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それは、何で?
つまり?
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金曜日、出勤してすぐに副社長から呼び出しがあった。
「出勤したばかりでごめんね」
優しい言葉なのに、言い方は優しくない。
「いえ、とんでもないです」
表情は笑っているけれど、本心ではない。
そんな印象。
この鷹村商事の副社長、鷹村 誠
私は特に怖くはないけれど、怖がっている人がいるのも事実。
名は体を表すと言うけれど、本当に誠実さがあるような人物だと思う。
まだ3ヶ月しかいないけれど…。
この会社の跡取り息子のようだけれど、いかにも“権力”という印象はない。
逆に、倉橋部長の方が権力をもっていそうな感じがする。
「岡吉さんから報告があったんだけど、SNS担当を経験してみたいって本当?」
「はい」
経験ではなく、実際に担当をしたいと思っている。
だけど、社会ではいきなりその担当になることはないときちんと弁えている。
だから素直に返事をする。
「まだ、7月だよ?補助外れたばかりで、大変にならない?」
「大丈夫です」
「そう」
口調は軽い。
だけど、視線は外さない。
コンコン。
その時、ノック音がした。
「どうぞ」
誰だろうと思っていたら、倉橋部長だった。
この会社で、常に忙しそうにしている女性。
「失礼します。遅れてすみません」
「あぁ、沙菜さん、忙しいのにごめんね?時間通りだから、何も問題ないよ」
「いえ、決めることは早めに話した方が良いので」
はきはきとした口調。
母よりも少し上だろうか、きりっとした表情は大先輩だと素直に納得する。
「おはようございます」
緊張はしているけれど、そこでおどおどするのはよくない。
間違っても、高橋さんのように愛想笑いなどしない。
笑ってごまかすのは、人間として間違っている。
「おはよう。広報の高田さんね」
「はい、高田です」
「光ちゃんと高がおなじだね」
副社長の言葉に、何と返事をしたら良いものか…。
「副社長、本題に」
サラッと流す倉橋部長。
聞かなかったことにして、副社長を見る。
「じゃあ、興味もあるということで、高田 柚さん。来週から、呟きでの体験をお願いしても良いでしょうか?」
「…はい!よろしくお願いします」
副社長からの宣言があり、話は以上という雰囲気の副社長。
それを確認した上で、倉橋部長が「では」と切り出した。
「体験する上で、心配なこととか疑問なことはあるかしら?」
倉橋部長の言葉に、特に思い浮かばない。
「分かっていると思うけれど、“会社用の”ということを念頭に置いて行動するように」
「はい!」
「ちなみに、この3ヶ月高橋さんの呟きは参照したかしら?」
「…あ、はい。参照?」
しまった、気を抜いて「あ」と言ってしまった。
「あぁ、良いのよ。楽にしてちょうだい。一応遡れば、もっと前の先輩たちのものも見れるけれど…」
「採用前から、拝見させていただきました」
去年の分は。
それでも、その頃は、もう高橋さんの担当になるのか。
「全部とは言わないですが、興味のあったものは…はい」
「そうね。とりあえず、来週から今月いっぱいまで、体験期間としましょう。3週間ね」
「はい」
「高橋さんのようにとは言わないので、高田さんなりの呟きを期待しています」
「はい」
ここで、高橋さんなら「頑張ります!」とか言うのだろう。
うすら寒い。
私は、別に熱血キャラでも、頑張ってますアピールもするつもりはない。
だからか、副社長が「おや?」という顔をしたのを見逃さなかった。
「すみません、可愛げのない新人で…」
「いやいや、そんなことは思っていないよ?ただ、同じ広報と言っても、タイプが全く違うんだなと思ったら面白いね」
「…本当は、営業に行きたかったんですものね?」
倉橋部長の言葉に、一瞬止まる。
それを強く願ったら、何かが変わるのだろうか?
