宙の蜜屋さん

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夕方

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お昼寝の時間も終わり、作業場に戻る。
何か、すごく遊んだ夢。
少しだけ疲れているのは、何でだろう?

眠っていただけなのに。
逆に回復しているはずなのに。
ま、考えても仕方ないけど。
でも、今日の分を紡がないと。

私は、私の出来ることをするだけだ。
両手を解し、指先の感触を確かめる。
うん、
大丈夫。

「サーヤ?もう、今日の分を紡ぎますか?」
ランの言葉に、コクリと頷く。
「うん、何か今日は眠いから。先に出来る内にやるね?」

私の言葉に、ランはしっかりと頷いた。
「では、俺は風呂の準備をして来るかな?」
良いのに。
それは、もう助手の仕事じゃない。

家政婦さんとか、お手伝いさんの仕事だ。
なのに、ランは特に気にしていない様子だ。
相棒の水晶を手に取る。

「良いよ。毎日毎日」
そう、毎日なのだ。
「でも、サーヤの次に俺も使うし」
「それはそうだけど…」

そうなんだけど。
でも、何か違うのだ。
ランが使った後は掃除もするし。
なら、準備するのは私の担当なのでは?

だけど、ランは紡ぎ司の仕事の方が大事だと譲らない。
いや、紡ぐのはほぼ毎日なんだけどね。
違和感を感じている私。

「ランは、いつも準備も掃除もしてるじゃん」
「俺が使った後なんだから、当然だろう?」
「…でも」
「待て待て、お前は紡ぎ司の工房で何をしている?」

ノアさんの言葉に、首を傾げる。
あれ、仕事中にお風呂の話は駄目?
エリザさんがいなくて良かった。

『それは良いんですの?』
エリザさんの言葉が聞こえてくるようだ。
明日は気を付けないと。
ノアさんは、私とランを呆れたように見ている。

「いけないですか?」
聞く私に、やっぱり呆れたように溜め息をついた。
「サーヤ、君は自分の家を助手に私物化されても平気なのか?」
この家を?
別に、良いけど?

「はい、むしろ使ってもらいたいです」
私1人じゃ気を遣う。
こんなに大きな家。

北の地に来た頃、そう繰り返す私にランは言ってくれた。
『じゃあ、俺も使いますよ』と。
そうなの?と、ホッとしたのを思い出す。

誰かに一緒に使ってもらった方が気が紛れる。
だから、ランは私のためにこの家で過ごしてくれる。
そう、思っていた。

だって、ランは自分の家でほとんど過ごしていない。
この家の隣。
奥さんとは反対の家。
そこがランの家だ。

小さいのに、本人は気にしていない。
むしろ、良い居心地の狭さ。
だから私はランの家も好きだ。

その空間が落ち着くので、いついてしまう。
私の感覚とランの感覚は違うのだろうけど。
だけど、ランは特に気にしていないようにしてくれる。
田舎育ちの私のことを、そうやって数年間面倒を見てくれた。

というか、時々空いているもう1つの部屋に泊まることもあるし。
そこは、ランの仮眠部屋だ。
「なんなら、使ってくれて良いんだけど?」
上を指差す私に、ランは苦笑した。

「いや、サーヤ?流石にそこまで一緒だと…」
「何?」
ランが珍しく、焦ったように否定した。
ノアさんは、昨日みたいに少しだけ不機嫌そうだ。
「それは何だ?ランがこの家に住んでも良いと言ってるのか?」
「はい」

「サーヤ…」
「何?」
「…確かに、サーヤには一般常識がごっそり抜けている」
ノアさんの言葉に、今更のことを何で言うのかと疑問が湧く。

「そうですけど?」
「認めるな。恥と思え」
何でか、ノアさんに怒られた。
理不尽。
いや、理不尽ではないのか。

妥当なお怒りだ。
常識がない。
エリザさんに向かってランが言っていた。
『学生気分のままでは…』と。

私も同じなんだろう。
常識がないのは、確かに恥ずかしい。
ただ、恥ずかしいという実感はない。

何だろう。
この感じは。
「ごめんなさい」
謝ると、ノアさんが気まずそうにしている。
「いや、謝ることではないが…」

「まぁ、ノア?その辺で…」
「お前もだ。ラン?助手というのなら、きちんとその領分で仕事をしろ」
ノアさんは、ランにもそう注意している。

だけど、ランは私のように項垂れない。
流石大人。
「…善処します」
気にしていないように、そう言った。

「善処ではなく、対応しろと言っている」
ランに飛び火したノアさんのお怒りに、私の方がいたたまれない。
「ノアさん?」
「何だ?」
「ランは、いないと困ります。なので、家で泊まる許可も欲しいです。認めてください」

