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2章
その他の話
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会計を済ませるついでに、対面で座っていた3人に出るように合図する。
湊の指示に、あかりもかすみも顕檎も素直に従った。
3人とも慎重に動き、物音を立てないように気を付ける。
対面で座っても、どんなに見つめても目の前ののぞみはそのことに全く気付いていなかった。
昼食時のざわついた店内で、話し声や物音が大きいことも3人の存在を助けていた。
そこそこの音量で流れるテレビはバラエティ番組で、賑やかなBGMとしても最適だった。
あかりとかすみと顕檎がいること。
それは、のぞみの想像していないことだった。
誰も言葉を発さないし、気付かれるような行動もしない。
だから当然気付くわけがないのだが、3人は見えていないのぞみに少しの寂しさを感じた。
湊に“気付かれないこと”を条件にされていたとはいえ、全く存在を感じてもらえないこと。
それは、目の前の光景によってより感じる。
とてもリラックスしているのぞみの姿。
のぞみは、湊と言葉を交わす時に身構えない。
それは、元々の関係性が大きい。
それでも、階段から落ちた時の話をするのぞみは、考えながら話していた。
落ちる前のことが出なかったが、あかりもかすみも内心緊張していた。
小学校が同じだったことは、もしかしたら湊に気付かれている可能性がある。
だから、あかりもかすみものぞみの小さな声にしっかりと意識を向けていた。
湊に続いて、3人が店外に出ると湊はすぐに指を差す。
「この先に、小さな公園がある。そこにでもいてよ。あ…」
抑揚のない声。
湊が見つけた存在に、3人も各々頭を下げる。
「どーも、母さん。のぞみ、呼んでくるね」
湊の声には、全く感情がなかった。
のぞみを相手にしている時とは違う姿。
さっきまで見ていた湊と、目の前にいる存在に戸惑う3人がそこにはいた。
湊が店に戻る。
残された4人で視線を交わす。
「こんにちは」
あかりの声に、咲は少しだけ微笑んだ。
湊を前にすると、身構えてしまうけれどそこにいたあかりの姿にホッとしたのだ。
「お母様、今日の私達は春川には内緒の存在なので、いないことにしてください」
かすみの言葉に、咲は首を傾げる。
「さっきまで、一緒にお店の中にいたんだけど、春川はうちらがいること知らないので…」
あかりの言葉に、咲は頷いた。
「そうなの…。それは、湊君が?」
咲の言葉に、3人とも頷く。
湊に手を引かれ、のぞみがやって来る。
咲と湊で会話し、のぞみは咲に手を引かれながら帰って行った。
「…じゃ、ぼくにはないけど、何か聞きたいことがあるなら手短にして」
歩き出した湊に続き、3人は続く。
「のぞみと、ここで良く遊んだ。智君てお兄ちゃんも合わせて、まだ小さかったのぞみは割と活発だったなぁ。散歩とか、毎日のように放課後に遊びに来たっけ」
地域の公園は、緑が多く遊具が点々と設置されている。
あかりとかすみも、小学生の頃は遊んだ記憶がある。
「春川の家って、ややこしいんだよね。何かのぞみから聞いてる?」
あかりとかすみは少しだけ躊躇し、顕檎のみが『少しだけ』と答えた。
湊はやっぱり興味がなさそうに『そ』と言って遊具の淵に腰掛ける。
お昼時のためか、公園に人はいない。
「そこの2人、見覚えがある。のぞみと小学校が一緒だったよね?同じクラスだった…、違う?」
湊がこの場を離れたのは、まだのぞみたちが保育園の頃だった。
それでも見覚えがあると言い切れるのには、湊には自信があることだった。
離れてしまって、のぞみの交友関係やクラスの存在など湊は必死に覚えたから。
