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それは、何で?
あとは?
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「自分では済ました顔してるつもりかもしれないけど。こんなくだらない仕事させやがってってオーラ出しながら仕事していたら…なぁ」
聞き覚えのある声に、息を止めてしまった。
歩いていた足も、自然と止まる。
「そうですかね?」
「お前は思わない?」
「や、特には…」
「富川は、欲がねぇな」
「それは、友成さんもね」
聞こえてきたのは、偶然だろう。
「折角、高橋で公報の賑やかさが増えたのに、今年度になって急にみんな息苦しくなってないか?」
「や、あんまり」
「お前は良いね、常に自分の世界だけで」
「何か、すみません」
「責めてねえだろ?ねぇ、小沢さん?」
「ん-、元々営業に行きたいってんだから、行かせてやれば良いのに。副社長も意地悪なことを…」
「でも、あんなんで営業に行ったって、1日で使い物にならないっすよね?東田課長?」
面白そうに、話題を振る人は友成さんだった。
喜んでいる口調に、少しの不安を覚える。
「んなことない」
「うわ、何も考えてない人の言い方っす」
「課長は、興味ないもんね人に」
「富川、言ってやるな。課長は和田姉貴のことしか考えてない」
「確かに、和田さんカワイイから」
「おま、マジでやめろっての!」
「本当に富川は、怖い物知らずだね。おじさんはびっくりするわ」
ラウンジとは少し違う、囲いのような物で覆われた空間。
喫煙所に指定されている場所だ。
分煙がされているからか、煙や匂いは漂って来ない。
そんなところで、堂々と行き交う言葉たち。
今の話題の中心は…。
気付いてしまい、少しだけ憂鬱な気分がやって来た。
足を動かそうと意識し、ゆっくりと後ろに下がる。
「ごめんなさい」
聞こえてきた涼しい声。
「え?」
小さな手に引かれて、呼ばれたのは少し離れたラウンジだった。
「ま、座ってくださいな」
「えと」
「良いから、座って」
「はい」
「高田さん、あそこで何をしていたの?」
「あ、呟きに載せる何かを探して…」
私の返答に、ふっと笑った真澄さん。
私の手を引いてここに連れて来た先輩社員さんだ。
「先に、謝るね。男性陣の話は、本当に話を半分にして聞いてちょうだい」
「え?」
「さっきの話」
「…あ、あぁ。はい、大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょ」
「え?」
「“自分のこと”って気付いた時、すごく気まずい思いをしない?それを感じないってことは、心が疲れていること」
初めて、この人がこんなにたくさん喋る所を見た。
まだ3ヶ月なのに。
メンターでの聞き取りでも、こんなに話をしている所は見ていなかった。
「いえ、本当に…」
言われていることは、気にはならない…わけじゃないけれど、でも平気だった。多分。
要さんから、総務で話題になっていると聞いていたこともあり、私の話題も上がるだろうと自然と納得できた。
「もっときついことを、バイト中に言われたこともあるので、本当に平気です。ご心配、ありがとうございます」
「そう?なら、別に良いけれど。高田さんは、新人の中で一番言いたいことを言えない人だから。なのに、表情に出てしまうから、営業には向かないと思っていたの」
まっすぐこちらを見る、つぶらな瞳。
初めて、そんなことを言われた。
「自分では、隠しているつもり?でも、それは本当につもり」
そうかもしれない。
でも、それで広報課での空間を気まずくさせていたとしたら、私が悪いのは事実だ。
「友成さんに、そんな風に思わせてしまって、申し訳ないなって思います」
「今は良いよ。あの人は、人を怒らせたり、困らせたりして喜ぶ人」
「…そうなんですか?」
「友成さんの、座右の銘?本音で語らない人とは、言葉は交わせないって」
「…迷惑な人ですね」
私の言葉に、真澄さんは笑った。
「だからか、人のことを怒らせたりとか、困らせたりして、相手の反応を見るの。だから気にしないで良いってこと」
「あの、真澄さん」
「何?」
「私は、営業課では働けないってことですか?」
「それは、分からない」
「えぇ…?」
