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外された首輪【side環】
①
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汗かきの部長はいつもハンカチを額に当てながら仕事をしている。
それは今日とて例外ではなく、片手にハンカチ、もう片手には書類を持ちながら、眉尻を下げてこちらを見上げてきた。
「小笠原くん、この書類はまだ作成しなくていいと言ったじゃないか」
「手が空いていたので」
「君にはかなりの仕事量を任しているからと、あえて期限を長めに設定していたのだが…」
「今のところ喫緊の課題はありません。以前取り組んでいたマニュアルの刷新はどうなりましたか」
部長の頬に汗が伝っていく。
「ああ…優先度も低いから中々手が付けられなくてな…」
「では私が担当します。作成途中のところまでメールで送っていただけますか」
「助かるよ。それにしても、以前の調子を取り戻してきたな」
ありがとうございます、と軽く会釈をし自分のデスクへと戻った。
部長がこちらを見つめ続けていることは分かっていたが、一切気付かないふりをした。
あの人、仕事はできるが無駄話が多い。
業務時間は一秒たりとも無駄にしたくないため、例えどう思われようが線引きはする。
首元を触って、そこにネックレスがないことを確認する。
これは一週間前から定期的に行っている作業だった。
自由なのだと自覚する度に嬉しくなり、つい仕事が捗ってしまうため、自分の仕事はとっくにの昔に無くなってしまった。
「…すみません」
オフィス内によく通る爽やかな声。しかしその声は明らかに沈んでおり、何かやらかしたのだと容易に想像がつく。
気になるわけではないが、勝手に耳が彼の声を拾ってしまう。
「この書類、今後は俺のチェック入らないから気を付けなね」
「…わかりました。本当にすみません」
「いや、怒ってはないんだけどさ。…本当に大丈夫かよ」
「…大丈夫です。次から気を付けます」
珍しく犬飼が謝っている。
いや、それも日常になりつつある。
ここ一週間、犬飼は些細なことでミスを繰り返してきた。
ちょうど私との関係を解消した、あの日から。
犬飼に無理矢理追い出された翌日の水曜日、社内はどよめきが起こっていた。
あの犬飼が隈を作って無表情のまま出勤してきたからだ。
みんなは口々に彼を心配したが「大丈夫です」の一点張り。
なぜか私にもいくつかの視線はあったが、それが何を意味しているのかは分からなかった。
結局、次の日も、その次の日も犬飼の調子は戻らないまま本日に至る、というわけだ。
タクシー代として貰った3万円を返却するため、私はなんとか犬飼の隙を突いて近寄ろうとしたが、その度に物凄い気迫で睨まれて怖気づき、話しかけることができずにいた。
一週間前の出来事を再び思い出す。
あの夜の犬飼はとにかく変だった。
本川と話していたことを厳しく追及し、激しく責め立ててきたかと思えば、突然突き放してきた。
―――俺、環さんに飽きました
つくづく自分勝手な奴だと思う。
整った顔立ちも、類まれな才能も、対人関係の構築力も、全てが私より圧倒的に上回っている。
「犬飼のペット」だった期間は、自分の能力が全て犬飼に劣っているのだと分からされているような気がして、とにかく不愉快だった。
だからこそ彼から解放されて嬉しい。
…嬉しいはずなのに、時々ネックレスがないことに違和感を感じるときがある。
意味が分からない。
あのネックレスは私の大きな枷だったはずなのに。
それに、犬飼の不調がどうしても引っかかる。
私にないものをすべて持っていて、とんでもない変態で性格が歪んでいる。
正直殺したい程憎い男だが、今の犬飼は見ていて可哀想だ。
私はあまり感情を表に出さないため、他人の感情を察することは困難だと自分で理解している。
その私ですら犬飼の不調の原因は自分にあるのだと分かる。
やっぱりあの日の夜、明らかに犬飼は変だった。
犬飼との過去がどうあれ、私たちの関係が「上司と部下」であることは変わらない。
