鷹村商事の恋模様

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「耀先輩!おはようございます。毎日早いですね」
「おはよう、光先輩」
「もう!それ、やめてくださいよ」
今日も定番の会話をし、主任の登場で朝会が始まる。
私の日常。
だったはずなのに、その日は少し違ったようで…。

「こんにちは」
公報課に涼しい声が聞こえた。
「はい?」
入り口に席が近い、高田さんが答える。
それを耳だけで聞いていた。

「営業の和田です。高橋さんいますか?」
ん!?
営業の和田さん?
ヤバい。
死んだかも。

関ってこなかったはずなのに、向こうから来てしまった。
十中八九、和田さんの目的は私だ。
“昨日の悪ふざけだ”
直感でそう思った。

どうしよう、自分で立ち上がって「はい!」とか元気良く返事した方が良いのかな?
せめて、ここだけでも誠実さをアピール。
無理だな、渡来さんが絶対何か言ったんだ。
どうしよう!
座っている自分からは見えないけれど、きっとこっちを見ている高田さんと和田さんがいるはず。

終わった。私の会社人生。
朝なのに、すでに死んだような表情をする私。
昨日、この会社最高とか思ってたのに。

“まだやめたくない”
素直にそう思った。
勝手に和田さんに怒られて、退社するところまで想像してしまう。
そんな私に構うことなく、高田さんの伺うような「高橋さん?」という声が聞こえた。

「っ!はい!高橋です!」
勢いよく立ち上がり、案の定デスクに脛をぶつけた。
「いった!すみません」
恥ずかしさも相まって、そそくさと入り口に向かう。

「初めまして、営業課の和田です」
「初めまして!公報の、高橋 光です。2年目です」
緊張して、声が震えた。
私と同じくらい(つまり、平均的な身長)の和田さんは、思ったよりも普通のビジュアルをしていた。
当たり前か。
勝手に鬼か何かと勘違いしていた自分に、冷や汗が止まらない。

「奥の、相談室使いますか?」
緊張した私の声に、和田さんが「何で?」と言った。
えー、公開処刑ですか?
はいはい、もう私に会社に来るなと。
マジで終わった。

白目を剥きそうな私に、和田さんは「ラウンジで」と入り口から廊下に続く先を指差した。
「へ?」
一気に魂が戻り、和田さんの声に瞬きを繰り返す。
「立ち話もなんだから、ラウンジまで少し付き合ってくれない?」
断るという選択肢は絶対になく、萎れたまま和田さんの後に続いた。

「あのね単刀直入に言うけれど、もしTwitterとかに乗せるなら、1回こちらに確認をしてほしいの」
「な…何を、ですか?」
和田さんの言葉に、言われている言葉の意味が理解できない私。
私が乗せるTwitterなんて、会社用しかない。
私は、何をさせられるんですか?

「あれ?すでに話が行ってるのかと…私の勘違い?」
「…すみません、話が掴めなくて」
「昨日、企画の石鍋さんに、カップル便?幸せ便?の話をしなかった?」
和田さんの、まっすぐな眼差しに、再度白目を剥きそうになる。

爆撃。
間違いなく、今私は空爆を受けている。
それも破壊力のめっぽう強いやつ。
粉々に吹き飛ぶそれは、私の気持ちまで砕きにきていた。

石鍋さんめ!
いや、渡来さんもか!
まとめて呪いにかけてやる!
一生止まらないささくれでも出来れば良い!
今日からやってやる!
絶対にやってやるからな!

「あの、高橋さん?」
「はい!」
いけないいけない。
まずは、目の前のラスボスにお帰りいただかないと。
「すみませんでした!」

誠心誠意謝れば、鬼にもきっと届くはず。
こっちは、いたいけな小娘なんだし、かよわさを見せておけば、少しは絆されてくれる…はず。
どんなに怖い人間にだって、砂粒くらいの良心はあるはずだろう。
勢いよく頭を下げた私に、今度は和田さんが黙った。

沈黙が怖い。
そんな中、クツクツと笑い声がした。
「ほらな、お前が行ったんじゃ、新人職員には威圧感がすごいんだって」
聞こえた声に、おずおずと顔を上げる。
「東田課長?」
私のとぼけた声に、「東田ですけど?」と飄々とした声がした。

「目の前に、伝説の…カップル」
さっきまでの緊張はどこ吹く風、私のテンションは爆上がりした。
「え?」
「おめでとうございます!私、昨日聞いたばっかりで、でも、まだ内緒なんですか?だったら、良いと言うまで、口が裂けても言いません!ですので、馴れ初めとか教えてくれませんか?」
和田さんと東田さんは、私のテンションにやや引いていた。
昨日の入籍話の後で、これは何という偶然。
マジで感謝。

「お話聞かせてほしいんです!勿論、公報に乗せられる範囲で構わないので!」
食い気味に身を乗り出した私に、2人は顔を見合わせ、そして苦笑した。
「2年目って、こんなにやる気あったっけ?」
東田さんの声に、和田さんが首を振った。

