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2章
週末
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いつもの通りに、お母さんが学校へ送ってくれる車内。
お泊まりの準備をした荷物を車に積もうと思ったら、お母さんが苦笑していた。
「のぞみは気にしないで良いのよ」
お母さんに玄関に置いておくように言われる。
昨日、みーちゃんも気にしなくて良いと言ったけれど、どうしてだろう。
「…はい」
だけど、みーちゃんがお母さんを避けていることから少しだけ聞きにくい。
智ちゃんは、家に来てお母さんと話すことも多い。
私に電話してくれる前に、お母さんとお話をしている延長のように。
目の前で、会話をしている2人を見ると少しだけ安心する。
だけど、みーちゃんは昨日の下校の時みたいに私以外と話をしないことが多い。
ママの家ではそんなことないのに。
車内でも、私から何かを言おうとは思えず言葉を探す。
「のぞみ?」
「…はい」
運転するお母さんをじっと見つめる。
「お泊まり、楽しみなのよね?さやかに遠慮して言えなかっただけ?それとも…」
お母さんの言葉が止まる。
「あの……はい。楽しみ、です」
私のぎこちない返答に、お母さんは苦笑した。
「のぞみの大事なママがいるんだから、本当はもっと行きたいのに…ごめんなさいね」
お母さんの言葉に、一瞬返答に困る。
「さやかがあんまり大袈裟に騒ぐから、その、大切なお兄さんなのに満足に会えないでしょ?」
「…それは」
智ちゃんは、本当に毎週電話をしてくれる。
週末、大体金曜日の夜に。
智ちゃんの都合が悪いと、土曜日の夜に。
私にあったこと、私の学校での出来事をお母さんから聞いてから私とお話しする。
智ちゃんからの電話は、私に約束されたお兄ちゃんとの大事な時間だ。
みーちゃんからの電話は全くない。
お母さんの言葉を思い出し、慌てて首を振る。
「そんなこと…お母さんが謝ることじゃ、ないです」
そう、お母さんが謝ることじゃない。
私に覚悟がないから。
自信を持って、どっちを優先したいと思えない私がいけない。
「のぞみのため、ってみんなが頑張りすぎてしまうのよね」
まるで私にではない呟き。
『お母さんも?』
つい、聞きそうになってぐっと我慢する。
たくさん迷惑をかけているお母さんに、これ以上頑張らせてしまう気がして。
そんなことは言えなかった。
聞く勇気が全く出なかった。
弱い私。
それ以上会話はなく、静かに学校に到着する。
ゆっくりと車を降りる。
「じゃあ、行ってきます」
いつも、お母さんはそのまま挨拶をして家に帰るのに。
「…どうして?」
一緒に車を降りるお母さんがいた。
「のぞみのことを見送りたいから、かしら?」
ふふっと笑うお母さん。
いつでも優しいお母さん。
今日、みーちゃんがお迎えに来たら、私はそのままおじいちゃんの家に行く予定になっている。
「…ありがとう、お母さん」
「良いのよ。気を付けて行ってらっしゃい」
「…はい!」
お母さんの笑顔に、しっかりと返事をする。
「行ってきます」
「楽しんでね」
笑顔のお母さんにホッとして、手を振りながら歩き出す。
私が見えなくなるまで、車は発進しなかった。
玄関に差し掛かり、ようやく聞き慣れたエンジン音がする。
通り過ぎるお母さんに手を振る。
私は笑えていたかな?
