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2章

観察

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「のんちゃん?」
みーちゃんの言葉に、ハッとする。
「うん?」
「どうしたの?足が痛い?」
「ううん」

「のんちゃん、試験ちゃんと出来た?」
みーちゃんの、“おにいちゃん”の言葉に思わず笑う。
「…できたよ」
「あーもう、可愛い。うちの子は、本当に全部が可愛い」

さっきまで、“おにいちゃん”だったのに。
今はもう違う。
ただ私を『可愛い』と言うだけになった。
みーちゃんは、嬉しそうだ。

「もう、みーちゃんてば」
「頬を膨らませるのも、怒るのすら、全部全部可愛い」
みーちゃんは、いつも私のことを可愛いと口に出してくれる。
それと同時に頭や顔を撫でられているのだろう。
大きな手だろうか、時々肌に触れているのが心地良い。
『可愛い』と言われることに、恥ずかしいと思う気持ちはほとんどない。

それが、日常だったから。
『可愛い』と言われることは、普通のことだった。
私が歩いているだけでも、座っているだけでも、牛乳を零しても、お洋服を汚しても…。
一緒にいる間で、何回言われているのか分からなくなるほど。
そのくらい、可愛いと言われることは本当に日常だった。

ママも、私のことを可愛いと言ってくれた。
でも、それは智ちゃんにもみーちゃんにも向けられていた。
私達みんなに、ママは可愛いと言ってくれた。
平等に、可愛がられた。

みーちゃんがお家からいなくなって、それが普通じゃないことに気付いた。
私のことを特別に可愛いと言ってくれていること。
言われないことを寂しいと思うよりも、みーちゃんが側にいないこと全てが寂しかった。
私の日常だったはずなのに、それは普通ではなくなった。

賑やかなみーちゃんと、頼れる智ちゃんと…。
いつでも側にいたお兄ちゃんがいない日常。
それでも、それに慣れてさやかが増えて。
私がお姉ちゃんになって、また賑やかな生活になって…。
そんなことを、ぼんやりと思い出す。
懐かしい記憶。

「試験で疲れちゃった?」
聞こえてきたみーちゃんの声に首を振る。
「ううん、重くないかな?って…」

呟いた私の声に『ふっ』と笑う気配がした。
「全然。お米の袋の方が余裕で重いし」
「お米?」
「そ、お米」
みーちゃんの言葉は分からなくて、首を傾げる。

「可愛い」
みーちゃんの声は、もう気にしないにしよう。
歩く速度は速いのかな?
頬に感じる風の通り具合で、速度を考える。

お家から、小学校も中学校も歩いて行ける距離だ。
中学校の方が、少しだけ遠い。
お家からは、小学校と中学校は違う方向にある。

「きょとんとするのんちゃんも可愛いなぁ」
「ん?」
「お天気が良くて良かったねぇ?」
「うん、温かいね」

「衣替えしてても、のんちゃんが長袖でいたのはある意味予想通りかな?可愛い」
「本当は半袖にしたいんだけど…」
「それは、ギリギリまで長袖でいてほしいかな?」
「ん?何で?」

「だって、のんちゃんの肌が日焼けしちゃうのは勿体ない」
「どういうこと?」
「のんちゃん、昔から汗かかないんだから良いんじゃない?」
「何が?」
「夏休みまで長袖で」

それは、どうなんだろう?
折角、半袖が制服で準備されているのに…。
「聞いたよ?智君に。去年衣替えで日焼けして、結局カーディガン着てたんでしょ?」
「…それは、そうだけど」

去年日差しが強い日が続いたら、そうなっていただけ。
でも、それも私の肌が弱過ぎただけのこと。
今年は日焼け止めを塗って過ごせば良いと思っていた。
だけど、心配したさやかとお母さんはそれではいけないと言っていた。
そしてお母さんが学校に去年の診断書と共に長袖でも構わないか確認していた。

だから、私は衣替えの後でも長袖のままだった。
そのことを、みーちゃんが知っているなんて…。
「こんなに柔らかくて、可愛い腕に日焼けなんて…」
みーちゃんの声が、少し悲しそうだった。
「ごめんなさい」
「…いいよ。と、そろそろかな?」
「ん?」

みーちゃんが止まったのか、頬に感じる風が緩やかになった。
「降りて、歩ける?」
みーちゃんがそう聞いて来た。
「…うん、歩きたい」

「ここから、聞き覚えのある道かな?」
湊は目の前に見える小学校を、ちらりと確認した。
のぞみには見えていない。
今となっては、全く思い入れもない古巣。
湊は、のぞみをそっと降ろした。

