見ることの

min

文字の大きさ
上 下
50 / 68
2章

お兄ちゃん

しおりを挟む
歴史の試験も、ちゃんと問題は解けた。
と、思う。
終了時間は、ほぼぴったりだった。
でも、焦るほどギリギリではなかった。

覚えることが多かったけれど、それは大事なことがそれだけ多いということ。
歴史上の人物も、何があったのかの年号も。
昨日の古文より、乃田さんはイライラしていなかった。

休み時間になっても、教室には一定の人数がいる。
女の子達は、やっぱり少ない。
英語も、英単語が多い。
スペルや綴りが合っているか、少しの不安が出てしまう。

でも、お勉強をしていることは、ちゃんと私の中に残っている。
だから、間違えてしまった綴りなどをしっかりと思い出すようにする。
間違わないように、繰り返し覚えた単語たち。

高杉君は、今度は小さな暗記カード?を持っていた。
丸い部品に繋がれた、小さなカードが束ねられた物。
それを、ゆっくりとめくり後ろの文字を確認することを繰り返していた。

「どうした?」
高杉君は、やっぱり私の視線に気付いてしまったようで、手を止めた。
「ううん。大したことじゃなくて、ごめんね…。お勉強、高杉君もすごく頑張るなぁって思ったら、つい見ちゃった」

「…いや、今までやって来なかった分が今、皺寄せで来てるだけだから」
「そうなの?」
「英単語は間違えやすいし、早とちりしたら困るからな」
「そうだね…。焦ったら、間違えちゃうからね」
「しかも、間違えやすいものとか、範囲内に指定されていただろ?」
「そうだね」
高杉君は、カードをゆっくりとめくっていた。

お勉強のために、あのカードを作ったということだろう。
めくるカードは小さい。
あんなに小さいカードに、一単語ずつ書いていったんだ。

「すごいね、小さなカードにわざわざ記入して…」
「いや、これ兄貴のお下がり」
「そうなの?お兄ちゃんのお下がりかぁ…、良いね。ずっと使えて」
「兄貴は、俺と違ってマメだから…」
「そうなんだ」

高杉君のお兄さん、か。
知らなかった。
「春川が思うような関係ではないと思うが…」
「うん?」
「春川の家は、みんな仲が良いだろう?」

「みんな…」
「春川とさやかちゃんも、春川とお兄さん達も…」
高杉君の言葉に、こくりと頷く。
でも、さやかとみーちゃん達は?と考えると困ってしまうけれど。

「うちは、弱肉強食だから」
高杉君の言葉に、首を傾げる。
弱肉強食。
言葉は、知っている。

強い物が勝ち、食べ物や利を得ること、弱者が犠牲になること…。
だけど、どういうことだろう?
弱者?家族の中で?
「男兄弟なんて、みんなそうだと思うが…。早い者勝ちとか、先に言った者勝ちとか…」

勝ち負けなんだ。
何を?
「早い者勝ち…」
不思議に思って、口に出してしまった。
「そう。食事の時間も、ぐずぐずしてたら、あっという間に食べ物が消えてる。だから、食事の時間には遅れられない」

のんびりしている口調に、そこまで焦った響きはない。
「そうなの?ご飯の時間、大忙しだね?」
「年子だと、もう力関係も同じくらいになるし、」
「力関係…。大変なの?年子…って」

私の言葉に、高杉君はふっと笑う。
「そんな気遣わなくて良いことだけど…。年が近いと良くも悪くも、3人一緒にされてしまうし」
「3人も?男の子がたくさんいると、とても賑やかそうだね」
「…そうだな。賑やかには変わりないな」

高杉君は、穏やかにそう言った。
「兄貴達に、良い意味で鍛えられてるようなものだし…」
鍛える?
何を?

「まぁ、弱肉強食とは、少し位置がずれてるような時もあるけど…」
こんなに穏やかなのに、家では弱肉強食?
「ずれてる?」
「そう。俺のことは、兄貴達もあまりケンカには誘わない」
「家で、お兄ちゃん達、ケンカ…するの?」

途切れ途切れになってしまったけれど、気になったので聞いてしまう。
高杉君が、ケンカ…。
想像が出来ないけれど。
「…一番上と、二番目が激しい。昨日も、2人で殴り合いをしていた」

「なぐ…?」
高杉君の言葉に、一瞬考えることが難しくなった。
「俺は、そういう意味では反射は鈍い方かも…。あまり相手にされてないと言った方が、もしかしたら合ってるかもしれないが」
「お兄ちゃんたち、大丈夫だったの?」

「何が?」
「お互いに、怪我とか…病院とか」
高杉君はまたふっと笑う。
思い出し笑いをしているようだった。
「大したことではないが…」

「うん」
「二番目に単語帳を借りようと思ったから、声をかけたんだ」
「うん」
「俺は、あまり真面目に勉強する方じゃないし、部活が中心なのは変わってないから」
「…うん」
そんなイメージもないけれど、とりあえず頷く。

