鷹村商事の恋模様

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それなら

毎日の繰り返し

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「お疲れ様です」
聞こえて来た秋本さんの声に、ハッとする。
もう、17:00?
早い。
あぁ、まだ伝票発注と修繕依頼できてない。

焦りながらも、明日の朝にまずやることを付箋に走り書きする。
それから、私もそそくさと退勤準備をする。
そして、焦ったまま「お疲れ様でした!」と総務課を後にする。

今日は私がお迎えに行くんだった。
気を抜くと、すぐに時間を忘れてしまう。
危ない危ない。

会社の横にある駐車場まで小走りで移動する。
見慣れた車に荷物を放り込み、焦らないように運転する。
10分もかからずに、目的地に到着する。

「お世話になります。小沢です」
「はーい、おかえりなさーい」
いつものように、先生に挨拶をしてから小走りで教室に向かう。

「ただいま、美優みゆ
「おかえりー、ママ。今日もお仕事お疲れ様!」
元気な娘の顔を見て、ようやく今日の仕事が終わったのだと再確認する。

「今日もお世話になりました」
先生にお礼を言いながら、一緒に移動する。
「あのね、今日から、じっしゅうのおねえさん先生が来たんだよ」
「そうなんだ?たくさん遊べると良いね」

娘の保育園での話を聞きながら、帰りにスーパーに寄らないといけなかったことを思い出す。
「美優、ごめん。スーパーに、食パン買いに行っても良い?」
「えー、フランスパンは?」
娘のおませな発言に思わず笑う。

「食べたいなら買いましょ?」
「やったー」
「今日の夜ご飯、何が食べたい?」
「スパゲティー!」
「良いね。ウィンナーあったし、ナポリタンでも良い?」
「うん!」

毎日、仕事と家事と子育てと、繰り返しの日常。
それが私、小沢おざわ 直美なおみの毎日だった。
仕事は通常通り、家事も日常通り、子育てだって平常通り。
何の問題もない。

そう、問題はない。
「ねー、今日パパは?」
「あー、てつは今日は少しだけ遅いかな?」
「ごはんは?」
「おなかが空いたら、先に食べよう。それまでは待っていようね?」

「また、こうほうし?」
「そうね、広報誌もあるけど、今は記念誌の方が忙しいかな?」
「きねんし?」
「そう。広報誌のスペシャルバージョン」
「すごいね!」

4歳になった娘は、とてもお喋りだ。
私も主人も、そこまでお喋りではない方なのに。
「ママ?」
「何?」
「じっしゅうせいの先生、25歳なんだって!ママと同い年だよね?」

「…そうね。私と同じ年なら、第二社会人になるのかな?珍し」
「だいに…?」
あ、余計なことを言った。
明日保育園で余計なことを言われたら面倒だな。

「ごめん、ママが間違えた。先生は勉強熱心なんだねってこと」
「べんきょうねっしん?」
「そう。たくさんお勉強をして、美優たちの先生になりたいってこと」
「先生になるため?」
「そうよ」

話している内に、スーパーに到着する。
「好きなお菓子、見つけて来る?」
「ううん。フランスパンが良い」
美優の言葉に思わず吹き出す。

お菓子よりもフランスパンって。
「そうね、明日の朝はフレンチトーストにしようね」
「やったー、最高!」
無邪気に喜ぶ娘。

こんなに喜んでくれるなら、いくらでも作りましょう。
家事も、いつの間にかそこそこ出来るようになっていた。
人間、何でもやればできるもの。

先に2人でお風呂に入り、夜ご飯の準備をする。
娘のお喋りは止まらない。
でも、それを心地良いと思っている私。
こういう生活は、望んで手に入るものではない。

ピンポンの音に、早く反応したのは美優だった。
「あ!パパだ」
時計を見て、意外に早かったことを思う。
美優はすでにキッチンを飛び出している。

鍵を持っているくせに、わざわざこういうことするんだから。
玄関から、賑やかな声がする。
美優の。
毎日会っていて、そんなにはしゃぐことかとも思う。

でも、楽しそうだから良いか。
「ただいまー」
「おつー」
「ママ!そういう時はお帰りでしょ?」

口うるさいのは、私に似なかったからだろう。
「な?美優はちゃんと言えたもんな。偉いぞー」
わざとらしく美優を抱き上げ、キャーキャー言わせている。
「もう、夜なんだからそんなに興奮させないで?」

