鷹村商事の恋模様

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それこそ

どんなことでも

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心から涙を流しながらも、私たちの関係は数年続いた。
鍋さんは私のことを大事にしてくれたし、私も彼のことを大事にしていた。
変わらず、彼と過ごす時間が私に幸福と寂しさを運んでくる。

軽い『すまん』から、神妙な『すまん』まで、色々な謝罪のレパートリー。
勿論、すまんだけではない。
ちゃんと「ありがとう」も照れくさそうな「好き」もたくさん貰った。
でも、何でだろう?
「ありがとう」よりも、「すまん」の方が、あなたの愛情を深く感じる気がするのは…。

それだけの時間を一緒に過ごして、数えきれない思い出をたくさんもらった。
毎日を飽きずに一緒にいて、それでもやっぱりあなたが愛おしいと思う気持ちは揺るがない。
でも、愛おしいからこそ、このもどかしさが許せなくなる。
どうしたら、あなたとこれからもいられるのか、私には考えても答えが出なかった。
私が25歳で彼が29歳の時に、思考の行き止まりで私は困っていた。

残ったのは、疎通が取れなかった気持ち。
違う、歩み寄ることを諦めてしまった気持ち。
もっと我儘になれば良かったのかしら?
それとも、素直になれば良かったのか…。
素直になったところで、結局鍋さんとは平行線だったと思われる現実。

考えても仕方がないけれど、それでも考えずにはいられなかった。
結果、私が頼ったのは、鍋さんではなく沙菜先輩だった。

「沙菜先輩」
「何?」
「少しお時間よろしいでしょうか?」
「なら、今日の夜ごはんにでも行きましょ?」
「良いんですか?先輩忙しくないですか?」
「全然。今日なら丁度あいてるもの」

「鷹村も、呼んだ方が良いかしら?」
鋭い沙菜先輩の言葉に、一瞬言葉が詰まる。
「いない方が良いかしら?」
「…、とりあえずは、沙菜先輩のお気持ちを聞かせてほしいです」
「分かったわ。じゃ、また夜に」
颯爽と去って行く沙菜先輩の後ろ姿を見ながら、迷いのない生き方を綺麗だと思う。

私は、沙菜先輩のようになれるだろうか。
常に寄り添っているあの2人。
不思議なほど、絵になるのに付き合ってはいないという。
鷹村先輩は、沙菜先輩への気持ちを全く隠していない。
そんな沙菜先輩も、それをきちんと受け入れている。

だけど、2人は付き合わず、将来の約束もしていないそうだ。
その話を沙菜先輩から聞いた時は、何度も「本当ですか?」と確認してしまった。
お互いに、思い合っているのに何故一定の距離感を保てているのか。

沙菜先輩は公私分けずに、鷹村先輩とは同士だと言い続けている。
でも側で見ていたら、嫌でも分かる。
それが、自分に言い聞かせている言葉だということは。
自分も相手も勘違いしないように、繰り返し言い続け“そうあるべき”と自分の気持ちを落ち着かせていることを。
だって、そうでもしないと、相手への気持ちが溢れてしまいそうになるから。

同じ、女性だから分かる気持ち。
でも、ダメね。
私は、側で支えるだけという選択肢は選べそうにない。
鍋さんに言った言葉だけれど、私の方が10年くらいかかるんじゃないのかしら?
だって側にいたら、明確な形が欲しくなる。
分かりやすい愛の形を、持ちたいと願ってしまう。

夜ご飯を食べ、お互いの課の近況などを話しながら、ゆるやかな時間が過ぎていく。
「あの…沙菜先輩」
「何でしょう?」
「少し、先輩のお知恵をかしていただけませんか?」
「私で良ければ…」
「少し、支離滅裂になると思いますが…」
「良いのよ。一緒に考えながらでも」
「ありがとうございます」

微笑を浮かべる沙菜先輩は、私の葛藤を見抜いている。
そのうえで、どう進めば私の気が済むのか、一緒に考えようとしてくれる。
姉と慕う彼女に、今の心境を伝えていく。

鍋さんとのこと、母に言われたことで思ってしまった卑怯な気持ち、鍋さんに対して素直になれなかった、甘え。
所々、感情の思いが強くなり、言葉が止まることがあったけれど、沙菜先輩はじっくりと聞いてくれた。
「こう言っては、いけないのだけど…」
呟くように言った沙菜先輩の言葉に、唇をぎゅっと結ぶ。

「石鍋くんは、あなたに甘え過ぎでしょ?普段から」
「そんなことは…」
「いいえ、第三者が見ても感じるくらいに、しっかりと甘えているわ」
はっきりと言われてしまえば、それ以上の返しが見つからない。

「何でも、ゆりさんが尻拭いをしてくれるからって、無責任に企画を立てるだけ立てて、後の骨組みはあなた任せ」
「そこまでは…流石に」
「いいえ、そういうところで甘えて、それが当たり前になっていることが、詰めが甘いっていつも鷹村と言っているんだから」
「だけど、私もそれで満足している部分があるのは事実ですし」

