宙の蜜屋さん

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ごはんを食べて、少ししたらノアさんが来た。
「おはよう」
ランは村の人に用事があると、すぐに村に行ってしまった。

ノアさんと2人というのも、何だか気まずい。
でも、ノアさんは気にしてないようだ。
なので、私も気にしないようにする。
勝手に怖がらないようにするって自分で言ったんだし。
「…おはようございます」

「どうした?」
ノアさんの言葉に首を傾げる。
「何がですか?」
「まだ早い時間だと思うが、既に糸巻きをしてるのは?」

私の手元を見て、ノアさんは不思議そうにしている。
「あぁ、今日は隣のお店に行く予定があるので」
時々、覗きに行くとお店はとても空いている。
だけど、繁盛しているのだろう。
いつでもお店の商品は変わっているから。
お店の前で、お客さんが並んでいるのを見たこともある。

村の人と話をすると、奥さんのお店が出来てとても助かってると言う話を聞く。
この北の地でも、他の地の農産物や特産物が手に入る。
珍しい食べ物とか、新鮮な野菜とか。

奥さんは、旦那さんのおかげで儲かってると常に言ってる。
「店…。そうか、奥方の」
「はい」
奥さんとは挨拶をしたから、ノアさんは納得したように頷いた。
「だが、隣に行くのに?」

ノアさんの言葉に、こくりと頷く。
「早ければ早いほど良いので」
ワクワクする。
「そんなものか、だが商店なのだろう?」

ノアさんの言葉に、分かってないなぁと言う顔をしてしまった。
「何だ?」
「…何でもないです」

確かに商店だ。
でも、南の地で見ていた、私の知っている商店ではない。
商品なんて、数えるくらいしかない狭いお店。
東の地で見た『~販売店』とか『~商会』と同じようなお店だ。
そのくらい、奥さんのお店は広い。

広いお店なのに、店員さんはほとんどいない。
東の地で知り合った、人の良さそうなおばちゃんークラリスさんーが時々いるくらい。
クラリスさんの旦那さんも本当は、一緒に来る予定だったらしい。
だけど、東の地でやらないといけない仕事があるとかでクラリスさんだけ北の地にいる。

クラリスさんは、奥さんよりも少しだけ若い。
そしておっとりしている。
はきはきした奥さんと合わせると、丁度良いくらい。
今日はクラリスさんいるのかな?

私が月に1回か2回行くと、タイミングなのか配達に行っていることが多いから。
今日はいてくれるかな?
広いお店で、奥さんと時々旦那さんやクラリスさんとお喋りして帰るのだ。
結局商品を見て回るのに時間がかかり、喋っていて時間がかかり。
結局、半日くらいはお店にいてしまう。

毎回、邪魔してしまうと思うのに。
居心地が良くて、ついいてしまう。
今日は気を付けよう。
というか、他のお客さんは私がいると遠慮してしまう時があるから。
奥さんのお店に迷惑になっていそうなので、今日こそ早く行って早く帰るんだ。

でも、広いんだもんなぁ。
不思議な程。
前から見ると確かにこじんまりしてるのに、奥に入るととても奥行きがある。
その大きなお店に、色々な商品が並んでる。
昨日、南の地の商品を仕入れたと奥さんは言ってた。

今日の朝に行けば、とってもたくさんの商品があるのだろう。
そう思うので、早く糸巻きを終わらせたい。
まぁ、まだ糸にはなってないんだけど。
柔らかい存在を切らないように、静かにシュンシュンと巻いて行く。

「おはようございます!よろしくお願いします」
エリザさんの声だった。
大きな声で、びっくりする。
「サーヤ様?どうされました?」
「…お、おはようございます」

エリザさんにどうにか挨拶を返し、欠片が切れていないか確認する。
多分、大丈夫。
淡い反射を見せ、欠片はきちんと繋がってた。
ホッとして、糸巻きを再開する。

「エリザ、元気なのは良いが、相手が何をしているのか確認は必要だ」
「…はい。リース様、おはようございます。本日も、ご指導よろしくお願いします」
「あぁ、おはよう」

エリザさんはノアさんに挨拶すると、そのままきびきびと私の側に来た。
「サーヤ様、すみませんでした」
エリザさんも、私のことを驚かせてしまったと思っているのだろう。
「驚かせてしまい、申し訳ありませんでした」

