと見つめてくるクラベスの目は、痛いほどまっすぐにカナミの心を貫いた。
「どうして、私なの?」
「ん?」
「私が言い伝えのとおりに漂着したから? 漂着したのが私じゃなくても、クラベスはその人と結婚するの……?」
不安に震えるカナミの手を、クラベスは両手で包んだ。
「カナミ」
額を重ねたクラベスは、軽くカナミの唇をついばむ。
「カナミは、とてもステキな人だと思う。すぐにカバサとも仲良くなれただろう? 私を王だと知っても、態度を変えなかった。自分に正直な人なんだと、私は思うよ」
「自分に正直だなんて……」
そうなれないことに苦しみ、知らないどこかへ行きたいと望んだカナミには、クラベスの言葉が皮肉に響いた。
「そんなカナミとなら、私は私らしくあれると思ったんだ。王と知っても態度を変えなかったカナミなら、どんなしがらみも関係なく過ごしていられると……。責務や人のつながりを考えなくとも、自分の心のままに接していられる相手だと、私は思う。――はじめは満月の朝に浜に打ち上げられていた、この国には存在しない黒髪の女性という事実に浮かれていた。それは認めるよ。……だが、短い時間だけれど、カナミと接して感じたんだ。この人となら、私は自由でいられると」
カナミは唇を硬く結んだ。
(クラベスは、私とおなじなんだ)
きっかけや立場は違っても、自分に正直にふるまえない苦しさから抜け出したがっている。
「私……」
ふたりの願いが重なったから、海はカナミを掴んで沈めたのかもしれない。双方の願いを叶えるために。
「なにがあっても、カナミを守る。誰になんと言われようと、私はカナミを妻とする。しかし、カナミがイヤだと言うのなら……」
「ううん、クラベス」
カナミは自信なさげにほほえんだ。
「私の願いも、きっとここにたどり着いたことで叶うんだと思う。似た風習があるって言ったでしょう? 私もね、クラベスとは違うけど、でも、自分らしくいたいなって思ってて……。らしくって言っても、どういうものが自分らしいのか、よくわからないけど。でも、窮屈っていうか、息苦しいなって感じていて、抜け出したいなって思ってて……、それで」
「それで、海に落ちた?」
「落ちたっていうか、いきなり波が高くなってさらわれたっていうか」
「それはきっと、私たちの願いが重なったからかもしれないな」
「クラベスも、そう思う?」
喜びをにじませて、クラベスが目を細める。カナミもおなじ笑みを浮かべた。
「神が私たちを引き寄せたんだ」
しみじみとしたクラベスの声に、カナミははにかむ。信心深いわけではない。けれど、そんなこともありえるのではと受け止められる程度には、寺社仏閣の存在や地域の儀式などが心身に浸み込んでいた。
「どういうところにと聞かれたら困るけれど、私はカナミに惹かれているよ。――こういうものは理屈じゃないと、我が父は言っていた。カナミを見ていると、心が浮き立つのに苦しくなるんだ。…………変だと、思うだろうか」
ううん、とカナミは首を振った。
「私も」
おなじ気持ちであることがうれしくて、カナミは心の弾みを照れと交えて頬に浮かべた。
「カナミ」
クラベスの手がカナミの頭を包み、唇が重ねられる。カナミはクラベスの胸元を掴んで、薄く唇を開いた。招かれたクラベスの舌がカナミの舌を絡めとり、軽く吸う。
「んふっ、う、んんっ」
舌先に生まれた甘露がカナミの喉を通り、背骨を伝って下肢に広がり、淡い情熱に肌身を痺れさせた。クラベスの腕がカナミの腰を強く抱きしめ、手のひらが背中を支える。ぴったりと寄り添わされたカナミの胸が、見た目よりもずっと鍛えられているクラベスの硬い胸につぶされて、甘美なキスに尖った胸先がこすれた。
「ふっ、んぅ、うっ」
ジィンと痺れた胸先から、乳房のすべてに快感が広がっていく。粟立つ肌を持て余し、カナミはクラベスにすがりついた。
「ふ、ぅん……、んっ、クラベス……、んっ、んん、は、ぁ」
「ああ、カナミ」
熱っぽくかすれたクラベスの声に、カナミの腰がズクンと疼いた。クラベスの唇が耳朶に触れて、耳奥に舌を差し入れられる。
「カナミ……、私の妻。神より授けられし、尊き人……」
「ああ、クラベス……、っ、んう」
クラベスの手に乳房を包まれ、持ち上げられる。ナイトドレスをツンと押し上げている乳頭を布越しに口に含まれて、カナミは息を呑んだ。