許可があれば良いんじゃないの?
なのに、ノアさんはやっぱり盛大に溜め息をついた。
「…俺は、サーヤのために」
「え?私のため?何でですか?」

何で?
ノアさんが怒るのと、私のためと言うのが繋がらない。
頭に疑問がたくさん湧く。
だけど、答えは出ない。

「ノア、紡ぎ司がこうやって言ってるのに?統括として、困ることでも?」
ランは逆に、言い返してる。
ノアさんは、不機嫌そうなまま諦めたように『もう良い』と言った。

「…分かった。だが、くれぐれも、くれぐれも!間違いだけは起こすな」
間違い?
何の?
「間違いって?」
「サーヤ!その話は、サーヤじゃなくて俺に言ってることだから。ね?ノア?」
「…そうだな。サーヤよりも、ランの方に指導が必要かもしれない」

助手に指導?
統括がする指導?
朝のランによる、エリザさんへのお説教みたいな?

「ラン、手順だけはきちんと踏め。それは分かってるな?」
え?
泊まりに手順とかあるの?
初耳なんですけど。

「勿論」
「本当に、大丈夫なんだろうな?」
「えぇ」
「信じて良いんだな?」
「絶対、の自信を持って」
「…なら良い」

2人で通じ合ってたようだ。
諦めたように、ノアさんは政務机に戻って行った。
「じゃあ、サーヤ?」
ランの声に、我に返る。
「え?」
あぁ、今日の分か。

さて、じゃあやりますか?
本日の分を。
もう一度両手の指を解して、相棒の水晶をするりと撫でる。
今日も綺麗。
透明な球体。

「じゃあ、やりますか…」

何か始まる前にわちゃわちゃしたけれど、席に着く。
深呼吸をして、ゆっくりと手を動かす。
指先で探るように、水晶の表面を滑らせる。
ゆっくりと、ゆっくりと。

今日も、しっかりと感触が伝わる。
今日は、少しだけ欠片の感触が強い。
強い?
何が?
柔らかいはずの存在なのに、強いとは?

余計なことを考えそうになっている。
いけないいけない。
紡ぐスピードが落ちてしまう。

余計なことは考えない。
指先の感触にだけ集中。
考えるのは後だ。

慣れていることもあり、いつもの作業にのみ集中する。
余計なことを頭の中から追い出すと、そこは日常の仕事だ。
紡ぐこと。
それだけ。

紡ぐ欠片は、少しずつバットに納まって行く。
いつもより早い時間だからだろうか?
色が濃い、気がする…。

だけど、集中力を切らさないように作業を続ける。
いつもと同じ感覚で、紡いで行く。
私が気を付けるのは、スピードと紡ぐ強さのみ。

それを繰り返し、今日の分が終わった。
「うーん」
やっぱり、今日の欠片は勘違いじゃなくて昨日の物よりも、というか今までの物よりも色が濃い。
「何でだろ?」

一際目立ってる。
だけど、色が濃い方が蜜も濃くなりそうなので、まぁ良いかと紐で結わき籠に入れる。
籠の中に入れると、更に際立つ濃さだ。

長さも、細さも申し分ない。
紡げたものに変わりはない。
「サーヤ、お疲れさまでした」
ランの言葉に、考えても仕方がないと籠に布を被せる。
「さ、お風呂に入ろっと」

るんるんしながら、立ち上がる。
はたと、ノアさんと目が合った。
気まずい。
まだ、ノアさんは仕事中だ。
政務机に座ったノアさんは、やはり呆れているように見えた。

「す、すみません」
あれ?
さっき私『ごめんなさい』って言ってたな。
子どもじゃないんだから。

「良いんです。ここは紡ぎ司の職場です」
ランが何でもないように言う。
「えぇー…」
私の反応がイマイチだったからか、ランがノアさんの方に向き直る。

「ノア、今日の仕事は終わりだ」
「は?」
「ほら、ノア?残りは本部で」

えぇ?
無茶苦茶。
こんな明るい内に。

もう、仕事を終わりにしろと言われてるノアさん。
2日目から、全然仕事にならないだろう。
「まだ良いだろう?せめて日が沈むまでは…」
「何を言ってる?この場は、紡ぎ司が全てのルールだ」

ランが、何かわけのわからないことを言ってる。
「そんな極論があるか?」
「極論も何も、ここは元々そうだ」
え?
そうだっけ?

「サーヤが今日の業務を終了したんだ」
「だから?」
「もう、ここは生活の場だ」
「それで?」
「仕事をするなら、本部に行ってほしい」
「またそれか?」
ランとノアさんが揉めてる?