「高橋さんは、公報好きなのね」
和田さんの言葉に、曖昧に頷く。
「好き、というか、色々なことを一気に広められるし、何かこう良いことあったら、みんなにも知ってほしいというか。良いことって、聞くだけでも幸せになりませんか?そういう感じなんですけど…」
上手に言えない私に、和田さんは綻ぶように笑った。
「え、めっちゃ可愛いじゃないですか?和田さん、もっと笑った方が良いですよ!何か怖い噂?あって、私も今の今まで、会ったら殺されるとか思ってましたけど、その噂絶対に相殺できるので!お勧めします!」

私の言葉に、和田さんは何故か東田さんを睨んだ。
「ほら、こういうことになる」
「だから、ごめんて」
謝る東田さんは、居心地が悪そうだ。
「ちなみに、なんて噂を聞いているの?誰から?」
和田さんの笑顔で浮かべる無言の圧力に、私は渡来さんを生贄に選んだ。

「渡来チーフです!和田さんに殺されるって、昨日も言っていました!私聞きましたもん、何なら石鍋さんも」
うん、言っていた。
間違いなく、確実に。
そして、石鍋さんにも犠牲になってもらおう。
「よし、あいつをヤるか。香さんには申し訳ないけれど、未亡人になってもらおう」
「やめとけって、ただでさえ俺がいじめてんだから。アイツ、この春から一気に老けたよな?そろそろ返してやるか、…と。違うな、譲ってやるか、チーフの座を」

「あのう?」
「ん?」
「単純に疑問なんですけど、何で東田さんは今年に入ってもチーフって呼ばれていたんですか?実際は課長ですよね?」
「そうだね、今年から課長だね」
嬉しくないけど、そう言う東田さんはニヤニヤと和田さんを見ている。

「呼び方って、大事なんだと」
「はい?」
私の言葉に、和田さんが耳を抑えた。
「東田チーフと東田課長じゃ、チーフの方が響きが良いって。呼びやすいって、誰かさんが言うもんで」
赤くなった顔と、誰かさんはイコールだ。
「課長になって、名前を呼ばれなくなるなんて面白くないだろ?」
余裕の笑みに、思わずポカンと口を開ける。

…。
何か、ごちそうさまです!
プレミア席で鑑賞している、上質な大人の映画のよう。
「東田さんて、和田さんのことめっちゃ好きじゃないですか?うらやま!」
私の言葉に、和田さんの耳だけじゃない、頬までも赤くなった。
誰だ、怖いなんて言った奴。出てこいよ。
要らない噂で、1年もこんなおいしい2人と関りがなかったことが悔やまれる。

「和田さん、絶対にそのイメージ覆しましょ?大丈夫です。可愛い和田さんを、みんなにも知ってもらわないと!私、こう見えてもポジキャン得意なんです!」
「ポジキャン?」
言い慣れていない言葉で、東田さんが不思議そうに繰り返す。

「知らないんですか?ポジティブキャンペーン!ネガキャンの逆です!」
「だって、和田…違うな」
かすみ?やってもらうか?赤くなった和田さんの耳元で、東田さんがそう言った。

キター!
これ来たコレ!
何この甘い感じ。
誰だよ、東田さんが淡々としているって。
和田さんのこと、めちゃくちゃ愛してるじゃないですか?

「溺愛してますね」
興奮が漏れないように、でも目を見開きながら言う私に、東田さんは「だろ?」と言った。
「こんな若い子にだって、ちゃんと分かってもらえているのに、何で本人には伝わらないかな?」
「私のことは良いから!もう、話が進まない」
和田さんが赤い顔をしたまま、東田さんを睨む。

「尚さん、今日の夜覚悟してて!」
東田課長の耳元で言ったであろう言葉は、しっかり私の地獄耳に吸い込まれた。
「お、珍し。就業時間中に名前を呼ばれたの、何年振りだろ?」
2人のやり取りに、すっかり逆上せた私はスマホを取り出す。
「和田さん、連絡先交換してくれませんか!?私のことは光って呼んでください!是非とも!呼ばれたいです。そして差し支えなければ、かすみさんと呼びたい!あ、ちゃんと仕事中はかすみ先輩とお呼びしますから!」

「え?私の?」
「はい!是非ともお近付きになりたいです!お願いします!好きです。カッコいいい。可愛い、そしてなんというかもう愛おしい!」
私の勢いに、和田さん…違う!勝手に呼んじゃうけど、かすみ先輩は困ったように笑いながら、それでも了承してくれた。
上がった熱が冷めたころ、冷静になった自分がさっきのかすみ先輩の言葉を分析する。

「Twitterに載せるのって、菊田さんたちのことですよね?安心してください!決して悪ふざけはしません!誓います。かすみ先輩に殺されたくないので!」
私の言葉に、かすみ先輩は苦笑する。
「そこは疑っていないの。この1年の間で、高橋さんは上手にSNSを活用していたから。そうでしょ?」
「…何となく」
「何となくで、コンプラと公報を兼ねた話題を乗せられたんだから、実力があると思って」