「私は、人事課じゃないし、人員配置に口を出せるほどの権利もない」
「そうでしたね、すみません。やっぱり動揺しているんでしょうね。すみません、変なことを聞いて」
「副社長に、直談判したら?」
「そう、ですね。でも、まずは公報できちんとお仕事をします」
「…そう。高田さん?」
「はい」
「私は、あなたのメンターだけど、アドバイザーじゃない」
「?…はい」
「だから、どこの課があなたに合っているとか、どう勤務したらいいのかとか、そういうことは言えない。和田の方がこういうのは得意だから」
「はぁ」
怖いと噂の和田女史か。
「でも、あなたが、無理をしていないか。嫌な思いをしていないかは、気にする権利がある」
「…はい」
「公報での時間、スキャンするのは面倒だった?」
「正直に言うと、はい」
「じゃあ、スキャンの仕事は嫌?」
「嫌ではないです。ただ…」
「ただ?」
「他の皆さんは、慌ただしそうに動いているのに、1人でデスクに座って、ひたすらスキャンしている自分って働いてなさすぎて何かいたたまれなくなるというか…」
言う私の言葉に、真澄さんが一瞬黙る。
「ねえ、高田さん?」
「はい」
「今ね、鷹村商事って、200周年を記念する節目があるから、それに向けて広報誌とか、過去の業績とかをきちんと年代別にまとめることとか、古い物を未来に遺そうって取り組んでいるの」
「はぁ…」
「あなたがしているスキャンって、今後何年、何十年、もう半永久的に、残すための作業なんだって、理解している?」
「…何となく」
「それは、立派なお仕事じゃないの?」
お仕事。
真澄さんのいう言葉が、そうなの?と自問自答を繰り返す。
「みんなは、今と未来のために働いているの」
「はい」
「でも、高田さんしか、今の公報でしっかりスキャン出来る人がいないのも事実」
「…はい」
「別に担当や係を持ってしまうと、継続してスキャンに取り組めなくなるから」
「…そうですね」
だから、毎日毎日繰り返して広報誌を読み込んでいるんだもの。
「あなたが、過去の広報誌を一手に担われていると言ったら分かる?」
「えぇ?そんな大袈裟な」
そんなことを言われると、急に不安になる。
「え?しっかりできているか、今更不安になりました。この半月、割とやっつけのようにやっていたので。どうしましょう、掠れて見えなくなっていたり、きちんと読み込んでいなかったら…」
「それは、平気でしょう?」
「え?」
「部長に何も言われていないんでしょう?」
「…はい」
先週会った時は、特に何も…。
進捗状況しか、確認されなかった。
「じゃあ、できているってことだから、問題はないはず」
「そうなんですね。…安心しました」
「光ちゃん、あ、高橋さんか…」
「…はい」
「公報のお仕事が、それはもう好きでね」
「…でしょうね」
あの様子はそうでしょう。
広報課で楽しいと、表情が言っている。
「公報に配属された新人さんが、公報に興味を持ってくれたら嬉しいって言っていたの」
「…すみません」
全く興味のない新人が来て。
「ううん、違うの。それでね、広報誌も歴史の1部だからって、時々眺めるのをすごく楽しみにしていて」
やってそう。
あの人は、何にでも興味を持つから。
「そんな矢先ね、副社長に直談判に言ったの」
「え?何をですか?」
「歴史の1部なのに、何で残さないのか?って博物館でも資料館でも作れたら良いのにって。じゃなかったら、公報誌だけでも資料として価値があるから、デジタル化をしましょうって…」
「そうしたら、部長もひどく感心したみたいで…。ひか…高橋さんが、古い物から、スキャンしてデータを残すように取り組み始めたの」
「…はぁ」
「だけどね、あの子途中で何度も止まってしまって…」
真澄さんの、思い出したような微かな笑み。
それは、間違いなく後輩を思う先輩の顔だった。
「思うように、進まなくて…ね。忙しいことで」
「みたいですね…」
「だから、あまり進まなくて…部長にSNS担当を返上したいって…」
「えぇ?」
馬鹿な。
公報誌のスキャンよりも、SNSじゃないの?
「部長は、今年からまた新人さんに持ち回りで良いから、戻そうかって話をしていたんだけど」
「…はい」
「副社長がね、担当は光ちゃんじゃないとダメだって」
真澄さんが諦めたのか、名前呼びで話を続けた。
そこまで副社長にお気に入りにされていたってこと?