「そうですね、でも仕方がないことです」
だけど、私は一応社会人になったんだ。
その位の分別はつけるわ。
私の返事は当然という雰囲気で、倉橋部長が頷いた。
「じゃあ、分からないことは、高橋さんに聞いてちょうだい」
「…はい」
納得がいかないけれど、仕方がない。
「もし、途中で負担が大きいようだったら、高橋さんに戻すので」
部長の言葉は、私がお役御免になったら、と聞こえた。
「沙菜さん、そんな言い方は…」
「でも、実際に広報誌のデジタル化と、公報の担当…はまだないとしても、補助はあるでしょうし、その中で業務が増えるのは細々と影響してくるので…」
「確かにそうだけど。高田さん、気を悪くしないでね」
「はい、大丈夫です」
「では、業務に戻ってください」
「はい、失礼しました」
2人を前にすると、会話に口は挟めない。
怖くはなかったけれど、流石に緊張はした。
副社長室から出て、一呼吸。
でも。
「私が、呟き担当…」
小さく声に出し、思わずふふと笑ってしまった。
その日の業務も、滞りなく出来た。
自分の中で、何を呟こうかあれこれ浮かぶ。
でも、はたと止まる。
「1日に何度も呟くのは、流石に違和感よね?」
高橋さんのペースは、本当にのんびりだった。
これが、来週から毎日のように更新したら流石に社員もどうしたんだって思うのだろう。
社外で見てくれている人も。
なら、2日に1度くらい?
それでも早い?
新しいことで、自分の頭の中が少し浮かれているのが分かった。
「えー、錦織さん!それは違いますって!」
「そんなことないと思うんだけど」
「こっちの方が、断然合ってますよ」
「合わせてみたら、意外にこっちの方がしっくりくると思う」
だからか、今日は見えない目の前でいちゃいちゃされても全然気にならなかった。
昼食時も、田中さんが合流する最後の日だというのに、それどころではなくなっていた。
田中さんの意志で、1人でお弁当になるのならそれはそれで良いのだろう。
この時はもう、そう思っていたから。
「早速、お弁当箱とか可愛いの買っちゃった」
田中さんは、マイペースだった。
「それで、お金が貯まらないんじゃないの?」
「言うねー、でもそういうこと」
私の言葉にも、田中さんは気にしないように笑っていた。
「でも、雑貨とかって見ているときりがないよね?」
要さんのマイペースな発言。
「そうかもね。でも、それで毎回買っていたら、それこそキリがないでしょ?」
「高田さんてば、今日は良いことあったの?」
急な要さんの言葉に、はたと気付く。
「え?何で?」
「だって、今日機嫌良いじゃん」
「え?そう」
如月さんの言葉にも、曖昧に頷いた。
「だって、高田さんが先輩の文句言わないのは、そういうことじゃないの?」
とどめのように田中さんの言葉。
え?私っていつも、そんなに機嫌悪かった?
「ごめん、何かおかしかった?」
とりあえず謝る。
田中さんが、ふっと笑った。
「いや、別に」
黙っていようかと思ったけれど、ここで言わないのも変かと思い、呟き担当になったことを伝える。
体験中というのは、言っても言わなくても変わらないだろう。
このまま体験を経て、私の担当になるのだから。
如月さんのおかげとも言えることを、きちんと添える。
「いや、たまたまね。高田さんからそんな話があったし、公報にいた岡吉主任なら賛同してくれるんじゃないかって思っただけ」
「え、でもありがとう。広報で暇過ぎてどうしようかと思ってたからさ、やること増えて嬉しい」
「忙しくなったら、他人の文句も出ないし??ってこと」
田中さんの言葉に、そうかもしれないと思った。
「私って、意外と単純だったみたいね」
肯定すると、田中さんは驚いた顔をした。
「え、意外。高田さんて素直になることもあるんだ?」
どういうこと?