「っ、ん……、ぁ、あ」
クラベスの唾液に濡れた布が尖りに絡み、吹きつける淡い息に刺激されて、全身の力が官能に痺れて抜ける。
「ふっ、んぅ……、ぁ、クラベス」
立っていられないと視線で訴えたカナミを、クラベスはダンスのように背後に歩かせ、窓辺のイスに座らせた。
「カナミ……」
せつない息に視線を向けたカナミの目に、優美で獰猛なクラベスの瞳が映った。男の気配をありありと浮かべた顔に、カナミの体の深いところが情熱の期待におののき、下肢が濡れる。
「クラベス……、っ」
熱っぽく漏れたカナミの息と優艶に濡れた瞳に引き寄せられたクラベスは、膝をついてカナミのドレスをまくり上げた。
「きゃっ」
脚を持ち上げられたかと思うとクラベスの肩に乗せられ、カナミは後ろに倒れないよう前かがみになった。勢いでクラベスの首に脚をまきつけたカナミは、彼の顔を己の下肢に引き寄せてしまう。クラベスの鼻が愛液で湿ったショーツに触れてハッとした。
「っあ、クラベス……、ごめんなさ――、ぁあっ」
慌てて足をゆるめようとしたカナミは、ショーツ越しに女裂をつつかれ、ふたたびクラベスの頭を太ももで締めつけた。クラベスはやわらかなカナミの脚に包まれたまま、舌を伸ばして濡れたショーツに影を映す女陰を舐める。
「は、ああ……、あっ、クラベス……、んっ、んんっ」
「私が舐めるよりも前にショーツは湿っていたよ、カナミ。――カナミも私を恋しく感じてくれていたんだな。うれしいよ」
「あっ、クラベス、あぁ……、っ、あ」
クラベスの指にショーツをずらされ、直に女の花びらに舌が触れると、カナミは背をそらして声を上げた。クラベスの舌は口づけのように丁寧に、カナミの陰唇をまさぐって愛液を求める。カナミは総身に力を入れて、体中を痺れさせる甘美な刺激に堪えた。
「ふっ、ぁ、あんっ……、んぁ、あっ、ああ、クラベス、あっ、あ」
そんなところを丹念に愛される羞恥と快感が、カナミの意識を愛撫する。腰の奥が熱くとろけて、女であることをまざまざと教えられ、カナミはとまどった。
「んぁ、あっ、クラベス……、もう、あっ、ああ」
体の芯が溶けてしまいそうに心地よく、それなのに物足りないという矛盾する感覚に陥ったカナミは、やめてほしいとクラベスに訴えた。
「まだだよ、カナミ。もっと深く、なにもわからなくなるくらいに私を感じさせてあげよう」
「えっ……、あっ、ああ――っ!」
脚を大きく広げられたカナミの尻が滑り、背中が壁に支えられる。とっさにイスの背とテーブルを掴んだカナミは、めくれあがったドレスの裾から伸びる、あらわになった自分の脚と、その間から見える野性的なクラベスの微笑に息を呑んだ。
「っ! クラベス」
蹂躙の予感に、カナミの胎内が歓喜の蜜をあふれさせる。男の本能を放つクラベスに感化されたカナミの女の性が、より深い情熱の交合を求めた。
「こんなに濡れて……、ドレスにシミができてしまうな」
「イヤ、そんなこと……、言わないで」
聞かされなくとも、どれほど自分が濡れているのかカナミは自覚していた。愛を求めてふっくらと濡れるカナミの花びらに、クラベスの指が触れる。
「は、ぁあ、あ――、っ」
指紋でくすぐるような淡い刺激に、カナミは足の指まで握って身を震わせた。胸の先が疼いて、体の奥がもっともっとと叫んでいる。
(私、こんな――)
どうしようもなくクラベスが欲しいと訴える体に引きずられ、カナミの心はとまどいつつも想いをふくらませ、彼に与えられる刺激を受け入れた。
「あ、ああ……、クラベス、はぁ、あっ」
クラベスの指はカナミの花びらの奥にまで入り込み、愛液を掻き回しはじめた。まさぐられる蜜道が蠢動し、肉の喜びをクラベスの指に伝える。
「このままでは、カナミは溶けて消えてしまいそうだな」
「……ぁ、ああっ、は、ぅうっ」
そんな気がしてしまうほど、カナミは熱くとろけていた。
「クラベス……、あ、クラベス、ねぇ、あっ」
唇がさみしくて名を呼ぶと、クラベスは指で花びらとたわむれながら身を起こし、カナミの望みに応えてくれた。
「んっ、ふぅ……、ううっ、んぅ、うっ」
