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2章

お迎え

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「のんちゃん?」
「ん?」
「寂しいの?」
言いながら、目元を拭われる。

何かの存在を感じた時には、目元を撫でられていた。
見えていない私の目元で、動く優しい指先。
「急に触ってごめんね?」
みーちゃんの、珍しく静かな声に私も静かに頷いた。

「ううん」
自分のことなのに、自分で制御できない感覚。
流れてくるのは私の目なのに、止める方法を私は知らない。
だけど、このままでいるわけにはいかない。
ポケットからハンカチを取り出し、自分の頬を拭う。
みーちゃんの指先はこめかみ辺りを撫でて離れて行った。

「のんちゃん?」
みーちゃんの優しい声。
「寂しい?」
この感覚は、確かに“寂しい”に似ている。

「そう、なの…かもしれない」
「そっか」
ポツリと呟く声。
「…ごめんなさい」
「いいよ」

ポンと私の頭の上に置かれた手。
みーちゃんが、撫でてくれているのだろう。
大きくて温かい手が、そっと添えられている。
「でも、この話はちゃんと智君がいるところでしよ?」
「うん?」
「ほら、あの人は、のんちゃんのこと何でも知ってないと気が済まないでしょ?」

「そうなの?」
「そうでしょ?」
みーちゃんの声は、さっきとは変わって少しだけ明るくなった。
「ま、ぼくもだけどさ?」

「それじゃ智君も知ってることで、のんちゃんのことを話そうか?」
私のこと?
何を話すの?
「きょとんとするのも可愛いなぁ」
みーちゃんのクスクス笑う声。

「背が伸びたでしょ?髪が伸びたでしょ?可愛いままでしょ?それに、綺麗にもなった。お人形さんみたいなのは、昔から変わってないけどね?あとは、図書室の本をたくさん読んでること、料理も覚えたでしょ?あとは…」

みーちゃんの言葉がポンポンと出て来るのに、私は相槌も打てずに思わず笑ってしまった。
さっきまで、泣いてたはずなのに。
「もう、私のことなんて大したことないよ?」
「もう!智君みたいなことを!のんちゃんは、ぼくに言うことたくさんあるでしょー?何しろ1年分だったんだからね!毎日毎日怪我ばっかりしてたって、智君からしっかり聞いてますー!」
1番上のお兄ちゃんも、そのことを気にしてくれた。

智ちゃんは、電話をくれるからそこで話すことが多い。
私から何かを言わなくても、智ちゃんは先にお母さんと電話で話している。
だから、私のことや学校での報告を聞いているのだろう。
そのせいか、智ちゃんは私の話ばかりだ。
私だって、智ちゃんの話を聞きたいのに。

それに、怪我をしたり失敗する私のことは少しだけ居心地が悪くなる。
なのに、智ちゃんは何でもないことのように『何でそうなったんだ?』『どうして怪我をすることになった?』と何度も確認してくる。
そして、答えに困って『智ちゃんは?』と聞くのに。

『いつも通り、大したことはない』
そう、優しい声で言う智ちゃんに、私はそれ以上聞けなくなる。
智ちゃんだって、お勉強とお仕事と大変だと思うのに。
その中で、私を気にして電話をくれる。

「のんちゃん?」
みーちゃんの声に、はっとする。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」

「じゃあ、転んだりぶつけたり、何でそんなに怪我ばっかりしたの?何かあったの?」
智ちゃんとはまた違った問いかけ。
だけど、内容は同じこと。
「…そんなこと、ない…よ?慌てちゃうから、私が…1人で、失敗ばかりなだけ…」
考えながら言う言葉。

「失敗って?のんちゃんのこと、焦らせる誰かがいるの?それとも、誰かに何かされてるの?」
なのに、みーちゃんは気にしないように問いかけてくる。
「…違うよ?…誰にも、何も…されてないよ?…さやかもそうだけど、みーちゃん?私、そんなに…意地悪、をされていそうなの?」
聞きにくいけれど、思わず聞いてしまった。

さやかの前では、私はお姉ちゃんなんだからと思って聞けなかったこと。
でも、みーちゃんには聞ける。
なのに、みーちゃんからの返答がない。
「みーちゃん?」

「…妹ちゃんと同じかー。それはそれで複雑」
「何が?」
「…何でもなーい。でもそれで、結果的に靱帯損傷はやり過ぎじゃないの?」
真面目な声に、思わず俯く。

そのことも智ちゃんから聞いてたんだ。
…そっか。
少しだけ、情けなくなる。
先日、焦って階段から落ちてしまった時のことだ。

自分でもたくさん落ち込んだのに。
また、思い出してしまう。
みんなに、たくさんの心配をかけてしまったことを。
「…ごめんなさい」
「うん、良いよ。…と、言いたいところだけど、ぼくは怒ってるからね」

