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2章

お喋りの時間

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化学の試験も、心配していたけれど問題は解けた。
問題数が少なかったことで、時間がかからなかったから。
実験の工程や、注意事項など1つの問題で複数回答することがあったから。
気付いたことや考察なども合わせて、いくつか設けられた大きな四角い枠に記入するだけ。

だから、時間は半分以上余った。
これは布之さんと高杉君のノートに、とってもとっても感謝だ。
だって、布之さんのノートには簡潔に書かれた工程や注意事項が記入されていた。
そして高杉君のノートには、先生が言ったことや他に工夫できる点などの記入があったから。

2人のノートを見せてもらった私には、すごく怖いものなしの問題だった。
化学式は最初の方に、まとめてあったので一気に記入できた。
時間が余ったことで、少し興奮していた私。

だけど、視界が薄暗くなって来たことに気付き、少しだけ落ち着いた。
もう、サインが来た。
今日は少し早い。
でも、途中ではなくて良かった。
これが歴史の試験だったら、きっと時間が足りなかった。

途中で、悔しい思いをしながら閉じていくのを感じたのかもしれない。
見えなくなるギリギリまで記入し、1問でも多く回答しようとするのだろう。
焦って記入する自分を想像し、ホッとする。
だから、今日はこれで良かったのだと自分に言い聞かせる。

今日は、持たないかもしれないと思っていたので、ある意味予想通りだろう。
そういう意味では、構えていた通りの結果だ。
でも、今日もみーちゃんのことは見えないということで…。
やっぱり、ガッカリしてしまう私がいた。

見えていると、余計なことを考えてしまうのに。
答案用紙を見ながら、視界は閉ざされた。
じっとしている自分の視界が、薄暗く塗り潰されていく感覚。
今の私の気持ちが重なる。
今日も、見えない方が良い。
そんなことを思ってしまった、私の気持ちに…。

「はい、筆記用具を置いてください」
見えなくなった段階で、筆記用具は片付けた。
後ろから回って来た答案用紙に、少し戸惑ったけれどどうにか受け取る。
そこに自分の解答用紙を重ねる。

受け取った時に、乃田さんは気付いたのだろう。
号令で帰りの会が終わると、そっと手を握ってくれた。
「春川、帰ろう」
「…うん」
見えなくなってしまったけれど、声のする方を見上げる。
きっと、乃田さんは優しい顔をしている。

それが、分かる。
「今日も、湊さんのお迎えなのよね?」
布之さんの言葉に、不思議な気持ちになる。
あれ?
私、みーちゃんが来ること、言ってたかな?

もしかしたら、言っていたのかもしれない。
「うん、今日も、みーちゃん来てくれる、って…」
布之さんは「なら玄関に行きましょう」って言っていた。
昨日と同じように、大谷先生に挨拶をして教室から出る。

乃田さんが段差とか、ドアの幅などを細かく教えてくれる。
「ねぇ、春川?」
不意に、布之さんの声がした。
「なあに?」
考え事をしていたからか、間延びした返事になってしまった。

「今、何を考えているの?」
質問の意味が分からず、答えに困る。
「元気のない顔で笑われても、こっちは余計心配になるのよ?」
急な言葉。
布之さんの声は、いつも聞いている声と少し違う風に聞こえた。

何でだろう。
繋いでいた、乃田さんの手に力を入れてしまった自分に気付く。
「ご、ごめんなさい!」
「全然。春川の握力は痛さがないから、何も気にするな」
乃田さんのあっけらかんとした声。
手は、しっかりと繋がれている。

布之さんの言葉を思い出す。
私は、元気がないように見えたのかな?
朝は少しだけそうだった。
でもみんなと話していて、少しずつ元気になった。
そう、少しずつ。

でも、何をどう言えば説明ができるのかな?
口を開くけれど、言葉が出て来ない。

みーちゃんが来たこと?
さやかが引き留めてきたこと?
それとも、夜に泣いてしまったこと?
お母さんと、同じ気持ちを共有できないこと?

思っても全て、言葉にはならなかった。
どう伝えれば、この気持ちは表せるのだろう?
困ったまま、時間が止まる。
結局、布之さんの言葉には何も返せていない。

「不安、なのかしら?」
布之さんの言葉に、迷いながらもこくりと頷いてしまった。
不安。
だけど、この気持ちは本当は不安ではない…。

不安とは、少しだけ違う気持ち。
これは、罪悪感だ。
それを口にしたら、折角お友達になった3人は離れてしまうのだろうか?