「いやー、言うてもまだ2年目なので。新人の枠に居たいです」
「そうなの?」
「はい、私できれば、楽して暮らしていきたい人間なので」
「え?みんなそうじゃないの?」
「でも、ママはそれじゃ駄目だって」
「へー?」

「私的には、自宅警備員でも良いかなって思って、相談したんですよ?でも、それじゃママから『時給は出せない』って言われて、死ぬじゃないですか?」
私の問いかけに、東田さんが首を振った。
「おっさんには、若い子の話題はついていけないな」

かすみ先輩が、「それは…」と口を開く。
「うんと、高橋さんは、家事手伝いでも良かったってこと?」
「それだと、ちゃんと家事という仕事をしないといけないじゃないですか?そうじゃなくて、1日何かふわふわして、過ごしていたいって」
「それは、ちょっと、無理かしら?」

「ですよね?うちのママめっちゃ怖いんですよ!自分も仕事をしながら、家事と育児をしていたんだから、私にもそうしなきゃいけないって」
「教育熱心なご両親だったのね?」
「違うんですって!かすみ先輩聞いてくださいよ。成績は赤点取らなきゃ文句は言われなかったんですけど、門限を破ると外にぶん投げられて、約束は守らないと地獄に落ちるって、ことあるごとに言われて。怖いのなんの。なのに、ママ料理はめちゃくちゃ下手くそなんです。それで、家事もやってるって自分では言い切ってるし、結構めちゃくちゃな家でした」

私の勢いに、かすみ先輩はさっきの私のようにポカンと口を広げ、その後クスクスと笑った。
「仲が良いご家庭なのね」
「はい!私の下に妹と弟がいますけど、2人とも私が外にぶん投げられるのを見て、絶対に約束は守る人間になりました」

「物理的に、ぶん投げられるものか?」
「はい、体が2メートルくらい吹っ飛んでましたもん」
「それは流石に嘘だろ?」
「嘘じゃないですって、こう玄関の所から、門のところまで、ぶんって投げられるんです!ママめっちゃ怪力なんで」
「愉快な家だな」
「はい!私も自分でそう思います」

「で、料理は結局どうしてたんだ?」
「それは、うちのパパがすっごく料理好きで、ものすごく上手なんです。何を食べてもおいしくて、パパ以外がキッチンに立つとそれはそれでパパが怒るし」
「バランスの取れているご夫婦なのね?」
「そうですね、いまだに2人でデートとかしますし。結婚記念日とか、平気で2人で泊まりに行っちゃいます。私達だって着いて行きたいのに、置いてけぼりです」

「高橋は、なんかこううまい具合に懐に入り込むな」
東田さんの言葉に、首を傾げる。
「え?ダメでした?今後は気を付けます」
「そうじゃなくて、ダメじゃない。素直なのはお前の長所だ。ただ、素直は時として、幼いと思われる時があるから、商談には向かないかと思っただけだ」
「はー、難しいこと言いますね。東田さんは」

「石鍋が気に入るのも分かるな」
「気に入られてないですよ!会うたびしつこくて!マジでうざい。うちのパパみたいな年のくせして、全然パパと違う。カッコ悪い。ハゲちゃえば良いのに、マジで」

私の言葉に、東田さんが吹き出した。
「それで最近、アイツ頭皮気にしてんだ」
「高橋さん」
「光って呼んでください!」

「分かったわ。プライベートではそう呼ばせてもらうから、貴方に釘をさそうかと思っていたけど、安心して任せるからね、菊田と真澄のこと、決して傷付けないようにしてほしいの」
「はい!分かりました。かすみ先輩と東田さんのことは、解禁日を教えてくださいね」
「なんなら、今日にでも乗せて良いけどな」
「チーフ!じゃなかった、課長!」
「はいはい。続きは家で、ゆっくりとな…」

2人の甘い空気に、「ひゅーう」と冷やかす。
殺されることはなかったけれど、かすみ先輩におでこをつつかれた。
「じゃ、時間を取らせてごめんなさいね」
「とんでもないです!わざわざありがとうございます。本当なら、こちらから行かなきゃいけなかったのに、貴重な時間を割いていただいてありがとうございます」

私の言葉に、2人そろってラウンジから出ていくのを見送る。
はー、何かすごい時間だったな。
てか、かすみ先輩とのネットワークもゲット。これで、更に拡大ですよ。
ラッキー。
意気揚々と戻った私を、主任が呼び出す。

「お前だけ、公報の原案来てないけど?」
「そうでした?すみませ-ん」
「語尾は伸ばすな」
「はい、すみません」
言いながら、パソコンのメールを立ち上げる。

作っておいた、私の担当分の公報のページを添付して主任に送る。
「今送りました。主任、確認お願いします」
「分かった」
こういう日常も悪くない。
今の私はノリに乗っている。
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