「ま、確かにひねくれているけど、同期でいる時くらい良いじゃん」
気くらい抜かせてよ。
「でも、総務で高田さんが心配されてたよ?」
要さんの言葉に、首を傾げる。
「え?何で?」
逆に、こっちが驚く。
「うちらの中では、そうでもないと思っていたけど。広報じゃ、お喋りとかしないんだって?」
何でそんなことを…。
そう思ったけれど、いたわ。
広報にも動くスピーカーが…。
「あぁ、高橋さん?だって、公報で何を話せと?仕事はないし、共通の話題もなし、それは、心配されるのは別に嫌じゃないけれど…。でも、だからって気を遣って話しても、お互いに気まずいじゃない?」
「公報って、割と賑やかなイメージなんだけど、ね?」
要さんの言葉に、首を傾げる。
「あー、高橋さんがいると結構賑やかかも」
「そうなんだ?私は、高橋さんって社食か、錦織君といるところしか見ないからなぁ」
「え、結構な音量よ?」
如月さんが得たように、うんうんと頷いた。
「耳に入りやすい声っていうのかな?」
如月さんなりのフォローのように感じた。
「目の前で色々と言われると…。それこそ3ヶ月でもう慣れたわ」
「え?他の人は?」
「友成さんも高橋さんがいると賑やか、あとは富川さんと小沢さんはすごく静かだよ。友成さんも、基本静かだし」
「え?公報って、高橋さんだけの煩さなの?」
「待って、煩いとは一言も言ってないからね?私、やめてよ」
田中さんの言葉に被せて一応言っておく。
誰が聞いているか分からないのに、そんなこと言われたら嫌だ。
「あ、やべ。そういう意味じゃなくて…」
「巻き込まないでよね」
田中さんの悪気のない言葉に、少し呆れる。
「もう、2人ともやめてよ?折角週末の、それも4人で揃って最後かもしれないご飯なのに」
如月さんの言葉に、2人で顔を見合わせて苦笑する。
「別に、一緒に食べたくなったらすぐに合流するでしょ?」
「そうね、そうするわ」
私の言葉に、田中さんも同意した。
「みんなで、お弁当の日とか合わせる?」
要さんの、どこかおっとりとした言葉に今度は私がぎょっとした。
「え?私は無理。お料理苦手だもの」
私の言葉に、今度は田中さんがニヤッとする。
「月1くらいで、お弁当見せ合いっこする?」
「しないわよ」
こういうのも悪くない。
同期で固まって、お互いに遠慮しないで会話をするのも。
来週からも、こんなペースで過ごせれば良いのになぁ。
週末にのんびりして、来週から気合を入れて仕事をしよう。
そう、ぼんやりと考えていた。
迎えた月曜日、回覧メールでとりあえずの体験で私が呟きをすることになったとお知らせが入っていた。
私のことなのに、回覧メールで周知されるのって不思議な感じ。
一括で送信されるから、仕方ないんだと思うけれど…。
「おはようございます、高田さんありがとうございます!よろしくお願いします」
朝から運動部かという元気さで、高橋さんがそう声をかけてきた。
別に貴女に頼まれたからではないと思いつつも、とりあえず私もお辞儀する。
「何かありましたら、ご助言をお願いします」
立てますよ。
年下でも、一応先輩なので、ね?
「そんな!高田さんの方がしっかりしているので、私が言うことなんて全然!」
“全然”の使い方。
言ったなら、「ない」できちんと終われば良いのに。
こういうとこでも、私はきっと向いていない。
高橋さんみたいな人とは、根本的に合っていないのだろう。
だから、可愛がられない。
それは、自分でも重々理解している。
でも、社会人なので、しっかりと割り切りますよ。
苦手な人とでも、ちゃんと線を引いて接します。
「あ、じゃあよろしくお願いします」
私から交流を終了し、今日のスキャンを開始する。
ペースは特に乱れていない。
しかし、途中で主任から声がかかった。
「はい、何でしょうか?」
「SNSの方は大丈夫そうか?」
今、その話題?
手を止めてまで、しなきゃいけない会話かしら?
少し、イラっとした。
出勤して、2時間くらいでもうイラっとしている。
おかしい。
何なら、まだ呟いていないのに。
それを見て心配されるとか、私が何か困っていて言うのならまだしも…。
「はい、大丈夫です」
「今日からだというが、そんなに張り切ってやらなくても良いから」
重ねてイラっとするな。
「できる範囲内でやりますので、ご心配ありがとうございます。用件が以上でしたら、戻っても良いでしょうか?」
「あ、あぁ。広報誌の〆切は2週間先だから、それに間に合うように他のヘルプを頼む」
「分かりました」
先月、他職員から頼まれた仕事を思い出し、私がした仕事量の少なさに思わず笑ってしまった。
できないとでも?