イスの背とテーブルを掴んでいた手をクラベスの首に回して、カナミはもっととキスを求めた。クラベスはぐずる子どもをあやすような丁寧さで、やさしくカナミの唇をなぐさめる。しかしその指は淫靡にカナミの下肢を乱して、とうとう花芯に行きついた。
「ひぅっ」
ぬるつく愛液に守られた突起をつままれ、カナミは喉奥で悲鳴を上げた。淫らな熱で艶やかに濡れたクラベスの瞳が、しあわせそうに細められる。
「なにも考えずに、ただ私に身をゆだねていればいい」
「あ、あああ――、っ、クラベス、ああっ、あ、そこ、ぁ、ああ」
指の腹でつぶされ転がされる花芯から電流に似た快感がほとばしり、カナミを甘美に苛んだ。その刺激はカナミの目じりに涙を浮かせ、それ以上に愛液を引き出した。
「は、はぅうっ、そこ……、あっ、そこ、だめぇ……」
強すぎる刺激にカナミが首を振ると、クラベスが顔中にキスをしながらささやく。
「大丈夫……、怖くない。すべてを私にゆだねて、カナミ」
クラベスの指は器用に動き、カナミの花芯と遊んでいたかと思うと花びらとたわむれ、蜜道を掻きまわして花芯に戻った。その間にも耳朶を食まれて耳奥を舌でくすぐられ、背筋を指先で撫でまわされて、カナミの胎内で生まれた淫靡なうねりは高波となって、カナミの意識をしぶかせた。
「ふぅうっ、クラベス、あぁあ……、だめ、あっ、あ、あああぁああ――――っ!」
岩に当たった波が砕けるように、カナミの意識は激しい快楽にぶつかり砕けた。小刻みに肌を震わせ、これ以上ないほど喉をそらして口を開き、余韻の旋律にあえぐカナミは自分の身になにが起こったのか、とっさには理解できなかった。
「は、ぁあ……、あ……」
砕けていた意識が静かに集まり固まってはじめて、カナミは絶頂を迎えたのだと気づいて赤くなった。
「わ、私……」
「すごく、いい顔をしていたよ」
さらりと言われ、カナミは顔どころか全身を真っ赤に染めた。
「う、うう」
羞恥にうなるカナミの目じりに、クラベスが唇を寄せる。
「そんなに恥ずかしがる必要はない、カナミ。私がそれを望んで、そうしむけたのだから。――カナミはそれに応えてくれた。それだけのことだ」
「で、でも……」
カナミは濡れそぼり、わなないている下肢が恥ずかしかった。クラベスは愛おしそうにカナミの額や頬、まぶたに口づけて黒髪を指で梳く。男の気配から普段のやわらかで高貴な雰囲気へとクラベスが戻ったことで、カナミはますます羞恥を濃くした。
「無防備なカナミを見せてくれて、ありがとう。――次は私の、と言いたいところだけれど、ラチェットがうるさいんだ。婚儀を済ませるまでは、身を繋げてはいけないと言うんだよ」
残念だと目を伏せるクラベスの、長いまつ毛を見ながらカナミは首をかしげた。
「それって、私が信用できないから?」
「それもあると思う。それに、諸侯がカナミをどう思うか、考えるようにと言われたよ」
「しょ、こう?」
「私のほかに、この国を支えている貴族たちのことだな」
なるほどとカナミは思考を巡らせる。昔からの願いの儀式で流れ着いた女だから王の妻として認めろというのは、童話ならまだしも現実的じゃない。
(ラチェットさんも私のこと、信用してないし。――まあ、私が逆の立場だったら、疑うよね。すっごく怪しいもん)
けれどカナミは信じていなかった地元の儀式が本物で、クラベスと自分の願いが交錯した結果、この地に送られてしまったという境遇をもはや疑ってはいなかった。
「……ええと、でも、その、クラベスはつらくない?」
男の人は出してしまわないと苦しいのではないかと、カナミは心配になった。
顎を引いて様子をうかがうと、クラベスは照れ笑いを浮かべた。
「しばらくしたら、おさまるから」
でも、と言いかけたカナミは、自分からクラベスをスッキリさせる方法を提案するという考えに、体中をムズムズさせた。
「カナミ?」
「なんでもない」
自分はされたのだから、お互いさまと言えばそれまでだが、知識としては持っていても、それをするには勇気がいるし、はしたない女だと思われるのが怖い。
カナミがモジモジしていると、クラベスは「ああ」と気づきの声を上げた。
「ナイトドレスが汚れてしまったから、着替えたいんだな」
「えっ、あ……、ええと」
「カバサを呼ぼうか」
「えっ! そんなのダメ」
なにをしていたのか知られるのは恥ずかしい。クラベスはキョトンとした。
