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それとも
3人
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それから、すぐに3人での生活は始まった。
まだ、私がぼんやりとしていて、慣れていないけれど。
あの日、本当に元旦那…いや。
今は、また旦那さんになった護さんと買い物に行った。
結衣は目を覚まして、何度も『ごめんなさい』と私に言った。
色々と感情が高ぶり過ぎた結果、あぁなってしまったとのこと。
姉夫婦の家で、ずっと私に謝る練習をしてくれていたらしい。
だけど、私がこの家を出ていなくなると思ったことで、焦ってしまい追い詰めるような口調になってしまったとのこと。
何度も、それこそ何度も『あの時は』と思い出すごとに謝ってくれた。
中には私が忘れてしまったものもあり、逆に覚えていなかったことで結衣に謝った。
謝り合いっこをして、そのまま買い物に行くことにした。
とりあえずの護さんの衣類と、何故か結衣の衣類。
結衣は、護さんからもらったというお小遣いをこれでもかと持っていた。
私の財布よりも、遥かに多い額が入っていたのに私が驚いた。
それとも、今時の大学生はお小遣いを多めに持ち歩くのだろうか。
バツの悪そうな護さんに、『仕方ないなぁ』と諦めたのはもう古い癖だろう。
結衣だけが、無頓着だった。
3人でショッピングモールに買い物に行く。
不思議。
結衣が小さい頃なら、何度か行ったことがあった。
だけど時間に追われて、買い物を楽しむなんて時間ではなかった。
護さんが、何でも早めに済ませたい人だったから。
買う物だけをさっと選んで、すぐに帰宅するような時間だったと記憶している。
外食だって、あまり乗り気ではなかった。
『家の方が、楽でいいだろう』と。
私は、外の方が楽なんだけど。
それは、護さんには理解できないことだったのだろう。
それが今では、どうだろう。
『春子?何が食べたい?』なんて途中で聞かれる。
あてもなく、モールの中を歩いて商品を見るなんて不思議なことだ。
護さんが『春子に服を選んでほしい』と言い出したことも。
何だか、懐かしい気持ちになった。
自分以外の人の服を買うなんて…。
“良い歳をして、何を”と思ったくせに、思いの外嬉しかったみたいで素直に承諾した私。
結衣は自分で好きな服を選びに行けば良いと思うのに、私達の後を付いて来た。
『ズルい!パパだけ』と小さな我儘で頬を膨らませながら。
『つまらないんじゃない?』と聞く私に、結衣は『良いの!』と後をくっついて来る。
つまり、ずっと側にいてやり取りを聞かれているのだ。
これは地味に恥ずかしい。
だけど、護さんは気にしていない。
護さんが『これは似合う?』なんて聞くのに『良いんじゃない?』という時間。
何かしら?
急に、新婚のような…。
だけどほんのりと、ほのかに楽しんでいる私がいた。
友達と映画に出かけた時ぶりのような気持ちだった。
『この色、…護さん好きだったよね?』
なんて、つい口にすれば『覚えていてくれたのか?』なんて。
つい、彼に似合うだろう服を勝手に追加で選んだのは、久しぶりの贅沢だった。
彼とレジで『これは俺の服だから』『勝手に選んだのは私よ』と言い合うのも。
全部が浮足立っていた。
結局、半分ずつ出し合うことでお互いに納得した。
何だか満たされた時間だった。
結衣は護さんの服を買った後で、『じゃあ、次は私の番ね』と得意気だった。
私は、今時の子の洋服はよく分からない。
高橋さんとか田中さんとか、流行に敏感な子達とは感性が違うのだから。
だから渋ったんだけど…。
私に服を買って欲しいとねだって来た。
いや、所持金は結衣の方が多いんだけどね…。
結衣は、若い子のフロアに私と腕を組みながら歩いた。
『さっきはパパの番だったから、次は私よ』と。
護さんは、後ろを付いてきてくれる。
先に買い物を済ませたから、休憩でもしたらどうか提案したのだけど…。
『いや、3人で行こう』と。
結衣は、自分で選ぶ気がないようで、ただフロアを眺めているだけだ。
私も賑やかな装飾や、フロアに立っているマネキンをとりあえず見る。
結衣は、私よりも背が伸びた。
姉の所で栄養バランス良く、食べさせてもらったのだろう。
『…結衣は、背が高いから、ワンピースが似合いそうね』
つい口にすると『じゃあ、ワンピ見よ!』と近くのお店に入ることになった。
考えずに入店したが、奥に進むとシックな色や少しだけ余所行きの洋服が並んでいた。
淡いピンクのワンピース。
裾に、桜のレースが入っていた。
可愛い。
結衣に似合いそう。
『これは?』
口にしただけなのに、結衣は『買う!』とちゃんと見もしないでそう言った。
どうしてだろう?
