宙の蜜屋さん

min

文字の大きさ
上 下
2 / 21

そらや

しおりを挟む
「区切り、か…」
サーヤは、さっきのランの言葉を繰り返す。
紡ぎ司の周辺では、上弦・満月・下弦・新月で区切る間隔が存在する。
目安にするのは丁度良いらしい。

新月を起点に期間を数えることも、満月を頂点に何かを始めるのも、世の中と違う流れはいくつかあった。
サーヤにとっては、スタートもゴールも折り返しも存在しない。
その位、紡ぎ司は終わりのない連続だった。

「これから満月か…」
満月に向かう時は、色々とエネルギーが溢れていく。
なので紡ぐ量が多く、神経が少しだけ覚醒する感じがする。
ただ、高揚しすぎないように気を付けるだけ。

逆に満月から下弦に向かう時は、また違う神経を遣う。
影が増えるので、減らし過ぎないように注意が必要だった。
それは、上弦も同じことだが。
いつも「減らし過ぎない。減らし過ぎない」と言い聞かせている。

だけど、この3年間で苦情が来たことはない。
そして協会から何も忠告もない。
なので、この北の地では上弦でも下弦でも月は少しだけふっくらとしている。

この地に移住してきた住民が、「北の地では月が大きく見える」と言っていたのを思い出す。
それは、サーヤが調整をして月の加護が届くようにと願っているからだろう。
ただでさえ厳しい寒さが続くので、住む住人がこれ以上困らないように気を付けている。

この北の地での仕事は限られている。
寒さが天敵なので、家の中ですることが多い。
だが、サーヤが紡ぐ月のおかげなのか北の地は飢えてはいない。
住民も領主も、簡潔でさっぱりとした性格の人間が多い。
移住してくる者は一定数いる。

今週も、移住者が1組いたはずだ。
先週出て行った埋め合わせのように、挨拶に来たのをぼんやりと思い出した。
北の地は不便なはずなのに、住んでいる人間は減ることはない。
そして、住んでいる住人も特に住みにくそうにはしていない。

領主とは別の存在の紡ぎ司は、ありがたいことに住民からも敬われている。
こんな小娘なのに。
ちゃんと存在を気にかけてもらっている。
それは、少し気恥ずかしいが嬉しいのも事実だった。

「ま、考えても仕方ないか」
明日は何をしようかと思い、籠に入れた欠片が目に入った。
「そっか、そろそろやるか」

明日は、夕方までの空いた時間で半月紡いだ欠片を綺麗に整えることに決めた。
これは気が向いた時に行わないと、絡まってしまったり満月の日の作業時に困ることになるから。
サーヤが1ヶ月かけて紡いだ月の欠片は、まとめて保管される。

1月かけて紡いだ物は、膨大な量だ。
それが、処理をされた後に大多数が一か所に集約される。
西の地にある通称宙屋そらやと呼ばれる商会にまとめられる。
協会が管理する、月を販売している大きな商会だった。

月の欠片は、紡ぎ司が処理をしても良いし、直接協会の本部に送っても良い。
どちらにせよ資格がある者しか、処理ができないから。
サーヤは自分で処理をすることが好きだった。
何でもゆっくりと進んで行く時間と世界は、かけがえのない仕事になった。

新月の夜に湧き出た水を汲んでおき、それを満月の晩まで寝かせておく。
満月の日にすることは簡単だ。
桶一杯の水で、月だったものをゆっくりと浸す。
ひたひたにすることで、月の欠片はとても艶が増して行く。

呪文も詠唱も、祈祷もまじないもいらない。
ただ、集めた物を桶に入れるだけ。
サーヤは特別なことは何もしていない。
だけど、次の日には桶の中にたっぷりの蜜が出来ている。

桶の中に溜まった蜜は、透明なシロップになる。
そして、蜂蜜のように小瓶に詰めることで処理は終わりだ。
小瓶にすると100には足りないが、協会に送る50を送っても問題がないほど残る。
それが、サーヤのノルマだった。
4年前から毎年小瓶の数は増え、今では50収めることが可能になった。

蜜は、万能薬になる。
ポーションや霊薬の精製、聖獣や精霊などへのお供えなどに好まれる。
だけど、資格がない物が扱ってもただの砂糖水のようになってしまうとのこと。
サーヤが持っている限り、蜜は蜜なので砂糖水の話は本当かどうかは分からない。

理由は不明だが、継承されたことで進んでいくものは今でも残っている。
本部が言う『資格』もそうだった。
いつの間に取ったのか不明だが、サーヤは資格を持っている人間になっていた。
そう、いつの間にか。

そして、この地でも「そらや」は小さな商店を構えていた。
4つの地で表し方は異なるものの、「宙屋」を名乗れるのは紡ぎ司のみだ。
「SO・RA・YA」でも良い、「宙や」「そら屋」でも良い。
サーヤは文字に拘りがなかった。
南の地の住人らしく、細かいことは気にしない性格だったから。