「しかし、そのままでは」
「いいの。大丈夫……、着替えの場所は聞いているから、自分で着替えられるよ」
「それならいいが」
なおも不思議そうにするクラベスの腕から逃れて、カナミは昼間に教えてもらった衣装棚から新しい下着とナイトドレスを取り出し、ベッドの影に隠れた。
「カナミ?」
「向こう、向いてて」
わけがわからないと顔に浮かべつつも、クラベスはカナミに背を向けた。ホッとして着替えたカナミが「もう大丈夫」とクラベスに近づくと、クラベスはカナミの手を取り甲にキスをした。
「カナミは恥ずかしがり屋なんだな」
「そういうわけじゃないと思うけど」
「そうかな? 私はそう思うよ。……カナミはかわいいな」
臆面もなく言われ、カナミはのぼせた。
「よく赤くなるな、カナミは」
「クラベスがそうさせるから……」
「すべては私が悪いということか」
「……そう、でもない……、けど」
尖ったカナミの唇に、ちょんとクラベスの唇が重なる。
「さあ、もう寝ようか。横になって眠るまで話をしよう」
ダンスに誘うような軽やかさでベッドに導かれ毛布に包まると、クラベスが気の抜けた息を漏らした。
「こうして誰かといても、気を張らずに済むのは久しぶりだな」
「ラチェットさんとか、パンデイロさんとか、昔から仲がよかったって聞いたけど……?」
「仲はいいと思う。ただ、私たちの間には地位という名の壁ができてしまったんだ」
クラベスの目元にさみしさが浮かび、カナミの心はチリリと火傷のような熱を発した。なぐさめたくて指を伸ばせば、頭を撫でられたクラベスが心地よさそうに目を閉じる。
「誰かに撫でられるのも、どれくらいぶりだろう」
しみじみとした声に、カナミはますます彼への愛しさを募らせた。目を閉じて静かな呼気を漏らすクラベスの姿に、ふっと昼間の険しいチェレスタの顔が重なる。
(あんなにクラベスを心配していたんだし、弟なんだし……)
「じゃあ、チェレスタさんは?」
「え――」
クラベスの目が開く。心なしかこわばっているようにも見えるその顔に、カナミは気づかず言葉を続けた。
「弟さんなんだし、身分とかも気にしないでいられるんじゃない? すごく似てるなって、会ったときに思ったの。クラベスよりももっと、なんていうか、りりしいっていうか、そういう感じがしたけど。でも、笑うと目のあたりとかそっくりだなって」
「りりしい?」
「うん。騎士って言っていたから、きっとそれでだと思うんだけど」
「それで、カナミはチェレスタに惹かれた?」
思いがけない問いに、カナミはとっさに反応ができなかった。それをどう受け止めたのか、クラベスは痛みをこらえるような顔をしてベッドから降りる。
「クラベス? どうしたの」
「チェレスタがもしも王なら、カナミはよかったか? 海に願ったのが、チェレスタならば……」
「なんで、そんなことを……」
カナミはわけがわからなかった。クラベスは背を向けているので、どんな顔をしているのかわからない。カナミは彼の表情を見ようと、広すぎるベッドの上を這った。
「ねえ、クラベス」
「今夜は自分の部屋に戻るよ。また明日、カナミ」
「えっ?」
「おやすみ」
言い捨てて足早に去るクラベスを、カナミは引き止められなかった。
「なんで……」
いったいなにが悪かったのかと、クラベスの消えた扉を見つめるカナミの耳に、スルドの声が響いた。
――ただし、そのことは公然の秘密と言いますか。あまり口にはなさらないようにしてくださいませ。
はずんだクラベスの声に、ナイトドレス姿でぼんやりと窓から月を見上げていたカナミはイスから立ち上がった。
「クラベス」
おかえりなさいと言うべきか迷っているうちに、クラベスはカナミの手を取り唇を押し当てる。
「夕食も共にしたかったんだが……。ひとりで過ごさせてしまって、すまない」
「ううん。王様って忙しいのね」
クラベスは軽く肩をすくめて、カナミをベッドに誘った。カナミの身が自然とこわばる。
「カナミ?」
「あ、ううん……、その」
カナミは目じりをポウッとさせて、うつむいた。クラベスが不思議そうに顔をのぞきこんでくる。
「――恥ずかしい?」
「それも、あるけど」
「なに?」
(クラベスは私じゃなくても、漂着していた女なら誰でもよかったの?)