スキャンしか、基本的にやることはない。
時々インタビュー記事の誤字や脱字探し、新商品の詳細を確認しに他の課にメールをしたり、お遣いで時々頼まれた課にお届け物に行くくらいだった。
それに、呟きが増えたところで何が変わるわけでもないのに。
先輩職員に頼まれたことは、基本全てやっても全然平気だ。
なら、広報誌の1部でも任せてほしい。
錦織君のように。
その時は、本当に思っていた。
できるんだと信じていた。
自分で、できないわけがないと思い込んでいた。
なのに、思いの外うまくいかないことが増えた。
まず、呟き。
あんなに、朝から就業時間までの間で何を呟こうかと思っていたのに。
月曜日と火曜日は、投稿するに至らなかった。
そして、幸せ便の企画が通りそうだという回覧が来たので、『もうすぐ、嬉しいお知らせがあるかもしれません?』なんて呟いてみたものの、それが形になることがなく、逆に謎の呟きになってしまったらしい。
私にしてみたら、会社のことを呟いているのだから、そのつもりでいたのに…。
行く先で、「あれってどういうこと?」と聞かれる数が増えると、その度に「あ、新しい企画のことで…」と説明するしかなくなった。
そうじゃなくても、呟きは私が担当しているとなって、社員からどう見られているか少し気になってしまったら、何だかそわそわしている自分がいた。
家で、そんなことを思わず言ってしまった。
妹には「自意識過剰」と切り捨てられ、母には「やめておいた方が良いんじゃ」なんて止められた。
馬鹿にしないでほしい。
高橋さんができていたことなのに、結局私はそれ以下の結果しか出せなかった。
木曜日と金曜日は、細かいヘルプが多く気が付いたら就業時間を迎えていた。
つまり、今週はあの謎の呟きが1つ。
取り戻そうと思っても、何を書けば良いのか、どれを載せたら正解なのか良くわからなくなってしまった。
迎えた休日の土曜日、ベッドで横になりながら会社の呟きを覗く。
『今日は、イイ天気ですね』。
春の日の、高橋さんの呟き。
『社食には常に良い香りが。おなかすいた…』
日常の、高橋さんの呟き。
『こんな商品あったら嬉しいですよね?』
新しい商品のお知らせを知らせる、高橋さんの呟き。
『温かすぎて、眠たい…(居眠り禁止!)』
昼食後の、高橋さんの呟き。
『今日は、頑張れそう』
何気ない、金曜日の高橋さんの呟き。
いくつも、いくつも、高橋さんは誰に呟いているのか不明な中、常にそこそこの閲覧数と、そこそこの良いね。
良いねはつかないことだって多い。
だけど、その時に見た職員さんが共感を感じたり、ふとした時に会社へ意識が向くように、この呟きは存在している。
そのことに気付いた。
相手は、誰でも良い。
だけど伝えたいことと、呟きはイコールではない。
そう考えたら、悔しいけれど高橋さんのすごさを認めるしかなかった。
私ができると思っていたことだけど、今の私にはできない。
どうやってもできない。
短い文章の中で、表せる術がないことに気付いてしまった。
何をどうやっても、ここから巻き返すのは無理だ。
潔く「私には無理でした」と言いに行くのも手。
副社長と、部長は多分受け入れてくれるだろう。
あくまで「体験」なのだから。
だけど、「できるだけ足掻きたい」そう思う私がいるのも事実。
まだ1週間しか経っていない。
もっと、他のことを呟いてみたい。
社員さんがどう思うのか、ではなく自分で判断してそう思った。
そうだ、まだあと2週間ある。
だから、声がかかるまではやってみよう。
あの部長なら私では無理だと判断したら、途中でもきっと止めに来るだろう。
そう考えると、少し気分が浮上した。