『あのね?結衣、ちゃんと見て?』
『ママが見たんでしょ?私に似合うと思って』
それはそうだけど…。
『でもね?結衣の好みとか…』
『良いの。ママが選んだ服が着たいんだから』
結衣の言葉に、満たされる気持ちが湧く。
私は、求められている。
そのことに、嬉しくなる。
『そう、なの…?』
『そうだよ』
ふと目に着いた、シックな緑色の上品なワンピース。
『これは?』
護さんの声だった。
『素敵ね…』
『パパ?私は、ママに選んでほしいの!』
『違うよ、結衣。これは、春子に似合いそうだと思ってね』
護さんの言葉に、年柄にもなく頬を染めてしまう。
『さっき、俺の服を買ってもらったから。今度は俺が買おう』
値段も見ずにそんなことを言う護さん。
『…良いのよ。服は、もう増やさないで…』
『でも、似合うと思うから。今日の記念に…と思って』
『…ありがとう』
私の言葉に、護さんはワンピースを持っていなくなった。
もう、気が早いんだから。
『ママ!』
結衣の声に我に返り、結衣の服を選ぶ。
護さんてば。
もうアラフォーもとっくに過ぎた私に、ワンピースなんて…。
買い物は、そんな風に終わった。
昼食は、結局家で食べることになった。
その気になった護さんが、『もっと良い家電を揃えよう』と言ったから。
冷凍庫の中身を綺麗にしたいのだと。
結衣にも、同じように言った。
家には、私が持ち帰ったお弁当のおかずと冷凍した物しかないと。
白米も新しい物ではない。
毎日、姉の家で炊き立てを食べている結衣には物足りないだろう。
だけど、2人が言うのだ。
『家が良い』と。
『準備はするから』と。
『家で、ゆっくりしよう』と。
なので、私も賛同した。
久しぶりのお買い物で、私も確かに疲れてしまったから。
はしゃぎ過ぎたのかもしれない。
だけど、自然と穏やかな気持ちになれた。
そうして、急なきっかけで3人ともあの家に戻ることになった。
昼食は、本当に1口バイキングのようなことになった。
まぁ、ある程度古い物は私が食べているから、大丈夫だとは思うけど…。
それでも、2人が文句を言わないで食べてくれるなら良いのかと納得した。
夜も、穏やかだった。
昨日までいなかった2人がいること。
急に増えた、私の家族。
私が放棄したはずの家族が、ここにいる。
次の日からも、生活は変わらなかった。
日曜日は、本当に部屋の片付けをした。
護さんは、あんなに集めていたはずの本をほとんど手放した。
『10年もなくて平気だったんだ』と。
本棚や、サイドテーブルなども。
『部屋が狭くなるから』と。
パソコンを置くコンパクトなデスクセットは残した。
ただ、机の上や引き出しに置いてあった色々な物は、処分するとのこと。
本当に、あっという間に護さんの部屋がスッキリとした。
『これで、春子の荷物も置けるな』と。
昼食は、姉夫婦が手巻き寿司セットを持ってやって来た。
『日差しが暑い日は、酢飯が良いんだよ』と。
義兄が、饒舌に色々とうんちくを言っていた。
結衣と義兄がメインで話し、時々私や姉に話題を振る。
護さんは話を振られても、特に嫌がっている素振りがなかった。
いつもは、義兄に何か言われると少しだけ面倒そうにしているのに。
ごく普通に、話をしていた。
義兄の方が、少しだけ驚いていた。
そして、迎えた月曜日もいつも通りに出勤した。
護さんと一緒に。
社内で私達のことを知っている社員には驚いた顔をされ、知らない社員にも不思議そうにされた。
それから、すぐに私と護さんは再婚した。
護さんの行動が早かったから。
沙菜さんにはこそっと『おめでとう』と言われた。
何だか、くすぐったい。
再婚を機に、精神科の先生には『通院は終了にしましょう?お疲れさまでした』と言われた。
護さんも来ていたけれど、あっさりと通院終了と言われてしまい私が戸惑ってしまったほどに。
でも、先生は何でもないことのように『これからは、今までみたいな毎月の報告を、旦那さんにしてください』と言った。
そして、『次に不安になったら、一緒に通院してください』とも。
護さんは、私よりも熱心に先生と話をしていた。
いや、私の通院なんだけどね?