真剣ではないけれど、しっかりとした言葉。
『怒ってるからね』
「うん」
私がしっかりしていないことで、みーちゃんを怒らせてしまったのだろう。

「だから、その時のことを、ちゃんとお兄ちゃんに教えてくれないとね?」
私が思っていたのではないことを言われ、言葉が出て来なかった。
「ほら、のんちゃん?」
みーちゃんの声に、ハッとする。

「…少し、慌て過ぎちゃったの…」
声が掠れてしまったけれど、問いに答える。
「…いつも、慎重なのに?だって、階段だよ?」
みーちゃんの確認するような声。

「…階段も、平気だと思ったの」
「降りる時に、何でそんなに慌てることがあったの?」
あの時は…。
乃田さんと布之さんから、昔の話を聞いて動揺してしまったから。
見えていないのに、焦ってしまって階段に気付けなかった。

でも、その話昔の話をすると、またみーちゃんに心配をかけてしまう。
あの時も、毎日心配をかけていたのに…。
また、みーちゃんに悲しい思いをさせちゃう。

だから、ゆっくりと首を振る。
「違うよ?」
あの話は、もう終わったことだし。
「…自分で、色んなことが出来るって、勘違い…しちゃったから、だよ?」

間違いではない。
見えなくても、私は大丈夫だって言い聞かせて。
だけど、焦ってしまった…。
速足で歩いた結果、階段の入り口に気付かず落ちてしまった。

「そっか」
みーちゃんは、笑わないでくれた。
「…のんちゃんが、学校で怪我をしたって智君から聞いて。ぼく…本当に驚いたんだよ?」
落ち着いた声で、しみじみ言われるとたくさんの迷惑をかけていることに気付く。

「…ごめんなさい」
「…いいよ。ぼくは、心配なだけ。ギブスなんてしていたら、動きにくかったでしょ?」
「ううん」

「本当に?」
みーちゃんの問いかける声に、意地を張る必要がないことに気付く。
小さい頃から、みーちゃんには隠し事が出来ない。
だから、溜め息をついてしまった。

「…少し、窮屈だった」
「でしょ?のんちゃんは、すぐ無理するんだから。…怒ってないよ?もう」
頭に触れる手は、ずっと優しい。
「…ありがとう」
「こんなに細くて、小さくて…。怪我ばっかりしてたら、すぐに体を壊しちゃうよ?見えない時は、無理して学校に行かなくても良いんじゃないの?」

みーちゃんの言葉に、それは違うと思う。
「でも、学校に行きたいの。お友達が出来たから…学校で過ごしたい、の。それに、最近は怪我をしないように、ゆっくりと動くようにしたら、平気になったんだよ?」

まだ、3人のことは話せない。
だけど、私の大切なお友達のこと。
みーちゃんには知ってほしい。
「それは、最近までギブスをしてたからでしょ?ゆっくりじゃないと、動けないじゃん」
「それは、そうだけど…でも、違うの」

「のんちゃんは、本当に頑固ちゃんだなぁ」
みーちゃんのどこか呆れたような声。
頭上から聞こえてくる声は、やっぱりずっと優しいままだ。
だけど、いつまでも下を向いてるわけにはいかない。

「自分で出来ることは、自分でやりたいの。やりたいって、思うようになったの」
隣にいるみーちゃんに、宣言するように伝える。
「体中痣だらけになっても…ねぇ。ぼくのお姫様は、おてんばさんになったんだね」
膝の上で握っている私の手に、大きな優しい手が重なる。

「おてんばなお姫様も、また可愛いか」
私の決意とは無縁そうにみーちゃんはそう言った。
「もう、みーちゃんは馬鹿にしてるでしょ?」
「してないしてない。するわけないでしょ?」
軽い響きの声に、私の肩の力が抜ける。

そうだ。
みーちゃんは、いつも楽しくて私のことを嬉しくさせてくれる。
一緒に出来ることを、ちゃんと考えてくれる。

乃田さんみたい。
活発で、優しい乃田さん。
運動が出来る乃田さんを想像して、“そうだ”と言いたいことが思いつく。

「スポーツだってね、やれると思うんだ」
見えていないけれど、重なった手がポンポンと動いている。
私を宥めているような動きだ。
「バスケ?ダメダメ!あんな凶悪なスポーツ、参加するだけ無駄だって!」
無駄って言葉に、重なった手を思わず外す。