「出勤したばかりでごめんね」
優しい言葉なのに、言い方は優しくない。
「いえ、とんでもないです」
表情は笑っているけれど、本心ではない。
そんな印象。
この鷹村商事の副社長、鷹村 誠
私は特に怖くはないけれど、怖がっている人がいるのも事実。
名は体を表すと言うけれど、本当に誠実さがあるような人物だと思う。
まだ3ヶ月しかいないけれど…。
この会社の跡取り息子のようだけれど、いかにも“権力”という印象はない。
逆に、倉橋部長の方が権力をもっていそうな感じがする。
「岡吉さんから報告があったんだけど、SNS担当を経験してみたいって本当?」
「はい」
経験ではなく、実際に担当をしたいと思っている。
だけど、社会ではいきなりその担当になることはないときちんと弁えている。
だから素直に返事をする。
「まだ、7月だよ?補助外れたばかりで、大変にならない?」
「大丈夫です」
「そう」
口調は軽い。
だけど、視線は外さない。
コンコン。
その時、ノック音がした。
「どうぞ」
誰だろうと思っていたら、倉橋部長だった。
この会社で、常に忙しそうにしている女性。
「失礼します。遅れてすみません」
「あぁ、沙菜さん、忙しいのにごめんね?時間通りだから、何も問題ないよ」
「いえ、決めることは早めに話した方が良いので」
はきはきとした口調。
母よりも少し上だろうか、きりっとした表情は大先輩だと素直に納得する。
「おはようございます」
緊張はしているけれど、そこでおどおどするのはよくない。
間違っても、高橋さんのように愛想笑いなどしない。
笑ってごまかすのは、人間として間違っている。
「おはよう。広報の高田さんね」
「はい、高田です」
「光ちゃんと高がおなじだね」
副社長の言葉に、何と返事をしたら良いものか…。
「副社長、本題に」
サラッと流す倉橋部長。
聞かなかったことにして、副社長を見る。
「じゃあ、興味もあるということで、高田 柚さん。来週から、呟きでの体験をお願いしても良いでしょうか?」
「…はい!よろしくお願いします」
副社長からの宣言があり、話は以上という雰囲気の副社長。
それを確認した上で、倉橋部長が「では」と切り出した。
「体験する上で、心配なこととか疑問なことはあるかしら?」
倉橋部長の言葉に、特に思い浮かばない。
「分かっていると思うけれど、“会社用の”ということを念頭に置いて行動するように」
「はい!」
「ちなみに、この3ヶ月高橋さんの呟きは参照したかしら?」
「…あ、はい。参照?」
しまった、気を抜いて「あ」と言ってしまった。
「あぁ、良いのよ。楽にしてちょうだい。一応遡れば、もっと前の先輩たちのものも見れるけれど…」
「採用前から、拝見させていただきました」
去年の分は。
それでも、その頃は、もう高橋さんの担当になるのか。
「全部とは言わないですが、興味のあったものは…はい」
「そうね。とりあえず、来週から今月いっぱいまで、体験期間としましょう。3週間ね」
「はい」
「高橋さんのようにとは言わないので、高田さんなりの呟きを期待しています」
「はい」
ここで、高橋さんなら「頑張ります!」とか言うのだろう。
うすら寒い。
私は、別に熱血キャラでも、頑張ってますアピールもするつもりはない。
だからか、副社長が「おや?」という顔をしたのを見逃さなかった。
「すみません、可愛げのない新人で…」
「いやいや、そんなことは思っていないよ?ただ、同じ広報と言っても、タイプが全く違うんだなと思ったら面白いね」
「…本当は、営業に行きたかったんですものね?」
倉橋部長の言葉に、一瞬止まる。
それを強く願ったら、何かが変わるのだろうか?