だけど、頼りがいのある姿に甘え、私は安心しながら診察時間が過ぎるのを待った。
会社では、何だか気恥ずかしい時間が続いている。
沙菜さんがこっそり祝ってくれたから、私は嬉しかったのに。
それを、“誰か“に話したのはきっと沙菜さん本人だろう。
その証拠に、馴染の人達からじわじわと『おめでとう』と言われることになった。
というか、再婚なんだからそっとしておいてくれれば良いのに。
高橋さんが、社内メールで“新しいお祝い”と称して、私達の再婚の話を回覧していた。
護さんが許可したというけれど。
私は何も知らなかった。
お喋りな社食の構成員達から、あれこれ聞かれるのは何だか疲れる。
その姿を、誰かに見られていることも実は疲れる。
疲れたことで、私は少しだけ怒った。
怒ったことは、護さんに正確に伝わっていた。
無言で見つめる私に、護さんは困ったように、だけど嬉しそうに「ごめん」と謝ってくれた。
離婚していることを知らない社員だっている。
元々結婚していたことも。
だから、再婚のこともそっとしておいてほしかったのに。
もう、回ってしまったものは仕方ないので、謝ってもらい落ち着いてしまった私は曖昧に笑って過ごしている。
そして、驚いたことに10年前に私がお願いした弁護士さん。
朝霧さんは、何故か護さんのお友達になっていた。
どういうことなのか良く分からないけれど…。
あの日と同じように、家に来た朝霧さんは弁護士さんの顔ではなかった。
だけど、弁護士さんのように『困った時は』『何か不満があったら』『いつでも受け付けています』と名刺をくれた。
護さんが破こうとしていたけれど、会社があるんだから『連絡先は、調べれば分かるから平気です』と言った私に笑ってくれた。
『なら、大丈夫ですね』と。
結衣は、時々口調の強い甘え方をしたり、ふとした時に我儘なお願いが出てしまうよう。
だけど、私の表情を良く見ているようで、少しでも私が躊躇ったり悲しい気持ちになると急に勢いがなくなる。
そして、『ごめんなさい』と最後に口にする。
結衣が謝ったら、私はそれを受け入れて終わりにしている。
義兄に言わせれば、DV彼氏の1歩手前の状態らしい。
何で?と思ったけれど、義兄の説明は絶妙に理解しやすいのですぐに納得した。
『酷いことをしたり酷い言葉を言いながら、俺には君だけだ、というクズと一緒さ?春に甘えて我儘を言って傷付けて。傷付けたまま、謝りもしない。甘えるのが当たり前と思っているクズ人間ね?結衣をそんなクズにしても良いのかい?』と義兄はふざけている。
だから、私もはっきりと結衣に『今のは悲しい』『そんなことを言われたら、嫌だ』と言うようにしている。
ま、結衣に伝えることは本当に1回か2回だった。
先に結衣が気付くから。
その度に結衣はこれでもかと謝ってくれる。
そうすると、支配する・支配されるという関係にはならないらしい。
結衣にも、義兄は厳しいままだ。
意外。
『次に春が死んでしまったら、僕は結衣のことを一生許さないからね』と繰り返し言ってくれている。
そのおかげか、あの時のように何もかもが嫌になるという感覚は訪れない。
私がたくましくなったのかしら?