彼の不調を解決する役目が自分にあるのであれば、上司としてその務めを全うするだけだ。
…今は犬飼に近づくことすらできないが。
それは今日とて例外ではなく、片手にハンカチ、もう片手には書類を持ちながら、眉尻を下げてこちらを見上げてきた。
「小笠原くん、この書類はまだ作成しなくていいと言ったじゃないか」
「手が空いていたので」
「君にはかなりの仕事量を任しているからと、あえて期限を長めに設定していたのだが…」
「今のところ喫緊の課題はありません。以前取り組んでいたマニュアルの刷新はどうなりましたか」
部長の頬に汗が伝っていく。
「ああ…優先度も低いから中々手が付けられなくてな…」
「では私が担当します。作成途中のところまでメールで送っていただけますか」
「助かるよ。それにしても、以前の調子を取り戻してきたな」
ありがとうございます、と軽く会釈をし自分のデスクへと戻った。
部長がこちらを見つめ続けていることは分かっていたが、一切気付かないふりをした。
あの人、仕事はできるが無駄話が多い。
業務時間は一秒たりとも無駄にしたくないため、例えどう思われようが線引きはする。
首元を触って、そこにネックレスがないことを確認する。
これは一週間前から定期的に行っている作業だった。
自由なのだと自覚する度に嬉しくなり、つい仕事が捗ってしまうため、自分の仕事はとっくにの昔に無くなってしまった。
「…すみません」
オフィス内によく通る爽やかな声。しかしその声は明らかに沈んでおり、何かやらかしたのだと容易に想像がつく。
気になるわけではないが、勝手に耳が彼の声を拾ってしまう。
「この書類、今後は俺のチェック入らないから気を付けなね」
「…わかりました。本当にすみません」
「いや、怒ってはないんだけどさ。…本当に大丈夫かよ」
「…大丈夫です。次から気を付けます」
珍しく犬飼が謝っている。
いや、それも日常になりつつある。
ここ一週間、犬飼は些細なことでミスを繰り返してきた。
ちょうど私との関係を解消した、あの日から。
犬飼に無理矢理追い出された翌日の水曜日、社内はどよめきが起こっていた。
あの犬飼が隈を作って無表情のまま出勤してきたからだ。
みんなは口々に彼を心配したが「大丈夫です」の一点張り。
なぜか私にもいくつかの視線はあったが、それが何を意味しているのかは分からなかった。
結局、次の日も、その次の日も犬飼の調子は戻らないまま本日に至る、というわけだ。
タクシー代として貰った3万円を返却するため、私はなんとか犬飼の隙を突いて近寄ろうとしたが、その度に物凄い気迫で睨まれて怖気づき、話しかけることができずにいた。
一週間前の出来事を再び思い出す。
あの夜の犬飼はとにかく変だった。
本川と話していたことを厳しく追及し、激しく責め立ててきたかと思えば、突然突き放してきた。
―――俺、環さんに飽きました
つくづく自分勝手な奴だと思う。
整った顔立ちも、類まれな才能も、対人関係の構築力も、全てが私より圧倒的に上回っている。
「犬飼のペット」だった期間は、自分の能力が全て犬飼に劣っているのだと分からされているような気がして、とにかく不愉快だった。
だからこそ彼から解放されて嬉しい。
…嬉しいはずなのに、時々ネックレスがないことに違和感を感じるときがある。
意味が分からない。
あのネックレスは私の大きな枷だったはずなのに。
それに、犬飼の不調がどうしても引っかかる。
私にないものをすべて持っていて、とんでもない変態で性格が歪んでいる。
正直殺したい程憎い男だが、今の犬飼は見ていて可哀想だ。
私はあまり感情を表に出さないため、他人の感情を察することは困難だと自分で理解している。
その私ですら犬飼の不調の原因は自分にあるのだと分かる。
やっぱりあの日の夜、明らかに犬飼は変だった。
犬飼との過去がどうあれ、私たちの関係が「上司と部下」であることは変わらない。
彼の不調を解決する役目が自分にあるのであれば、上司としてその務めを全うするだけだ。
…今は犬飼に近づくことすらできないが。
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