クラス写真や、学校行事等で撮った写真を湊は残さずに確認していたから。
特に、のぞみが視力を失った時は、下校途中ということもあり何度も何度もその時のことを確認した。
だけど、それを何となく掴めたのは何ヶ月も経った後。
クラスメイトと一緒にいたけれど、置いていかれてしまい目が見えなくなった。
ただ、それだけだった。
クラスメイトとどのような会話をして、そしてどうやって置いていかれて、視力がなくなったのか。
そのことを湊は知らない。
クラスメイトの女子に確認しようと、何人かに声はかけた。
ただ、どの子も歯切れが悪く会話などは『覚えてない』と詳細は教えてもらえなかった。
唯一口を割った児童は、『のぞみちゃんが、嘘をついた』『嘘吐きだった』という湊にとっては聞きたくもないのぞみの悪口だったため、それ以上は聞かなかった。
のぞみが、嘘をつくわけがない。
ついたとしても、それは勘違いか間違いが元だろう、と。
どっちにしろ、数人いたのに置いていったような児童にこれ以上のぞみに関わってほしくなかった。
なので、それ以上のぞみのクラスメイトに声はかけなくなった。
あかりとかすみは、聞かれなかった。
少しだけ学区がずれていたから。
近い学区の児童から聞いて行ったため、そこまでいかなかった。
数年は平気だったのに、ここに来て急にのぞみが口にした『お友達』という違和感。
「え?違った?どうなの?そもそも、話しかけた来たのは布之さんが先だったよね?」
「…同じクラスでした」
あかりの言葉に、湊は頷く。
「私もです」
かすみの言葉にも、湊は深く頷いた。
「やっぱりね…」
「じゃ、あの時も一緒にいた可能性があるってこと?」
湊の差す「あの時」はのぞみの目が見えなくなった日のことだろう。
「…いました」
「私もいました」
「じゃあ、君達のせいでのぞみは見えなくなったって言われても仕方ない、ってこと?」
湊の声は、やはり抑揚がない。
感情のない言葉は、とても冷たい。
それでも、あかりとかすみは『はい』と返事をした。
「見えなくなったのぞみを置いて、それでも平気に先に帰ったってことでしょ?酷くない?それで大怪我でもしてたら、どう責任取ってくれたんだろ?」
「すみませんでした!」
あかりは勢いよく頭を下げた。
あかりの言葉に続き、かすみも頭を下げた。
「深く反省しています」
2人の謝罪に、湊は盛大に溜め息を付いた。
「それ無駄だし、謝ってくれなくて良いよ。そもそも、許す気もないから。頭上げて」
湊の声に、2人は頭をあげる。
「それでも、今は春川が友達だって言ってくれてるので…」
あかりの言葉に、湊は笑った。
感情がないまま。
「最近の中学生って、ほんと生意気。で?またのぞみに近付いて、軽はずみに傷付けるつもりなの?」
「違います!」
あかりの言葉にも、構わず湊は続ける。
「のぞみがあんなに喜んでる裏で、勝手に悪口を言って」
「そんなこと、絶対にしません!」
かすみも強く否定するが、湊はそれにも鼻で笑う。
「女子が友情で言う『絶対』って言葉、この世で一番信じられないよね?」
急に顕檎に話題を振るが、当の本人は『さぁ?』と曖昧な返事をした。
「なーんだ、つまんないの。ほんと、最近の中学生ってやつは可愛くないね。で?今頃君達はのぞみに何の用?」
「今頃?」
顕檎の聞き返しに、湊は大きく頷いた。
「そこの男子は置いといて、のぞみのことが気になってたならもっと早く修正出来たんじゃないの?あの子も泣きながら過ごすこともなかったわけだし。5年間もほっといて、今頃のぞみに近付いて何考えてるの?今時の中学生って陰湿っていうじゃん?怖いよな、ほんと…」
あかりとかすみに向けてというよりは、確認するように湊は呟いた。
のぞみに話しかける雰囲気はない。
「今頃というのは、確かに遅いと思っています!でも、春川と一緒にいたくて、許してもらえなくても良いから。…接点を持っていたいんです!」