「いえ、大丈夫です」
「サーヤ様、本日は何をなさるんですの?」
エリザさんの言葉に、視線を彷徨わせる。
しかし、構わないように私の手元をじっと見つめるエリザさん。
「本日…」

さっき、ノアさんに奥さんのお店に行くと言ったのは私。
だけど、これは答えても良いのかな?
あれ?私、遊んでるって思われる?
「えーと…」
迷ってしまい、結局言葉にはならなかった。
「まずここに来たら、先にすることがあるんじゃないのか?」

ランだった。
「…おはようございます。ですが、私は候補生ですわ。サーヤ様に師事する候補生です」
確かに。
エリザさんの言葉を聞きながら、糸巻きをゆっくりと再会する。
「それが?」
「サーヤ様のご予定をお聞きしてはいけないんですの?」

糸巻きをしていたけど、そのペースは少しだけ落ちた。
「いけないことはない。だが、サーヤの予定はサーヤのものだ。何から何まで君と共有することはない」
「それはそうですが。わたくしがサーヤ様のことを知るのに、ダニーズ様は関係ないのではありませんか?」
エリザさんの言葉に、再び手が止まる。

「ダニーズ様?」
エリザさんから聞き覚えのない名前が飛び出した。
思わず口に出してしまった。

エリザさんが話しているのは、ランだ。
ランのことを呼んだんだ。
違和感が大きくて、動かそうと思った手が中々動いてくれない。

「私はサーヤの助手だ。それこそ、君に干渉される謂れはない」
ランは気にしないように返答する。
「ありますわ。権力を振りかざして、今の助手の座についているのではないですか?」

エリザさんの言葉に、驚く。
権力?
ランが?
しかも助手なのに?
助手になるのって、大変なんだっけ?

やっぱり手は動いてくれない。
慣れているはずの動きなのに、考えることが多くなり手に意識が行かなくなる。

ランが権力を振りかざすなんて、イメージが湧かない。
東の地で時々見かける、貴族みたいな。

時々、東の地で偉そうに命令しているおじさんとか、買い物中に甲高い声を出しているおばさんとか。
お店とか、教会とか、食べ物屋とか、色々な所に色々な貴族がいた。
みんな、いかにも“貴族です”という雰囲気を感じた。

勿論、エリザさんにも感じている。
いかにも“お嬢様”という雰囲気は、今日も健在だ。
でもランはどの人とも違う。
この3年間、誰かに命令していたり、この北の地で村人に嫌なことをしている所なんて見たことがない。

「エリザさん、ランは全然偉そうじゃないよ?」
私の言葉に、エリザさんが少しだけムッとした顔をした。
え?何か怒らせた?

「ですが、サーヤ様!本当は、サーヤ様には10人以上助手がいたっておかしくないのに!そうですわよね?リース様?」
話を振られたノアさんが、「…そうだな」と言ってた。
えぇー。

「10人?多くない、ですか?」
「全然多くないですわ!むしろもっと増やしても良いくらいですのに!」
「そんなに人がいても、やることないですって…。ランだけで、十分足りてるので…」
「それは!…ダニーズ様が、優秀だからですわ」
エリザさんがチラリとランを見る。

言われたランは、涼しい顔をしていた。
「そっか。やっぱりランは、何でも出来るんだね。いつも、ありがとう」
私の言葉には、にこりと笑う。
変なの。

「ですが、サーヤ様は必要ではないのですか?」
何で?
あぁ、何も出来ないから?
だから、私に10人以上も助手が付くの?
それは迷惑な話だな。
助手の人に。

「そうなの?やだなぁ…」
思わず口から出た言葉。
エリザさんは意外そうな顔をした。
「何でですの?」

エリザさんは、顔を私に近付けた。
わ、また良い匂いがする。
「助手は、たくさんいた方が良いのでは?メイドと同じですわ」
「メイドさんとは、また違うんじゃ…?」

あれ、でもランがしてることって。
私の生活の面倒だ。
あれ?ランは助手だけど、確かにメイドさんみたいなことをしてないかな?
「サーヤ様?メイドもご希望ですか?」
「…何か、窮屈だからいりません。それと、エリザさん良い匂いがしますね」

高貴な印象。
メイドの話は終わったのか、エリザさんは「そうですか?」と喜んでいた。
「本当ですか?サーヤ様に気に入っていただけるなんて、とても嬉しいです。ですが、これは香水ではなくて、石鹸の香りですわ。サーヤ様がお気に召すか分からなかったので、それこそメイドの意見を聞いたんですの。今度、お揃いの物をお持ちしますわね!」

エリザさんは、私の手を握らんばかりにそう言った。
お嬢様だなぁ。
「えぇ?いらないです。今の石鹸、気に入ってるので、大丈夫です」
うん。
いらないかな?