「今、小学校が斜め前にあるよ?」
「え?そうなの?」
私が思っていたよりも早く、小学校に着いていた。
「みーちゃん、歩くの早いねぇ」
「…可愛いなぁ」

「ん?なあに?あまり聞こえなかった」
繋がれた手に力を入れると、大きな手は優しく握り返してくれる。
「んーん、何でもないよ?」
「みーちゃん、ありがとう」
「どういたしまして…」

一緒に歩き始めて、少しワクワクが湧いて来た。
「嬉しいな、のんちゃんとデートだ。もう少しだけ歩こう?」
みーちゃんの声に、こくりと頷く。
昨日も歩くはずだったのかな?
私が泣いてしまったから、みーちゃんは私を抱っこしてくれたのかもしれない。

みーちゃんの手に優しく包まれたまま、ゆっくりと歩みを始める。
そうだった。
こうやって、下校の時間を過ごしていた。
残っている生徒がいるのか、後ろ側になった小学校からは放送のような音が聞こえる。

「まだ、先生達いるんだね?」
「だね。だって、中学校だけ早いんだし」
「あ」
そうだった。
私達だけが早い下校なんだった。

「忘れてた…。じゃあ、さやかはまだいるんだ」
思わず振り返る。
「そうじゃない?」
だけど、みーちゃんの声はやっぱり素っ気ない。
「ほらほら、のんちゃん。しっかり前に足を出して?」

みーちゃんの声に、ハッとする。
体の向きを、しっかりと前に戻す。
歩くのも、しっかりと足を出さないと転んでしまう。
なので、ゆっくりと足を出して地面を感じる。
ちゃんと地面を踏んで、体を支える。
繋がった手が、少しだけ揺れた。

「どうしたの?」
「のんちゃん、そんなに慎重に歩かなくても…」
クスクスと笑うみーちゃんに、少しだけ恥ずかしい気持ちになる。
「だって…」

「ぼくが、のんちゃんのこと簡単に転ばせるわけないじゃん?安心して歩いて良いよ」
みーちゃんの自信のある言葉。
本当に、優しいみーちゃん。
「ありがとう、みーちゃん」
「もう!可愛すぎ!何で、こんなに可愛いんだろう?何度でも更新するね」

「更新?」
何を?
「そ。のんちゃんの可愛さ。どうして、そんなに可愛くなるのかな?」
「可愛くなんて…ないもん」

「反抗期?そんなのんちゃんも、可愛い」
「もう!みーちゃんは…」
「駄目だよ?ぼくはのんちゃんがどんな表情をしたって、可愛いとしか感じない」

「…みーちゃん」
みーちゃんは、本当に目が悪いんだろうなぁ。
それか、勘違いか思い込みが強いのだろう。
何を言っても、聞いてくれない感じ。

「あ、のんちゃん!あのインコ、今日は出ているよ?」
私の落胆に構わず、みーちゃんの弾んだ声が聞こえた。
みーちゃんに言おうと思っていた言葉は、聞こえて来た言葉と思い出した光景にかき消された。

「本当?」
みーちゃんの言葉に、耳を澄ませる。
いつも、可愛い鳥籠が縁側に出ているお家があったはず。
目がクリクリで、ピチチと鳴いていたのを思い出す。
「風が冷たいと、出さない時もあるもんね?今日は、温かいから外の方が良かったみたいだ」
「…そうなんだ。元気そうで良かった」

「あ、紫陽花のお庭。少し短くなってる」
インコの家の斜め向かいのお家のことだ。
いつも、植物が綺麗に植えてあったのを思い出す。
でも、そのお庭は少し様変わりしていたのだろう。

「そうなの?」
「その代わり、バラの苗木が植えてある」
「本当?」
「うん、黄緑色の蔦が綺麗に伸びているよ」

「そっかぁ、バラってお手入れが大変だから、紫陽花の方は短くしちゃったのかな?」
「かもね」
歩く速度は、とてもゆっくりだ。
私の歩幅にみーちゃんが合わせてくれている。
そう思った。

チリンチリンと聞こえて来た涼しい音に、思わず笑ってしまう。
「まだ、風鈴が出ているんだ…」
「違うよのんちゃん?今年は、早く出したのかもしれない」
みーちゃんの真剣な声に、声を出して笑ってしまう。
「秋でも冬でも聞こえる風鈴は、ぼくが下校していた時とも変わってないなぁ」