しばらく車を見つめ、小さくなる車を見送る。
「春川」
乃田さんの声がした。
慌てて振り向くと、今日も待っていてくれたのか乃田さんが下駄箱の横に立っていた。
「ご、ごめんなさい!」
「良いから!慌てるなって!」
乃田さんの言葉に、慌てて靴を脱ごうと思っていた気持ちが薄れていく。
「そうじゃなくて、あの、待たせてしまったこともそうだけど…」
昨日のみーちゃんの行動を思い出す。
折角、私の大事なお友達を紹介しようと思っていたのに。
話もしないでさっさと帰ってしまったことを後悔する。
「あの、みーちゃんが酷い態度だったから、その…でも、いつもはもっと優しくて…、ちゃんと話だって聞いてくれて…」
「あらあら春川、過呼吸になってしまうわ。こういう時こそ深呼吸よ」
乃田さんで見えていなかったけれど、下駄箱の陰から布之さんが現れる。
「あ、馬鹿!まだ隠れてろって言ったのに!まずは、私が話すって決めただろ?」
「あら?そうだったかしら?だって、あかりってば春川を立たせたままだし」
布之さんの言葉に、まだ靴を履いたままだったことを思い出す。
「靴を履き替えて、ゆっくりと教室に行きましょう?」
布之さんのいつもの声。
「布之さんも、ごめんなさい」
みーちゃんに紹介してほしいって言ってくれたのに。
私は出来なかった。
「昨日、みーちゃんが酷い行動をしてしまって、嫌な気持ちにさせてしまったと思うの」
「私?」
「うん」
布之さんはクスクスと笑った。
「気にしていないわ」
「でも、布之さんが紹介してほしいって言ってくれたのに…私は上手に出来なかったから」
「急に、あんな風に抱っこされて運ばれたら、誰だって何も出来ないわ。だから春川が気にすることじゃないのよ。だから謝らないで?」
「だけど…」
「良いから!まずは靴を履き替えろって!」
乃田さんの言葉に、慌てて靴を脱ぐ。
「慌てんなって!怪我したら、大変だから」
乃田さんの言葉に、そうだったと思い出す。
「…今日、このままおじいちゃんの家に行くの」
「だったら尚更、慌てんなって。誰も急かしてないだろ?ウチもかすみも、待ちたくて待ってる」
「…ありがとう!」
乃田さんと布之さんの言葉に、ゆっくりと靴を履き替える。
「おはよ!春川」
乃田さんの変わらない笑顔。
朝のお母さんを思い出す。
「おはよう、乃田さん」
私も力が抜けたまま自然と笑えていたと思う。
「おはよう、春川」
「おはよう、布之さん」
2人に挨拶をして、顔を見合わせて笑う。
歩きながら、やっぱり昨日のみーちゃんの行動がやっぱり間違っていたと思い出す。
「あの、乃田さんも布之さんも、昨日はみーちゃんが話を聞いてくれなくてごめんなさい!」
廊下で止まり、頭を下げる。
「やめろって!春川は悪くないだろ」
乃田さんが私の肩に手を置いて、下げたままの体を起こしてくれる。
「…でも、みーちゃんが、あの」
「あらあら、泣かないで春川」
布之さんの言葉に、まさに泣きそうだった私がぎゅっと口を結ぶ。
泣いても変わらない、そう思って布之さんにも視線を合わせてから頭を下げる。
「ごめんなさい、布之さん」
だけど、体は前に行かず途中で止まる。
「駄目よ、謝らないでって私は言ったんだから」
布之さんが私の両肩に手を置いて、体が前に動かないように止める。
「春川?私は謝ってほしい時はきちんと伝えるわ」
「…本当?」
「えぇ、ここで嘘をついても何の意味もないでしょう?春川が気にする必要もないし、春川が謝る必要もないわ」
布之さんのまっすぐな視線に、視線が潤んでくる。
「でも、折角布之さんが…紹介してほしいって言ってくれたのに…。嬉しかったのに」
「あらあら、本当に可愛いんだから春川は」
布之さんの困ったような笑い顔に、どういう表情をしたら良いのか分からず戸惑ってしまう。
「それに、湊さんが言っていたでしょう?春川に会うの1年ぶりなんでしょう?じゃあ、初対面の私達に気持ちが向かないのは当然じゃない?」
「そーそー!会いたくて仕方なかった春川にようやく会えたんだろ?遠い所わざわざ来てさ?そりゃ、ウチらなんて相手にされなくて仕方ないだろ?」
2人の言い方が、決してみーちゃんを責めていないことに驚く。
「…乃田さん、布之さん」
「考えてみたらさ、ウチらはさ毎日ほとんど会えるじゃん?だけど湊さんは会いたくても会えなかったわけだろ?春川の家に行くわけでもなくさ?そしたら時間も惜しくなるの当たり前じゃん」
乃田さんの明るい声。
「そうよね、こうやって毎日会える私達と違って時間だって限られているわけだし。それは春川のこと独占したくなるのも頷けるものね」