「あ、高田さんも副社長の贔屓だって思った?」
「…はい、正直言えば、思いました」
「社内の、特に中堅社員はみんな納得したんだけどね?」
「何でですか?」
「高橋さんの呟きとか、写真ってすごく絶妙なんだって」
「絶妙?」
「そう、社食の人の出入りが少ないかもって時に社食の情報とか、みんな決算期で忙しい時にあと半日なら頑張れるっていうのとか、今日はバレンタインデーだから行きたくないって男性社員がいれば、『今日はイイ日』なんて、少しだけだけど、『そっか』って期待しない?」
確かに。
だから、みんな共感しやすかったんだ。
社員あるあるみたいな感じで…。
「誰に向けてとか、どこに向けて、じゃなくて…ね?光ちゃんは、自分が楽しくてそれをお裾分けしたいって、私はこうなんですよ、あなたはどうですか?って意味で呟いているようにも見えるし」
確かに。
「さっき、中堅以上って言ったでしょ?私達も少しだけやったんだけど、途中で飽きちゃったり、話題が無くなったり、変にかしこまったり…そういう意味でも、光ちゃんには敵わないなって…」
「思いました」
素直にそう口から出て来た。
「光ちゃんのあれは、もう天性的なものみたいだけど。もう最初から光ちゃんの投稿だけ、閲覧もグッドも多くてっていう統計が出ていてね…」
「調べたんですか?」
「その時に暇だった社員さんがね?そうしたら、副社長が社外の人にも良い宣伝になるし、商談の時の話題の1つになるからって、特権で光ちゃんになったの」
「そうだったんですね」
でも、私にもそれは真似できない。
だから、倉橋部長が言ったんだ。
私にできることをって。
「すごいですね…」
「でも、そんな光ちゃんの最近のお楽しみ、働く意欲というか励みになっているものって知っている?」
「…知りません」
アフターまで、一緒じゃないし。
そんな話題に、ならないし。
「光ちゃんは、高田さんがスキャンしたものを、データになった広報誌を熱心に見ているの」
「…えぇ?」
地味。
「高田さんは定時で割とすぐに上がるでしょ?その後は、光ちゃんの広報誌閲覧タイム」
「そう、なんですか?」
「高田さんが取り組んだお仕事を、すぐに結果として見ているんだよ?」
「…すごい、先輩ですね」
「ううん、すごくはないでしょ?自分のしたかったことを、やりたかったなぁって言いながら、居残っているんだから。早く帰れば良いのに。」
「それは…確かに」
何をしてるんだか、あの人は。
「ちなみに…」
「…はい」
「今日も、高田さんが落ち込んでいるんじゃないかって、心配したのは光ちゃんが最初…」
「え?」
「喫煙所に男性陣がいることを知っていたのか、高田さんが喫煙所の方に行ったから、もしかしたら会話を聞いちゃうって…私にラインして来たの」
どういうこと。
「もし、高田さんが聞いて、気分を悪くしたらごめんねだけど…」
真澄さんは、少し気まずそうだった。
「あ、平気です」
なので、こちらから先を促すように、会話を続ける。
「少し前から、友成さん。少しずつあなたに声をかけたり、構ったりしていなかった?」
「あぁ、少し前に…確かに」
あのラウンジで会った時辺りから、少しずつ声をかけられるようになっていた。
「そろそろ、友成さんの悪ふざけが始まるかもしれないって、気にしていて、ね?」
悪ふざけ?
「もし、あの場に高田さんがいて友成さんに気付かれたら、絶対に友成さんがひどいことを言うんじゃないかって、光ちゃんすごく焦っていたの。それで私に、高田さんの所に行ってくれませんか?って言われたから、私が来たってこと」
本当に、高橋さんて。
善良で…。
「馬鹿みたい」
思わず出てしまった。
高橋さんは、私をいたいけな女子と勘違いしているのだろう。
だけど、生憎私はそこまで弱くはないつもりだ。
「あ、すみません。真澄さんにも、お手数をおかけしてすみませんでした。大丈夫です、何なら洗礼をきちんと受けに行きます」
そういう儀式(?)があるなら、仕方ないけれど、やるしかない。
私の言葉に、真澄さんは少し笑った後に、付いてきてくれると言ってくれた。
結果。
「何で、友成先輩は、そういう嫌なことを言うんですか!?馬鹿なんですか?波風立たせて楽しいですか?人格破綻者!サイコパス!馬鹿!金欠!」
泣いている高橋さんと…。
「どれも事実だけに、否定のしようがないな」
飄々としているけれど、少し困ったような友成さん。
「後輩を泣かせて、楽しいですか?」
何だか黒い錦織君が、そこにはいた。
喫煙所に多少の人だかり。
戻った私に気付くと、高橋さんがまた泣き出した。
「高田さん!来ちゃだめです!この人は!ひどい人です!」
友成さんも私に気付いたけれど、その表情は喜んでいるようには見えなかった。
何この温度差。
ハンカチをびしょびしょに濡らしながら、私を庇おうとする年下の先輩。
「あぁ、高田が来たならもう良いでしょう」
錦織君はホッとしている。
何で?