体感では変わっていないつもりだ。
そして、大きく変化したと思った護さん。
彼はそこそこ変化して、半分は元のままだ。
仕事人間で、今では家にも仕事を持ち帰る。
リモートワークの方が気が楽だと。
「あのね…?」
「うん」
「リビングでやらないで、部屋でやった方が集中しない?」
「大丈夫。20年以上もやってる作業は、どこでやっても同じだから」
何でか、私が大半を過ごすリビングにパソコンを持ち込む。
土曜日とか。
ちょっと、鬱陶しい。
音楽とか流しながら、静かに本とか読みたいのに。
時々護さんが営業用のリモート会議を始める。
そうなると、私は息を潜めて存在を消すしかない。
音を立ててもいけないし、最初の頃は私が部屋に行こうとしていた。
だけど、彼は社内用だと絶対に私に声をかける。
席を立とうとすると『春子、ごめん。すぐに終わるから』とかわざとらしく言う。
いくら、ジェスチャーで『しー』って言っても、何度も。
そうなると、私の方が諦めて数分~十数分なら良いかと諦めるようになった。
その愚痴を姉夫婦に言うと、姉が大笑いした。
義兄にそっくりだと言う。
『自分の都合で動くくせに、見える所に私がいないと嫌なのよね?子どもみたいよね、男って…』
そんなわけはないと思ったが、護さんは否定もせずにどこ吹く風の顔をしていた。
『自分が構われないと、機嫌を損ねるのよ。僕は今頑張ってるから、それを見届けてってことよ?』と。
姉の言うことに、満更でもない顔を続ける護さん。
意味が分からない。
だけど、護さんは義兄に何かを言われても、嫌そうではなくなった。
営業なので、人と話すことは苦ではないらしいから。
むしろ、自分から話しかけ話題を振るようになった。
逆に、義兄は少しだけ面倒そうにしている。
表面上は、温和なままなのに。
結衣がいると、すぐに『ダディ機嫌悪いの?』と口にする。
言われると、義兄は『そんなことないさ?絶好調だよ』と返答する。
見ているのは面白いので、そのままにしている。
こうやって、姉夫婦と一緒に過ごす時間の楽しさ。
護さんが変わったのか、私が変わったのか。
だけど確実に、幸せな未来が今私の手の中にある。
感じられるこの日常は、確かに満たされている。
だから、この先も3人で過ごせる内は仲良くしましょう?
それとも、ケンカすらも楽しめるような家族を目指すのもアリかもしれない。
まだ、私がぼんやりとしていて、慣れていないけれど。
あの日、本当に元旦那…いや。
今は、また旦那さんになった護さんと買い物に行った。
結衣は目を覚まして、何度も『ごめんなさい』と私に言った。
色々と感情が高ぶり過ぎた結果、あぁなってしまったとのこと。
姉夫婦の家で、ずっと私に謝る練習をしてくれていたらしい。
だけど、私がこの家を出ていなくなると思ったことで、焦ってしまい追い詰めるような口調になってしまったとのこと。
何度も、それこそ何度も『あの時は』と思い出すごとに謝ってくれた。
中には私が忘れてしまったものもあり、逆に覚えていなかったことで結衣に謝った。
謝り合いっこをして、そのまま買い物に行くことにした。
とりあえずの護さんの衣類と、何故か結衣の衣類。
結衣は、護さんからもらったというお小遣いをこれでもかと持っていた。
私の財布よりも、遥かに多い額が入っていたのに私が驚いた。
それとも、今時の大学生はお小遣いを多めに持ち歩くのだろうか。
バツの悪そうな護さんに、『仕方ないなぁ』と諦めたのはもう古い癖だろう。
結衣だけが、無頓着だった。
3人でショッピングモールに買い物に行く。
不思議。
結衣が小さい頃なら、何度か行ったことがあった。
だけど時間に追われて、買い物を楽しむなんて時間ではなかった。
護さんが、何でも早めに済ませたい人だったから。
買う物だけをさっと選んで、すぐに帰宅するような時間だったと記憶している。
外食だって、あまり乗り気ではなかった。
『家の方が、楽でいいだろう』と。
私は、外の方が楽なんだけど。
それは、護さんには理解できないことだったのだろう。
それが今では、どうだろう。
『春子?何が食べたい?』なんて途中で聞かれる。
あてもなく、モールの中を歩いて商品を見るなんて不思議なことだ。
護さんが『春子に服を選んでほしい』と言い出したことも。
何だか、懐かしい気持ちになった。
自分以外の人の服を買うなんて…。
“良い歳をして、何を”と思ったくせに、思いの外嬉しかったみたいで素直に承諾した私。
結衣は自分で好きな服を選びに行けば良いと思うのに、私達の後を付いて来た。
『ズルい!パパだけ』と小さな我儘で頬を膨らませながら。
『つまらないんじゃない?』と聞く私に、結衣は『良いの!』と後をくっついて来る。
つまり、ずっと側にいてやり取りを聞かれているのだ。
これは地味に恥ずかしい。
だけど、護さんは気にしていない。
護さんが『これは似合う?』なんて聞くのに『良いんじゃない?』という時間。
何かしら?