「そうですね、でも仕方がないことです」
だけど、私は一応社会人になったんだ。
その位の分別はつけるわ。
私の返事は当然という雰囲気で、倉橋部長が頷いた。
「じゃあ、分からないことは、高橋さんに聞いてちょうだい」
「…はい」
納得がいかないけれど、仕方がない。
「もし、途中で負担が大きいようだったら、高橋さんに戻すので」
部長の言葉は、私がお役御免になったら、と聞こえた。
「沙菜さん、そんな言い方は…」
「でも、実際に広報誌のデジタル化と、公報の担当…はまだないとしても、補助はあるでしょうし、その中で業務が増えるのは細々と影響してくるので…」
「確かにそうだけど。高田さん、気を悪くしないでね」
「はい、大丈夫です」
「では、業務に戻ってください」
「はい、失礼しました」
2人を前にすると、会話に口は挟めない。
怖くはなかったけれど、流石に緊張はした。
副社長室から出て、一呼吸。
でも。
「私が、呟き担当…」
小さく声に出し、思わずふふと笑ってしまった。
その日の業務も、滞りなく出来た。
自分の中で、何を呟こうかあれこれ浮かぶ。
でも、はたと止まる。
「1日に何度も呟くのは、流石に違和感よね?」
高橋さんのペースは、本当にのんびりだった。
これが、来週から毎日のように更新したら流石に社員もどうしたんだって思うのだろう。
社外で見てくれている人も。
なら、2日に1度くらい?
それでも早い?
新しいことで、自分の頭の中が少し浮かれているのが分かった。
「えー、錦織さん!それは違いますって!」
「そんなことないと思うんだけど」
「こっちの方が、断然合ってますよ」
「合わせてみたら、意外にこっちの方がしっくりくると思う」
だからか、今日は見えない目の前でいちゃいちゃされても全然気にならなかった。
昼食時も、田中さんが合流する最後の日だというのに、それどころではなくなっていた。
田中さんの意志で、1人でお弁当になるのならそれはそれで良いのだろう。
この時はもう、そう思っていたから。
「早速、お弁当箱とか可愛いの買っちゃった」
田中さんは、マイペースだった。
「それで、お金が貯まらないんじゃないの?」
「言うねー、でもそういうこと」
私の言葉にも、田中さんは気にしないように笑っていた。
「でも、雑貨とかって見ているときりがないよね?」
要さんのマイペースな発言。
「そうかもね。でも、それで毎回買っていたら、それこそキリがないでしょ?」
「高田さんてば、今日は良いことあったの?」
急な要さんの言葉に、はたと気付く。
「え?何で?」
「だって、今日機嫌良いじゃん」
「え?そう」
如月さんの言葉にも、曖昧に頷いた。
「だって、高田さんが先輩の文句言わないのは、そういうことじゃないの?」
とどめのように田中さんの言葉。
え?私っていつも、そんなに機嫌悪かった?
「ごめん、何かおかしかった?」
とりあえず謝る。
田中さんが、ふっと笑った。
「いや、別に」
黙っていようかと思ったけれど、ここで言わないのも変かと思い、呟き担当になったことを伝える。
体験中というのは、言っても言わなくても変わらないだろう。
このまま体験を経て、私の担当になるのだから。
如月さんのおかげとも言えることを、きちんと添える。
「いや、たまたまね。高田さんからそんな話があったし、公報にいた岡吉主任なら賛同してくれるんじゃないかって思っただけ」
「え、でもありがとう。広報で暇過ぎてどうしようかと思ってたからさ、やること増えて嬉しい」
「忙しくなったら、他人の文句も出ないし??ってこと」
田中さんの言葉に、そうかもしれないと思った。
「私って、意外と単純だったみたいね」
肯定すると、田中さんは驚いた顔をした。
「え、意外。高田さんて素直になることもあるんだ?」
どういうこと?