「ケンカして良いんだって、東田課長が公認」
喫煙所にいたであろう、東田課長は私に気付くと少しだけ首を竦めた。
その表情は、少し面白がる節があった。
友成さんは、呆れたように溜め息を吐いていた。
「ゲーセン馬鹿!」
「光ちゃん、全然悪口になってないから…」
苦笑しながら、慰める錦織君。
確かに。
さっきも、金欠とか馬鹿とか。
子どものケンカか。
「友成さん、何かすみませんでした。不快な思いをさせていたようで」
儀式なら、仕方ないから巻き込まれよう。
そう、私から切り出す。
「ダメれす!高田さん」
まだ、いたんだ。この人。
さっき、すごいと尊敬したはずなのになぁ。
私の前に立つけれど、少し低い身長に下を見る感じになってしまった。
高橋さんに見上げられ、その表情に思わず笑う。
泣いている。
ものすごく。
私が傷つくと思って、必死に守ろうとしてくれている。
私が笑ったことで、高橋さんがきょとんとした。
騒ぐのは、こういう場所でも同じなんだな。
高橋さんの賑やかさは、ずっと続いていそう。
全然違うことを考える私。
友成さんに向き合う。
「それで、何を具体的に直せば良いでしょうか?」
公認と言うのなら、思い切りやりましょう。
初めてバイトに入った時のことを思い出した。
先輩のバイトさんに、私情の入った文句を言われた時のことがフラッシュバックした。
あれはあれで、面白かったなぁ。
…と、それは置いておいて。
「直せる部分は直すよう努力します。自分では分からないので…」
「それを聞くの?俺に?」
「ご不満があるのでしょうから?」
友成さんは、少しだけ不機嫌そうな表情になった。
過去の私でも思い出しているのだろうか。
「お前さ、もう少し楽しそうに仕事しろよ」
「と、言われましても仕事なので、楽しさは必要ないかと…」
「じゃあ、不満を顔に出すな」
「すみません。今後は気を付けます」
「営業に行けるよう、早く異動願を出せよ」
「とりあえずは、公報で勤務します」
「…は?」
私の言葉に、友成さんが文字通り言葉を失った。
「お前、営業に行きたかったんじゃないの?」
「えぇ、いずれは…」
「いずれ?すぐじゃなくて?」
「希望していても、それが通らないということは、それなりの理由があるでしょうし、仕方がないです。それでお給料をいただいているので」
「お前の方が、常識人みたいじゃんか」
友成さんの、少し冷静になった口調。
「…みたいじゃなくて、常識人ですね」
富川さんだった。
「は?口出しするなよ。富川」
「あ、すみません」
「で、公報を追い出されたら、仕方がないので働ける課で勤務します」
今回のことでお咎めがあったら、左遷でも仕方ないから受けるしかないし…。
「何だそれ」
友成さんは、納得していないようだった。
「何がです?」
「同期仲間とは、ペラペラ話す癖に、俺らとは話すことはないって?」
え?この人も子どもなの?
私が話をしないことが、そんなに重要?
「それは、確かに…。ですが、勤務中に時間を割いてまでする話は、私にはないです」
「はぁ?」
「そこまでして、したい話もないですし、聞いてほしいこともないです」
あ、聞きたいこともか…。
「何なんだよ!」
「何がですか?」
憤る友成さん。
「何がって、この場だよ。茶番じゃねえか」
「…そうですね」
一周回って馬鹿みたいに。
なので、傍観している先輩社員に、視線を移す。
「東田課長」
「ん?」
「折角、お立合いいただいたのに、すみません。ケンカするほどの材料はなかったみたです」
私の言葉に、東田課長は首を竦めて口の端を上げた。
「…みたいだね」
「友成さん、お互いに改まってする話でもないですし、馬鹿みたいですよ、この空間」
ついでにカオス。
泣いている高橋さん。
ものすごく不機嫌そうな錦織くん。
そして、間の抜けた友成さん。
「その通りみたいね」
きりっとした声は。
「沙菜先輩」
高橋さんの声が、もうカラカラだった。
どれだけ叫んだのかしら?