急に、新婚のような…。
だけどほんのりと、ほのかに楽しんでいる私がいた。
友達と映画に出かけた時ぶりのような気持ちだった。
『この色、…護さん好きだったよね?』
なんて、つい口にすれば『覚えていてくれたのか?』なんて。
つい、彼に似合うだろう服を勝手に追加で選んだのは、久しぶりの贅沢だった。
彼とレジで『これは俺の服だから』『勝手に選んだのは私よ』と言い合うのも。
全部が浮足立っていた。
結局、半分ずつ出し合うことでお互いに納得した。
何だか満たされた時間だった。
結衣は護さんの服を買った後で、『じゃあ、次は私の番ね』と得意気だった。
私は、今時の子の洋服はよく分からない。
高橋さんとか田中さんとか、流行に敏感な子達とは感性が違うのだから。
だから渋ったんだけど…。
私に服を買って欲しいとねだって来た。
いや、所持金は結衣の方が多いんだけどね…。
結衣は、若い子のフロアに私と腕を組みながら歩いた。
『さっきはパパの番だったから、次は私よ』と。
護さんは、後ろを付いてきてくれる。
先に買い物を済ませたから、休憩でもしたらどうか提案したのだけど…。
『いや、3人で行こう』と。
結衣は、自分で選ぶ気がないようで、ただフロアを眺めているだけだ。
私も賑やかな装飾や、フロアに立っているマネキンをとりあえず見る。
結衣は、私よりも背が伸びた。
姉の所で栄養バランス良く、食べさせてもらったのだろう。
『…結衣は、背が高いから、ワンピースが似合いそうね』
つい口にすると『じゃあ、ワンピ見よ!』と近くのお店に入ることになった。
考えずに入店したが、奥に進むとシックな色や少しだけ余所行きの洋服が並んでいた。
淡いピンクのワンピース。
裾に、桜のレースが入っていた。
可愛い。
結衣に似合いそう。
『これは?』
口にしただけなのに、結衣は『買う!』とちゃんと見もしないでそう言った。
どうしてだろう?
『あのね?結衣、ちゃんと見て?』
『ママが見たんでしょ?私に似合うと思って』
それはそうだけど…。
『でもね?結衣の好みとか…』
『良いの。ママが選んだ服が着たいんだから』
結衣の言葉に、満たされる気持ちが湧く。
私は、求められている。
そのことに、嬉しくなる。
『そう、なの…?』
『そうだよ』
ふと目に着いた、シックな緑色の上品なワンピース。
『これは?』
護さんの声だった。
『素敵ね…』
『パパ?私は、ママに選んでほしいの!』
『違うよ、結衣。これは、春子に似合いそうだと思ってね』
護さんの言葉に、年柄にもなく頬を染めてしまう。
『さっき、俺の服を買ってもらったから。今度は俺が買おう』
値段も見ずにそんなことを言う護さん。
『…良いのよ。服は、もう増やさないで…』
『でも、似合うと思うから。今日の記念に…と思って』
『…ありがとう』
私の言葉に、護さんはワンピースを持っていなくなった。
もう、気が早いんだから。
『ママ!』
結衣の声に我に返り、結衣の服を選ぶ。
護さんてば。
もうアラフォーもとっくに過ぎた私に、ワンピースなんて…。
買い物は、そんな風に終わった。
昼食は、結局家で食べることになった。
その気になった護さんが、『もっと良い家電を揃えよう』と言ったから。
冷凍庫の中身を綺麗にしたいのだと。
結衣にも、同じように言った。
家には、私が持ち帰ったお弁当のおかずと冷凍した物しかないと。
白米も新しい物ではない。
毎日、姉の家で炊き立てを食べている結衣には物足りないだろう。
だけど、2人が言うのだ。
『家が良い』と。
『準備はするから』と。
『家で、ゆっくりしよう』と。
なので、私も賛同した。
久しぶりのお買い物で、私も確かに疲れてしまったから。
はしゃぎ過ぎたのかもしれない。
だけど、自然と穏やかな気持ちになれた。
そうして、急なきっかけで3人ともあの家に戻ることになった。
昼食は、本当に1口バイキングのようなことになった。
まぁ、ある程度古い物は私が食べているから、大丈夫だとは思うけど…。