布之さんの落ち着いた声。
「それに、今日だってチャンスはあるもの」
布之さんが片目を瞑り、そう言ってくれた。
昨日、あんなに話を聞いてくれなかったみーちゃんなのに。
「そうだな!今日は勝手に着いてくかもしれんし」
笑いながら言う乃田さんに、緊張していた気持ちが落ち着く。
「ほら、試験も終わったことだし、私達も日常に戻りましょう?」
「だな、まずは教室に行こうぜ」
「…ありがとう」
「「どうしたしまして」」
呆然とお礼を言う私に、2人は返事をくれる。
それがこんなにも嬉しい。
「乃田さんと布之さんが、お友達で良かった。お友達…に、なってくれてありがとう」
ポツリと出た言葉。
2人が驚いたような顔をする。
「それはこっちのセリフ!こんなに乱暴なのにさ、友達になってくれてありがとな!」
乃田さんの言葉に、首を振る。
「そうよ。こんなに繊細な春川が、がさつなあかりと、無神経な私とよく友達になってくれたって奇跡みたいだわ。だから、ありがとう春川」
何でこんなに嬉しいことを言ってくれるんだろう。
「ほらほら、友達の高杉が教室で待ってるから行こうぜ!」
乃田さんの元気な声に私も頷く。
「うん!」
今日は体育祭の準備がメインだった。
昨日まで試験だったことや、勉強が終わったことで解放された気持ちからかクラスメイトも活動を楽しんでいるようだった。
みんなジャージになって、体育倉庫から体育祭に使う道具を運び出す。
大谷先生が事前に確認してくれて、参加したいことをきちんと答える。
私は布之さんと一緒に行動することになった。
重い物や大きい物ではなく、点数表や入退場口に使う長い棒を一緒に運ぶ。
「しっかり持ってね」
布之さんの言葉をしっかりと聞いて、危なくないように動く。
「これだけの人数で準備すれば、すぐに終わるもの」
グラウンドでは、色々な場所で色々な掛け声とでも言うのか、賑わっている空間が窺える。
「あとはこれらの掃除よね」
少しだけトーンを落とした布之さん。
「掃除まで生徒にさせるのはどうかと思うけれど…」
「でも、汚れたままの道具より、綺麗になった道具の方が気持ちが違うかもしれないし…」
「本当に、その考えは素晴らしいわ。春川を見習って、私も心機一転掃除をするわ」
布之さんが褒めてくれたことが嬉しくて、照れてしまった。
「あかりや高杉は確実に力作業だものね」
グラウンドでは、長くて大きい縄や重いタイヤ、パイプ椅子などを運んでいる生徒が多い。
「こういう時、運動部は頼りになるわね」
「そうだね、乃田さんも高杉君も暑いのに、頑張るね」
たくさんいる生徒の中でも、活発な乃田さんと背の高い高杉君は見つけやすい。
2人とも、直射日光の中で汗をたくさんかいているのだろう。
声を出して、同じ部活の生徒と一緒に活動している。
「頼りにされて、すごいなぁ」
勿論布之さんも。
さっきから、色々な生徒が何かを確認しに来ている。
その度に、テキパキ応える布之さんを見ていて尊敬の気持ちが生まれる。
「布之さんも、本当は本部?に行かなくちゃいけなかったんだよね?ごめ…」
「謝らなくて良いのよって、それよりも春川の楽しんでいる顔を見せて、折角日陰で作業なんだから」
そう、布之さんは私に付き添うという名目で、ずっと一緒にいてくれる。
「私は春川が楽しめればそれで良いんだから」
謝ろうとした私に苦笑して、布之さんはまたお茶目に片目を瞑った。
「…ありがとう」
準備の時間は、あっという間に終わった。
布之さんが気を遣ってくれたのか、着替えに行くのも少し遅くして更衣室は人がほとんどいなかった。
「1人の方が良いかしら?」
布之さんの言葉に、首を傾げる。
「何で?着替えないと時間がなくなってしまうでしょ?」
「…春川が良いなら、ね。着替えましょうか?」
「うん」
私は日陰にいたことと、上着を着ていたことであまり日焼けもしていない。
汗もほとんどかいていない。
「もう、乃田さんは教室かな?」
グラウンドで汗をかいていた乃田さんを思い出す。
「運動部で打ち合わせがなければ、ね?」
そっか。
高杉君も乃田さんも運動部だ。
顧問の先生のお話や、連絡事項などがあったら遅くなるのだろう。
「ま、今日はホームルームもほぼ時間で解散だし、気にしないで戻りましょ」
「うん」
教室に戻って、大谷先生の話を聞いて下校となった。
戻ってきていない運動部のクラスメイトが何人かいた。
乃田さんと高杉君も戻って来ていなかった。
ガッカリしたけれど、布之さんの『帰り道は一緒よ』の言葉で安心してしまった。
お昼前に解散になることも、まだ見えていることもワクワクを加速させる。