なので、表記は「そらや」と子どもでも読めるようにした。
「そらや」では、サーヤが紡いだ糸を加工したお守りや、蜜を加工したポーションなどを販売している。
そして、住民には薄めた蜜を各家庭に毎月配布している。
4年前にこの地に来た時に、あいさつ代わりに渡したら住民に喜ばれたから。

それから、毎月各家庭用に28個用意している。
一人暮らしだろうが、家族で住んでいようがそれは関係なく。
薄めた蜜など、加工は限られている。

そのまま飲んでも良い。
料理に使っても、お酒に使っても、それは貰った人の自由だ。
だから、1年間住めば薄めた蜜は12個回分もらえるはずだ。

南の地から、わざわざ牛乳瓶の加工をお願いし少し厚めに作ってもらっていた物が役に立った。
それを各家庭用に煮沸消毒し、毎月満月の次の日には28個分の薄めた蜜を用意している。
家庭では配られた蜜をかめに貯めている人や、貯蔵瓶などに移している人など様々だ。
翌週までには、配布した牛乳瓶は戻って来る。
特に決まりは設けていない。

多めに準備しているので、戻って来なくても良いのだが。
でも、北の地の住人は真面目なようで、毎月しっかりと牛乳瓶を返却してくれる。
だから、割れない限り牛乳瓶は繰り返し使えている。
薄めた蜜は、「そらや」で販売もしている。
なので、多く欲しい住人や他の地に送りたい住人などは定期的にまとめて購入してくれる。

そういうわけで、「そらや」の商売も上々だった。
多く稼がなくても、この地での生活には困っていない。
売り上げは計上するものの、西の地の「宙屋」に金銭を送ることはない。
加工品をどうしようと、それはサーヤの好きにして良いらしいから。

その生活も4年目に突入する。
加工された蜜になれば、資格がなくても効果が得られる。
それも何故だか分からない。
紡ぎ司にしかできないことは色々ある。
だからこそ、蜜の取り扱いは慎重だ。

不明なことは他にも多くあった。
だけど、それで世界が保たれるのであれば構わない。

残った欠片は、今度こそ糸になる。
月から剥がした時は、茹でたばかりのマカロニのようにツヤツヤで柔らかいのに。
蜜を除いた後は、絹のようにとても繊細な光を放つ糸になる。
この糸は、北の地での産業に回される。

糸加工を生業にしている住人に振り分け、商品の「糸」となるよう加工を依頼する。
糸用の木や製品に糸を丁寧に巻き取り、長さを揃えて「糸」を作り出す。
1年の中で、糸の色は多少変化する。
春先は濃い金色の糸だが、寒さが強くなるにつれて銀色の糸になっていく。

北の地では、縫物や織物に加工するための糸を編むことが主な仕事だった。
寒い地で、家の中で行う仕事としては最適な職種だ。
1日分紡いだ長い長い糸を、用途別に強度や太さを調節して編んでいく。
販売用に長さを決め、1つ1つの商品としての「糸」を作って行く。

サーヤは月から紡ぐ時、意識して1つの長さにしている。
なので、蜜抜きをした後で、加工職人に数日ずつ渡すことが可能になる。
毎日紡ぐ月は十五夜を中心に短くなる。
なので、住人達の作業工程を考えながら、長めの糸は手練れの職人に回るように考えている。

北の地の住民は真面目なようで、製品をしっかりと仕上げていく。
収入と言う面でも、飢えてはいないようだ。
あとは、夏季にささやかな植物を育てれば、北の地での1年は事足りる。
それもこれも、薄めた蜜を利用する住人がアイデアに富んでいるからだろう。

作物や果実にも、薄めた蜜は有効だった。
その間で夏季と冬季で仕事を分けている人もいる。
住人は真面目なので、きちんと領主に作物や加工品を納めている。
領主も善人な人物だ。
多分。
住人が文句を言っていないから。

北の地で作る糸はしっかりとした定評があり、そこそこの価値で取り引きされる。
宙屋に納めた物は、いつもすぐに商会で捌かれるらしい。
この糸を加工した衣類や、装飾品などは人気らしく王都とやらでも中々手に入らないらしい。
そのおかげで、この不毛な地でもこの世界には必要とされている。

だけど、この地で住む世帯は出入りを繰り返しても28世帯から増えも減りもしない。
なので家屋も家畜もそのまま住民に引き継がれる。
不思議なサイクル。
明日することも決まり、サーヤは伸びをするとお風呂に向かった。

この地では、体を温めることが習慣だった。
サーヤも移り住んでから、お風呂に浸かることが癖になった。
もう雪も解け始め、春になるというのに宵や明け方はとても冷える。
雪が溶け切らないと、快適には過ごせない。