私の返答に、エリザさんはやっぱり意外そうな顔をした。
「ですが…」
「…エリザさんがその匂いで、良いなぁって思っただけ」
でも、私には何か似合わないからいらない。
直感でそう思った。

それに、ランが言ってた。
はいといいえははっきりと。
曖昧にしてると、貴族は自分の解釈で判断してしまうと。
「エリザさんが使ってこそ、良い匂いの石鹸なんです。だから、私はいらないです」
なので、もう1度そう伝える。

「…残念ですわ」
本当に残念そうにエリザさんはそう言った。
その顔を見ると、悪いことをした気分になる。
「…ごめんなさい」

「そんな、褒めていただいただけで満足ですわ。ありがとうございます」
エリザさんは、そう言ってお辞儀した。
可愛い。

「エリザ。君はまず先に」
私がエリザさんに見とれている内に、ランがそう言った。
「お祈りですわね。行って来ます」
エリザさんは、はきはきとランに答えた。
「…エリザ、後で話がある」
ランの固い声。

「えぇ、お受けしますわ」
エリザさんは、昨日と違ってとても自身に満ち溢れていた。
「失礼いたします」
エリザさんは昨日とは違って、しっかりとした足取りで歩いて行った。

それより。
ランの名前を知らなかったことに驚いた。
そうだ。
知り合って3年も経つのに。
糸巻きの機械にかけたままの手が止まる。

集中力が完全に切れた。
どうしよう。
もう少しで、終わるのに。
でも、これだけはやらないと。

糸巻きの機械は、何ヶ所か欠片を通している。
なので、途中で止めることはできない。
外す際に欠片が千切れてしまう可能性があるから。
千切れても、北の地の職人は文句は言わないだろう。
だけど、私が嫌なんだ。

しっかりしろ。
私は、この地の紡ぎ司だ。
ちゃんと作業をしないと。
しっかりと、目の前の機械に焦点を合わせる。

そうだ。
何も出来ない私が、唯一出来ること。
これしか出来ないんだから、きちんと集中しないと。
シュンシュンと音を立て、再び糸巻きの歯車が回る。

大きな車輪に欠片が収まった。
それを紐で結わく。
籠の中に欠片を入れ、ようやく息を付く。
気分転換に、奥さんのお店に行こう。
そうだ、そうしよう。

「サーヤ」
ランが待っててくれたのか、静かに私の横にいた。
私の横で、私のことをじっと見ている。

作業が終わるまで、待ってていてくれたんだろう。
欠片が切れないように。
やっぱり優しい。

ランは、私の助手で大変なのかな?
貴族なのに。
さっきのエリザさんの言葉を思い出す。

「サーヤ」
「…うん」
ランは座る私に合わせて、膝を床に着け視線を合わせてくれる。
「俺が、家名を名乗らなかったのは、わざとだから」
「わざと?」

「そう。サーヤは、気にしていただろ?貴族とか町人とか、村人とか」
「…うん」
「初めて会った時に、まだ君は世界のことをよく知らなかった」
「…それは、今もそうだけど」
私の返答にランが笑う。
ノアさんも笑ったような気がした。
でも、本当のことなので否定はしない。

「そんな時に、新しい助手が貴族なんて聞いたらサーヤは余計気にしただろう」
「…うん」
「だから、気にしてほしくないと思って、わざと言わなかった」
「…うん」

ランは、やっぱり優しいな。
初めて会った時からずっと。
今も。
「ありがとう」
私の口から出たのはお礼だった。
「いいえ」

「サーヤ、すみません。折角早めに作業したのに、手を止めてしまって」
「…え?ううん」
糸巻きは、とりあえず終わった。
だから、良いのだ。

「では、フォンさんの所に行きましょうか?」
「え?でも、エリザさんが…」
「良いんですよ。ノアに任せましょう」
「何で俺が?」
急に話を振られたノアさんが、驚いたように答えた。

「統括者だから、ですよ?」
エリザさんがいない内に?
良いのかな?
「良いんだ。エリザのことは気にしないで。さぁ?」

ランの言葉に、コクリと頷く。
「では、ノア後は頼みましたよ?」
ノアさんは、今度は深く頷いただけだった。

早めに帰って来ようっと。
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