宙の蜜屋さん

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本部

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見たことのあるような、ないような人。
「あの…?」
私の戸惑いに、ランが「早い」と言った。
意味が分からず、ランを見る。
向かいに座っていたランは、席を立つと私の隣に移動して来た。

「見て分かるでしょう?まだ、サーヤは食事中だ」
「確かに。だが、ランは?」
「俺は助手だからね」
「ふうん?」

「サーヤ、この人は本部で紡ぎ司の統括をしている男、ノアだ」
ランの言葉に、“どこかで会ったことがある人なのでは?”が該当する。
統括する人って偉いんじゃないの?
でも、ランの態度は特に敬っているという感じではなさそうだ。
むしろ、気安い感じの雰囲気だ。

でもそれは、私には関係ない。
知らない人だし。
そして、親しいわけではない。

じゃあ、私の言う挨拶は…。
「…初めまして」
私の言葉に、ノアと言われた人は口をへの字にした。

「初めまして、だと?」
あれ?何かいけなかった?
だって、特に見覚えがないから。
私の戸惑いを察してか、ランが私の前に移動する。
彼と向かい合い、私を見えなくするような…。

「サーヤ、時々本部に行くと、報告や内示をする本部の人がいたはずで…」
「あぁ、あのエライ人?」
エライってか、偉そうな人?

「俺だ」
ノアさんの言葉に、そうだったっけと思う。
「そうでした?」
答えながら、ちらりとランの前にいる人を伺う。
私の言葉に、更に表情が険しくなっていた。
「顔も見てないってことか?」

ノアさんの言葉に、そんなことはないと首を振る。
「見てますけど」
本部に行ったその時は…だけど。
「興味がない、と?」

そう言われてしまえば、それは確かにそうだったと思う。
「…まぁ、概ね?」
私の返答に、ノアさんは更に不機嫌そうになった。
こわ。
ランの陰に隠れるように、私は顔を背けた。

「ノア、サーヤは昨日のことで疲れが…」
「…そうだな。まずは、事実確認だ。昨日の上弦の試験は、サーヤ?君が行った、それで良いか?」
不機嫌だからなのか、それとも元々の性格なのかノアさんは口早にそう問いかけてきた。
「そうですね」
顔も見ずに、そう答える。

昨日の上弦は、確かに私が紡いだ。
それは、間違いない。
「私の報告より、昨日の見習い生の方の報告が早かったようで…」
ランは言いにくそうに、口を閉ざした。

「仕方ないでしょう?別にランのせいでもないわけだし」
私の言葉に、2人が黙る。
「え?何かおかしい?」

ランは後ろを振り返り『いいえ』と言った。
「…いや」
ノアさんは、やや高圧的だった口調が和らいだ。

「そっか。上弦が紡がれていたから、彼女は候補生になるんでしょう…?」
私の言葉に、ランの小さな『はい』という返事。
なら、やはり仕方ないのだろう。
試験をパスしたなら、次の過程に移るはずだし。

「で?彼女は東の地で候補生になると?」
無言だったので、おや?と思い前を意識する。
ランとノアさんは、顔を見合わせていた。
「いや…」
ノアさんは、口が重そうだ。

「何ですか?用件なら、早めにお願いします。私はこれから糸を巻き直したいので…」
見習い生や候補生は星の数ほどいる。
一々、その人達の行き先を気にしている余裕はない。

「北の地で、候補生をする…と」
ノアさんの言葉に頷く。
「そうですか」
珍しい子もいるもんだ。
でも、来るって言うのなら、頑張ってもらいたい。

「良いんですか!?」
私の納得に、ランが大きな声を上げる。
「…だから、良いも悪いも本部の決定なら、否やは言えないって」
そういうものなんじゃないの?

私の言葉に、ランは私ではなくノアさんに向き直った。
「これは、確かに由々しき事態です!」
さっきのノアさんのようなことを。
ランの言葉に、首を傾げる。
「何が?」

ランは、私とノアさんの間でくるくると向きを変える。
「サーヤ!今は時代が変わっているんです!」
あまり見ることのないランの早口。
さっきのノアさんと同じだ。

「…うん、それで?」
「サーヤは、この地を代表する紡ぎ司です!」
「そうだけど?」
特に謙遜するものでもないので、否定はしない。

「紡ぎ司は過酷です!ですが、紡ぎ司の技術や錬金作業は、国を支える重要な働きになる」
「そうだね」
「いわば、国の重要人物と同意です」
「…そうなんだ?」

みんな、数年で紡ぎ司を継承しているのに?
重要人物が、そんなに数年ごとに発生して良いの?
あれ?でも、最近の新しい紡ぎ司になった人って…。
毎日の生活の中で、ふと思い出そうとするが、いわゆる“新人”としての人間が思い浮かばなかった。

「サーヤ?」
ランの言葉で、我に返る。
私の後に紡ぎ司を継承した人のことは、一旦頭から追い出す。
後で、回覧とか年次録しっかり見よっと。
こっそりしないと、ばれたらランに怒られそうだし。

「…ごめん。別のこと考えてた。それで?」
私の言葉に、ランが申し訳なさそうに「それですが…」と切り出す。
「昨日の見習い生は、本部がすでに候補生として手続きを進めている状態です」
「うん」

「あの嘘吐き見習い生が、今後この北の地の候補生、ゆくゆくは紡ぎ司になれるとは到底思えません!」
ランのあまりの勢いに、そして言い方に驚く。
ただ単に『そうなの?』としか言えなかった。
でも、結局は本部の決定が全てだ。
「まぁ、仕方ないじゃない?」

私の諦めとも言える言葉。
ランとノアさんが小さく溜め息をついている。
え?何で?