夜が早く来る生活に順応し、閉じる夜に合わせて行動すること。
サーヤには、それが当たり前のことだった。
明日も日常の繰り返し。
それは、翌日に少しの変化をもたらすことをサーヤは想像もしていなかった。

翌日、6:30と早く目を覚ましたサーヤはまず、2階の寝室から出て1階に降りる。
顔を洗って口を漱いで、着替えを済ませる。
そして貯めている新月の晩に汲んだ湧き水の様子見をする。

桶の中で静かに貯まる水は、今日もしっかりと澄んでいる。
木の蓋を戻し、サーヤはいつも通りの日常を感じた。
時々、妖精や聖獣の類が来るのか、水が減っていることがある。
だけど、品質には問題がないので、サーヤは気にしていなかった。

「今日は、何を食べよう?」
1人でキッチンにいると、珍しく足音を響かせる気配がした。
ランだろうか?

「サーヤ、おはようございます!」
キッチンに飛び込むように来たのは、予想通りランだった。
慌ただしく挨拶をしたランに、少し面喰いながらもサーヤは「おはよう」と返事をした。

「今から朝ごはんですか?」
「う、うん」
「食べながらで良いので、少しだけよろしいでしょうか?」

ランの『よろしいでしょうか?』は何かあった時に言う言葉だった。
2年前、西の地の宙屋に送るノルマが増えた時も、研修生が来ないことを不満に思っていた時も、ランは必ずその言葉から切り出した。

「うん、どうしたの?」
サーヤは、考えても仕方ないと思い、白パンを1つと牛乳を取り出す。
朝はあまり食べない。
これで、十分だ。

ランがいる中で食事をすることも平気になった。
牛乳を鍋に入れ、薄めた蜜をスプーン1掬い分混ぜる。
サーヤの家には、それこそ牛乳瓶では納まらない程の薄めた蜜がある。

大きな鍋のような寸胴に、薄めた蜜が半分以上入っている。
こうしておけば、普段料理をする時にすぐに使える。
スプーンとおたまで使用する量は分けられる。

牛乳に混ぜるのは、住民から教えてもらった。
スプーン1杯入れることで、『毎日元気に過ごせる』と。
実際に、他の地でも行われているらしい。
ホットミルクよりも、少しだけ栄養価の高い飲み物になるようだ。

コンロに火を灯し、白パンを入れる。
温かいホットミルクと、ホカホカの白パンはすぐに出来た。
「それで、どうしたの?」
続けて『いただきます』と言いホットミルクを一口飲む。

「昨日の、見習い生ですが…」
「あぁ、昨日の?」
試験を出来なかった女の子。
16歳だと言っていた彼女がどうしたのだろうか?

「東の地、つまり王都で貴族の娘らしいのです」
「うん」
「それが、昨日の試験はきちんと出来たと虚偽の報告をしたそうです」
「…は?」

言われた言葉が理解できずに、サーヤの口からは間抜けな声が出た。
昨日の見習い生は、試験前に急に「出来ない」と言い出した。
それしか知らない。
だけど、虚偽?
何のために?

「候補生になりたいのかな?」
「何て呑気な!そんなわけはないのは明白でしょう!?サーヤが代わりに紡いだというのに、恩を仇で返すとはこのことだ!」

ランの気迫に押されて、サーヤは思わずびくりと肩を震わせる。
「まあまあ、ラン。落ち着いて?」
サーヤは席を立ち、もう1度鍋に牛乳を入れて温め薄めた蜜をスプーン一掬い分入れる。

「ま、飲んで?」
ランの前に、カップを出すとランは乗り出していた体を元に戻す。
「俺としたことが…。すみません」

ランは小さく『いただきます』と口にし、ホットミルクを飲む。
その様子に小さく溜め息を付くと、サーヤは自分も席に座り直す。
「うん、で?私の代わりに候補生でこの地に来るって?」

私の言葉が当たっていたのか、ランは「そのようですね!」と強く肯定した。
「じゃ、私は久しぶりに、どこか他の地に移動するのかな?」
私は呟き、他人事のように白パンを齧る。
「良いんですか!?」
「良いも何も、候補生の時に言われたからなぁ。本部の命令は絶対、決定されたら異論も申し立ても出来ないで従うしかないって」

そうだ。
だから、13歳の私は有無を言わさずにこの北の地に送られた。
紡ぎ司は本部から、各地への転移ゲートがある。
ゲートは各地の商店と繋がっている。

商店が実際の支部になるのだろう。
だから、ランも毎日商店で作業や本部への連絡を行っている。
「まぁ、別に良いけど。この地の人達が困らなければ…」

「これがどれだけ由々しき事態か理解していないのか、呑気な紡ぎ司がいるもんだ…」
ランとは別の言葉がし、寛いでいた私は少しだけ焦った。
そこには、見たことのない人がいたから。

いや、どこかで見たことがあるような、ないような…人だった。
しおりを挟む

処理中です...