「ま、確かにひねくれているけど、同期でいる時くらい良いじゃん」
気くらい抜かせてよ。
「でも、総務で高田さんが心配されてたよ?」
要さんの言葉に、首を傾げる。
「え?何で?」
逆に、こっちが驚く。
「うちらの中では、そうでもないと思っていたけど。広報じゃ、お喋りとかしないんだって?」
何でそんなことを…。
そう思ったけれど、いたわ。
広報にも動くスピーカーが…。
「あぁ、高橋さん?だって、公報で何を話せと?仕事はないし、共通の話題もなし、それは、心配されるのは別に嫌じゃないけれど…。でも、だからって気を遣って話しても、お互いに気まずいじゃない?」
「公報って、割と賑やかなイメージなんだけど、ね?」
要さんの言葉に、首を傾げる。
「あー、高橋さんがいると結構賑やかかも」
「そうなんだ?私は、高橋さんって社食か、錦織君といるところしか見ないからなぁ」
「え、結構な音量よ?」
如月さんが得たように、うんうんと頷いた。
「耳に入りやすい声っていうのかな?」
如月さんなりのフォローのように感じた。
「目の前で色々と言われると…。それこそ3ヶ月でもう慣れたわ」
「え?他の人は?」
「友成さんも高橋さんがいると賑やか、あとは富川さんと小沢さんはすごく静かだよ。友成さんも、基本静かだし」
「え?公報って、高橋さんだけの煩さなの?」
「待って、煩いとは一言も言ってないからね?私、やめてよ」
田中さんの言葉に被せて一応言っておく。
誰が聞いているか分からないのに、そんなこと言われたら嫌だ。
「あ、やべ。そういう意味じゃなくて…」
「巻き込まないでよね」
田中さんの悪気のない言葉に、少し呆れる。
「もう、2人ともやめてよ?折角週末の、それも4人で揃って最後かもしれないご飯なのに」
如月さんの言葉に、2人で顔を見合わせて苦笑する。
「別に、一緒に食べたくなったらすぐに合流するでしょ?」
「そうね、そうするわ」
私の言葉に、田中さんも同意した。
「みんなで、お弁当の日とか合わせる?」
要さんの、どこかおっとりとした言葉に今度は私がぎょっとした。
「え?私は無理。お料理苦手だもの」
私の言葉に、今度は田中さんがニヤッとする。
「月1くらいで、お弁当見せ合いっこする?」
「しないわよ」
こういうのも悪くない。
同期で固まって、お互いに遠慮しないで会話をするのも。
来週からも、こんなペースで過ごせれば良いのになぁ。
週末にのんびりして、来週から気合を入れて仕事をしよう。
そう、ぼんやりと考えていた。
迎えた月曜日、回覧メールでとりあえずの体験で私が呟きをすることになったとお知らせが入っていた。
私のことなのに、回覧メールで周知されるのって不思議な感じ。
一括で送信されるから、仕方ないんだと思うけれど…。
「おはようございます、高田さんありがとうございます!よろしくお願いします」
朝から運動部かという元気さで、高橋さんがそう声をかけてきた。
別に貴女に頼まれたからではないと思いつつも、とりあえず私もお辞儀する。
「何かありましたら、ご助言をお願いします」
立てますよ。
年下でも、一応先輩なので、ね?
「そんな!高田さんの方がしっかりしているので、私が言うことなんて全然!」
“全然”の使い方。
言ったなら、「ない」できちんと終われば良いのに。
こういうとこでも、私はきっと向いていない。
高橋さんみたいな人とは、根本的に合っていないのだろう。
だから、可愛がられない。
それは、自分でも重々理解している。
でも、社会人なので、しっかりと割り切りますよ。
苦手な人とでも、ちゃんと線を引いて接します。
「あ、じゃあよろしくお願いします」
私から交流を終了し、今日のスキャンを開始する。
ペースは特に乱れていない。
しかし、途中で主任から声がかかった。
「はい、何でしょうか?」
「SNSの方は大丈夫そうか?」
今、その話題?
手を止めてまで、しなきゃいけない会話かしら?
少し、イラっとした。
出勤して、2時間くらいでもうイラっとしている。
おかしい。
何なら、まだ呟いていないのに。
それを見て心配されるとか、私が何か困っていて言うのならまだしも…。
「はい、大丈夫です」
「今日からだというが、そんなに張り切ってやらなくても良いから」
重ねてイラっとするな。
「できる範囲内でやりますので、ご心配ありがとうございます。用件が以上でしたら、戻っても良いでしょうか?」
「あ、あぁ。広報誌の〆切は2週間先だから、それに間に合うように他のヘルプを頼む」
「分かりました」
先月、他職員から頼まれた仕事を思い出し、私がした仕事量の少なさに思わず笑ってしまった。
できないとでも?