昼間から小骨のように喉奥にひっかかっている疑問が、カナミの体を硬くしていた。
(それに私、クラベスのこと――)
まつ毛をそっと持ち上げると、クラベスの淡く輝く茶色の瞳とぶつかった。吸い込まれそうなほど透き通ったその瞳は、まっすぐにカナミの心の奥へと沈む。
キュンと痛んだ胸に、カナミは両手を乗せた。まだなにも知らない相手のはずなのに、カナミの心はクラベスに向かって流れている。
(どうして――)
「昼間、私が誰かの差し金じゃないかって、疑われたの」
カナミは別の問題を口にした。
「誰に」
クラベスの目が険しくなる。
――ただし、そのことは公然の秘密と言いますか。あまり口にはなさらないようにしてくださいませ。
スルドの声を耳奥に響かせながら、カナミはその名を口にした。
「チェレスタという人。クラベスにそっくりな……、雰囲気は違うけど、似てた人」
クラベスの目の奥に痛みが走ったのを見つけ、カナミの心がヒヤリとした後悔に包まれた。
(でも、知りたい)
クラベスのことをもっと知りたいと、カナミは目に力を込めた。クラベスの瞳の痛みが静かな悲しみに流されると、彼の唇は皮肉めいた微笑にゆがんだ。
「私よりも、チェレスタのほうがずっと魅力的だった?」
「そんな……」
悲哀に満ちたクラベスの瞳に、きつく心を絞られたカナミは言葉を呑んだ。クラベスの指がカナミの髪に触れ、顔を寄せられる。
「クラベス」
カナミのささやきはクラベスの唇に包まれた。ついばむようなキスは、カナミの心を確かめているようで辛く、クラベスへの想いを強くさせる。
(私、どうして――)
クラベスが愛おしい。言葉よりも体現しなければ、彼には伝わらなさそうだ。
カナミはクラベスの肩に手を置き、目を閉じてキスに応えた。
「んっ、ん……」
ついばむキスが深いものへと変化する。薄く唇を開けると、クラベスの舌がカナミの口腔に侵入した。丁寧に口内をなぞられるカナミの胸の先が甘い痺れを覚え、腰のあたりが熱くとろける。肌がふわりと淡い官能に包まれて、カナミはクラベスの首に腕を回した。
「ん、ふ……、んんっ、ん」
昨夜、キスをされたとき。あのとき、クラベスを抱きしめたい衝動にかられた。その気持ちがよみがえり、こうして思いのままに彼を抱きしめられている喜びに、カナミは口の端を持ち上げた。気づいたクラベスがカナミの口の端を軽く吸って、まぶたに口づける。
「カナミ。――私の妻。そのために、君はここへ来てくれたんだろう?」
クラベスの目はやわらかな悲哀に揺れていた。カナミは唇を迷わせて、正直に答えた。
「わからないの。私もどうして、ここに来たのか。クラベスの願いが聞こえたわけじゃないし、私も願い事をしようとして、海に落ちたっていうか、波にさらわれたっていうか……、それで、ここに流れ着いただけだから」
「――帰りたい?」
クラベスの唇がカナミの髪に触れる。
「わからない」
首を振ったカナミの髪が、しゃらしゃらと音を立てた。
「私の妻になるつもりはないか?」
「――それは」
じっと見つめてくるクラベスの目は、痛いほどまっすぐにカナミの心を貫いた。
「どうして、私なの?」
「ん?」
「私が言い伝えのとおりに漂着したから? 漂着したのが私じゃなくても、クラベスはその人と結婚するの……?」
不安に震えるカナミの手を、クラベスは両手で包んだ。
「カナミ」
額を重ねたクラベスは、軽くカナミの唇をついばむ。
「カナミは、とてもステキな人だと思う。すぐにカバサとも仲良くなれただろう? 私を王だと知っても、態度を変えなかった。自分に正直な人なんだと、私は思うよ」
「自分に正直だなんて……」
そうなれないことに苦しみ、知らないどこかへ行きたいと望んだカナミには、クラベスの言葉が皮肉に響いた。
「そんなカナミとなら、私は私らしくあれると思ったんだ。王と知っても態度を変えなかったカナミなら、どんなしがらみも関係なく過ごしていられると……。責務や人のつながりを考えなくとも、自分の心のままに接していられる相手だと、私は思う。――はじめは満月の朝に浜に打ち上げられていた、この国には存在しない黒髪の女性という事実に浮かれていた。それは認めるよ。……だが、短い時間だけれど、カナミと接して感じたんだ。この人となら、私は自由でいられると」
カナミは唇を硬く結んだ。
(クラベスは、私とおなじなんだ)
きっかけや立場は違っても、自分に正直にふるまえない苦しさから抜け出したがっている。
「私……」
ふたりの願いが重なったから、海はカナミを掴んで沈めたのかもしれない。双方の願いを叶えるために。
「なにがあっても、カナミを守る。誰になんと言われようと、私はカナミを妻とする。しかし、カナミがイヤだと言うのなら……」
「ううん、クラベス」
カナミは自信なさげにほほえんだ。
