鷹村商事の恋模様

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それとも

2人

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元旦那は、自分の意思や信念に揺るがない人だ。
揺るがない人だった、はずだ。
納得がいかないことには、『何で?』『ならば?』『では?』と追随の手を緩めない。

その人と、10年以上も一緒に過ごしたはずなのに。
今思い出せるのは、私が何かを話そうとしても顔すら合わなかった彼の態度と、離婚話の時の簡潔な彼のことだけだ。

そのまま、私は大きな附属病院の精神科に通院を希望した。
紹介状もないから、お高めの初診料を支払い通うことを即決した。
姉夫婦には、『精神科じゃなくて、カウンセリングの方が良いのではないか?』と何回か言われた。

その度に私は口にした。
「“母親”を放棄したのに、カウンセリングで意味があるのか?」と。
姉夫婦はそれ以上何も言わなかった。

ただ通院して10年になるが、飲み薬や安定剤みたいな物は処方されていない。
いや、最初の頃は、あったはずだ。
“不安を和らげるお薬”というものが。
ただ、不安は訪れなかったため、服用しなかった。

それを繰り返す内に、いつの間にか処方薬はなくなった。
毎月、“定期検診”の名目で、ただ通っている。
ただ、先生に1ヶ月分のことを報告するだけの時間。
今の診察料は、初診代の1割辺りだろう。
相談料と思えば、安い物だ。

何も使う予定がない私の、小さな出費。
趣味なんてない。
そう考えたら、何て面白みのない人間なのだろう。

離婚前は、映画が好きだった。
小学校の時から続く同級生と、数ヶ月に1回映画鑑賞に行っていた。
それが、その時の私に許された唯一の贅沢だった。

お互いに好みの映画を伝えあい、予定が合ったら一緒に行く。
その日だけは、家のことや仕事のことを忘れて過ごせた。
数本の映画をはしごで観るなんてこともやっていた。
彼女とは、もう年賀状のやり取りしか残っていない。

なのに、今ではどうだろう?
食費も毎月5,000円も行かない。
電気・ガス・水道を合わせても1万なんて行かない。

流石市営住宅。
市民の味方。
と言っても、この家の家賃は元旦那が今でも支払いを続けている。
元旦那の口座から毎月家賃は引かれ続けている。

なので、多少の罪滅ぼしも含めて、その強い味方に感謝するようになった。
具体的なことを言えば、月に1~2度お願いするハウスクリーニングがそうだろう。
中心は、娘と元旦那の居室保持のため。
私では躊躇ってしまい触れない物も、業者の人は埃取りや換気、布団干しや布団カバーの洗濯など遠慮なくしてくれる。
時々、追加でキッチンやお風呂場なんかを気まぐれに頼むのみ。

その出費も、大きな痛手というものではない。
毎月捻出しても、あまり気にならない程度のものだ。
でも、それも無駄だと思ったのだ。
だから、あの家を手放そう。

そのことを誰かに言いたいような、留めておきたいような気持ちで歩いていたのだろう。
カートを押しながら、ふとラウンジに寄っていた。
ここには、休憩や多少の談話を求める社員がいる。
はずだった。

各フロアに配置されたラウンジは、適度に閉鎖されて適度に解放されて丁度良い空間だ。
でも、この階のラウンジは誰もいない。
「あら?空振りね」
なら、誰にも言わないしかないわ。
カートを押して、ラウンジから出ようとするとふと前から誰かが来るのが見えた。

「お疲れ様。珍しいわね?春子さんが社内を徘徊してるのなんて」
出世街道をひたすら進む、同期ではないけれど、馴染深い後輩ー倉橋沙菜さんーがいた。
「まぁ、たまにはおばあちゃんも動かないと、本当に化石になっちゃうので?」
私の返答に、倉橋さんは少しだけ気が抜けた笑みを浮かべた。

「化石って、まだ若いでしょ?」
「え?45歳って若いの?」
私の言葉に、倉橋さんは『充分若いじゃない』と即答した。
「そうなの?」

自分よりも年下なのに、この子にそう言われたらそれ以上は言えないのよね…。
すっかり、自分より役職も上になった彼女。
「最近はどう?体調は?」
会えば、こうやって体調を気にしてくれる。

「体調?特に不調はないけれど?」
「本当に?」
「…ないわよ」

クスクス笑うと、沙菜さんは『なら良いわ』と去って行った。
現れた時と同じように、カツカツと響く足音を残しながら。
「相変わらず、カッコ良いわね…」
彼女は、私が入社した数年後には会社で名前を響かせるほど有名人になった。

今の時代では珍しくも何ともないけれど、女性の権利や主張を声高に宣言する人だった。
当時から、会社の中では目の上のたんこぶ扱いをされていた。
元旦那にも、会社内での正当性や権利などの話をしながら意見を言い合ったらしい。

彼女のバイタリティと不屈の精神は、当時から高い水準を保っていた。
勿論、その仕事量についても、だ。
当時から、今の副社長と一緒に早出・残業なんて当たり前の生活。

仕事人間と言っても過言ではない。
それが、いつ頃からだろうか?
不要な業務や残業はさっぱりしなくなった。

上に立つ者として、お手本を示す側になったのだろう。
私は過労の自己判断をしてから、部署を異動することで無理はしなくなった。
離婚もしたし、回りが気を遣ってくれたから。
その時も沙菜さんは何かと気にかけてくれた。