少し教室で布之さんと話をしていたら、乃田さんと高杉君が戻って来た。
急いでいたのか、走って来たのか2人は息を切らしていた。
「ど、どうしたの?」
「春川との時間がなくなるって、マジダッシュしたから」
乃田さんの言葉に、焦らせてしまったのかと私の方が慌てる。
「違う違う。今日は部活もないし、湊さんに挨拶するって決めてたから、さ?」
乃田さんの言葉は、今日もまっすぐで私はとても嬉しくなる。
「着替えてないけど、玄関に行こうぜ?もう、ほとんど下校してるし、人も少ないだろ?」
ジャージで汗を拭いながら、乃田さんが机にかかっていた通学用のバックを手にする。
横の席に戻って来た高杉君も、肩で息をしていた。
「高杉君、大丈夫?」
「…大丈夫、久々に1階から走ったな」
高杉君の何でもない言葉に、あの長い距離を走って来たのかと驚いてしまう。
「ウチらはジャージで良いしな」
乃田さんの言葉に、『そうだな』と返事をする高杉君。
2人が一緒に下校してくれる気持ちでいることから、私も席を立つ。
「みんな、早下校でさっさと帰ったな」
乃田さんの言葉に、人がいない玄関を見渡す。
「これで、遠慮なく湊さんと話が出来るわね」
布之さんの言葉に、布之さんがみーちゃんに挨拶をしたいと言っていた言葉が本気なんだと再確認する。
「そうそう、今日こそはちゃんと自己紹介しないとな」
私が自慢に思える程、素晴らしいお兄ちゃんなのに。
「大好きなお兄ちゃんなのに、何でだろう?」
お泊まりの準備をした荷物を車に積もうと思ったら、お母さんが苦笑していた。
「のぞみは気にしないで良いのよ」
お母さんに玄関に置いておくように言われる。
昨日、みーちゃんも気にしなくて良いと言ったけれど、どうしてだろう。
「…はい」
だけど、みーちゃんがお母さんを避けていることから少しだけ聞きにくい。
智ちゃんは、家に来てお母さんと話すことも多い。
私に電話してくれる前に、お母さんとお話をしている延長のように。
目の前で、会話をしている2人を見ると少しだけ安心する。
だけど、みーちゃんは昨日の下校の時みたいに私以外と話をしないことが多い。
ママの家ではそんなことないのに。
車内でも、私から何かを言おうとは思えず言葉を探す。
「のぞみ?」
「…はい」
運転するお母さんをじっと見つめる。
「お泊まり、楽しみなのよね?さやかに遠慮して言えなかっただけ?それとも…」
お母さんの言葉が止まる。
「あの……はい。楽しみ、です」
私のぎこちない返答に、お母さんは苦笑した。
「のぞみの大事なママがいるんだから、本当はもっと行きたいのに…ごめんなさいね」
お母さんの言葉に、一瞬返答に困る。
「さやかがあんまり大袈裟に騒ぐから、その、大切なお兄さんなのに満足に会えないでしょ?」
「…それは」
智ちゃんは、本当に毎週電話をしてくれる。
週末、大体金曜日の夜に。
智ちゃんの都合が悪いと、土曜日の夜に。
私にあったこと、私の学校での出来事をお母さんから聞いてから私とお話しする。
智ちゃんからの電話は、私に約束されたお兄ちゃんとの大事な時間だ。
みーちゃんからの電話は全くない。
お母さんの言葉を思い出し、慌てて首を振る。
「そんなこと…お母さんが謝ることじゃ、ないです」
そう、お母さんが謝ることじゃない。
私に覚悟がないから。
自信を持って、どっちを優先したいと思えない私がいけない。
「のぞみのため、ってみんなが頑張りすぎてしまうのよね」
まるで私にではない呟き。
『お母さんも?』
つい、聞きそうになってぐっと我慢する。
たくさん迷惑をかけているお母さんに、これ以上頑張らせてしまう気がして。
そんなことは言えなかった。
聞く勇気が全く出なかった。
弱い私。
それ以上会話はなく、静かに学校に到着する。
ゆっくりと車を降りる。
「じゃあ、行ってきます」
いつも、お母さんはそのまま挨拶をして家に帰るのに。
「…どうして?」
一緒に車を降りるお母さんがいた。
「のぞみのことを見送りたいから、かしら?」
ふふっと笑うお母さん。
いつでも優しいお母さん。
今日、みーちゃんがお迎えに来たら、私はそのままおじいちゃんの家に行く予定になっている。
「…ありがとう、お母さん」
「良いのよ。気を付けて行ってらっしゃい」
「…はい!」
お母さんの笑顔に、しっかりと返事をする。
「行ってきます」
「楽しんでね」
笑顔のお母さんにホッとして、手を振りながら歩き出す。
私が見えなくなるまで、車は発進しなかった。
玄関に差し掛かり、ようやく聞き慣れたエンジン音がする。
通り過ぎるお母さんに手を振る。
私は笑えていたかな?