「私の願いも、きっとここにたどり着いたことで叶うんだと思う。似た風習があるって言ったでしょう? 私もね、クラベスとは違うけど、でも、自分らしくいたいなって思ってて……。らしくって言っても、どういうものが自分らしいのか、よくわからないけど。でも、窮屈っていうか、息苦しいなって感じていて、抜け出したいなって思ってて……、それで」
「それで、海に落ちた?」
「落ちたっていうか、いきなり波が高くなってさらわれたっていうか」
「それはきっと、私たちの願いが重なったからかもしれないな」
「クラベスも、そう思う?」
喜びをにじませて、クラベスが目を細める。カナミもおなじ笑みを浮かべた。
「神が私たちを引き寄せたんだ」
しみじみとしたクラベスの声に、カナミははにかむ。信心深いわけではない。けれど、そんなこともありえるのではと受け止められる程度には、寺社仏閣の存在や地域の儀式などが心身に浸み込んでいた。
「どういうところにと聞かれたら困るけれど、私はカナミに惹かれているよ。――こういうものは理屈じゃないと、我が父は言っていた。カナミを見ていると、心が浮き立つのに苦しくなるんだ。…………変だと、思うだろうか」
ううん、とカナミは首を振った。
「私も」
おなじ気持ちであることがうれしくて、カナミは心の弾みを照れと交えて頬に浮かべた。
「カナミ」
クラベスの手がカナミの頭を包み、唇が重ねられる。カナミはクラベスの胸元を掴んで、薄く唇を開いた。招かれたクラベスの舌がカナミの舌を絡めとり、軽く吸う。
「んふっ、う、んんっ」
舌先に生まれた甘露がカナミの喉を通り、背骨を伝って下肢に広がり、淡い情熱に肌身を痺れさせた。クラベスの腕がカナミの腰を強く抱きしめ、手のひらが背中を支える。ぴったりと寄り添わされたカナミの胸が、見た目よりもずっと鍛えられているクラベスの硬い胸につぶされて、甘美なキスに尖った胸先がこすれた。
「ふっ、んぅ、うっ」
ジィンと痺れた胸先から、乳房のすべてに快感が広がっていく。粟立つ肌を持て余し、カナミはクラベスにすがりついた。
「ふ、ぅん……、んっ、クラベス……、んっ、んん、は、ぁ」
「ああ、カナミ」
熱っぽくかすれたクラベスの声に、カナミの腰がズクンと疼いた。クラベスの唇が耳朶に触れて、耳奥に舌を差し入れられる。
「カナミ……、私の妻。神より授けられし、尊き人……」
「ああ、クラベス……、っ、んう」
クラベスの手に乳房を包まれ、持ち上げられる。ナイトドレスをツンと押し上げている乳頭を布越しに口に含まれて、カナミは息を呑んだ。
「っ、ん……、ぁ、あ」
クラベスの唾液に濡れた布が尖りに絡み、吹きつける淡い息に刺激されて、全身の力が官能に痺れて抜ける。
「ふっ、んぅ……、ぁ、クラベス」
立っていられないと視線で訴えたカナミを、クラベスはダンスのように背後に歩かせ、窓辺のイスに座らせた。
「カナミ……」
せつない息に視線を向けたカナミの目に、優美で獰猛なクラベスの瞳が映った。男の気配をありありと浮かべた顔に、カナミの体の深いところが情熱の期待におののき、下肢が濡れる。
「クラベス……、っ」
熱っぽく漏れたカナミの息と優艶に濡れた瞳に引き寄せられたクラベスは、膝をついてカナミのドレスをまくり上げた。
「きゃっ」
脚を持ち上げられたかと思うとクラベスの肩に乗せられ、カナミは後ろに倒れないよう前かがみになった。勢いでクラベスの首に脚をまきつけたカナミは、彼の顔を己の下肢に引き寄せてしまう。クラベスの鼻が愛液で湿ったショーツに触れてハッとした。
「っあ、クラベス……、ごめんなさ――、ぁあっ」
慌てて足をゆるめようとしたカナミは、ショーツ越しに女裂をつつかれ、ふたたびクラベスの頭を太ももで締めつけた。クラベスはやわらかなカナミの脚に包まれたまま、舌を伸ばして濡れたショーツに影を映す女陰を舐める。
「は、ああ……、あっ、クラベス……、んっ、んんっ」
「私が舐めるよりも前にショーツは湿っていたよ、カナミ。――カナミも私を恋しく感じてくれていたんだな。うれしいよ」
「あっ、クラベス、あぁ……、っ、あ」
クラベスの指にショーツをずらされ、直に女の花びらに舌が触れると、カナミは背をそらして声を上げた。クラベスの舌は口づけのように丁寧に、カナミの陰唇をまさぐって愛液を求める。カナミは総身に力を入れて、体中を痺れさせる甘美な刺激に堪えた。
「ふっ、ぁ、あんっ……、んぁ、あっ、ああ、クラベス、あっ、あ」
そんなところを丹念に愛される羞恥と快感が、カナミの意識を愛撫する。腰の奥が熱くとろけて、女であることをまざまざと教えられ、カナミはとまどった。
「んぁ、あっ、クラベス……、もう、あっ、ああ」
体の芯が溶けてしまいそうに心地よく、それなのに物足りないという矛盾する感覚に陥ったカナミは、やめてほしいとクラベスに訴えた。
「まだだよ、カナミ。もっと深く、なにもわからなくなるくらいに私を感じさせてあげよう」