どこかのんびりした声に、こくりと頷く。
小学校の時の通学路を思い出す。
帰り道、どうやって帰っていたのか。

見えていた景色を思い出しながら、次は何があったのか辿って行く。
「そうだ、ワンちゃんは?」
「あ、いるね。すごいよのんちゃん!1頭だけじゃなくなってる」
みーちゃんの言葉に、大きなワンちゃんが増えているのを想像する。

自分の目線で静かに顔を寄せていた大きなワンちゃん。
体が大きくて、顔もキリっとしているのに無闇に吠えない。
柵から静かに鼻先を出していたのをよく覚えている。
怖がられて、あまり近くに寄る子どもはいなかった…はず。
だけど、私がじっと見つめると小さな声でキューンと鳴いていた。

「同じ犬種だ」
「けんしゅ?」
みーちゃんの言葉に、首を傾げる。

「うん、ドーベルマンっていう犬の種類で、同じドーベルマンで結婚したってこと」
「そうなんだ」
みーちゃんの声は、ずっと優しい。
「赤ちゃんはいる?」

「今はいない。2頭だけだ」
私が通うことがなくなったあの時から、もう5年。
色々なことが変わっている。

繋いだ手を思わずぎゅっと握ってしまった。
「どうしたの?」
「…ううん、嬉しい」

「あーぁ、こうやってのんちゃんと登校するのがぼくの楽しみだったのになぁ…」
声は弾んでいるみーちゃんの言葉。
それは私も思っていた。
でも、叶うことなくみーちゃんとは離れてしまった。

小さい時は、見える景色が自分の全てだった。
でも、私の目が不安定になって、通学中に怪我をしたら大変だと車での送迎になってしまった。

それを、悲しいとは思わなかった。
ただ、寂しかっただけ。
でも、一緒に通学してくれるお友達がいなくなってしまったので、これで良かったのだ。
少しだけ、寂しい気持ちになる。

「のんちゃん?」
「大丈…あ」
思わず口を覆ってしまい、自分でも足が止まる。
微かな溜息が聞こえてくる。

「ご、ごめ…きゃ」
謝ろうとしたら、また浮遊感に包まれる。
「もう、今日は終わり。リハビリにも良かったでしょ?」
「…うん。ありがとう。みーちゃん」

また、みーちゃんに抱っこされてしまったのだろうか。
体に伝わる振動が、ゆっくりと響いて行く。
でも、焦って歩いている様子は感じられない。

「のんちゃん、足痛くない?」
「うん、痛くないよ。みーちゃん、ありがとう」
「可愛いな。本当に…」


湊に抱きかかえられているのぞみの姿。
お人形のように、行儀よく収まる姿はすれ違う人の視線を集めている。
でも、当ののぞみはそのことに気付かない。
微笑ましい視線も、羨ましいという視線も…。

気付いている湊でさえ、全く気にしている様子はない。
それが、日常だと言わんばかりの行動。
あかりとかすみと顕檎の3人は、少し離れた場所からそれを眺めていた。

ことの発端は、かすみが湊に話をしに行ったことだった。
試験中だったが、どうしても気になってしまったから。
湊がどういう人なのか、小さい時の思い込みやイメージではなく。
のぞみの兄として、接したいと思ったことが根本になった。

のぞみの友達であることを。
しかし、湊は興味がないようにかすみの自己紹介を『いらない』と断った。
だが、かすみはめげなかった。
のぞみの友達として、のぞみの兄に認めてほしい気持ちがあった。
昨日湊に対して全くリアクションが取れなかったことを、とても後悔していたから。

どうしても、湊と話をしたかった。
しかし、湊はのぞみに見せる姿を一切感じさせずかすみを拒絶した。
どうすれば、湊に話を聞いてもらえるのか。
話は単純だ。

かすみは、湊が来たことを喜ぶのぞみの話をした。
そこで、湊がかすみのことを初めて認識した。
全然興味がなかったはずの対象が、人として認識する、くらいのものだったが。

かすみは、そこで湊とのぞみの関わりを見たいと申し出た。
下校時間を楽しみにしていたのぞみのことを、客観的に知りたいと願い出た。
湊は、仕方がないなぁと興味がなさそうに許可をした。

許可と言いつつ、のぞみにバレたらすぐに解散することを条件に。
たった10分の休み時間に、かすみは達成感を感じていた。
勝手に取り付けた約束だったけれど、あかりも顕檎も興味を示した。
なので、学校から少しだけ寄り道をする3人がいた。

学校でも、家でも見せないであろうのぞみの姿。
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