しばらく車を見つめ、小さくなる車を見送る。
「春川」
乃田さんの声がした。
慌てて振り向くと、今日も待っていてくれたのか乃田さんが下駄箱の横に立っていた。
「ご、ごめんなさい!」
「良いから!慌てるなって!」
乃田さんの言葉に、慌てて靴を脱ごうと思っていた気持ちが薄れていく。
「そうじゃなくて、あの、待たせてしまったこともそうだけど…」
昨日のみーちゃんの行動を思い出す。
折角、私の大事なお友達を紹介しようと思っていたのに。
話もしないでさっさと帰ってしまったことを後悔する。
「あの、みーちゃんが酷い態度だったから、その…でも、いつもはもっと優しくて…、ちゃんと話だって聞いてくれて…」
「あらあら春川、過呼吸になってしまうわ。こういう時こそ深呼吸よ」
乃田さんで見えていなかったけれど、下駄箱の陰から布之さんが現れる。
「あ、馬鹿!まだ隠れてろって言ったのに!まずは、私が話すって決めただろ?」
「あら?そうだったかしら?だって、あかりってば春川を立たせたままだし」
布之さんの言葉に、まだ靴を履いたままだったことを思い出す。
「靴を履き替えて、ゆっくりと教室に行きましょう?」
布之さんのいつもの声。
「布之さんも、ごめんなさい」
みーちゃんに紹介してほしいって言ってくれたのに。
私は出来なかった。
「昨日、みーちゃんが酷い行動をしてしまって、嫌な気持ちにさせてしまったと思うの」
「私?」
「うん」
布之さんはクスクスと笑った。
「気にしていないわ」
「でも、布之さんが紹介してほしいって言ってくれたのに…私は上手に出来なかったから」
「急に、あんな風に抱っこされて運ばれたら、誰だって何も出来ないわ。だから春川が気にすることじゃないのよ。だから謝らないで?」
「だけど…」
「良いから!まずは靴を履き替えろって!」
乃田さんの言葉に、慌てて靴を脱ぐ。
「慌てんなって!怪我したら、大変だから」
乃田さんの言葉に、そうだったと思い出す。
「…今日、このままおじいちゃんの家に行くの」
「だったら尚更、慌てんなって。誰も急かしてないだろ?ウチもかすみも、待ちたくて待ってる」
「…ありがとう!」
乃田さんと布之さんの言葉に、ゆっくりと靴を履き替える。
「おはよ!春川」
乃田さんの変わらない笑顔。
朝のお母さんを思い出す。
「おはよう、乃田さん」
私も力が抜けたまま自然と笑えていたと思う。
「おはよう、春川」
「おはよう、布之さん」
2人に挨拶をして、顔を見合わせて笑う。
歩きながら、やっぱり昨日のみーちゃんの行動がやっぱり間違っていたと思い出す。
「あの、乃田さんも布之さんも、昨日はみーちゃんが話を聞いてくれなくてごめんなさい!」
廊下で止まり、頭を下げる。
「やめろって!春川は悪くないだろ」
乃田さんが私の肩に手を置いて、下げたままの体を起こしてくれる。
「…でも、みーちゃんが、あの」
「あらあら、泣かないで春川」
布之さんの言葉に、まさに泣きそうだった私がぎゅっと口を結ぶ。
泣いても変わらない、そう思って布之さんにも視線を合わせてから頭を下げる。
「ごめんなさい、布之さん」
だけど、体は前に行かず途中で止まる。
「駄目よ、謝らないでって私は言ったんだから」
布之さんが私の両肩に手を置いて、体が前に動かないように止める。
「春川?私は謝ってほしい時はきちんと伝えるわ」
「…本当?」
「えぇ、ここで嘘をついても何の意味もないでしょう?春川が気にする必要もないし、春川が謝る必要もないわ」
布之さんのまっすぐな視線に、視線が潤んでくる。
「でも、折角布之さんが…紹介してほしいって言ってくれたのに…。嬉しかったのに」
「あらあら、本当に可愛いんだから春川は」
布之さんの困ったような笑い顔に、どういう表情をしたら良いのか分からず戸惑ってしまう。