「明日から、昨日の見習い生のエリザはこの地に来る予定となる」
あぁ、昨日の子エリザって言うんだ。
ノアさんの言葉に、そういえばこの人は本部の人だったと思い返す。

『この地に来る予定』か…。
ほらね?
本部の決めたことなら、すでに決定事項じゃない。
それで、これ以上私は必要なのかな?

「じゃ、私は南の地に帰って良いってことになるの?」
「何故そうなる?」
ノアさんの言葉に、私の頭はこんがらがる。

「だって、見習い生…じゃなくて候補生は、もう来るんでしょ?じゃあ、私の仕事は今後サポートに回るのでは?」
私が候補生になって東の地で過ごした時、東の地の紡ぎ司はほとんど紡ぐことはしなかった。
ほぼ毎日、私が紡いでいた候補生時代の記憶。
候補生なのに、確かに毎日紡ぎ司なのかってほど紡いでいた。

時々、本部の人が来る時や、試験や研修の時などは紡ぎ司が紡いでいたけれど…。
それの、何がおかしいの?
みんな、そうじゃないの?

「お前は馬鹿か?」
「え?急な悪口」
言われて面白くないけれど、本部の人には逆らってはいけない。
穏やかに暮らしていたはずなのに…。

「サーヤ?候補生はあくまで候補生だ。紡ぎ司ではない」
ランの言葉も、当然のこと。
「そうだけど…?」

「ノア、サーヤは東の地で候補生時代から日常的に紡いで来たらしい」
昔話をする中で、候補生時代のこともランには話している。
だから、私には特におかしいとは思えない。

「は?」
だが、ノアさんの反応は違った。
「どういうことだ?」
ノアさんの疑問と圧に、ランが後ろを振り返り私を見る。
「サーヤは、候補生時代の2年間。東の地で紡ぎ司よりも数多く紡いでいたんだ」

「それは、おかしいはずだ。規約では…」
ノアさんの強い口調に、ランは負けなかった。
「規約など意味がない。実際に起きたことだ」

ノアさんは、『何だと?』と眉間の皺を深くした。
「…だから、記録を撮るようになったのではないのか?」
早口ではなくなった言葉に、ランはしっかりと頷く。
「そうだ。昨日の試験も撮っている。しかし、エリザはよほど自信があったのだろう?じゃなければ、嘘の報告などするわけがない」

ランは、全てお見通しのようだった。
ノアさんはそれに曖昧に頷く。
「そうだな、昨日の様子では…」

エリザを思い出しているのか、ノアさんが少しだけ目線を上にする。
「『試験は無事に終了した』と。『昇っている月を見れば、分かるはず』としっかり報告していた」
そうなんだ。

「それで?ノアさんは何を言いたくて?」
要領が掴めない。
私が馬鹿だから?

「本部からの視察として、明日から私もここに通うことになった」
「…はぁ」
通う?
この地に?
急に2人も人が増えるの?

「ただ、私もエリザもお互い、自分の家から通うので気にしなくて良い」
「そうなんですね。分かりました」
もう話は終わりだろうと、食べかけのパンを口に入れる。
失礼じゃない、よね?

すっかり冷めちゃった白パン。
でも、火で温めたこともあり、少しだけ香ばしさは残っている。
冷めても噛んでいると甘さが滲み出てくる。

お隣の奥さんは、パンを作るのが好きらしい。
毎日食べても追いつかないくらいのパンをくれる。
薄めた蜜入りのお手製パン。
奥さんは、私のことをとても気にしてくれる。

不思議なご縁。
私が東の地で候補生をしている時に知り合ったご家族。

11歳で候補生として住んでいた紡ぎ司の寮のご近所に住んでいた。
挨拶をするのは当たり前のことだったので、挨拶をしている内に、奥さんが話しかけてくれるようになった。
親元を離れて、私が寂しくないか心細くないか心配してくれた。
特に何も感じていなかったし、毎日忙しかったのであまりホームシックのような状態にはならなかったし。

そうこうしている内に、奥さんは自分の子ども達の話を聞かせてくれるようになった。
その時、上の息子さんは家具職人になりたいのに、修行の場があまりないという話を聞いた。
その時の私は急に閃いた。