「…みーちゃん、昔はバスケットクラブにいたのに?」
昔から背が高かったみーちゃんは、小学校に入って地域のバスケットクラブに入っていた。
そのことを思い出す。
「だからだよ?知ってるからこそ、のんちゃんにさせるわけにはいかないって。あんなに堅いボールが当たったら、今度は捻挫じゃ済まないよ?骨折しちゃうよ?」
まるで、さやかみたいな言い方。

「さやかみたい。私、そんなに弱くないもん」
あの時だって、赤くなっただけだし。
「本当?顔に当たったのなんて、一生の怪我になっててもおかしくなかったんだよ?」
乃田さんも、真剣に怒ってくれたのを思い出す。

「…うん、平気だったよ?ありがとう」
「本当に、可愛いのんちゃん。そりゃ、こんなに可愛いんだもん。フラフラ変なのが寄って来るよなー?」
顔を両手で挟まれる。

「フラフラ?」
「そう。羽虫みたいに、さ?」
「ん?」
「のんちゃん?あのさ、バスケなんてやめてさ、まずは…。そうだなー、ボールに慣れるために、お手玉とかさ?紙風船とかやってみようよ?」

「何で?」
「バレーだって、絶対危ないし。バドミントンも超危険。卓球もテニスも最悪。ドッジボールとか、バスケ並みに凶悪だからね?サッカーも絶対反対。ほら?のんちゃんができるスポーツなんて、どこにもないよ?」
みーちゃんの極論に、少しだけ冷静になる私。
「みーちゃんの意地悪」

「違いますー。のんちゃんの心配をしたら、結果そうなるだけです。意地悪じゃありませーん」
「言い方が、もう意地悪だもん」
私の言葉に、みーちゃんがクスクスと笑い出す。
「うん、それだけ言い返せれば元気だね」

みーちゃんの、優しい声。
私が、元気がないと思って…?
分かりにくいみーちゃんの優しさ。
「でも、ありがとう」

嬉しくて、思わずそう呟く。
「本当に可愛い。何でこんなに、可愛いの?やっぱり、一緒にあやとりとか、塗り絵とかで遊ぼうよ!」
「…みーちゃん、私もう中学生だよ?」
それで喜んでいたのは、幼稚園までだもん。

「あれ?ダメ?ぼく、塗り絵の時間、意外と好きなんだけど…」
みーちゃんの意外そうな声に、私を揶揄っていたのではないと気付く。
私の勘違いに、少しだけ反省する。

「ごめんなさい。…みーちゃん、絵が上手だもんね」
いつでも、綺麗に色を塗ってママに褒められていたみーちゃんを思い出した。
懐かしい思い出。
「…そうだよ」
言いながら、温かい何かが頬やおでこに触れていく。
「可愛い。本当に、家に連れ帰りたいなぁ」

「くすぐったいなぁ」
だけど、みーちゃんが嬉しそうにしているので“このままでも良いかな”と思う。
「のんちゃん、ぼくのお姫様」
みーちゃんの声が、耳元で聞こえる。
「もう、みーちゃんは」
でも、久しぶりの時間に安心したのは本当のこと。

「だから、ありがとうみーちゃん」
「どういたしまして。…さて、じゃ行きますか?そろそろ、ははさんが来る頃だろうからね?」
「…うん」
「じゃ、ここで待ってて?先に会計してくるから」
「え?一緒に行くよ?」

みーちゃんの声に、慌てて立ち上がろうとする。
「良いの良いの、というかまだ座っててほしいからさ?のんちゃん、トイレは大丈夫?」
「…大丈夫だけど」
「じゃ、ここにいてね?ぼくの安心のためにも、ね?」

みーちゃんは、私の頭を撫でて立ち上がったようだった。
「のんちゃん?」
「うん」
「いてよ?」
「…うん、いるよ」
みーちゃんの、小さい子扱いがおかしくて思わず頷いた。

「うん、良い子」
みーちゃんは、そう言うとそのままお会計をしに行ったのだろう。
声がしなくなったから。
撫でられた所に、そっと自分の手を伸ばす。

自分とは違う大きな手。
いつでも、優しく撫でてくれる手。
安心する手。
乃田さんや、布之さんや高杉君と一緒。
優しい手だ。

そのまま、お母さんがお迎えに来てくれた。
だから、お店の前でみーちゃんとはお別れをした。
「少し、間食をしたので夕食は食べられないかも…」
みーちゃんの言葉に、お母さんは私の手を握ってくれた。
「じゃあ、またね?のんちゃん」
「うん、またね?みーちゃん」

お母さんと一緒に歩いて家に帰るのは、小学生以来のことだったと思い出す。
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