「それに、湊さんが言っていたでしょう?春川に会うの1年ぶりなんでしょう?じゃあ、初対面の私達に気持ちが向かないのは当然じゃない?」
「そーそー!会いたくて仕方なかった春川にようやく会えたんだろ?遠い所わざわざ来てさ?そりゃ、ウチらなんて相手にされなくて仕方ないだろ?」
2人の言い方が、決してみーちゃんを責めていないことに驚く。
「…乃田さん、布之さん」
「考えてみたらさ、ウチらはさ毎日ほとんど会えるじゃん?だけど湊さんは会いたくても会えなかったわけだろ?春川の家に行くわけでもなくさ?そしたら時間も惜しくなるの当たり前じゃん」
乃田さんの明るい声。
「そうよね、こうやって毎日会える私達と違って時間だって限られているわけだし。それは春川のこと独占したくなるのも頷けるものね」
布之さんの落ち着いた声。
「それに、今日だってチャンスはあるもの」
布之さんが片目を瞑り、そう言ってくれた。
昨日、あんなに話を聞いてくれなかったみーちゃんなのに。
「そうだな!今日は勝手に着いてくかもしれんし」
笑いながら言う乃田さんに、緊張していた気持ちが落ち着く。
「ほら、試験も終わったことだし、私達も日常に戻りましょう?」
「だな、まずは教室に行こうぜ」
「…ありがとう」
「「どうしたしまして」」
呆然とお礼を言う私に、2人は返事をくれる。
それがこんなにも嬉しい。
「乃田さんと布之さんが、お友達で良かった。お友達…に、なってくれてありがとう」
ポツリと出た言葉。
2人が驚いたような顔をする。
「それはこっちのセリフ!こんなに乱暴なのにさ、友達になってくれてありがとな!」
乃田さんの言葉に、首を振る。
「そうよ。こんなに繊細な春川が、がさつなあかりと、無神経な私とよく友達になってくれたって奇跡みたいだわ。だから、ありがとう春川」
何でこんなに嬉しいことを言ってくれるんだろう。
「ほらほら、友達の高杉が教室で待ってるから行こうぜ!」
乃田さんの元気な声に私も頷く。
「うん!」
今日は体育祭の準備がメインだった。
昨日まで試験だったことや、勉強が終わったことで解放された気持ちからかクラスメイトも活動を楽しんでいるようだった。
みんなジャージになって、体育倉庫から体育祭に使う道具を運び出す。
大谷先生が事前に確認してくれて、参加したいことをきちんと答える。
私は布之さんと一緒に行動することになった。
重い物や大きい物ではなく、点数表や入退場口に使う長い棒を一緒に運ぶ。
「しっかり持ってね」
布之さんの言葉をしっかりと聞いて、危なくないように動く。
「これだけの人数で準備すれば、すぐに終わるもの」
グラウンドでは、色々な場所で色々な掛け声とでも言うのか、賑わっている空間が窺える。
「あとはこれらの掃除よね」
少しだけトーンを落とした布之さん。
「掃除まで生徒にさせるのはどうかと思うけれど…」
「でも、汚れたままの道具より、綺麗になった道具の方が気持ちが違うかもしれないし…」
「本当に、その考えは素晴らしいわ。春川を見習って、私も心機一転掃除をするわ」
布之さんが褒めてくれたことが嬉しくて、照れてしまった。
「あかりや高杉は確実に力作業だものね」
グラウンドでは、長くて大きい縄や重いタイヤ、パイプ椅子などを運んでいる生徒が多い。
「こういう時、運動部は頼りになるわね」
「そうだね、乃田さんも高杉君も暑いのに、頑張るね」
たくさんいる生徒の中でも、活発な乃田さんと背の高い高杉君は見つけやすい。
2人とも、直射日光の中で汗をたくさんかいているのだろう。
声を出して、同じ部活の生徒と一緒に活動している。
「頼りにされて、すごいなぁ」
勿論布之さんも。
さっきから、色々な生徒が何かを確認しに来ている。
その度に、テキパキ応える布之さんを見ていて尊敬の気持ちが生まれる。