ランは、さっきノアさんから注意されたことを全く気にしていない。
すごい精神力。
今度は逆に、ノアさんが押されてる。

「紡ぎ司の作業場なら、仕事をしていても良いだろう?」
「生活圏内になる」
「あのな、ラン?」
「いやなら、早くこの外に空間を作れ」

「お前の我儘じゃないか」
「違うだろ?紡ぎ司と、本部の差を設けろと言ってるだけだ」
ランの言い方は、変わらず強い。
「サーヤ、気にしないで寛いできて来てください?」

いけないよ。
こんな空気で。
「ほら、ノアがいることで、サーヤが萎縮している」
「は?」
「明日にでも、ノアは本部に戻った方が良いな」
「何でそうなる?」

「エリザも、ここでは向いていないから本部で引き取ってくれ」
「そういうわけにはいかない。今日、認めてしまったからな」
「じゃあ、ノアのみ戻るんだな」
「…結局振り出しか」

「何だい?大の男が2人で言い合いかい?」
「奥さん!」
「ごめんね?サーヤちゃん、開いてたから入って来ちゃったよ」
「ううん!いらっしゃいませ」

奥さんが来てホッとする私。
何でだろ?
「違いますよ、フォンさん。紡ぎ司のために、より良い環境を作るのが助手の仕事ですから」
「それで、サーヤちゃんに気を遣わせてるって?」

「すみません…」
「別に良いさ。村人には関係ないことだからね?」
「奥さん、どうしたの?」

「今日も、夜ご飯どうかなって思ったから来たんだよ」
「そうなの?」
「今日は、まだ冷え込みそうだから麺にしたんだ」

奥さんは、両手で持った大きなお鍋を見せてくれた。
大きなお鍋で煮る太い麺。
南の地では食べない食べ物。
熱い食べ物だ。

北の地で食べるようになった、私の好きな食べ物だ。
「ありがとう!」
「で?サーヤちゃんは、もう今日の仕事は終わったのかい?」
「うん」

「じゃあ、お風呂に行くのかい?」
ランが準備してくれたから、行きたいけど。
「どうぞ。俺とノアのことは気にしないで?」

「…うん」
気になるけれど、行った方が良さそうな気がする。
多分。
「じゃあ」

「サーヤ?眠いと言っていたので、お風呂場で眠らないように気を付けて?」
「そうなのかい?なら、途中で声をかけようか?」
「そこまで子どもじゃないよ?」
流石にね?

なのに、ランと奥さんはやれやれという仕草をした。
「え?」
ノアさんまで。

何でさ?
おかしいな。
早くお風呂に行こう。
トボトボと、2階に向かう。

自分の部屋で衣類を用意する。
籠に入れて、ゆっくりと降りる。
下に行くともう3人とも何でもない顔をしていた。

「え?」
「どうしました?サーヤ?」
ランの言葉に、首を振る。
ノアさんも机で仕事をしている。

奥さんはキッチンで、お鍋を火にかけて冷蔵庫を開けたりしていた。
私、そこまで長い時間部屋にいた?
でも、日没前のまだ明るい太陽の位置に、そうじゃないと思う。

太陽の日差しはまだ強い。
月とは違う存在。
月はまだその姿が見えない。
見えていないのに、もう紡いでいる存在。

「お風呂に行きます」
「はい、ゆっくりとどうぞ」
ランのいつも通りの優しい声。

今日は、ランの初めて見る顔があったなぁ。
エリザさんに注意する顔も、ノアさんに対し偉そうに何かを言う顔も。
私には、いつも優しい。
まさに兄のようだ。

「サーヤちゃん?」
奥さんの声に、ハッとする。
「ううん、何でもない。行って来る」
お風呂場に向かい、ゆっくりとお風呂の時間を過ごす。

温かいお風呂に入って、しばらくすると何だか色々と思っていたことがなくなった。
眠たかったのを思い出す。
おかしいな。
今日は、お昼寝もしたのに。

少し寝たことで、逆に眠くなっちゃったのかな?
寝足りないとか?
でも、お昼の後結構寝たと思うんだけどなぁ。
分からないけど。

お風呂に浸かることも、北の地で出来た習慣だ。
最初の頃、私はすぐに逆上せてしまった。
体を洗って、髪の毛を洗って。
ワクワクしながら浴槽というものに入ったけれど。

お湯の温度が高かったからか、それとも私の体に耐性がなかったからか。
入って数分もしない内に、急に頭がふわふわになって。
そこからは、全く覚えていない。

目が覚めた私に、ランが慌てたように介抱してくれたのも思い出す。
そのことを奥さんに知られてから、奥さんは私が長くお風呂場にいると心配する。

紡ぐこと以外、本当に何も出来ない私。
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