「二番目の兄貴は、去年勉強したことだし。学習した範囲も大きく変わってないと思ったから、単語帳とかあったらないか確認したんだ」
「うん」
「そうしたら、真面目に書くことはしていたみたいで」

手に持った小さな暗記カードを見せてくれた。
丸い部品が付いていて、小さなカードに英単語が書かれていて、後ろをめくると日本語で意味が書いてある物。
これが、お兄ちゃんの物ということだろうか?
「そうなんだ、良かったね。お兄ちゃんのを借りられて」
「そうだな。借りた所までは良かった」

「…うん?」
「そこで、一番目が会話を聞いてたのか、1年の時に使ってた、同じような暗記カードを持って来て」
机の上に視線を送る高杉君。
そこには、もう1つ暗記カードがあった。

「もう1つ借りられたんだ。すごいね、お兄ちゃん達、お勉強たくさんしていて…」
「というか、血筋なのか…」
言葉に迷っている高杉君に、首を傾げる。
「うん?」

「書いたことで、満足するというか…。書いて暗記カードを作った所で、どっちも終了なんだ」
「…そうなの?書いたら、使うんじゃないの?」
私も不思議に思ってしまった。
覚えるために書いて、それを復習に使って。

「見たら分かるだろ?」
「…何を?」
「暗記カード、無駄に綺麗じゃないか?」
手に持った暗記カードを見つめる。

「綺麗?」
「春川には信じられないことだろうけど、作っただけで勉強した気になる人達なんだ。兄貴達は」
「でも、書いたら覚えるんじゃ…」
「さっき、言ってたろ?『間違えやすい単語』って、1回書いたり見ただけじゃ、覚えきれない物がほとんどだ」

「…でも」
「その証拠に、兄貴達には『綺麗に使え』って言われたし」
「綺麗に?」
「何回もめくったり、持ち歩くと、字が擦れたり、角が折れたり、カードが千切れたりするんじゃないか?」

私は、単語カードは持っていない。
繰り返し書いて覚えることが、ほとんどだったから。
でも、参考書や古文のミニ便覧などは、確かに持ち歩いていると、少しずつくたびれてくる。
「そうだね、確かに持ち歩いてたら、落としたり汚したり、なくしたりするかも…」

「だろ?だから、借りるのは悪いって断ろうとしたら…」
また思い出したのか、高杉君はふっと笑う。
「一番目が、自分の書いたカードの方が綺麗だから、貸してやるって」
「綺麗だから?」

「そう。謎だろ?変な意地張ったのか、綺麗なんだから、多少汚れても平気、みたいなことを言い出して」
「でも、優しいお兄ちゃんだね?」
「そうか?俺には、無理に押し付けようとしてるように見えたけど…」
「押し付け…」

「だって、汚して怒られたら嫌になるだろ?」
そうかもしれない。
「だから、はっきりと『汚す可能性があるから良い』と断ったんだけど…」
「うん」

高杉君は、机の上の使用していない方の暗記カードをちらりと見た。
「変に長男だから、みたいな気分になったんだろうな?『使え』って言い出して。でも、そこで二番目が『俺の方が綺麗だし分かりやすい』って言い出して」

特に焦った様子でもないけれど、高杉君はそのことを思い出したように呟く。
「二番目も、変な意地を張る。今も、時々教室に見に来るし」
「え?何で?」
思わず、教室から廊下を見てしまった。
「さっき、来てた」

「さっき?」
「気付かないフリをしていたから、向こうは俺が気付いたとは思ってない」
「何で?」
「どっちの暗記カードが使われているか確認したかったんだろ?」
「何のために?」
「さぁ?」

でも、現に高杉君が手にしているのは、二番目のお兄ちゃんの物だった。
机にあるのが、一番上のお兄ちゃんの物だって、さっき見ていたし…。
「分かりやすいんだ」
私が高杉君の手にしているカードを見て言う。
「いや、変わらないな。どっちも似たような物だ」

高杉君て、不思議だなぁ。
「でも、賑やかで楽しそう」
「そうかもしれないが、昨日は危うく殴り合いだ」
そうだった。

何で、暗記カードでそんな大喧嘩に…?
私の疑問が分かったのか、高杉君は『原因はこれだ』と手にしたカードを再度見せてくれた。
「どっちのカードが分かりやすいかとか、勉強が捗るか、みたいなことから、段々字の話になって」
「じ?」
「そう、書く文字の話」

「1番上が『俺の方が字が綺麗だ』って言い出して」
「…うん」
「それを聞いてた二番目が『汚い字のくせに』って言ったと思ったら、気が付いたらお互いの首元を持ってたな」
「えぇ?」

「一瞬触発とは、あぁいうことを言うんだなと思った」
どこか呑気な言葉に、私は返答が出て来なかった。
「まぁ、母親が出て来てすぐに収束したが。お互い2発は入ってたんじゃないかな?」
「…そうなんだ。お母さんは、すごいね」
「そうだな」

「ま、結果的に2人の分を借りられたから、俺としてはラッキーだったが」
「お前は大物だな」
前から、首だけを後ろに向けた乃田さんが言っていた。
「そうか?」
「というか、春川は怖くないのか?そんな家で育ってる高杉が」

