宙の蜜屋さん

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紡ぎ司

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今日は上弦だ。
この日はつむにとって、少しの山場を迎える。
毎月訪れる上弦の日は、紡ぎ司の見習い試験に使われるほど少し難解だった。
半月に整った月は、綺麗な光を帯びている。

毎日変わっていく月を形成し、表面を手繰り寄せていくお仕事。
それが、紡ぎ司だ。
手繰り寄せた月は、糸のように細い。
なのに、手触りは糸や繊維のようにピンと張る感触ではない。

見た目だけは絹糸のようなそれを、適当な長さにまとめて籠に入れる。
さっきまで、月の一部だったとは思えないような物体。
置かれた月の欠片は、艶々と籠で輝いている。
遠い彼方に浮かんでいるはずの物が、たとえ断片とはいえ地上にあることの不思議。

彼女は、商売道具で相棒の水晶をするりと撫で柔らかい布を被せた。
「ふう、今日の分は終了」
両手の指を解し、溜め息をついたのは紡ぎ司のサーヤだ。
今年17歳になったばかりの彼女は、紡ぎ司として4年目を迎える。

本来なら15歳からしか、紡ぎ司の資格は発生しない。
でも、彼女は13歳から紡ぎ司として働いている。
「お疲れ様、今日も綺麗な月になりましたね」
助手のランが、リラックス効果のあるハーブティーを淹れてくれたようだ。

窓から見える、遥か彼方に輝く半月にサーヤもちらりと視線を送る。
「月が綺麗なのは当たり前でしょ?」
サーヤの言葉に、ランは苦笑を浮かべる。
彼との付き合いも、かれこれ4年になろうとしている。
最初こそお互いに緊張していたけれど、今ではお互いに砕けた雰囲気になった。

「そんなことを言うのは、サーヤくらいだ」
だけど、言われたサーヤはもう月を気にしないようにハーブティーを手に取った。
「ランは、おかしいことを言う」

そうだ。
月は、いつでも美しい。
美しくて、強大だ。

この世界には、魔法のような物が存在する。
魔物も存在する。
魔女だって、勇者だって、王様だっている。

当たり前のこと。
だけど、その“当たり前のこと”は守る者がいてこそ保たれるのだ。
サーヤは、この北の地で紡ぎ司になった。
雪に覆われることが半年以上続く地で。
産まれは南の地だったのに。

それこそ、仕方のないこと。
“紡ぎ司”はこの世界で4人だけ。
4人いないといけないのだ。
補助する者と、指導する者、鍛錬する者を含むとその数は4人などでは表せない。

東の地と。
西の地と。
南の地と。
北の地と。

紡ぎ司の技量で、その地の繁栄が変わって来る。
それもこの世界では当たり前のこと。
だから、南の地で生まれたサーヤが北の地で紡ぎ司をしているのもその時の流れだった。

太陽と月は、常に膨大なエネルギーが発生している。
しかし太陽は、常に燃え盛っていることで全ての質量が保たれている。
表面の膨張は燃えてしまい、核の変動も微々たるものだ。

だが、月は違う。
常に膨張するエネルギーが渦巻いている。
そのエネルギーを削いで、質量を保つこと。
それが紡ぎ司の仕事だ。

毎日増え続ける質量を、均等に保つこと。
美しく表面を整えること。
紡ぎ司にはそれが求められる。

どういう理論なのかは知らないが、紡ぎ司に受け継がれる水晶が全てだ。
水晶の表面を両手の指で撫でること。
まるで何かを手繰るように。
表面上は何もない空間を。
ただひたすらに。

でも、紡ぐことが上手に出来るとその両手には細く長い物体が発生する。
それをただ一定のリズムで紡いで行く。
途切れさせずに、同じ強さで紡ぐことが重要だ。
絹繭から糸を紡ぐように、花冠を組むように、空気を編んで行く。

毎日増える量を調節し、手探りと感覚だけで月の表面を剥いで行く。
紡ぎ司は、毎日夕方から月がそらに上がるまでに仕事を終えないといけない。
サーヤの今日の仕事は終わった。
ランが言うように、宙に輝く月は今日も綺麗な金色の光を放っている。

「折角の上弦だったのに。サーヤには折角のサポートの機会だったのですが…」
ランの言葉は、少しだけ迷っていた。
今日は紡ぎ司の見習い生が、試験を行う予定だった。
定期的に訪れる、もう習慣のような予定。

他の地では、毎月のように設けられている試験の日程。
しかし、北の地は人気がない。
寒いことで有名で、見習い生も候補生もほとんど訪れることがない地だ。
だから、サーヤはこの3年間、同じ地でずっと紡ぎ司の仕事を続けている。

試験で訪れる人間は少ない。
今回は久しぶりの見習い生の試験だったので、助手のランはとても張り切っていた。
しかし、見習い生が急に「出来ない」と言い始めた。

急に出来ないと言われ、焦ったのはランだった。
今日のために、急に増えたカリキュラムや段取り。
試験を行うに当たり、助手はその準備を一手に担っていた。
試験を残すための記録や提出物。