聞き覚えのある声に、息を止めてしまった。
歩いていた足も、自然と止まる。
「そうですかね?」
「お前は思わない?」
「や、特には…」
「富川は、欲がねぇな」
「それは、友成さんもね」
聞こえてきたのは、偶然だろう。
「折角、高橋で公報の賑やかさが増えたのに、今年度になって急にみんな息苦しくなってないか?」
「や、あんまり」
「お前は良いね、常に自分の世界だけで」
「何か、すみません」
「責めてねえだろ?ねぇ、小沢さん?」
「ん-、元々営業に行きたいってんだから、行かせてやれば良いのに。副社長も意地悪なことを…」
「でも、あんなんで営業に行ったって、1日で使い物にならないっすよね?東田課長?」
面白そうに、話題を振る人は友成さんだった。
喜んでいる口調に、少しの不安を覚える。
「んなことない」
「うわ、何も考えてない人の言い方っす」
「課長は、興味ないもんね人に」
「富川、言ってやるな。課長は和田姉貴のことしか考えてない」
「確かに、和田さんカワイイから」
「おま、マジでやめろっての!」
「本当に富川は、怖い物知らずだね。おじさんはびっくりするわ」
ラウンジとは少し違う、囲いのような物で覆われた空間。
喫煙所に指定されている場所だ。
分煙がされているからか、煙や匂いは漂って来ない。
そんなところで、堂々と行き交う言葉たち。
今の話題の中心は…。
気付いてしまい、少しだけ憂鬱な気分がやって来た。
足を動かそうと意識し、ゆっくりと後ろに下がる。
「ごめんなさい」
聞こえてきた涼しい声。
「え?」
小さな手に引かれて、呼ばれたのは少し離れたラウンジだった。
「ま、座ってくださいな」
「えと」
「良いから、座って」
「はい」
「高田さん、あそこで何をしていたの?」
「あ、呟きに載せる何かを探して…」
私の返答に、ふっと笑った真澄さん。
私の手を引いてここに連れて来た先輩社員さんだ。
「先に、謝るね。男性陣の話は、本当に話を半分にして聞いてちょうだい」
「え?」
「さっきの話」
「…あ、あぁ。はい、大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょ」
「え?」
「“自分のこと”って気付いた時、すごく気まずい思いをしない?それを感じないってことは、心が疲れていること」
初めて、この人がこんなにたくさん喋る所を見た。
まだ3ヶ月なのに。
メンターでの聞き取りでも、こんなに話をしている所は見ていなかった。
「いえ、本当に…」
言われていることは、気にはならない…わけじゃないけれど、でも平気だった。多分。
要さんから、総務で話題になっていると聞いていたこともあり、私の話題も上がるだろうと自然と納得できた。
「もっときついことを、バイト中に言われたこともあるので、本当に平気です。ご心配、ありがとうございます」
「そう?なら、別に良いけれど。高田さんは、新人の中で一番言いたいことを言えない人だから。なのに、表情に出てしまうから、営業には向かないと思っていたの」
まっすぐこちらを見る、つぶらな瞳。
初めて、そんなことを言われた。
「自分では、隠しているつもり?でも、それは本当につもり」
そうかもしれない。
でも、それで広報課での空間を気まずくさせていたとしたら、私が悪いのは事実だ。
「友成さんに、そんな風に思わせてしまって、申し訳ないなって思います」
「今は良いよ。あの人は、人を怒らせたり、困らせたりして喜ぶ人」
「…そうなんですか?」
「友成さんの、座右の銘?本音で語らない人とは、言葉は交わせないって」
「…迷惑な人ですね」
私の言葉に、真澄さんは笑った。
「だからか、人のことを怒らせたりとか、困らせたりして、相手の反応を見るの。だから気にしないで良いってこと」
「あの、真澄さん」
「何?」
「私は、営業課では働けないってことですか?」
「それは、分からない」
「えぇ…?」
「私は、人事課じゃないし、人員配置に口を出せるほどの権利もない」
「そうでしたね、すみません。やっぱり動揺しているんでしょうね。すみません、変なことを聞いて」
「副社長に、直談判したら?」