あかりの強い言葉にも、湊は『ふーん』と答えた。
「許してもらえなくても…ねぇ。そんなこと言われたら、あの子確実に許すに決まってるじゃん」
あかりもかすみも、それは思っていたことだった。
「のぞみが、誰よりも優しいこと知ってるだろ?」
湊の、抑揚のない響き。
「あれから5年も経って、都合が良いと思わない?傷ついた気持ちが癒えるとでも?落ち込んだ年数がなかったことになるとでも?友達になれば、許されるものなの?君達がしたことって?優しい善良なのぞみが、許さないわけないじゃん」
「それは…」
「計算してそうしてるの?それとも何となく?ま、どっちにしても、のぞみが許したからって、あの子の目は見えないままだ、今現在も進行形で」
『見えないまま』
そう言われてしまうと、あかりもかすみも何も言えない。
「どうしたら治るのかなんて、今の医学じゃ分からないし。不安定なまま、君達と一緒に過ごしてほしくないんだけど?」
湊の言葉には、あかりとかすみをはっきりと拒絶する言葉が含まれていた。
「…あの日。見えなくなった、あの日の放課後から。次の日から丸4日間ものぞみは真っ暗な世界にいたんだ。今みたいに途中で見えなくなる生活じゃない。朝から寝るまで、ずっと見えない世界がのぞみの全部だった。君達に理解できる?想像できる?その怖さと不安が…。全てが恐怖で塗り潰されて、気持ちまで落ち込んで毎日泣いて過ごしてた」
あかりとかすみは、のぞみが見えなくなることを、怖がり戸惑う姿をずっと見て来た。
小学生のあの日から、同じ時間が流れているのだから。
だけど、遠くなってしまった距離感が埋まることはなかった。
こうやって一緒に過ごすようになるまでの5年間、遠巻きに眺めるだけで距離は空いたままだった。
湊は不機嫌そうに、あかりとかすみを見た。
「ようやく見えるようになってからも、ずっと塞ぎ込んで。あんなに明るくて、可愛い面影が一切なくなってさ?智君にもぼくにも必死で謝って、たった9歳の女の子がだよ?ずっと『ごめんなさい』『ごめんなさい』って謝って…」
きっと、のぞみは何もかも自分のせいだと責めてしまったのだろう。
3人でも想像が出来る、のぞみの申し訳なさそうな顔。
「謝る意味が分からない。見えなくて怖いのは自分なのに、のぞみのせいで見えなくなったわけでもないし。不安しか感じていないのに、それでもみんなに謝ってた。必死で励ましたし、慰めた。…でもダメだった。『ありがとう』って言うのに、気が付くと1人でずっと泣いてた。情けないけど、見ていてぼくも泣けてきた」
いつ思い出しても、情けなる記憶。
切ない思い出しかない記憶。
小さな妹が、回り全部に謝って。
それでも怖いのを我慢して、見えない世界に耐えていた。
心細いのに、必死に我慢して過ごしていた日々。
あの、小さな姿は一生忘れないだろう。
「…その頃、側にいなかった人間には、理解できないし分からないか…」
あかりもかすみも、言葉が出なかった。
「あの姿を見ていない人間には、とうてい理解できないよ?当然だけど」
湊の言葉に、あかりもかすみも何も言えなかった。
「今は、仕方なく春川の家にいるけど…。のぞみの環境的には、ここじゃない方が絶対良いに決まってる」
「どういうことですか?」
3人とも反応したが、あかりとかすみは迷ったことで口を開かなかった。
結果、顕檎が問いかける。
「こんな、嫌な記憶が詰まった空間と土地にいても良くないって話。ここで過ごしたって、のぞみの目は良くならないって意味だ」
変わらず抑揚のない声だったけれど、湊の言い切る形に3人とも顔を見合わせる。
「だって、ここにいても良くなる兆しはない。分かってる?のぞみの見えなくなる時間が、どんどん長くなってることに?だから、ここで過ごしたって何の意味もない」