しかし、全ては無駄に終わった。
サーヤは試験が滞りなく行えるか補助に付いていた。
しかし、見習い生に『出来ない』と言われたことで、いつも通りの仕事をすることになった。
出来ないと言われても、サーヤは特に何も思わなかった。

月は待ってくれないから。
そういうこともあるだろうと、代わりに紡いだ。
サーヤにとっては、毎日行っている仕事をするだけだ。

『見ていなさい。次のために』
口ではそう言った。
呆然と震える見習い生に、いつもと同じように作業を見せた。
そして、月は変わらずに綺麗な弧を描いている。

「仕方ないわ。急に『さあどうぞ』って言われても、どうしたら良いのか分からなくなるものよ」
「…それは、確かに」
経験者のランは、遠い昔の記憶を思い出す。
見習い生は、新月から数えて1日目から3日目までは実地研修のように参加できる。

それを繰り返し、上弦の試験に臨む。
だが、最初の数日と上弦ではその質量の保持に大きな差が生まれる。
慣れていないと、集中力をたくさん削られ神経に多大な疲労が蓄積される。

ランは、あのじわりとする緊張感を思い出した。
見習い生には伝統の試験。
「今日の子は、また挑戦するかしら?」
サーヤの声に、それこそ首を傾げて曖昧に濁すラン。

紡ぎ司を目指す者は、毎年一定数存在する。
この世に存在する数多ある仕事の1つとして、紡ぎ司になること。
紡ぎ司になることは、魔女への近道でもある。

魔女は、この世界で花形の職業だ。
狭き門ではあるが、入り口は世界に多く散らばっている。
職人から魔法を極めるか、冒険者から魔法を極めるか、いずれにせよその年数は途方もない。
どこかのタイミングで、魔女への試験が発生するらしい。
しかし、紡ぎ司は年数の経過で魔女への入り口がきちんと明確に示されている。

だから、魔女になりたい子どもたちは、まずは紡ぎ司に焦点を当てる。
だが、紡ぎ司だって簡単になれるわけではない。
大体7歳前後から見習いを始め、数年の研修を繰り返すことが必要だ。
そして上弦の試験を超えた後に、ようやく候補生になれる。

候補生になっても、すぐに紡ぎ司になれるわけではない。
見習い生になるまで約5年、候補生になるまでに約数年を要する。
早くても2~3年、遅くても5年位はかかる。

だから、紡ぎ司の資格が15歳というのは“最短で取った場合”ということになる。
候補生は毎日の作業と、日々変わる月の様子をしっかりと観察することが中心になる。
時々紡ぎ司の仕事を代わりに行い、それが少しずつ候補生の主になり紡ぎ司として継承・承認されていく。
何よりも候補生に求められるのは、紡ぎ司として生きていくことの覚悟を決めること。

仕事内容よりも、毎日の繰り返しの方が積み重なって疲労になっていく。
候補生になっても、紡ぎ司になる前に辞退する者も多い。
それは、即ち魔女への道を諦めるのと同意だ。

諦めても、他の仕事はいくらでもある。
紡ぎ司までの経験が、その後の仕事に繋がるから。
他の職業に就いた者、紡ぎ司を退いた者はその重圧を身を以て思い知る。
自分の置かれた環境が過酷だったことを。
紡ぎ司の休みは新月と満月の日のみだ。

ランもかつては、魔女への道を目指していた。
だが、その過程で出会ったサーヤを支えたい気持ちの方が勝ってしまった。
彼は、その自分の決定に不満も後悔もない。
紡ぎ司の仕事は過酷だ。
それを支える助手や候補生、見習い生もそうだ。

でも、サーヤは休みがなくても文句を言ったことはない。
寒いことはいつでも文句を言うくせに。
休みがないのは、はっきり言って良い仕事ではない。

厳密に言うと、新月の日は夜中に1つの作業が待っている。
それでも、サーヤは休みが1日しかない紡ぎ司に何も思っていなかった。
サーヤの天職だったから。
ランは、そんなサーヤを尊敬している。

「でも、試験は…」
駄目になってしまった。
そのことは、見習い生には大きな挫折だろう。

だが、今日の見習い生は本当に落ち込んでいるのか不思議な反応だった。
素早く丁寧な作業を、息を呑んで見守っていた。
ランは、自分まで誇らしい気持ちになった。
眺めている見習い生の目が輝いていたから。
続けるか、後方に回るか彼女はこれから選択するのだろう。

「ま、良いわ何でも」
今日も月は綺麗に上がった。
それだけで十分だった。

無意識に手を伸ばしたミサンガは肌にとても馴染んでいる。
「それ、久しぶりに見ました」
ランの言葉に、手にしていたミサンガをそっと外す。

「そう?たまには良いでしょ?」
サーヤの言葉に、ランはまた苦笑する。
さっさとポケットにしまったミサンガは、唯一北の地に一緒に来たサーヤの仲間だった。
紡ぎ司は多くの物を持たない。