「えっ……、あっ、ああ――っ!」
脚を大きく広げられたカナミの尻が滑り、背中が壁に支えられる。とっさにイスの背とテーブルを掴んだカナミは、めくれあがったドレスの裾から伸びる、あらわになった自分の脚と、その間から見える野性的なクラベスの微笑に息を呑んだ。
「っ! クラベス」
蹂躙の予感に、カナミの胎内が歓喜の蜜をあふれさせる。男の本能を放つクラベスに感化されたカナミの女の性が、より深い情熱の交合を求めた。
「こんなに濡れて……、ドレスにシミができてしまうな」
「イヤ、そんなこと……、言わないで」
聞かされなくとも、どれほど自分が濡れているのかカナミは自覚していた。愛を求めてふっくらと濡れるカナミの花びらに、クラベスの指が触れる。
「は、ぁあ、あ――、っ」
指紋でくすぐるような淡い刺激に、カナミは足の指まで握って身を震わせた。胸の先が疼いて、体の奥がもっともっとと叫んでいる。
(私、こんな――)
どうしようもなくクラベスが欲しいと訴える体に引きずられ、カナミの心はとまどいつつも想いをふくらませ、彼に与えられる刺激を受け入れた。
「あ、ああ……、クラベス、はぁ、あっ」
クラベスの指はカナミの花びらの奥にまで入り込み、愛液を掻き回しはじめた。まさぐられる蜜道が蠢動し、肉の喜びをクラベスの指に伝える。
「このままでは、カナミは溶けて消えてしまいそうだな」
「……ぁ、ああっ、は、ぅうっ」
そんな気がしてしまうほど、カナミは熱くとろけていた。
「クラベス……、あ、クラベス、ねぇ、あっ」
唇がさみしくて名を呼ぶと、クラベスは指で花びらとたわむれながら身を起こし、カナミの望みに応えてくれた。
「んっ、ふぅ……、ううっ、んぅ、うっ」
イスの背とテーブルを掴んでいた手をクラベスの首に回して、カナミはもっととキスを求めた。クラベスはぐずる子どもをあやすような丁寧さで、やさしくカナミの唇をなぐさめる。しかしその指は淫靡にカナミの下肢を乱して、とうとう花芯に行きついた。
「ひぅっ」
ぬるつく愛液に守られた突起をつままれ、カナミは喉奥で悲鳴を上げた。淫らな熱で艶やかに濡れたクラベスの瞳が、しあわせそうに細められる。
「なにも考えずに、ただ私に身をゆだねていればいい」
「あ、あああ――、っ、クラベス、ああっ、あ、そこ、ぁ、ああ」
指の腹でつぶされ転がされる花芯から電流に似た快感がほとばしり、カナミを甘美に苛んだ。その刺激はカナミの目じりに涙を浮かせ、それ以上に愛液を引き出した。
「は、はぅうっ、そこ……、あっ、そこ、だめぇ……」
強すぎる刺激にカナミが首を振ると、クラベスが顔中にキスをしながらささやく。
「大丈夫……、怖くない。すべてを私にゆだねて、カナミ」
クラベスの指は器用に動き、カナミの花芯と遊んでいたかと思うと花びらとたわむれ、蜜道を掻きまわして花芯に戻った。その間にも耳朶を食まれて耳奥を舌でくすぐられ、背筋を指先で撫でまわされて、カナミの胎内で生まれた淫靡なうねりは高波となって、カナミの意識をしぶかせた。
「ふぅうっ、クラベス、あぁあ……、だめ、あっ、あ、あああぁああ――――っ!」
岩に当たった波が砕けるように、カナミの意識は激しい快楽にぶつかり砕けた。小刻みに肌を震わせ、これ以上ないほど喉をそらして口を開き、余韻の旋律にあえぐカナミは自分の身になにが起こったのか、とっさには理解できなかった。
「は、ぁあ……、あ……」
砕けていた意識が静かに集まり固まってはじめて、カナミは絶頂を迎えたのだと気づいて赤くなった。
「わ、私……」
「すごく、いい顔をしていたよ」
さらりと言われ、カナミは顔どころか全身を真っ赤に染めた。
「う、うう」
羞恥にうなるカナミの目じりに、クラベスが唇を寄せる。
「そんなに恥ずかしがる必要はない、カナミ。私がそれを望んで、そうしむけたのだから。――カナミはそれに応えてくれた。それだけのことだ」
「で、でも……」
カナミは濡れそぼり、わなないている下肢が恥ずかしかった。クラベスは愛おしそうにカナミの額や頬、まぶたに口づけて黒髪を指で梳く。男の気配から普段のやわらかで高貴な雰囲気へとクラベスが戻ったことで、カナミはますます羞恥を濃くした。
「無防備なカナミを見せてくれて、ありがとう。――次は私の、と言いたいところだけれど、ラチェットがうるさいんだ。婚儀を済ませるまでは、身を繋げてはいけないと言うんだよ」
残念だと目を伏せるクラベスの、長いまつ毛を見ながらカナミは首をかしげた。
「それって、私が信用できないから?」
「それもあると思う。それに、諸侯がカナミをどう思うか、考えるようにと言われたよ」
「しょ、こう?」
「私のほかに、この国を支えている貴族たちのことだな」
なるほどとカナミは思考を巡らせる。昔からの願いの儀式で流れ着いた女だから王の妻として認めろというのは、童話ならまだしも現実的じゃない。