「良いだろ?一軒家なんだし、マンションじゃ確かに気遣うけどさ?」
徹の言葉に、短く溜め息をつく。
『子どもはのびのびと育てたい』
そう徹は言った。

急に降って湧いた子どもなのに。
あ、違う違う。
ちゃんと私達の子どもだけど。

私と徹は、会社の歓送迎会で知り合い、意気投合した。
ほぼ泥酔状態で、一晩過ごし気が付いたら妊娠していた。
漫画みたいな出来事だった。
私が21歳、徹が25歳の時のこと。

短大を出て、新社会人になったばかりですぐに妊娠。
びっくりしたのは言うまでもない。
退社することも考えたが、徹が責任を取るとそのまま入籍し式を挙げた。

両親もあれよあれよと進む出来事に、さぞや振り回されただろう。
私自身も付いていけないレベルだった。
でも、徹は思いの外良い父親だった。
生まれた娘にも、私にも優しい。

お付き合いしていた人がいなくて、たまたま歓送迎会で意気投合した私とのデキ婚。
あ、授かり婚か。
今は、そう言うのよね。

会社の役にも立たない新人が、すぐに妊娠したことで会社には迷惑をかけた。
でも、部長を始めとする女性陣が、味方をしてくれた。
そのことに感動したのは本当のこと。
なので、産休もギリギリまで入らなかったし、育休も短めにしてもらった。

会社に恩返ししたい気持ちが強かったから。
その後、友達が妊娠を機に会社から追い出されるように退社した話を聞くと、鷹村に入社して良かったと思う気持ちしか生まれない。

そして今も、会社で心地良く働いている。
徹は営業から広報課に移動したけれど、今ではのんびりと仕事をしている。
元々営業には向いてなかったと本人は言っているけれど、本心はどうか分からない。

「ね、先にお風呂行っちゃえば?」
「ママ!パパはお仕事で疲れてるんだよ!」
「私もだよ」
美優は父親である徹が大好きだ。

私と徹で意見が割れると、それはもう徹の味方をする。
200%の力で。
何でだろう?
「美優は、先になおと入ったんだな?偉いなー」
「何でもかんでも褒めれば良いと思って」

私の呆れたような口調に、徹は笑う。
「だって、偉いじゃんか?なぁ?」
褒められた美優はご機嫌だ。
これは、今日もすぐ食後に寝落ちだな。

それを思うと、徹の用意周到に違う意味で笑えて来る。
「徹?今日、スパゲティだけど、他に何か食べたい物ある?」
「ん-、野菜が欲しい」
「え?珍し。どうしたの?」

「今日さ、錦織がさ?高橋に延々と野菜の大事さを繰り返し伝えてて…」
「聞いてる内に、徹も食べたくなったと?」
「というか、摂取しないといけない気持になって」
「何それ?ウケるんだけど…」

言いながら笑ってしまう。
会社にいると、自然と社員の話が中心になる。
あ、美優の保育園でのこともあるけど。

「じゃ、えーと今から作るなら」
「直、そんな凝ったのじゃなくて良いから」
「はいはい」
「ママ、はいは1回」
「もう、分かったよ。はーい」

美優がちょいちょい口を挟み、いつも通りの日常が過ぎて行く。
食後に歯を磨き、美優は電池が切れたように眠りについた。
「じゃ、今日のラウンド行きますか?」
徹の言葉に、タフだなぁと思う。

「徹、眠くないの?」
「俺?全然」
「なら良いけど。毎日、文字ばっかり追ってて、よく目がやられないなーと思って。私は今日、発注ばかりだったから、少し目がやられてる」