自分の環境が、回りからどう見られているのか急に気になった。
今のお家も、もう戻らないお家もどちらも大事だ。
比べるものではない。

どちらも手放したくない。
でも、それは家族のみんなに迷惑をかけてしまう。
お母さんとさやかにも。
みーちゃんや智ちゃんにも。

それでも、ずるい私は選べない。
残っている、ママの家族も今の家族も。
大事で、大切にしたいから。

私の目が見えなくなったことで、どちらの家族にも変化があった。
お互いの関係が変わって行ったのも事実だ。
それは、私が原因だ。
全部、私のせい。

それだけは、はっきり分かっていること。
全部をダメにしたのが私が原因だと知ったら、3人はどういう顔をするのだろうか。
軽蔑されてしまうのだろうか。
離れていってしまうのだろうか。
関わりがなくなってしまうのだろうか。

どれも、怖かった。
みーちゃんと智ちゃんと私がバラバラになったのも、自分のせいだったように、3人が離れてしまうのがたまらなく嫌だった。

私が、3人にどう思われているのかという不安。
だから、結果的には不安で合っている。

「ごめんなさい」
呟きは、謝罪になった。
「…何が、ごめんなさいなの?」
布之さんの声は、ずっと変わらない。

「き…きちんと、説明できないこと、が?」
出来ないじゃなくて、出来ればしたくないことだけど…。
言えないのは、事実だ。

「春川?何が、心配なの?」
布之さんの声は、ずっと優しい。
心配。
親切にしてもらった3人と、距離ができること。
でも、それは口にしてはいけない気がする。

「春川?私のことで、何か気になることはあるかしら?」
質問が変わった。
声の優しさは変わらないのに。

「言葉がきついとか、言い方が嫌だとか…。他にも何でも良いの、私のことで、何か思うことはある?」
「布之さん?そんなこと…ないよ。いつも、とても優しいよ?私のことを気にかけてくれて、嬉しいって思う。乃田さんも、高杉君も、みんな優しい。…優しいから、悪いなぁって…」

「…何が、悪いの?」
「め、迷惑をかけていること…です」
迷いながら、口から出て行く言葉たち。
「それは、直接の不安ではないでしょう?」
布之さんの言葉は、しっかりと合っていた。

私は、ずっと迷いながら口を開く。
「みんなが、優しいから…私が、何か嫌なことをしても、きっと許してくれる。…嫌なことがあっても、そのまま受け入れてくれそうで、…それが怖い、です」

「春川?私は春川に、何も嫌なことをされていないわ」
それは、今の話だけのこと。
これから私がどれだけ迷惑になっても、同じことを言ってくれるのだろうか。
布之さんの言葉が、嬉しいと思う気持ち。

「それは…」
「ごめんなさいね?私の理解力がないから、春川の言っていることが掴めていないのかも…」
布之さんの言葉に、私の言っていることを理解しようとしてくれていることを感じる。
やっぱり、嬉しい。

だけど、私も自分で何を言いたいのか良く分からなくなっていた。
少し、混乱しているのかもしれない。
お家の事情と、お友達のことは別だ。
「あの、私も何を言いたいのか、よく…分からなくなっちゃった…です。ごめんなさい」

急に込められた力。
力強い手は、乃田さんだと知っている。
見なくても、それは分かるようになった。
握り方、とでも言うのだろうか。
私のことを、しっかりと繋ぎ留めてくれる。

「もう、良いじゃん?かすみ」
「何が?」
「春川だって、困ってる」

言えなかった言葉は、多分出ていない。
だけど、頷いてしまった。
「そんなことよりも、春川?飯食ってるか?」

問いかけが変わった。
首を、傾げてしまった。
見えていないのに。
明るい声で、私を気にする言葉をくれる乃田さん。

乃田さんの、こういう所が素直だと思う。
とても、羨ましい。
心配されていることが、くすぐったくなってしまう。

「食べて、いる…と思うよ?」
「ほんとか?すげー白い顔をして、朝飯あさめし何食った?」
「えーと、お母さんが作ってくれた、オムレツとサラダとパン」
「すげーうまそう」

乃田さんの言葉に、こくりと頷く。
とても、おいしかった。
「あかりが思っているオムレツと、春川の言っているオムレツ、多分違うと思うわ」
布之さんの、どこか面白がる声に首を傾げる。

違う?
何がだろう?
「オムレツはオムレツだろ?中のごはんがうまいんだよな。ふりかけとか、ごはんですよとか入れると、もっとうまい」
乃田さんの声に、あれ?と思った。
ごはん?