それでも、2人が文句を言わないで食べてくれるなら良いのかと納得した。
夜も、穏やかだった。
昨日までいなかった2人がいること。
急に増えた、私の家族。
私が放棄したはずの家族が、ここにいる。
次の日からも、生活は変わらなかった。
日曜日は、本当に部屋の片付けをした。
護さんは、あんなに集めていたはずの本をほとんど手放した。
『10年もなくて平気だったんだ』と。
本棚や、サイドテーブルなども。
『部屋が狭くなるから』と。
パソコンを置くコンパクトなデスクセットは残した。
ただ、机の上や引き出しに置いてあった色々な物は、処分するとのこと。
本当に、あっという間に護さんの部屋がスッキリとした。
『これで、春子の荷物も置けるな』と。
昼食は、姉夫婦が手巻き寿司セットを持ってやって来た。
『日差しが暑い日は、酢飯が良いんだよ』と。
義兄が、饒舌に色々とうんちくを言っていた。
結衣と義兄がメインで話し、時々私や姉に話題を振る。
護さんは話を振られても、特に嫌がっている素振りがなかった。
いつもは、義兄に何か言われると少しだけ面倒そうにしているのに。
ごく普通に、話をしていた。
義兄の方が、少しだけ驚いていた。
そして、迎えた月曜日もいつも通りに出勤した。
護さんと一緒に。
社内で私達のことを知っている社員には驚いた顔をされ、知らない社員にも不思議そうにされた。
それから、すぐに私と護さんは再婚した。
護さんの行動が早かったから。
沙菜さんにはこそっと『おめでとう』と言われた。
何だか、くすぐったい。
再婚を機に、精神科の先生には『通院は終了にしましょう?お疲れさまでした』と言われた。
護さんも来ていたけれど、あっさりと通院終了と言われてしまい私が戸惑ってしまったほどに。
でも、先生は何でもないことのように『これからは、今までみたいな毎月の報告を、旦那さんにしてください』と言った。
そして、『次に不安になったら、一緒に通院してください』とも。
護さんは、私よりも熱心に先生と話をしていた。
いや、私の通院なんだけどね?
だけど、頼りがいのある姿に甘え、私は安心しながら診察時間が過ぎるのを待った。
会社では、何だか気恥ずかしい時間が続いている。
沙菜さんがこっそり祝ってくれたから、私は嬉しかったのに。
それを、“誰か“に話したのはきっと沙菜さん本人だろう。
その証拠に、馴染の人達からじわじわと『おめでとう』と言われることになった。
というか、再婚なんだからそっとしておいてくれれば良いのに。
高橋さんが、社内メールで“新しいお祝い”と称して、私達の再婚の話を回覧していた。
護さんが許可したというけれど。
私は何も知らなかった。
お喋りな社食の構成員達から、あれこれ聞かれるのは何だか疲れる。
その姿を、誰かに見られていることも実は疲れる。
疲れたことで、私は少しだけ怒った。
怒ったことは、護さんに正確に伝わっていた。
無言で見つめる私に、護さんは困ったように、だけど嬉しそうに「ごめん」と謝ってくれた。
離婚していることを知らない社員だっている。
元々結婚していたことも。
だから、再婚のこともそっとしておいてほしかったのに。
もう、回ってしまったものは仕方ないので、謝ってもらい落ち着いてしまった私は曖昧に笑って過ごしている。
そして、驚いたことに10年前に私がお願いした弁護士さん。
朝霧さんは、何故か護さんのお友達になっていた。
どういうことなのか良く分からないけれど…。
あの日と同じように、家に来た朝霧さんは弁護士さんの顔ではなかった。
だけど、弁護士さんのように『困った時は』『何か不満があったら』『いつでも受け付けています』と名刺をくれた。
護さんが破こうとしていたけれど、会社があるんだから『連絡先は、調べれば分かるから平気です』と言った私に笑ってくれた。
『なら、大丈夫ですね』と。
結衣は、時々口調の強い甘え方をしたり、ふとした時に我儘なお願いが出てしまうよう。
だけど、私の表情を良く見ているようで、少しでも私が躊躇ったり悲しい気持ちになると急に勢いがなくなる。