湊に『良くない』『意味がない』と言われても、それは違うと思う3人がいた。
湊の言葉に、初めて“そうじゃない”という気持ちが自然と湧く。
のぞみは、自分たちといることが楽しいと、嬉しいと言っていた。
その言葉までも否定するような湊の言い方。
意識が切り替わるのを、3人は感じた。
「ま、その内春川の家なんか出て、僕らが引き取ることになるだろうけどさ?春川の家より、適した環境で療養した方が、のぞみのためにも絶対良いから」
初めて、湊の声に感情が残った。
「春川が、それを望んでるんですか?」
顕檎の問いに、湊は答えなかった。
「あの子が小さいのは変わらないし、のぞみが嫌な思いをしなければ、ぼくは良い。結論、ぼくの言いたいことは出来心でのぞみに関わらないでほしいってこと」
「出来心?」
顕檎の声も、変わらない。
はっきりとした口調。
「そう。出来心。だってあの子、学校でも目を引かない?ぼくだったら、放っておかない。いつでも側にいて、離れない。目のことや家族のことを知って、面倒だと思うのならすぐに離れて?そして二度と近付くな。これは、あくまで忠告だけど、のぞみに良くないって知ったら警告になるから。1日でも早くのぞみの目の回復を願うのなら、近付かないでくれるのが一番なんだけど」
「良くないって、何で判断するんですか?」
顕檎の問いかけに、湊は『うん』と頷く。
「良い質問。欲求不満の捌け口とか、自己満足からの人権侵害。のぞみは君達のおもちゃじゃないし、不用意に関わって欲しくない。のぞみは、まだ社会勉強が足りていないから、君達が悪い影響を与えるんじゃないかってすごく心配だ」
心配と言っているが、口調には少しの怒りが滲み出ていた。
のぞみのことに触れると、湊の感情は動く。
「のぞみが安心して過ごせるのは、やっぱり家族の前だけだって。君達も見ただろ?あの子の安心した表情を」
それを言われてしまうと、3人は何も言い返せない。
確かに、のぞみは安心し湊を信頼している。
だけど、それでも3人を友達だと言い喜ぶのぞみの姿も本物だったはずだ。
「俺は、春川と一緒にいたいです」
「すごいね君。ぼく今不愉快な気分なんだけど、それでも言い切るところとても腹が立つ。特に男は力で言うことを聞かせようとする危険な思考回路を持つし」
自分が男であることは棚上げして言い切る湊。
「のぞみなんて、力じゃ君に敵わないし、出来れば側にいてほしくないけど?」
湊の感情が隠されないままだったが、顕檎はしっかりと目の前の湊に視線を合わせる。
「春川のことを知って、驚きはたくさんあると思います。春川が、色々なことを気にしているのも、悩んでいるのも感じています。でも、それを知ったからといって自分に離れるという選択肢はないです」
顕檎の言葉に、湊は『飽きた』と遊具から立ち上がる。
「これ以上、のぞみの話はしたくない。面白くないから。のぞみのこと、絶対に泣かせるなよ。絶対、な。それだけは守れ」
顕檎を見ずに言う言葉には、すでに感情は残ってなかった。
「はい」
「じゃ、また明日かな」
ひらひらと振り返りもせずに手を振って湊は公園から出て行く。
「ご馳走様です!」
顕檎の言葉に、湊は少しだけ歩く速度を落としたが振り返らずに公園から出て行った。
湊の指示に、あかりもかすみも顕檎も素直に従った。
3人とも慎重に動き、物音を立てないように気を付ける。
対面で座っても、どんなに見つめても目の前ののぞみはそのことに全く気付いていなかった。
昼食時のざわついた店内で、話し声や物音が大きいことも3人の存在を助けていた。
そこそこの音量で流れるテレビはバラエティ番組で、賑やかなBGMとしても最適だった。
あかりとかすみと顕檎がいること。
それは、のぞみの想像していないことだった。
誰も言葉を発さないし、気付かれるような行動もしない。