「そう、ですね。でも、まずは公報できちんとお仕事をします」
「…そう。高田さん?」
「はい」
「私は、あなたのメンターだけど、アドバイザーじゃない」
「?…はい」
「だから、どこの課があなたに合っているとか、どう勤務したらいいのかとか、そういうことは言えない。和田の方がこういうのは得意だから」
「はぁ」
怖いと噂の和田女史か。
「でも、あなたが、無理をしていないか。嫌な思いをしていないかは、気にする権利がある」
「…はい」
「公報での時間、スキャンするのは面倒だった?」
「正直に言うと、はい」
「じゃあ、スキャンの仕事は嫌?」
「嫌ではないです。ただ…」
「ただ?」
「他の皆さんは、慌ただしそうに動いているのに、1人でデスクに座って、ひたすらスキャンしている自分って働いてなさすぎて何かいたたまれなくなるというか…」
言う私の言葉に、真澄さんが一瞬黙る。
「ねえ、高田さん?」
「はい」
「今ね、鷹村商事って、200周年を記念する節目があるから、それに向けて広報誌とか、過去の業績とかをきちんと年代別にまとめることとか、古い物を未来に遺そうって取り組んでいるの」
「はぁ…」
「あなたがしているスキャンって、今後何年、何十年、もう半永久的に、残すための作業なんだって、理解している?」
「…何となく」
「それは、立派なお仕事じゃないの?」
お仕事。
真澄さんのいう言葉が、そうなの?と自問自答を繰り返す。
「みんなは、今と未来のために働いているの」
「はい」
「でも、高田さんしか、今の公報でしっかりスキャン出来る人がいないのも事実」
「…はい」
「別に担当や係を持ってしまうと、継続してスキャンに取り組めなくなるから」
「…そうですね」
だから、毎日毎日繰り返して広報誌を読み込んでいるんだもの。
「あなたが、過去の広報誌を一手に担われていると言ったら分かる?」
「えぇ?そんな大袈裟な」
そんなことを言われると、急に不安になる。
「え?しっかりできているか、今更不安になりました。この半月、割とやっつけのようにやっていたので。どうしましょう、掠れて見えなくなっていたり、きちんと読み込んでいなかったら…」
「それは、平気でしょう?」
「え?」
「部長に何も言われていないんでしょう?」
「…はい」
先週会った時は、特に何も…。
進捗状況しか、確認されなかった。
「じゃあ、できているってことだから、問題はないはず」
「そうなんですね。…安心しました」
「光ちゃん、あ、高橋さんか…」
「…はい」
「公報のお仕事が、それはもう好きでね」
「…でしょうね」
あの様子はそうでしょう。
広報課で楽しいと、表情が言っている。
「公報に配属された新人さんが、公報に興味を持ってくれたら嬉しいって言っていたの」
「…すみません」
全く興味のない新人が来て。
「ううん、違うの。それでね、広報誌も歴史の1部だからって、時々眺めるのをすごく楽しみにしていて」
やってそう。
あの人は、何にでも興味を持つから。
「そんな矢先ね、副社長に直談判に言ったの」
「え?何をですか?」
「歴史の1部なのに、何で残さないのか?って博物館でも資料館でも作れたら良いのにって。じゃなかったら、公報誌だけでも資料として価値があるから、デジタル化をしましょうって…」
「そうしたら、部長もひどく感心したみたいで…。ひか…高橋さんが、古い物から、スキャンしてデータを残すように取り組み始めたの」
「…はぁ」
「だけどね、あの子途中で何度も止まってしまって…」
真澄さんの、思い出したような微かな笑み。
それは、間違いなく後輩を思う先輩の顔だった。
「思うように、進まなくて…ね。忙しいことで」
「みたいですね…」
「だから、あまり進まなくて…部長にSNS担当を返上したいって…」
「えぇ?」
馬鹿な。
公報誌のスキャンよりも、SNSじゃないの?
「部長は、今年からまた新人さんに持ち回りで良いから、戻そうかって話をしていたんだけど」
「…はい」
「副社長がね、担当は光ちゃんじゃないとダメだって」
真澄さんが諦めたのか、名前呼びで話を続けた。
そこまで副社長にお気に入りにされていたってこと?