そして、『ごめんなさい』と最後に口にする。
結衣が謝ったら、私はそれを受け入れて終わりにしている。
義兄に言わせれば、DV彼氏の1歩手前の状態らしい。
何で?と思ったけれど、義兄の説明は絶妙に理解しやすいのですぐに納得した。
『酷いことをしたり酷い言葉を言いながら、俺には君だけだ、というクズと一緒さ?春に甘えて我儘を言って傷付けて。傷付けたまま、謝りもしない。甘えるのが当たり前と思っているクズ人間ね?結衣をそんなクズにしても良いのかい?』と義兄はふざけている。
だから、私もはっきりと結衣に『今のは悲しい』『そんなことを言われたら、嫌だ』と言うようにしている。
ま、結衣に伝えることは本当に1回か2回だった。
先に結衣が気付くから。
その度に結衣はこれでもかと謝ってくれる。
そうすると、支配する・支配されるという関係にはならないらしい。
結衣にも、義兄は厳しいままだ。
意外。
『次に春が死んでしまったら、僕は結衣のことを一生許さないからね』と繰り返し言ってくれている。
そのおかげか、あの時のように何もかもが嫌になるという感覚は訪れない。
私がたくましくなったのかしら?
体感では変わっていないつもりだ。
そして、大きく変化したと思った護さん。
彼はそこそこ変化して、半分は元のままだ。
仕事人間で、今では家にも仕事を持ち帰る。
リモートワークの方が気が楽だと。
「あのね…?」
「うん」
「リビングでやらないで、部屋でやった方が集中しない?」
「大丈夫。20年以上もやってる作業は、どこでやっても同じだから」
何でか、私が大半を過ごすリビングにパソコンを持ち込む。
土曜日とか。
ちょっと、鬱陶しい。
音楽とか流しながら、静かに本とか読みたいのに。
時々護さんが営業用のリモート会議を始める。
そうなると、私は息を潜めて存在を消すしかない。
音を立ててもいけないし、最初の頃は私が部屋に行こうとしていた。
だけど、彼は社内用だと絶対に私に声をかける。
席を立とうとすると『春子、ごめん。すぐに終わるから』とかわざとらしく言う。
いくら、ジェスチャーで『しー』って言っても、何度も。
そうなると、私の方が諦めて数分~十数分なら良いかと諦めるようになった。
その愚痴を姉夫婦に言うと、姉が大笑いした。
義兄にそっくりだと言う。
『自分の都合で動くくせに、見える所に私がいないと嫌なのよね?子どもみたいよね、男って…』
そんなわけはないと思ったが、護さんは否定もせずにどこ吹く風の顔をしていた。
『自分が構われないと、機嫌を損ねるのよ。僕は今頑張ってるから、それを見届けてってことよ?』と。
姉の言うことに、満更でもない顔を続ける護さん。
意味が分からない。
だけど、護さんは義兄に何かを言われても、嫌そうではなくなった。
営業なので、人と話すことは苦ではないらしいから。
むしろ、自分から話しかけ話題を振るようになった。
逆に、義兄は少しだけ面倒そうにしている。
表面上は、温和なままなのに。
結衣がいると、すぐに『ダディ機嫌悪いの?』と口にする。
言われると、義兄は『そんなことないさ?絶好調だよ』と返答する。
見ているのは面白いので、そのままにしている。
こうやって、姉夫婦と一緒に過ごす時間の楽しさ。
護さんが変わったのか、私が変わったのか。
だけど確実に、幸せな未来が今私の手の中にある。
感じられるこの日常は、確かに満たされている。
だから、この先も3人で過ごせる内は仲良くしましょう?
それとも、ケンカすらも楽しめるような家族を目指すのもアリかもしれない。
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一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。



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