だから当然気付くわけがないのだが、3人は見えていないのぞみに少しの寂しさを感じた。
湊に“気付かれないこと”を条件にされていたとはいえ、全く存在を感じてもらえないこと。
それは、目の前の光景によってより感じる。
とてもリラックスしているのぞみの姿。
のぞみは、湊と言葉を交わす時に身構えない。
それは、元々の関係性が大きい。
それでも、階段から落ちた時の話をするのぞみは、考えながら話していた。
落ちる前のことが出なかったが、あかりもかすみも内心緊張していた。
小学校が同じだったことは、もしかしたら湊に気付かれている可能性がある。
だから、あかりもかすみものぞみの小さな声にしっかりと意識を向けていた。
湊に続いて、3人が店外に出ると湊はすぐに指を差す。
「この先に、小さな公園がある。そこにでもいてよ。あ…」
抑揚のない声。
湊が見つけた存在に、3人も各々頭を下げる。
「どーも、母さん。のぞみ、呼んでくるね」
湊の声には、全く感情がなかった。
のぞみを相手にしている時とは違う姿。
さっきまで見ていた湊と、目の前にいる存在に戸惑う3人がそこにはいた。
湊が店に戻る。
残された4人で視線を交わす。
「こんにちは」
あかりの声に、咲は少しだけ微笑んだ。
湊を前にすると、身構えてしまうけれどそこにいたあかりの姿にホッとしたのだ。
「お母様、今日の私達は春川には内緒の存在なので、いないことにしてください」
かすみの言葉に、咲は首を傾げる。
「さっきまで、一緒にお店の中にいたんだけど、春川はうちらがいること知らないので…」
あかりの言葉に、咲は頷いた。
「そうなの…。それは、湊君が?」
咲の言葉に、3人とも頷く。
湊に手を引かれ、のぞみがやって来る。
咲と湊で会話し、のぞみは咲に手を引かれながら帰って行った。
「…じゃ、ぼくにはないけど、何か聞きたいことがあるなら手短にして」
歩き出した湊に続き、3人は続く。
「のぞみと、ここで良く遊んだ。智君てお兄ちゃんも合わせて、まだ小さかったのぞみは割と活発だったなぁ。散歩とか、毎日のように放課後に遊びに来たっけ」
地域の公園は、緑が多く遊具が点々と設置されている。
あかりとかすみも、小学生の頃は遊んだ記憶がある。
「春川の家って、ややこしいんだよね。何かのぞみから聞いてる?」
あかりとかすみは少しだけ躊躇し、顕檎のみが『少しだけ』と答えた。
湊はやっぱり興味がなさそうに『そ』と言って遊具の淵に腰掛ける。
お昼時のためか、公園に人はいない。
「そこの2人、見覚えがある。のぞみと小学校が一緒だったよね?同じクラスだった…、違う?」
湊がこの場を離れたのは、まだのぞみたちが保育園の頃だった。
それでも見覚えがあると言い切れるのには、湊には自信があることだった。
離れてしまって、のぞみの交友関係やクラスの存在など湊は必死に覚えたから。
クラス写真や、学校行事等で撮った写真を湊は残さずに確認していたから。
特に、のぞみが視力を失った時は、下校途中ということもあり何度も何度もその時のことを確認した。
だけど、それを何となく掴めたのは何ヶ月も経った後。
クラスメイトと一緒にいたけれど、置いていかれてしまい目が見えなくなった。
ただ、それだけだった。
クラスメイトとどのような会話をして、そしてどうやって置いていかれて、視力がなくなったのか。
そのことを湊は知らない。
クラスメイトの女子に確認しようと、何人かに声はかけた。
ただ、どの子も歯切れが悪く会話などは『覚えてない』と詳細は教えてもらえなかった。
唯一口を割った児童は、『のぞみちゃんが、嘘をついた』『嘘吐きだった』という湊にとっては聞きたくもないのぞみの悪口だったため、それ以上は聞かなかった。
のぞみが、嘘をつくわけがない。
ついたとしても、それは勘違いか間違いが元だろう、と。