元旦那は、沙菜さんに何か言われたのだろうか?
ふと、そんなことが気になった。
それは、沙菜さんと元旦那に聞かないと分からないままだ。

そういえば、元旦那も仕事に対して文句を言う人ではなかった。
黙々と取り組み、営業にのめり込む姿。
そっか。
だからか。

元旦那への印象が薄いのも。
家で、仕事の愚痴でも言ってくれれば、お互いに会社へのささやかな不満などを共有できたのに…。
だから、家でする会話と言うものが皆無だったのだろう。

私との生活について、どう思っていたのだろう?
不思議な感覚。
かつては“死が2人を分かつまで”なんて制約を誓ったはずなのに。
今では、その縁すら断たれた状態だ。

離婚した他の先輩や、退職した人の話とはやや異なる関係。
聞けば、子どものことや家庭のことは、少しだけ接点があるらしい。
授業参観や、親権、面会などについて。
その他、子どもの進路や将来のことなどでの話し合い。

子どもが中心になって、その繋がりは細く長く続いて行く。
らしい。
私達の間には、その中心になるはずの娘がいない。

娘からも、『会いたい』といった類の申し出すらもない。
なので、当然こちらからも『会いたい』なんて言わなかった。
本旦那とは娘が直接連絡を取っているらしいので、それは娘と彼に任せておけば問題ない。
元々、あの2人の方が馬は合ったはずなんだから。

なので、これまた気まぐれに姉夫婦が声をかけて来てくれない限りは、こちらからも近付かない。
姉夫婦が本当に絶妙な時期に、『ごはんでも食べに来ない?』とか『桜が綺麗らしいのよ?』という誘い文句をくれる。
それが、呼び水になって私がふらりと姉夫婦の家に行く。
そこで、娘に会う程度だ。

『久しぶり』
『お姉さんになったね』
『体に気を付けて』
そんな、当たり障りのない会話をして帰宅する。
娘も、一緒の空間にいるが姉夫婦との時間の方が安心するのだろう。

昔からそうだった。
姉夫婦にとても懐き、『ダディ』『マム』と呼ぶくらい。
いや、そうさせてたのは義兄だけど。
娘は素直に受け入れた。

家では我儘ばかりなのに、姉夫婦の所に来ると急に良い子になる姿。
私には、口を開けば『また?』『何で?』『ヤダ』『はいはい』などと本当に反抗的だった。
成長期の一環と思っていたけれど、思えば保育園辺りからその姿勢は同じだった。

離婚して、姉夫婦の元に行ってからだろう。
余所行きの娘、が私に接するようになったのは。
なので引っ込んだ我儘に感謝し、素直に成長を喜んだ。
私の元にいたら、こうはならなかったのだから。

そう考えると、本当に娘にとっての私の存在意義などないに等しい。
姉夫婦には、生活費と称して毎月5万程送金している。
端的に言えば、迷惑料だ。
恥を忍んで、養子縁組の話もした。
姉夫婦は、快く引き受けてくれた。

感謝してもしきれない恩が、あの2人にはあるのだ。
だが、いつだろうか?
義兄がその話を娘にした時、娘の方からやんわりと拒んだとのこと。
なので、それ以降は姉夫婦も娘に養子の話はしていないらしい。

姉は何も言わないが、義兄は時々元旦那から連絡が来ることを教えてくれる。
姉夫婦に、養育費を送りたいと言っているらしい。
そもそも、娘名義の口座を私が管理し、そこに元旦那が振り込んでくれる養育費はちゃんとある。

インターナショナルスクールの通学費も、給食費もそこからきちんと引かれている。
高校は流石に公立の学校を進学したらしいが、夫がくれた養育費で足りたらしい。
大学は、娘が専攻する英語に特化した学科がある所を選んだらしい。
小さい時から積み立てていた私の学資保険があったので、入学金の心配はせずに遠慮なく進学することを返答した。

娘は行きたい大学を受験し、入学を果たしたようだ。
元旦那は入学金のことを気にしていたらしいが、使う目的を考えて私が積み立てていた物があるならそれを使うのが妥当だと義兄に説き伏せられたらしい。
大学入学後、娘が奨学金を取ったことで思ったよりも出費は減らなかったらしい。
元旦那が時々弁護士さんを通じて、お金のことを相談してくるのは私には定期的に来るイベントだった。

他にも、娘が欲しがった玩具や衣類費など姉夫婦の負担にならないようにと、自由に使えるように私の方から“生活費”として送っているのだ。
なのに、それ以外で支払いをしたいと言っているらしい。
元旦那の思考回路が良く分からない。

義兄も、理由のない金銭のやり取りは好まないとはっきり言っているらしい。
その上で、娘と出かけた時にでも、直接お小遣いでも当面の自由金でも渡せば良いと言ったらしい。
元旦那と、娘は2人で出かけているらしいから。