「あ、高田さんも副社長の贔屓だって思った?」
「…はい、正直言えば、思いました」
「社内の、特に中堅社員はみんな納得したんだけどね?」
「何でですか?」
「高橋さんの呟きとか、写真ってすごく絶妙なんだって」
「絶妙?」
「そう、社食の人の出入りが少ないかもって時に社食の情報とか、みんな決算期で忙しい時にあと半日なら頑張れるっていうのとか、今日はバレンタインデーだから行きたくないって男性社員がいれば、『今日はイイ日』なんて、少しだけだけど、『そっか』って期待しない?」
確かに。
だから、みんな共感しやすかったんだ。
社員あるあるみたいな感じで…。
「誰に向けてとか、どこに向けて、じゃなくて…ね?光ちゃんは、自分が楽しくてそれをお裾分けしたいって、私はこうなんですよ、あなたはどうですか?って意味で呟いているようにも見えるし」
確かに。
「さっき、中堅以上って言ったでしょ?私達も少しだけやったんだけど、途中で飽きちゃったり、話題が無くなったり、変にかしこまったり…そういう意味でも、光ちゃんには敵わないなって…」
「思いました」
素直にそう口から出て来た。
「光ちゃんのあれは、もう天性的なものみたいだけど。もう最初から光ちゃんの投稿だけ、閲覧もグッドも多くてっていう統計が出ていてね…」
「調べたんですか?」
「その時に暇だった社員さんがね?そうしたら、副社長が社外の人にも良い宣伝になるし、商談の時の話題の1つになるからって、特権で光ちゃんになったの」
「そうだったんですね」
でも、私にもそれは真似できない。
だから、倉橋部長が言ったんだ。
私にできることをって。
「すごいですね…」
「でも、そんな光ちゃんの最近のお楽しみ、働く意欲というか励みになっているものって知っている?」
「…知りません」
アフターまで、一緒じゃないし。
そんな話題に、ならないし。
「光ちゃんは、高田さんがスキャンしたものを、データになった広報誌を熱心に見ているの」
「…えぇ?」
地味。
「高田さんは定時で割とすぐに上がるでしょ?その後は、光ちゃんの広報誌閲覧タイム」
「そう、なんですか?」
「高田さんが取り組んだお仕事を、すぐに結果として見ているんだよ?」
「…すごい、先輩ですね」
「ううん、すごくはないでしょ?自分のしたかったことを、やりたかったなぁって言いながら、居残っているんだから。早く帰れば良いのに。」
「それは…確かに」
何をしてるんだか、あの人は。
「ちなみに…」
「…はい」
「今日も、高田さんが落ち込んでいるんじゃないかって、心配したのは光ちゃんが最初…」
「え?」
「喫煙所に男性陣がいることを知っていたのか、高田さんが喫煙所の方に行ったから、もしかしたら会話を聞いちゃうって…私にラインして来たの」
どういうこと。
「もし、高田さんが聞いて、気分を悪くしたらごめんねだけど…」
真澄さんは、少し気まずそうだった。
「あ、平気です」
なので、こちらから先を促すように、会話を続ける。
「少し前から、友成さん。少しずつあなたに声をかけたり、構ったりしていなかった?」
「あぁ、少し前に…確かに」
あのラウンジで会った時辺りから、少しずつ声をかけられるようになっていた。
「そろそろ、友成さんの悪ふざけが始まるかもしれないって、気にしていて、ね?」
悪ふざけ?
「もし、あの場に高田さんがいて友成さんに気付かれたら、絶対に友成さんがひどいことを言うんじゃないかって、光ちゃんすごく焦っていたの。それで私に、高田さんの所に行ってくれませんか?って言われたから、私が来たってこと」
本当に、高橋さんて。
善良で…。
「馬鹿みたい」
思わず出てしまった。
高橋さんは、私をいたいけな女子と勘違いしているのだろう。
だけど、生憎私はそこまで弱くはないつもりだ。
「あ、すみません。真澄さんにも、お手数をおかけしてすみませんでした。大丈夫です、何なら洗礼をきちんと受けに行きます」
そういう儀式(?)があるなら、仕方ないけれど、やるしかない。
私の言葉に、真澄さんは少し笑った後に、付いてきてくれると言ってくれた。
結果。
「何で、友成先輩は、そういう嫌なことを言うんですか!?馬鹿なんですか?波風立たせて楽しいですか?人格破綻者!サイコパス!馬鹿!金欠!」
泣いている高橋さんと…。
「どれも事実だけに、否定のしようがないな」
飄々としているけれど、少し困ったような友成さん。
「後輩を泣かせて、楽しいですか?」
何だか黒い錦織君が、そこにはいた。
喫煙所に多少の人だかり。
戻った私に気付くと、高橋さんがまた泣き出した。
「高田さん!来ちゃだめです!この人は!ひどい人です!」
友成さんも私に気付いたけれど、その表情は喜んでいるようには見えなかった。
何この温度差。
ハンカチをびしょびしょに濡らしながら、私を庇おうとする年下の先輩。
「あぁ、高田が来たならもう良いでしょう」
錦織君はホッとしている。
何で?