どっちにしろ、数人いたのに置いていったような児童にこれ以上のぞみに関わってほしくなかった。
なので、それ以上のぞみのクラスメイトに声はかけなくなった。
あかりとかすみは、聞かれなかった。
少しだけ学区がずれていたから。
近い学区の児童から聞いて行ったため、そこまでいかなかった。
数年は平気だったのに、ここに来て急にのぞみが口にした『お友達』という違和感。
「え?違った?どうなの?そもそも、話しかけた来たのは布之さんが先だったよね?」
「…同じクラスでした」
あかりの言葉に、湊は頷く。
「私もです」
かすみの言葉にも、湊は深く頷いた。
「やっぱりね…」
「じゃ、あの時も一緒にいた可能性があるってこと?」
湊の差す「あの時」はのぞみの目が見えなくなった日のことだろう。
「…いました」
「私もいました」
「じゃあ、君達のせいでのぞみは見えなくなったって言われても仕方ない、ってこと?」
湊の声は、やはり抑揚がない。
感情のない言葉は、とても冷たい。
それでも、あかりとかすみは『はい』と返事をした。
「見えなくなったのぞみを置いて、それでも平気に先に帰ったってことでしょ?酷くない?それで大怪我でもしてたら、どう責任取ってくれたんだろ?」
「すみませんでした!」
あかりは勢いよく頭を下げた。
あかりの言葉に続き、かすみも頭を下げた。
「深く反省しています」
2人の謝罪に、湊は盛大に溜め息を付いた。
「それ無駄だし、謝ってくれなくて良いよ。そもそも、許す気もないから。頭上げて」
湊の声に、2人は頭をあげる。
「それでも、今は春川が友達だって言ってくれてるので…」
あかりの言葉に、湊は笑った。
感情がないまま。
「最近の中学生って、ほんと生意気。で?またのぞみに近付いて、軽はずみに傷付けるつもりなの?」
「違います!」
あかりの言葉にも、構わず湊は続ける。
「のぞみがあんなに喜んでる裏で、勝手に悪口を言って」
「そんなこと、絶対にしません!」
かすみも強く否定するが、湊はそれにも鼻で笑う。
「女子が友情で言う『絶対』って言葉、この世で一番信じられないよね?」
急に顕檎に話題を振るが、当の本人は『さぁ?』と曖昧な返事をした。
「なーんだ、つまんないの。ほんと、最近の中学生ってやつは可愛くないね。で?今頃君達はのぞみに何の用?」
「今頃?」
顕檎の聞き返しに、湊は大きく頷いた。
「そこの男子は置いといて、のぞみのことが気になってたならもっと早く修正出来たんじゃないの?あの子も泣きながら過ごすこともなかったわけだし。5年間もほっといて、今頃のぞみに近付いて何考えてるの?今時の中学生って陰湿っていうじゃん?怖いよな、ほんと…」
あかりとかすみに向けてというよりは、確認するように湊は呟いた。
のぞみに話しかける雰囲気はない。
「今頃というのは、確かに遅いと思っています!でも、春川と一緒にいたくて、許してもらえなくても良いから。…接点を持っていたいんです!」
あかりの強い言葉にも、湊は『ふーん』と答えた。
「許してもらえなくても…ねぇ。そんなこと言われたら、あの子確実に許すに決まってるじゃん」
あかりもかすみも、それは思っていたことだった。
「のぞみが、誰よりも優しいこと知ってるだろ?」
湊の、抑揚のない響き。
「あれから5年も経って、都合が良いと思わない?傷ついた気持ちが癒えるとでも?落ち込んだ年数がなかったことになるとでも?友達になれば、許されるものなの?君達がしたことって?優しい善良なのぞみが、許さないわけないじゃん」
「それは…」
「計算してそうしてるの?それとも何となく?ま、どっちにしても、のぞみが許したからって、あの子の目は見えないままだ、今現在も進行形で」
『見えないまま』
そう言われてしまうと、あかりもかすみも何も言えない。