「布之さんも、本当は本部?に行かなくちゃいけなかったんだよね?ごめ…」
「謝らなくて良いのよって、それよりも春川の楽しんでいる顔を見せて、折角日陰で作業なんだから」
そう、布之さんは私に付き添うという名目で、ずっと一緒にいてくれる。
「私は春川が楽しめればそれで良いんだから」
謝ろうとした私に苦笑して、布之さんはまたお茶目に片目を瞑った。
「…ありがとう」
準備の時間は、あっという間に終わった。
布之さんが気を遣ってくれたのか、着替えに行くのも少し遅くして更衣室は人がほとんどいなかった。
「1人の方が良いかしら?」
布之さんの言葉に、首を傾げる。
「何で?着替えないと時間がなくなってしまうでしょ?」
「…春川が良いなら、ね。着替えましょうか?」
「うん」
私は日陰にいたことと、上着を着ていたことであまり日焼けもしていない。
汗もほとんどかいていない。
「もう、乃田さんは教室かな?」
グラウンドで汗をかいていた乃田さんを思い出す。
「運動部で打ち合わせがなければ、ね?」
そっか。
高杉君も乃田さんも運動部だ。
顧問の先生のお話や、連絡事項などがあったら遅くなるのだろう。
「ま、今日はホームルームもほぼ時間で解散だし、気にしないで戻りましょ」
「うん」
教室に戻って、大谷先生の話を聞いて下校となった。
戻ってきていない運動部のクラスメイトが何人かいた。
乃田さんと高杉君も戻って来ていなかった。
ガッカリしたけれど、布之さんの『帰り道は一緒よ』の言葉で安心してしまった。
お昼前に解散になることも、まだ見えていることもワクワクを加速させる。
少し教室で布之さんと話をしていたら、乃田さんと高杉君が戻って来た。
急いでいたのか、走って来たのか2人は息を切らしていた。
「ど、どうしたの?」
「春川との時間がなくなるって、マジダッシュしたから」
乃田さんの言葉に、焦らせてしまったのかと私の方が慌てる。
「違う違う。今日は部活もないし、湊さんに挨拶するって決めてたから、さ?」
乃田さんの言葉は、今日もまっすぐで私はとても嬉しくなる。
「着替えてないけど、玄関に行こうぜ?もう、ほとんど下校してるし、人も少ないだろ?」
ジャージで汗を拭いながら、乃田さんが机にかかっていた通学用のバックを手にする。
横の席に戻って来た高杉君も、肩で息をしていた。
「高杉君、大丈夫?」
「…大丈夫、久々に1階から走ったな」
高杉君の何でもない言葉に、あの長い距離を走って来たのかと驚いてしまう。
「ウチらはジャージで良いしな」
乃田さんの言葉に、『そうだな』と返事をする高杉君。
2人が一緒に下校してくれる気持ちでいることから、私も席を立つ。
「みんな、早下校でさっさと帰ったな」
乃田さんの言葉に、人がいない玄関を見渡す。
「これで、遠慮なく湊さんと話が出来るわね」
布之さんの言葉に、布之さんがみーちゃんに挨拶をしたいと言っていた言葉が本気なんだと再確認する。
「そうそう、今日こそはちゃんと自己紹介しないとな」
私が自慢に思える程、素晴らしいお兄ちゃんなのに。
「大好きなお兄ちゃんなのに、何でだろう?」
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家族のきずなと種を超えた友情の物語。
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悪女の死んだ国
神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。
悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか.........
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