娘は、毎回元旦那にお金を渡されることにうんざりし、姉夫婦に渡しているとのこと。
数回に1度、義兄が元旦那に『お金のことしか頭にないのか』と嫌味と共にお金を返却しているらしい。
言われた元旦那は、どんな顔をしてそれを受け取っているのか…。

それでも良いことだ。
そのまま、交流を重ねてほしい。
是非、親子の縁が切れないようにと願うばかりだ。
それで、娘の結婚式などにもきちんと出て欲しい。

お金の話は私の所にも来た。
私が、ギブアップしてすぐの頃。
それも何度も。
疲れていたので、話し合いには応じられないと本気で思った。

だから、謝罪や慰謝料についての話など、私は不要だとその都度何度も返答した。
それでも、譲らない元旦那に折れて私が弁護士さんを頼んだ。
元旦那は、弁護士さんをお願いした私に少しだけ不満を口にした。

元旦那に「何もいらない」と何度も伝えてもらう羽目になった。
弁護士さんには、何回か言われた。
『今まで扱ったことのないケースです』と。

他の離婚夫婦は、親権や遺産と言われる分配などでお互い多めに請求をするのだという。
我々は、お互いへの支払いについてどちらが多く支払うかでの落としどころを何度も探っていた。
元旦那の言い分として、私への慰謝料は譲れないと言い張ったらしい。
貰う理由なんてない。

何故なら、私が先に家族を放棄したのだから。
それを伝えても、元旦那は『そう追い詰めたのは、自分のせいだ』と譲らなかったとのこと。
私としては、家のこともありそれだけ家賃のみで良いと主張した。
なのに、頑なに娘への養育費も払おうとしていた。

それは、私も同様だった。
一番の被害者は娘なのだから。
そして、このままでは埒が明かないと、同じ空間で話し合う場が設けられた。
娘も希望して、4人で集まるという緊張の時間。

私としては、娘の誕生日に体調不良になって、そのまま家庭を維持することができないため、娘と元旦那に謝罪の意を伝えた。
それは、あっさりと2人に受け入れられた。
あんなに震えていたのが嘘のように、2人の反応はとても薄かった。

謝罪する私に娘は『私がいけないことを言ったから仕方がない』と言われ、元旦那からは『そこまで苦しませたので逆にこちらが謝罪する方だ』と。

その上で、慰謝料はいらないと私も伝えた。
しかし、元旦那はそこでも譲らなかった。
何故、受け取りを拒むのか?
私に何を求めているのか、淡々と聞き返された。

しかし、私の返答は変わらなかった。
『もう、家族ではいられないとギブアップしたのは私の方だ』と。
しかし元旦那からは、『その話はさっき終わった』とあっさり言われた。

お互いに謝罪したい意があるが、それはお互いに不要と思っていること。
長時間のいたちごっこの末、弁護士さんから『ならば』と提案があった。
このまま家賃については、元旦那が支払いを続けること。
私が家に残っていたため。
それを、慰謝料とすれば良いのではないかとアドバイスされた。

なるほど、と思い了承した。
元旦那は、それとこれとは別だと言ったが慰謝料に値する金額的に申し分ない理由を懇々と話されて渋々飲み込まされていた。

私はそれに甘えた上で、養育費の支払いについては元旦那と弁護士さんで決めること。
同じく養育費は、私も弁護士さんと相談して支払うこと。
それは、各々に判断を委ねられた。
元旦那とお互いに違う銀行で、娘名義の口座を作った。
私の方は、会社で利用している銀行で、そのまま娘の口座を開設した。

それも、元旦那が譲ってくれた。
どれだけ、私に譲れば気が済むのだろう?
婚姻関係にあった時は、私がお願い事をしても、話を聞いてもらいたくてもあまり聞き入れてもらってなかったはずなのに。

離婚した途端に、聞き分けの良い人になった印象だ。
私達は、相手に支払いたい気持ちを、全て娘名義の口座に入れることで解決した。
支払い金額は、元旦那の方が多い。
それで良いとのことなので、最後は甘えることにした。

元旦那に送る娘名義の支払いも、私の保険やその他のローンに比べたらそこまでの割合はない。
姉夫婦は、元旦那からの送金には一切応じていない。
私から生活費が送られているのに、これ以上何のお金なのだと何度も言い返していた。
元旦那は、義兄が苦手だ。

自分も理系のはずなのに、義兄が英語教師をしていることや、考え方がどちらかというとアメリカナイズされているために元旦那よりも理論系が強い。
だから、元旦那の方が折れたのだろう。

元旦那が譲る所など、私は見たことがなかったから。
義兄が、得意げに『まもるくんは意外に耐久度がなかった』と言っていたのを思い出す。
弁護士さんすらも辟易するほどの理屈持ちのはずなのに、義兄にはその理屈を押し通せなかったのだろう。

そして、すぐに離婚が成立した。
両親は何も言わなかった。
怒ることも、慰めることも。
ただ、『お疲れ様』とだけ。
家庭を崩壊させた娘に、お叱りの1つ位あっても良さそうなものなのに。

未だに夫婦を維持させている両親には、ずっと尊敬しかない。
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