「どうしたら治るのかなんて、今の医学じゃ分からないし。不安定なまま、君達と一緒に過ごしてほしくないんだけど?」
湊の言葉には、あかりとかすみをはっきりと拒絶する言葉が含まれていた。
「…あの日。見えなくなった、あの日の放課後から。次の日から丸4日間ものぞみは真っ暗な世界にいたんだ。今みたいに途中で見えなくなる生活じゃない。朝から寝るまで、ずっと見えない世界がのぞみの全部だった。君達に理解できる?想像できる?その怖さと不安が…。全てが恐怖で塗り潰されて、気持ちまで落ち込んで毎日泣いて過ごしてた」
あかりとかすみは、のぞみが見えなくなることを、怖がり戸惑う姿をずっと見て来た。
小学生のあの日から、同じ時間が流れているのだから。
だけど、遠くなってしまった距離感が埋まることはなかった。
こうやって一緒に過ごすようになるまでの5年間、遠巻きに眺めるだけで距離は空いたままだった。
湊は不機嫌そうに、あかりとかすみを見た。
「ようやく見えるようになってからも、ずっと塞ぎ込んで。あんなに明るくて、可愛い面影が一切なくなってさ?智君にもぼくにも必死で謝って、たった9歳の女の子がだよ?ずっと『ごめんなさい』『ごめんなさい』って謝って…」
きっと、のぞみは何もかも自分のせいだと責めてしまったのだろう。
3人でも想像が出来る、のぞみの申し訳なさそうな顔。
「謝る意味が分からない。見えなくて怖いのは自分なのに、のぞみのせいで見えなくなったわけでもないし。不安しか感じていないのに、それでもみんなに謝ってた。必死で励ましたし、慰めた。…でもダメだった。『ありがとう』って言うのに、気が付くと1人でずっと泣いてた。情けないけど、見ていてぼくも泣けてきた」
いつ思い出しても、情けなる記憶。
切ない思い出しかない記憶。
小さな妹が、回り全部に謝って。
それでも怖いのを我慢して、見えない世界に耐えていた。
心細いのに、必死に我慢して過ごしていた日々。
あの、小さな姿は一生忘れないだろう。
「…その頃、側にいなかった人間には、理解できないし分からないか…」
あかりもかすみも、言葉が出なかった。
「あの姿を見ていない人間には、とうてい理解できないよ?当然だけど」
湊の言葉に、あかりもかすみも何も言えなかった。
「今は、仕方なく春川の家にいるけど…。のぞみの環境的には、ここじゃない方が絶対良いに決まってる」
「どういうことですか?」
3人とも反応したが、あかりとかすみは迷ったことで口を開かなかった。
結果、顕檎が問いかける。
「こんな、嫌な記憶が詰まった空間と土地にいても良くないって話。ここで過ごしたって、のぞみの目は良くならないって意味だ」
変わらず抑揚のない声だったけれど、湊の言い切る形に3人とも顔を見合わせる。
「だって、ここにいても良くなる兆しはない。分かってる?のぞみの見えなくなる時間が、どんどん長くなってることに?だから、ここで過ごしたって何の意味もない」
湊に『良くない』『意味がない』と言われても、それは違うと思う3人がいた。
湊の言葉に、初めて“そうじゃない”という気持ちが自然と湧く。
のぞみは、自分たちといることが楽しいと、嬉しいと言っていた。
その言葉までも否定するような湊の言い方。
意識が切り替わるのを、3人は感じた。
「ま、その内春川の家なんか出て、僕らが引き取ることになるだろうけどさ?春川の家より、適した環境で療養した方が、のぞみのためにも絶対良いから」
初めて、湊の声に感情が残った。
「春川が、それを望んでるんですか?」
顕檎の問いに、湊は答えなかった。
「あの子が小さいのは変わらないし、のぞみが嫌な思いをしなければ、ぼくは良い。結論、ぼくの言いたいことは出来心でのぞみに関わらないでほしいってこと」
「出来心?」
顕檎の声も、変わらない。
はっきりとした口調。