「ほらね、ちなみに高杉は、このおかしさ気付けるかしら?」
「…分からん」
「まぁ、男は仕方ないか」
「そうだな」

布之さんと高杉君の言葉にも、首を傾げる。
昨日も歩いた廊下を、ゆっくりと歩く。
もうすぐ階段になる。
「大丈夫か?手、離すぞ?」
「うん、ありがとう」

乃田さんの手が離れ、手すりを探す。
見えない時は、しっかりと手すりを握る。
そんな当たり前のことを、ちゃんと確認する。

階段では、見られていると思うこともあり慎重さが増す。
「春川の歩き方、とても綺麗なのよね」
「…綺麗?」
布之さんの言葉に、疑問が湧く。

言われたことのない、不思議な言葉。
階段を降り、1階に到着する。
「そうだ、かすみ?さっきのオムレツ、何が違うって」
また繋がれた手に、私も力を入れてしまった。

そう言えば、布之さんが私の言うオムレツと乃田さんの思うオムレツが違うって。
「あぁ、あかりが言っているのは、正しくはオムライスのこと。春川の言っているのがオムレツね」
布之さんの言葉に、そういえば…と思い出す。
確かに、中にごはんが入っている時はお母さんは『オムライス』と言っていた。

中身は、チキンライスとか、トマト味のごはんが多い。
でも、さっき乃田さんは何て言っていた?
ふりかけとか、ごはんですよとか…。

「ちなみに、春川?中の具は、何が入っていたの?」
考えていた私に、布之さんの問いかけ。
今朝は…。
「ほうれん草と、チーズをお願いしたよ」

「あら、おいしそう。お母様は、料理もお上手なのね?」
「うん、お母さんは卵料理?がとても上手でおいしいの」
「機会があれば、食べたいわね。とても、贅沢」

「何だよ。オムライスもオムレツも一緒だろ?」
乃田さんの言葉に、溜め息が聞こえた。
「あかりはお子様ね。一生、オムライスでも食べていれば良いわ」
「何だと?馬鹿にしやがって」
布之さんの言葉に反応する乃田さんが面白くて、笑ってしまう。

「高杉は、分かった?」
「分かった。そう言えば、ホテルとかで母親が何かそんなようなことを言っていたなって、思い出した。よく布之は知ってたな」
「…そう言う私もね、ついこの前まで知らなかったわ。…言いたくないけれど、姉が親切に教えてくれたのよ」

布之さんは、お姉ちゃんがいるんだ。
「春川、分かりやすい子ね?」
「うん?」

「私の姉に、興味を持ったのよね?」
布之さんは、すごいなぁ。
「何で分かるの?」
「ふふ、可愛い。でも、ダメよ?関わっちゃいけない人だから、興味を持っては…」
布之さんの言葉に少しの違和感が湧く。
「何がだよ?お前そっくりだろ?すみれちゃんに…」

乃田さんの言葉に、もっと興味が湧く。
布之さんのお姉ちゃんは、すみれちゃんって言うんだ。
「駄目よ、あかり?姉のことは言わないで、春川の興味が私じゃなくてあの人になっちゃう」

ぎくりとした。
あの人。
さやかが、みーちゃんを言う時と同じだ。

「…布之さん?」
布之さんも、お姉ちゃんに素っ気ないのかな?
さやかを思い出す。
「何かしら?」
「…その、布之さんは、お姉ちゃんのこと、…き、嫌いなの?」

「えぇ、嫌いだわ」
あっさりと言った布之さん。
そのことにショックを受ける。
「そうね、春川?」

肩に置かれた手は、布之さんの物だろう。
すごく、優しい触れ方だ。
「私のことを無駄に可愛がろうとする所が嫌いだわ、年が7つ離れているからって、保護者気どりをするところも嫌い、それに無駄に私のことを知りたがるのも、何かを教えたがるのも…」

続いた言葉に、こくりと頷く。
布之さんの声のトーンは、やっぱり変わらない。
「…だけどね、私のことを無条件で味方をしてくれる所が好きだと思っているの。…あら、困ったわ?1つしか好きな所が出て来ない。嫌いな所は、まだまだあるのに…」
布之さんの言葉を聞いて、強張っていた肩から力が抜ける。

「充分だろ?あとは、お互いに似ていること、2人とも喜んでるだろ?」
乃田さんの言葉は、呆れているようだった。
「それは、好きな所じゃないもの。喜ぶと好きは、少し違うわ」

布之さんの言葉に、ぎくりとした気持ちが解れていく。
「だって、私の姉ですもの」
布之さんの言い方は、とても簡潔だった。
嫌いと言っているけれど、それは本当に嫌っている響きではなかった。
そのことにホッとした。

「春川?家族の形も、兄弟姉妹の形も、色々あるのよ?」
布之さんの言葉に、やっぱり頷く。
「そうそう。高杉家の殴り合いの兄弟愛とか、布之家の馴れ合いの姉妹愛とか…」
「あら?乃田家のじゃれ合いの兄弟愛もあるじゃない」

布之さんと乃田さんの言葉に、安心する私。
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