いつでも、すぐに各地に行けるように身軽でなければいけないから。
家も、設備も、生活に必要な物も、その地で調達しないといけないことになっている。
地を繁栄させる、つまりは世界を保つことに必要なため、その生活は国が全て保証してくれる。
それでも、紡ぎ司は年数ごとに持ち物が増えて行く。
サーヤを除いて。

「サーヤのお友達が作ったという…」
「友達じゃない。ただの幼馴染」
ランの言葉を遮り、サーヤは素っ気なく返答する。

「今も、まだ見習いなんじゃないの?」
同い年の幼馴染は、小さい頃から1つのことに集中すると回りが見えなくなる。
「鳴かず飛ばずの職人なんて、辞めれば良いのに」
サーヤの言葉に、ランは困ったように笑う。

ふと浮かぶ、幼馴染の姿。
小さい時から、変わらずに1つのことー鉱物ーにしか興味のない姿に子ども心に“つまらない奴”と思っていた。
それでも、本人は呑気に楽しそうに鉱物と過ごしていた。
なので、サーヤは彼女の姉と共に行動することが多かった。
外に出て森や林に行き、植物を摘んだり果実を食べたり、そんな幼少期だった。

なのに、3歳頃だっただろうか。
いつも家にしかいないその子が、急に工房に通うようになった。
急に置いていかれたような気になって、サーヤも何か集中できることがないか探した。

サーヤが産まれたのは、幸いにも工房の郷だったから。
だけど、どの職人もピンと来なかった。
村の子どもが目を輝かせて目指す職人に出会う中、サーヤだけはどの職人も響かなかった。
作業も工程も、惹かれるものがなかった。

村の子ども達は、物心がついた頃には何となく自分の好きな工房の見学に通うようになる。
家の家業を継ぐことも多い。
同じように、農家や商家など何でも仕事は溢れていた。
サーヤはどこの工房にも行かず、外で遊ぶことを繰り返した。

その内に、幼馴染は自分のしたいことを如実に形にしていった。
生き生きと暮らす彼女を羨ましいとこっそり思っていた。
そんな彼女がくれたのが、ミサンガだった。
確か5歳を過ぎた辺り、6歳の誕生日頃だった気がする。

一応、私のことを家族枠に入れていたことに驚き、そんなに言うのなら貰ってやらないこともないと満更でもなく受け取ったミサンガ。
プレーナイトが嵌ったミサンガは、サーヤと彼女を繋ぐ1つの物だった。
でも、これを貰ってすぐ位の頃に紡ぎ司の仕事を知った。

そこからは、あっという間の出来事だった。
あの子の方が先に見習いになったのに、私の方が先に紡ぎ司になった。
つまりは、一人前になるのが早かった。
その時も、彼女はへらりと笑って『おめでとう』と言っていた。
私の悔しさなど知らない笑顔で。

物に罪はないから、ミサンガは子どもの頃から使用している。
別に気に入っているわけじゃない。
ただ、新しい物を作ると言う彼女に、無駄だからいらないと突っぱねた。
それを気に入っていると勘違いした幼馴染は、それ以降『新しい物を』と言うことはなくなった。

私が4年前に北の地に行くと言った時も、彼女はミサンガのことしか気にしていなかった。
もっと頑丈になるように、寒い地でも持つようにと装丁を新調してくれた。

私が南の地から北の地に行くことも、彼女にとってはどうでも良いことのように。
幼馴染も、友達もたくさんいる。
彼女の姉とは、いまだに手紙のやり取りをしている。
だけど、異質な彼女のことは今でも鮮明に覚えている。
「もう、4年か」

ミサンガは捨てていない。
このミサンガは、私の唯一の味方で半身だ。
彼女がどれだけ職人として劣っていても、私の幼馴染だ。
「職人がダメなら、私のアシスタントで雇っても良いのに…」

素直じゃないサーヤの言葉に、ランは声を出して笑った。
「それは、楽しいでしょうね」
ランの揶揄うような言葉に、サーヤは少しだけ口を尖らせる。
「本当に思ってる?」
「えぇ、サーヤの大事なお友達ですから」
「幼馴染!」

「はいはい。サーヤも、今日は早めにお休みください」
ランの言葉に、そこまで疲れていないことを思ったけれど素直に頷く。
「予定にないことが起きると、取り乱すでしょ?ランもお疲れ様」
「そうですね、本当に今日はお疲れさまでした」
ランの労いの言葉に、サーヤも同様に返答する。

「今日の報告を、まとめてきます。一旦の区切りなので…」
紡ぎ司の協会があり、そこで本日の試験について報告をするのだろう。
「うん、よろしく」
ランはお辞儀をして、紡ぎ司の部屋を後にした。

残ったサーヤは、室内で冷めたハーブティーをコクリと飲み込んだ。
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