「そう。出来心。だってあの子、学校でも目を引かない?ぼくだったら、放っておかない。いつでも側にいて、離れない。目のことや家族のことを知って、面倒だと思うのならすぐに離れて?そして二度と近付くな。これは、あくまで忠告だけど、のぞみに良くないって知ったら警告になるから。1日でも早くのぞみの目の回復を願うのなら、近付かないでくれるのが一番なんだけど」
「良くないって、何で判断するんですか?」
顕檎の問いかけに、湊は『うん』と頷く。
「良い質問。欲求不満の捌け口とか、自己満足からの人権侵害。のぞみは君達のおもちゃじゃないし、不用意に関わって欲しくない。のぞみは、まだ社会勉強が足りていないから、君達が悪い影響を与えるんじゃないかってすごく心配だ」
心配と言っているが、口調には少しの怒りが滲み出ていた。
のぞみのことに触れると、湊の感情は動く。
「のぞみが安心して過ごせるのは、やっぱり家族の前だけだって。君達も見ただろ?あの子の安心した表情を」
それを言われてしまうと、3人は何も言い返せない。
確かに、のぞみは安心し湊を信頼している。
だけど、それでも3人を友達だと言い喜ぶのぞみの姿も本物だったはずだ。
「俺は、春川と一緒にいたいです」
「すごいね君。ぼく今不愉快な気分なんだけど、それでも言い切るところとても腹が立つ。特に男は力で言うことを聞かせようとする危険な思考回路を持つし」
自分が男であることは棚上げして言い切る湊。
「のぞみなんて、力じゃ君に敵わないし、出来れば側にいてほしくないけど?」
湊の感情が隠されないままだったが、顕檎はしっかりと目の前の湊に視線を合わせる。
「春川のことを知って、驚きはたくさんあると思います。春川が、色々なことを気にしているのも、悩んでいるのも感じています。でも、それを知ったからといって自分に離れるという選択肢はないです」
顕檎の言葉に、湊は『飽きた』と遊具から立ち上がる。
「これ以上、のぞみの話はしたくない。面白くないから。のぞみのこと、絶対に泣かせるなよ。絶対、な。それだけは守れ」
顕檎を見ずに言う言葉には、すでに感情は残ってなかった。
「はい」
「じゃ、また明日かな」
ひらひらと振り返りもせずに手を振って湊は公園から出て行く。
「ご馳走様です!」
顕檎の言葉に、湊は少しだけ歩く速度を落としたが振り返らずに公園から出て行った。
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黒い髪と同じ色の翼をもったカラス天狗。
普段クールだという彼は美紗都だけには甘くて……。
*・゜゚・*:.。..。.:*☆*:.。. .。.:*・゜゚・*
「可愛いな……」
*滝柳 風雅*
守りの力を持つカラス天狗
。.:*☆*:.。
「お前今から俺の第一嫁候補な」
*日宮 煉*
最強の火鬼
。.:*☆*:.。
「風雅の邪魔はしたくないけど、簡単に諦めたくもないなぁ」
*山里 那岐*
神の使いの白狐
\\ドキドキワクワクなあやかし現代ファンタジー!//
野いちご様
ベリーズカフェ様
魔法のiらんど様
エブリスタ様
にも掲載しています。
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
ローズお姉さまのドレス
有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。
いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。
話し方もお姉さまそっくり。
わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
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