幼馴染の実家は、家具屋だ。
おじさんは、手練れの職人だったはず。
予想通り、その界隈でも有名人のようだった。
だから、私の紹介で息子さんの修行先に決定した。

奥さんは感謝してくれた。
まぁ、家具職人で成功するかは本人次第だし。
チャンスだって、本人の運の内だし。
それからだろうか、挨拶するだけじゃないご縁が出来た。

候補生の2年間の間で、家族以外で親しくなった人達。
旦那さんも、人の良さそうなおじさんだった。
その後、私が北の地に紡ぎ司として辞令が降りたことを伝えにいくと、奥さんは寂しがってくれて…。

なのに、昨年から旦那さんと2人で北の地に移住した、と挨拶に来てくれた。
旦那さんは商人さんだったはず。
だけど、北の地で縫い糸の仕入れと販売で生計を立てるようになったと教えてもらった。
すごく驚いたのを覚えている。

候補生時代も何かと面倒を見てもらっていたけれど、この地に来てからは特に世話を焼かれている気がする。
多分。
そこまでお世話になっているのに、私がしていることは月に1度の薄めた蜜配布のみだ。

申し訳ないけれど、私は紡ぎ司でしか返せない。
それしか、私には出来ないから。
モグモグと食べながら、今日はとりあえず昨日思った通り糸の巻き直しをしようと思った。
奥さんのためにも、私の仕事に手を抜かない。
出来ることは、しっかりと行わなくては。

パンもすぐに食べ終わり、冷めてしまったミルクを飲んで『ごちそうさま』と手を合わせる。
ランもそれに合わせて席に戻る。
ミルクは飲み終えていたのか、同じように手を合わせていた。
「さて、糸を巻くか」
「では、私は村の様子を見て来ます」

「お前達は、それで良いのか?」
ノアさんの言葉に、首を傾げる。
「良くなくても、それが日常なのでは?」

「…そうじゃない」
ノアさんは、ここに現れた時のように高圧的ではなかった。
「私にどうしろと?」
何が正解なのか。

どうしたら、不機嫌ではなくなるのか。
あ、もう不機嫌じゃなさそう。
考えることは得意じゃない。
それに、いつも通りが良いので、これ以上問題がないならもうそのままで良い。

あぁ、この感覚。
幼馴染だったら、言うであろう呑気そうな言葉が頭をよぎった。
あの子だったらきっとそう言って、聞いた私がイラっとするであろう出来事。
でも、不思議だ。

当事者になったら、こんなにも落ち着いている。
「なので、ノアさんはどうぞ本部に戻ってください。明日からですよね?」
面倒なので、そう口にする。

虚偽をしていても、あの子が紡げばどっちにしろ分かること。
それが、候補生としてどうなるのか。
私には考えが足りないけれど、染み付いた単純作業のおかげで余計なことは考えなくなった。

籠に入っている糸の塊を1つずつ取り出し、束ねていた紐を外す。
糸は紡いだままの状態なので、それを解していく。
そして、糸巻きを改良した工具を使い一定の長さで改めてまとめていく。
まだ糸にはなっていないけれど、“糸巻き”と言う名称の作業。

気を付けないと、紡いだままの月の欠片は切れてしまう。
なので、ゆっくりとゆっくりと工具を回して巻いていく。
イメージはホースを丁寧に巻いて行くような…。
輪になっている金具に、締め過ぎないように繰り返し巻き付ける。

一定のリズムで動かし、1つの欠片が丁寧に輪に巻き付いて行く。
終わったら外し、紐で再び束ねていく。
そうすると、紡いだ1日分の欠片がまとまるのだ。

これを元に、職人たちは糸を編んだり加工するのだ。
王都でも人気という商品になる。
北の地の主な収入源になるのだ。
気合が入るのも当然だろう。

「サーヤ、そろそろ休憩にしませんか?」
ランの声にハッとする。
どのくらい集中していたのだろう。

思わず時計を見ると、10時を回っていた。
すでにあの話をしてから、2時間以上は経っていた。
束ねた物は8つくらいだろうか?
全部で26個になるはずだが、満月まではまだ1週間ほど残っている。
紡いでいない物はあといくつかある。

それでも、順調に進んだことに安心し体を伸ばす。
「そうだね、少し休もうか…」
言いながら伸びた手を戻そうとして気付く。
いつも私が紡ぐ作業場の横に現れた執務机。

そこには、書類だろうか?
手にした紙に、何かを書いているノアさんがいた。
何で?
気が付いた私に、ノアさんは『ふん』と不機嫌そうに口を曲げた。

「何かおかしいか?」
「…いいえ」
「明日から来るのも、今日からいるのも同じだろう?」
「…そうですね」

あまり関わり合いになりたくない。
だけど、今日は巻き直しの日にすると決めてしまったから、午後から違う作業にするのは気が引ける。
というか、いつの間に?

お引越しとでもいうのか、違う空間がそこに出来上がっているような…。
「何か空間が広くなった気がする」
私の言葉に、ランは驚いた表情をした。

「気付きますか?」
「え?」
何のこと?

「サーヤは、魔力の流れが見えて?」
ランの言葉に、首を傾げる。
魔力の流れ?
何それ?

分からない言葉に、首を傾げる。
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