「ケンカして良いんだって、東田課長が公認」
喫煙所にいたであろう、東田課長は私に気付くと少しだけ首を竦めた。
その表情は、少し面白がる節があった。
友成さんは、呆れたように溜め息を吐いていた。
「ゲーセン馬鹿!」
「光ちゃん、全然悪口になってないから…」
苦笑しながら、慰める錦織君。
確かに。
さっきも、金欠とか馬鹿とか。
子どものケンカか。
「友成さん、何かすみませんでした。不快な思いをさせていたようで」
儀式なら、仕方ないから巻き込まれよう。
そう、私から切り出す。
「ダメれす!高田さん」
まだ、いたんだ。この人。
さっき、すごいと尊敬したはずなのになぁ。
私の前に立つけれど、少し低い身長に下を見る感じになってしまった。
高橋さんに見上げられ、その表情に思わず笑う。
泣いている。
ものすごく。
私が傷つくと思って、必死に守ろうとしてくれている。
私が笑ったことで、高橋さんがきょとんとした。
騒ぐのは、こういう場所でも同じなんだな。
高橋さんの賑やかさは、ずっと続いていそう。
全然違うことを考える私。
友成さんに向き合う。
「それで、何を具体的に直せば良いでしょうか?」
公認と言うのなら、思い切りやりましょう。
初めてバイトに入った時のことを思い出した。
先輩のバイトさんに、私情の入った文句を言われた時のことがフラッシュバックした。
あれはあれで、面白かったなぁ。
…と、それは置いておいて。
「直せる部分は直すよう努力します。自分では分からないので…」
「それを聞くの?俺に?」
「ご不満があるのでしょうから?」
友成さんは、少しだけ不機嫌そうな表情になった。
過去の私でも思い出しているのだろうか。
「お前さ、もう少し楽しそうに仕事しろよ」
「と、言われましても仕事なので、楽しさは必要ないかと…」
「じゃあ、不満を顔に出すな」
「すみません。今後は気を付けます」
「営業に行けるよう、早く異動願を出せよ」
「とりあえずは、公報で勤務します」
「…は?」
私の言葉に、友成さんが文字通り言葉を失った。
「お前、営業に行きたかったんじゃないの?」
「えぇ、いずれは…」
「いずれ?すぐじゃなくて?」
「希望していても、それが通らないということは、それなりの理由があるでしょうし、仕方がないです。それでお給料をいただいているので」
「お前の方が、常識人みたいじゃんか」
友成さんの、少し冷静になった口調。
「…みたいじゃなくて、常識人ですね」
富川さんだった。
「は?口出しするなよ。富川」
「あ、すみません」
「で、公報を追い出されたら、仕方がないので働ける課で勤務します」
今回のことでお咎めがあったら、左遷でも仕方ないから受けるしかないし…。
「何だそれ」
友成さんは、納得していないようだった。
「何がです?」
「同期仲間とは、ペラペラ話す癖に、俺らとは話すことはないって?」
え?この人も子どもなの?
私が話をしないことが、そんなに重要?
「それは、確かに…。ですが、勤務中に時間を割いてまでする話は、私にはないです」
「はぁ?」
「そこまでして、したい話もないですし、聞いてほしいこともないです」
あ、聞きたいこともか…。
「何なんだよ!」
「何がですか?」
憤る友成さん。
「何がって、この場だよ。茶番じゃねえか」
「…そうですね」
一周回って馬鹿みたいに。
なので、傍観している先輩社員に、視線を移す。
「東田課長」
「ん?」
「折角、お立合いいただいたのに、すみません。ケンカするほどの材料はなかったみたです」
私の言葉に、東田課長は首を竦めて口の端を上げた。
「…みたいだね」
「友成さん、お互いに改まってする話でもないですし、馬鹿みたいですよ、この空間」
ついでにカオス。
泣いている高橋さん。
ものすごく不機嫌そうな錦織くん。
そして、間の抜けた友成さん。
「その通りみたいね」
きりっとした声は。
「沙菜先輩」
高橋さんの声が、もうカラカラだった。
どれだけ叫んだのかしら?
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