「本当に、優しいわね。ゆりさんは」
「優しいわけじゃ」
「優しいのよ。石鍋くんを切り捨てる気持ちが、少しもないじゃない」
「切り捨てって…」
思わず笑ってしまった。

「切り捨てても平気なのに、というか石鍋くんはあなたのお母さんの話を聞いても、見切り発車なのね。呆れたわ」
「何か、すみません…」
「ゆりさんも、それを聞いて怒るくらいはしないと。私は黙っていられないから、すぐにそこで決別になるわね」
「…それは」
「なあに?」
「鷹村さんが相手でも、ですか?」

「そんなわけないじゃない。鷹村は、そんないい加減なことを言わないもの。自分の発する言葉に、きちんと責任を持たないと、って普段から言う人だから」
「でも、それじゃ」
「だからこそ、よ。私と鷹村のことは、あなたたちとは全くの別物と思って」
「…はい」

「私が、鷹村との関係をうやむやにしたくないことが、しっかり出ているから。仕事と私情を一緒にしてしまう危険性があるのなら、私は仕事を優先するもの。鷹村もそれを分かっているから、仕事上での関係を望んで今の形になっているの」
「…沙菜先輩は、不安にならないですか?」
「ならないと言えば、嘘になるわ」
「一生を考えた時に、望むことってそれでも仕事になるんですか?」

「そうね、今の私は何よりも仕事が大事。それで、鷹村に愛想を尽かされても、悔いはないという思いがちゃんとあるから」
「私には、沙菜先輩ほどの覚悟がないんですね…」
「覚悟じゃないわ、そういう生き方しかできないだけよ。あなたよりも不器用なの」
先輩の本当なのか分からない言葉に、視界が滲む。

「私は、そんなこと…」
「いいえ、ゆりさんは仕事ができるわ。冷静だし、どちらかと言うと鷹村に近い、羨ましいくらいに」
「え?」
「本当よ。こんなことで、くだらない嘘なんかつかないわ。私なんかよりもあなたの方が、よっぽど仕事ができるんじゃないかって、常に思っているわ」

「やめてください、沙菜先輩は私の憧れです。入社してからもずっと、私なんかよりも」
「なんかじゃない。ゆりさんを尊敬しているわ、私は。こんな後輩を持てて、すごく嬉しい。だから、胸を張って」
「…ありがとうございます」
「その上で聞くわ。あなたはどうしたいの?石鍋くんとの未来を望むの?それとも…」

「迷っているんです。正直、鍋さんを嫌いになったわけじゃないですし、側にいたいのは本当のことなんです。でも、ただ側にいるということじゃ、私は満足できないことに気付いたら…。こんな浅ましい考えを…」
「浅ましくなんてないでしょ?」
「え?」
「好きな人の側にいたいって、そんなに恥ずかしいこと?」

「でも?」
「好きな人の側で、一生を生きたいと思うのは、女性に生まれたら当たり前のことじゃないの?」
「当たり前…」
「本能で、添い遂げたいと思うのは自然のことよ」
「そうです、よね…」

「ゆりさん、あなたが嫌じゃなければ、お見合いの話はごまんとあるの」
「はい?」
話が、全然違うところに飛んだ。
「あなたには、石鍋くんじゃなくても、素敵な人がたくさんいるわ。勿論大事にしてくれる人も、男は石鍋くん1人だけじゃないから」
沙菜先輩の言葉が、自分に驚きを知らせていく。

「石鍋くんじゃなくても、あなたと生きてくれる人はいるわ」
「…」
「ゆりさん?」
鍋さんのまっすぐなところが好きだと思った、鍋さんの照れたように笑う顔が愛おしいと思った、気まずそうに謝る姿も、全てが私の中に残っている。
彼以外の人と?
これからを生きていく?

全く思ってもいなかった考えに、咄嗟に「違う」と浮かんだ。
「それは、ないです」
気付いたら、涙が流れていた。
「沙菜先輩?私は、鍋さんだから好きなんです。大事にしてくれる誰かじゃなくて、一生を生きてくれる誰かじゃなくて、不器用でもまっすぐな彼が良いんです」

だから、こんなにも苦しい。
彼が、私との未来を選んでくれなかったことが、こんなにも悲しい。
泣き続ける私の背中を、沙菜先輩はずっと撫でてくれた。
「好きなんです。…どうしても、離れたくない!…鍋さんが、結婚してくれないことが、なんで…私こんなに…みっともない。嫌だ…すみません」

「ねえ、ゆりさん」
「…はい」
「なら、あなたに私を助けてもらいたいの」
「…はい?」
「公報にね、少しの間新人育成ということで、異動をしてくれないかしら?」

「公報…?」
また飛んでしまった話に、私の気持ちが迷子になっている。
「企画から少し離れて、石鍋くんとも物理的に距離を置いてみたらどうかと思うの」
「離れる…企画から?」
「そう、あなたにとっても良いタイミングかと思って」