「若いのに、大変だね」
「アラサーの人に言われると、何か嫌だな」
「お前もすぐだぞ」
「はいはい」

私と徹は、ゲームが好きだ。
オンラインで遊べるものから、グループやチームで対戦するものなど。
その幅は広い。
そのお陰で、お互いに意気投合したようなものだし。

「もうすぐアプデ来るし、またランク落ちんのかな?」
「いやー、私より落ちないから良いじゃん?」
今は、お互い同じゲームをしている。

チームで遊んだり、どちらかがホストになって対戦相手を招いたり。
私は、TPSゲームが主流だった。
だけど、FPSで遊ぶ徹につられ、そういうゲームでも遊ぶようになった。
お互いの持ちゲーで遊ぶのも、ここ数年で慣れたこと。

「あ、12時までには寝ないとね?」
「何で?それこそ、珍し」
「岡田君が、深夜まで起きてるのは、体に良くないって」

同じ総務課の新人君。
同じ課内の部に属している秋本さんのことが大好きでたまらないと言う男の子。
「何だそれ、岡田に言われて早めに寝るの?俺だって言ってるけど?」

「それはそれよ。岡田君に言われると、何か聞かなきゃいけない気持ちになる」
「ふーん?」
徹の納得のいってない言い方。
「何?」

「俺だって、直のこと心配なのに」
こういう所。
徹は、素直だ。
こんなにまっすぐな男なのに、彼女はいなかったらしい。
「嬉しい、ありがと」

だから、私も大分素直になった。
「なー?」
「何?」
「そろそろ、さ?」
「うん」

「2人目とか、考えてる?」
徹の言葉に、一瞬思考が停止した。
マッチが開始し、私は一番先にゲームオーバーになった。
お互いにゲーム用のセットアップをしているので、横にはいるけれど。

急に?
2人目って。
2人目のことで。
それは、美優の下に続く、2人目ということ?
合ってるよね?

「あのさ?」
徹はまだ、プレイ中だ。
でも、チャットで話しかける。

「何?」
「徹は、考えてた?」
ゲーム中なので、会話は途切れがちだ。
私も視聴しながらだけど。

「うーん」
「何?」
「厳密に言うと、あんまり」
徹の素直な言葉に、首を傾げる。

「じゃ?何で?」
「いや、美優がさ…」
あぁ、把握。

何だ。
そういうことか。
美優が徹を好きなように、徹も美優が大好きだ。
多分、私よりも。

嫉妬はない。
微笑ましい。
私は、割と淡白な人間だったから。
2人が仲が良いのを、側で見ていることで満足できる。

「何?徹ってば、せがまれた?」
「せがむとは違うんだろうけど、保育園の…」
「あー、かえでちゃん?」
「そうそう」

最近、お姉さんになったという美優のお友達。
話を聞いている内に、美優も下の子が欲しくなったのだろう。
「楓ちゃんに感化されて、美優大丈夫かな?」
私の言葉に、ゲームをクリアした徹がようやくこっちを見た。
「何が?」

「今の生活、美優が中心でしょ?」
私も、ヘッドセットを外し直接話す。
「そうだけど?」
徹は外さない。
「こら、話してんのにマッチすんな」

生粋のゲーマーめ。
徹は先にログインしてしまう。
「もう、徹が話す気ないなら、良いよ」
私もすかさずログインする。

「美優が何?」
徹は、同時にいくつかのことを処理できる。
広報で培ったのか、元々持っているものだったのか。
私は、無理だ。
目の前のことにしか集中できない。

「…下の子がいると、急に赤ちゃん返りとか、さ?」
4歳の子が甘えるとか、割とヘビーではないか?
言ったそばから、ミスが目立つ。
ヤバい、他のプレーヤーの足を引っ張ってしまう。

「今日の直、凡ミスばっか」
徹の声に、ヘッドセットを元に戻す。
チャットも切る。
「誰のせいだと」

もう、知らない。
私は先に終わりにしよ。
このマッチが終わったら、抜けよっと。
好きなだけ、遊んでれば良い。

何か言いたそうな徹をほっといて、私は私の時間で進むことにした。
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