乃田さんの言葉に、首を傾げる。
「怖い?何で?」
「だって、殴り合いだぞ?怖くないか、家とか壊れるだろ」
「…激しいとな。この前は中庭で揉めたみたいで、木のドアを外して、爺さんに怒られてた」
「木のドア…」

想像が出来ない。
でも、ドアは外れて、おじいちゃんに怒られた。
「だけど、懲りない。あの二人はそれでコミュニケーションを取ってるんだろうな」
「コミュニケーション?そんな可愛いものかよ?」
「確かに、少々荒々しいか」

高杉君の言葉に、色々なことを想像する。
「荒々しいで片付けるなよ?春川、怖くなって来ただろ?殴るんだぞ?」
確かに、私が殴られたら怖い。
でも、殴ったのは高杉君じゃない。
お兄ちゃん達だ。

「高杉君が怖いとは思わないかな?」
「何で?」
「だって、優しい…から?」
いつも、どこでも。

「そっか。ま、いざとなったら、高杉も拳を振るうという選択肢があるってことか」
乃田さんは、私と高杉君を見て前を向いた。
「…しないけどな」
高杉君の小さな言葉に、こくりと頷く。

もうすぐ、英語の試験だ。
今日は記憶する学習が多いからか、教室の中はほとんど着席した人ばかりだ。
布之さんはいない。
休み時間で、どこかに用事があると足早にいなくなった。

こういう時もあるのだろう。
静かな空間。
試験期間中の、どこか独特の空気。

英語の試験も、時間内に終わった。
迷う問題もなく、気を付けていた綴りの引っかけ問題もきちんと書くことが出来た。
リスニング問題の時は、少しだけ考えてしまった。
だけど、少し前に智ちゃんとお勉強した所だったので、多分大丈夫だろう。

休み時間になると、少しだけ目が疲れていることを感じた。
問題を見すぎたからかな?
次の化学は、化学式や実験した物から出題される。

本当に、覚える物が多い日だ。
特に、早退したり、参加していない授業の物は少しだけ不安だった。
後で布之さんや高杉君に、ノートを見せてもらっただけの学習。
だけど、布之さんのノートは分かりやすいし、高杉君のノートもすごく丁寧だった。

高杉君の手には、参考書がある。
またお兄ちゃんから借りた物かな?
「今日の春川は、少しそわそわしてる」
言われて、ぎくりとする。

「それに、目は大丈夫か?さっき押さえてた」
気付かれていたことも、少しだけ気まずい。
「あの、少し…問題を見すぎて、疲れちゃったのかも…。でも、痛いとか見づらいとかじゃないから」
暗に、まだ見えていることを返答する。

「そうか、無理をしない方が良い」
「そうだね。朝、お母さんがホットタオル?を貸してくれて、すごく目がスッキリしたの。だから、また帰ったらやってみたいな、って」

「ホットタオル?」
高杉君も聞き慣れない言葉みたいだ。
良かった。
私だけが知らない物じゃなくて。
「うん。私も初めて知ったんだ。タオルを濡らして、温めた?のかな。温かいお湯で濡らしたタオルなのかな?目、全体がすごく温かくて、当てている時にじわじわする感じで…」

「そうか。それは良かった。これも、兄貴に借りた物だ、1番上のな」
「うん」
私が見ていた参考書についても、それとなく教えてくれる。
すごいな、高杉君って。
私の考えていることが、何で分かるのだろう?

「春川は、分かりやすいな」
「…そう?」
「これは、どっちもケンカしてない。書き込みは、似たようなものだったし」
聞いてはいないことも、教えてくれた。
「そうなんだ」

今日は、高杉君のお兄ちゃんの話が、たくさん聞けたなぁ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

悪女の死んだ国

神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。 悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか......... 2話完結 1/14に2話の内容を増やしました

クール天狗の溺愛事情

緋村燐
児童書・童話
サトリの子孫である美紗都は 中学の入学を期にあやかしの里・北妖に戻って来た。 一歳から人間の街で暮らしていたからうまく馴染めるか不安があったけれど……。 でも、素敵な出会いが待っていた。 黒い髪と同じ色の翼をもったカラス天狗。 普段クールだという彼は美紗都だけには甘くて……。 *・゜゚・*:.。..。.:*☆*:.。. .。.:*・゜゚・* 「可愛いな……」 *滝柳 風雅* 守りの力を持つカラス天狗 。.:*☆*:.。 「お前今から俺の第一嫁候補な」 *日宮 煉* 最強の火鬼 。.:*☆*:.。 「風雅の邪魔はしたくないけど、簡単に諦めたくもないなぁ」 *山里 那岐* 神の使いの白狐 \\ドキドキワクワクなあやかし現代ファンタジー!// 野いちご様 ベリーズカフェ様 魔法のiらんど様 エブリスタ様 にも掲載しています。

マサオの三輪車

よん
児童書・童話
Angel meets Boy. ゾゾとマサオと……もう一人の物語。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

処理中です...