「それは」
「あなたが石鍋くんを好きだと思う気持ちは、間違いないと思うの。でも、あなたと石鍋くんとで、温度差というか、確実に気持ちの相違があると思うんだけど」
「…はい」
「あなたと石鍋くんは、お互いを想い合っているけど、目指しているゴールへの距離が少し違うと思わない?」

沙菜先輩に言われた言葉に、2人ともぼんやりとした未来と思い描いていることを感じる。ただ、結婚ということに対して、確かに私と鍋さんの意志の強さが違うこと、思い描いている結婚への道筋が多分異なっていることを思った。

「あなたが、満足するまで石鍋くんと距離を置いたら良いのよ。石鍋くんにも良い機会になると思って」
「良い機会?」
「そ、あなたにおんぶに抱っこの生活から、自分の足できちんと立つ生活に、ね?」
『自立へのシフトチェンジよ』と言う沙菜先輩に、別離という言葉がポジティブに変換された。

まだ道筋は生きている。
私が諦めない限り。

「もう1度、鍋さんと話をしてみます」
「そうね」
「それでも、私たちの温度差に変化がなかったら、その時は異動願いを受理してください」
「分かったわ」
「ありがとうございます。沙菜先輩」
「何が?」

「私との時間を設けてくださって」
「私こそ、ありがとう」
「え?」
「私だって、迷っているのよ?でも、これでまた私の覚悟が決まったから」
微笑む沙菜先輩の顔は迷いがなくて、やっぱり綺麗だと思った。

「鍋さん?」
「なんだ?」
「話があります」
「…おう」

沙菜先輩と話した翌日、鍋さんに話を聞いてほしくてラウンジに呼ぶ。
「随分前に、保留にしたことなんだけど」
私の言う保留=結婚の話だと気付いたのだろう。
鍋さんがそわそわし始めた。

「あぁ、なんだ。そのお母さんは、もう大丈夫なのか?」
「ええ。もうあれから気を付けているから、毎日元気に仕事をしているわ。心配してくれてありがとう」
「その、すまん。結局お見舞いにも行かずに」

母には、付き合っている彼とは将来的に一緒になりたいと思っていること、しかし今は仕事を優先したいとお互いに思っているため、すぐには結婚という形を設けられないことを伝えた。
母は諦めたように笑い、それ以上は何も言わなかった。
入院したことで気が弱り、思わず言ってしまったと、母なりに反省していることを私は知っていたから、それ以上私も何も聞かなかった。

「良いのに。あのね、鍋さんあの時に言っていたけれど、私と籍を入れるとしたら、具体的にどのくらいの年数がかかりそう?」
「え?」
「やっぱり、気になって」
なのに鍋さんに聞くまでに、数年を要する臆病な私。
「そうだよな」
言いながら、困ったように頭を掻く。

「そうだな…」
「来年辺り?」
「うーむ、来年か。それは、あれだな?何月頃とかも決めた方が良いんだろう?」
「そうね、できれば」
「そうだよな…」

「さっきから、鍋さん『そうだよな』ばっかり。何も考えていないでしょ?」
「む」
「無理に考えなくても良いのに、待ってくれって言ってくれれば、私だってこんなことを言わないのに…」
「そうか」
「で?鍋さんはどう思っている?」

「いや、すぐにでも形にしたい。でも、そうだな、こんなラウンジなんかで言うことでもないし」
困ったように頭を掻く鍋さんに、“あぁ、やっぱりこの人が好きだな”と思う。
「鍋さんが、形に拘るの?」
「そう言うな。俺だって、それなりに考えているんだ。ゆりにとったら、考えが足りないと思うんだろうが」

思わず、笑ってしまった。
「そんなことないわ」
でも、その優しさが私を苦しくさせていく。
だから、私はそっと目を閉じる。

「鍋さん、あのね」
「何だ」
私の声が少し緊張していたことで、鍋さんもどこかぎこちない感じになった。
目を開けて、鍋さんを見ると困惑した表情をしていた。
「少しだけ、距離を置いてくれませんか?」
この時の鍋さんの顔を、私は一生忘れない。

「ど、どうしてだか、理由を聞いても良いか?」
「あのね、私は鍋さんと今すぐにでも籍を入れたい。うん、結婚したいの」
「そ、そうか!俺だってすぐにでも…」
「じゃ、今すぐ市役所に行ける?」
鍋さんの言葉に被せて、私の意地悪な言葉が続く。

「今日、そのまま婚姻届けを提出できる?」
「む」
「私は行けるわ。すぐにでも、鍋さんの奥さんになりたい」
「そ、そうか…」
「でも、鍋さんはそうじゃないでしょ?」

私の笑顔に、鍋さんが気が付いた。
「違う、ゆり。そうじゃない」
「違くない」
「そうじゃないんだ、話を。そうだ、話をしよう。今日の夜にでも、ゆっくりと」
鍋さんの焦ったような言葉に、ゆっくりと首を横に振る。
「違うの、私が待てなくなっちゃっただけなの。でも、鍋さんが好きなのは変わらないの。だから、少しだけごめんなさい」

『あなたの側を離れることを』そう言う私に、鍋さんは言葉に困りながらも結局は了承をしてくれた。
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