スキャンしか、基本的にやることはない。
時々インタビュー記事の誤字や脱字探し、新商品の詳細を確認しに他の課にメールをしたり、お遣いで時々頼まれた課にお届け物に行くくらいだった。
それに、呟きが増えたところで何が変わるわけでもないのに。
先輩職員に頼まれたことは、基本全てやっても全然平気だ。
なら、広報誌の1部でも任せてほしい。
錦織君のように。
その時は、本当に思っていた。
できるんだと信じていた。
自分で、できないわけがないと思い込んでいた。
なのに、思いの外うまくいかないことが増えた。
まず、呟き。
あんなに、朝から就業時間までの間で何を呟こうかと思っていたのに。
月曜日と火曜日は、投稿するに至らなかった。
そして、幸せ便の企画が通りそうだという回覧が来たので、『もうすぐ、嬉しいお知らせがあるかもしれません?』なんて呟いてみたものの、それが形になることがなく、逆に謎の呟きになってしまったらしい。
私にしてみたら、会社のことを呟いているのだから、そのつもりでいたのに…。
行く先で、「あれってどういうこと?」と聞かれる数が増えると、その度に「あ、新しい企画のことで…」と説明するしかなくなった。
そうじゃなくても、呟きは私が担当しているとなって、社員からどう見られているか少し気になってしまったら、何だかそわそわしている自分がいた。
家で、そんなことを思わず言ってしまった。
妹には「自意識過剰」と切り捨てられ、母には「やめておいた方が良いんじゃ」なんて止められた。
馬鹿にしないでほしい。
高橋さんができていたことなのに、結局私はそれ以下の結果しか出せなかった。
木曜日と金曜日は、細かいヘルプが多く気が付いたら就業時間を迎えていた。
つまり、今週はあの謎の呟きが1つ。
取り戻そうと思っても、何を書けば良いのか、どれを載せたら正解なのか良くわからなくなってしまった。
迎えた休日の土曜日、ベッドで横になりながら会社の呟きを覗く。
『今日は、イイ天気ですね』。
春の日の、高橋さんの呟き。
『社食には常に良い香りが。おなかすいた…』
日常の、高橋さんの呟き。
『こんな商品あったら嬉しいですよね?』
新しい商品のお知らせを知らせる、高橋さんの呟き。
『温かすぎて、眠たい…(居眠り禁止!)』
昼食後の、高橋さんの呟き。
『今日は、頑張れそう』
何気ない、金曜日の高橋さんの呟き。
いくつも、いくつも、高橋さんは誰に呟いているのか不明な中、常にそこそこの閲覧数と、そこそこの良いね。
良いねはつかないことだって多い。
だけど、その時に見た職員さんが共感を感じたり、ふとした時に会社へ意識が向くように、この呟きは存在している。
そのことに気付いた。
相手は、誰でも良い。
だけど伝えたいことと、呟きはイコールではない。
そう考えたら、悔しいけれど高橋さんのすごさを認めるしかなかった。
私ができると思っていたことだけど、今の私にはできない。
どうやってもできない。
短い文章の中で、表せる術がないことに気付いてしまった。
何をどうやっても、ここから巻き返すのは無理だ。
潔く「私には無理でした」と言いに行くのも手。
副社長と、部長は多分受け入れてくれるだろう。
あくまで「体験」なのだから。
だけど、「できるだけ足掻きたい」そう思う私がいるのも事実。
まだ1週間しか経っていない。
もっと、他のことを呟いてみたい。
社員さんがどう思うのか、ではなく自分で判断してそう思った。
そうだ、まだあと2週間ある。
だから、声がかかるまではやってみよう。
あの部長なら私では無理だと判断したら、途中でもきっと止めに来るだろう。
そう考えると、少し気分が浮上した。
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