(ラチェットさんも私のこと、信用してないし。――まあ、私が逆の立場だったら、疑うよね。すっごく怪しいもん)
けれどカナミは信じていなかった地元の儀式が本物で、クラベスと自分の願いが交錯した結果、この地に送られてしまったという境遇をもはや疑ってはいなかった。
「……ええと、でも、その、クラベスはつらくない?」
男の人は出してしまわないと苦しいのではないかと、カナミは心配になった。
顎を引いて様子をうかがうと、クラベスは照れ笑いを浮かべた。
「しばらくしたら、おさまるから」
でも、と言いかけたカナミは、自分からクラベスをスッキリさせる方法を提案するという考えに、体中をムズムズさせた。
「カナミ?」
「なんでもない」
自分はされたのだから、お互いさまと言えばそれまでだが、知識としては持っていても、それをするには勇気がいるし、はしたない女だと思われるのが怖い。
カナミがモジモジしていると、クラベスは「ああ」と気づきの声を上げた。
「ナイトドレスが汚れてしまったから、着替えたいんだな」
「えっ、あ……、ええと」
「カバサを呼ぼうか」
「えっ! そんなのダメ」
なにをしていたのか知られるのは恥ずかしい。クラベスはキョトンとした。
「しかし、そのままでは」
「いいの。大丈夫……、着替えの場所は聞いているから、自分で着替えられるよ」
「それならいいが」
なおも不思議そうにするクラベスの腕から逃れて、カナミは昼間に教えてもらった衣装棚から新しい下着とナイトドレスを取り出し、ベッドの影に隠れた。
「カナミ?」
「向こう、向いてて」
わけがわからないと顔に浮かべつつも、クラベスはカナミに背を向けた。ホッとして着替えたカナミが「もう大丈夫」とクラベスに近づくと、クラベスはカナミの手を取り甲にキスをした。
「カナミは恥ずかしがり屋なんだな」
「そういうわけじゃないと思うけど」
「そうかな? 私はそう思うよ。……カナミはかわいいな」
臆面もなく言われ、カナミはのぼせた。
「よく赤くなるな、カナミは」
「クラベスがそうさせるから……」
「すべては私が悪いということか」
「……そう、でもない……、けど」
尖ったカナミの唇に、ちょんとクラベスの唇が重なる。
「さあ、もう寝ようか。横になって眠るまで話をしよう」
ダンスに誘うような軽やかさでベッドに導かれ毛布に包まると、クラベスが気の抜けた息を漏らした。
「こうして誰かといても、気を張らずに済むのは久しぶりだな」
「ラチェットさんとか、パンデイロさんとか、昔から仲がよかったって聞いたけど……?」
「仲はいいと思う。ただ、私たちの間には地位という名の壁ができてしまったんだ」
クラベスの目元にさみしさが浮かび、カナミの心はチリリと火傷のような熱を発した。なぐさめたくて指を伸ばせば、頭を撫でられたクラベスが心地よさそうに目を閉じる。
「誰かに撫でられるのも、どれくらいぶりだろう」
しみじみとした声に、カナミはますます彼への愛しさを募らせた。目を閉じて静かな呼気を漏らすクラベスの姿に、ふっと昼間の険しいチェレスタの顔が重なる。
(あんなにクラベスを心配していたんだし、弟なんだし……)
「じゃあ、チェレスタさんは?」
「え――」
クラベスの目が開く。心なしかこわばっているようにも見えるその顔に、カナミは気づかず言葉を続けた。
「弟さんなんだし、身分とかも気にしないでいられるんじゃない? すごく似てるなって、会ったときに思ったの。クラベスよりももっと、なんていうか、りりしいっていうか、そういう感じがしたけど。でも、笑うと目のあたりとかそっくりだなって」
「りりしい?」
「うん。騎士って言っていたから、きっとそれでだと思うんだけど」
「それで、カナミはチェレスタに惹かれた?」
思いがけない問いに、カナミはとっさに反応ができなかった。それをどう受け止めたのか、クラベスは痛みをこらえるような顔をしてベッドから降りる。
「クラベス? どうしたの」
「チェレスタがもしも王なら、カナミはよかったか? 海に願ったのが、チェレスタならば……」
「なんで、そんなことを……」
カナミはわけがわからなかった。クラベスは背を向けているので、どんな顔をしているのかわからない。カナミは彼の表情を見ようと、広すぎるベッドの上を這った。
「ねえ、クラベス」
「今夜は自分の部屋に戻るよ。また明日、カナミ」
「えっ?」
「おやすみ」
言い捨てて足早に去るクラベスを、カナミは引き止められなかった。
「なんで……」
いったいなにが悪かったのかと、クラベスの消えた扉を見つめるカナミの耳に、スルドの声が響いた。
――ただし、そのことは公然の秘密と言いますか。あまり口にはなさらないようにしてくださいませ。
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