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2章
お兄ちゃん
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歴史の試験も、ちゃんと問題は解けた。
と、思う。
終了時間は、ほぼぴったりだった。
でも、焦るほどギリギリではなかった。
覚えることが多かったけれど、それは大事なことがそれだけ多いということ。
歴史上の人物も、何があったのかの年号も。
昨日の古文より、乃田さんはイライラしていなかった。
休み時間になっても、教室には一定の人数がいる。
女の子達は、やっぱり少ない。
英語も、英単語が多い。
スペルや綴りが合っているか、少しの不安が出てしまう。
でも、お勉強をしていることは、ちゃんと私の中に残っている。
だから、間違えてしまった綴りなどをしっかりと思い出すようにする。
間違わないように、繰り返し覚えた単語たち。
高杉君は、今度は小さな暗記カード?を持っていた。
丸い部品に繋がれた、小さなカードが束ねられた物。
それを、ゆっくりとめくり後ろの文字を確認することを繰り返していた。
「どうした?」
高杉君は、やっぱり私の視線に気付いてしまったようで、手を止めた。
「ううん。大したことじゃなくて、ごめんね…。お勉強、高杉君もすごく頑張るなぁって思ったら、つい見ちゃった」
「…いや、今までやって来なかった分が今、皺寄せで来てるだけだから」
「そうなの?」
「英単語は間違えやすいし、早とちりしたら困るからな」
「そうだね…。焦ったら、間違えちゃうからね」
「しかも、間違えやすいものとか、範囲内に指定されていただろ?」
「そうだね」
高杉君は、カードをゆっくりとめくっていた。
お勉強のために、あのカードを作ったということだろう。
めくるカードは小さい。
あんなに小さいカードに、一単語ずつ書いていったんだ。
「すごいね、小さなカードにわざわざ記入して…」
「いや、これ兄貴のお下がり」
「そうなの?お兄ちゃんのお下がりかぁ…、良いね。ずっと使えて」
「兄貴は、俺と違ってマメだから…」
「そうなんだ」
高杉君のお兄さん、か。
知らなかった。
「春川が思うような関係ではないと思うが…」
「うん?」
「春川の家は、みんな仲が良いだろう?」
「みんな…」
「春川とさやかちゃんも、春川とお兄さん達も…」
高杉君の言葉に、こくりと頷く。
でも、さやかとみーちゃん達は?と考えると困ってしまうけれど。
「うちは、弱肉強食だから」
高杉君の言葉に、首を傾げる。
弱肉強食。
言葉は、知っている。
強い物が勝ち、食べ物や利を得ること、弱者が犠牲になること…。
だけど、どういうことだろう?
弱者?家族の中で?
「男兄弟なんて、みんなそうだと思うが…。早い者勝ちとか、先に言った者勝ちとか…」
勝ち負けなんだ。
何を?
「早い者勝ち…」
不思議に思って、口に出してしまった。
「そう。食事の時間も、ぐずぐずしてたら、あっという間に食べ物が消えてる。だから、食事の時間には遅れられない」
のんびりしている口調に、そこまで焦った響きはない。
「そうなの?ご飯の時間、大忙しだね?」
「年子だと、もう力関係も同じくらいになるし、」
「力関係…。大変なの?年子…って」
私の言葉に、高杉君はふっと笑う。
「そんな気遣わなくて良いことだけど…。年が近いと良くも悪くも、3人一緒にされてしまうし」
「3人も?男の子がたくさんいると、とても賑やかそうだね」
「…そうだな。賑やかには変わりないな」
高杉君は、穏やかにそう言った。
「兄貴達に、良い意味で鍛えられてるようなものだし…」
鍛える?
何を?
「まぁ、弱肉強食とは、少し位置がずれてるような時もあるけど…」
こんなに穏やかなのに、家では弱肉強食?
「ずれてる?」
「そう。俺のことは、兄貴達もあまりケンカには誘わない」
「家で、お兄ちゃん達、ケンカ…するの?」
途切れ途切れになってしまったけれど、気になったので聞いてしまう。
高杉君が、ケンカ…。
想像が出来ないけれど。
「…一番上と、二番目が激しい。昨日も、2人で殴り合いをしていた」
「なぐ…?」
高杉君の言葉に、一瞬考えることが難しくなった。
「俺は、そういう意味では反射は鈍い方かも…。あまり相手にされてないと言った方が、もしかしたら合ってるかもしれないが」
「お兄ちゃんたち、大丈夫だったの?」
「何が?」
「お互いに、怪我とか…病院とか」
高杉君はまたふっと笑う。
思い出し笑いをしているようだった。
「大したことではないが…」
「うん」
「二番目に単語帳を借りようと思ったから、声をかけたんだ」
「うん」
「俺は、あまり真面目に勉強する方じゃないし、部活が中心なのは変わってないから」
「…うん」
そんなイメージもないけれど、とりあえず頷く。
「二番目の兄貴は、去年勉強したことだし。学習した範囲も大きく変わってないと思ったから、単語帳とかあったらないか確認したんだ」
「うん」
「そうしたら、真面目に書くことはしていたみたいで」
手に持った小さな暗記カードを見せてくれた。
丸い部品が付いていて、小さなカードに英単語が書かれていて、後ろをめくると日本語で意味が書いてある物。
これが、お兄ちゃんの物ということだろうか?
「そうなんだ、良かったね。お兄ちゃんのを借りられて」
「そうだな。借りた所までは良かった」
「…うん?」
「そこで、一番目が会話を聞いてたのか、1年の時に使ってた、同じような暗記カードを持って来て」
机の上に視線を送る高杉君。
そこには、もう1つ暗記カードがあった。
「もう1つ借りられたんだ。すごいね、お兄ちゃん達、お勉強たくさんしていて…」
「というか、血筋なのか…」
言葉に迷っている高杉君に、首を傾げる。
「うん?」
「書いたことで、満足するというか…。書いて暗記カードを作った所で、どっちも終了なんだ」
「…そうなの?書いたら、使うんじゃないの?」
私も不思議に思ってしまった。
覚えるために書いて、それを復習に使って。
「見たら分かるだろ?」
「…何を?」
「暗記カード、無駄に綺麗じゃないか?」
手に持った暗記カードを見つめる。
「綺麗?」
「春川には信じられないことだろうけど、作っただけで勉強した気になる人達なんだ。兄貴達は」
「でも、書いたら覚えるんじゃ…」
「さっき、言ってたろ?『間違えやすい単語』って、1回書いたり見ただけじゃ、覚えきれない物がほとんどだ」
「…でも」
「その証拠に、兄貴達には『綺麗に使え』って言われたし」
「綺麗に?」
「何回もめくったり、持ち歩くと、字が擦れたり、角が折れたり、カードが千切れたりするんじゃないか?」
私は、単語カードは持っていない。
繰り返し書いて覚えることが、ほとんどだったから。
でも、参考書や古文のミニ便覧などは、確かに持ち歩いていると、少しずつくたびれてくる。
「そうだね、確かに持ち歩いてたら、落としたり汚したり、なくしたりするかも…」
「だろ?だから、借りるのは悪いって断ろうとしたら…」
また思い出したのか、高杉君はふっと笑う。
「一番目が、自分の書いたカードの方が綺麗だから、貸してやるって」
「綺麗だから?」
「そう。謎だろ?変な意地張ったのか、綺麗なんだから、多少汚れても平気、みたいなことを言い出して」
「でも、優しいお兄ちゃんだね?」
「そうか?俺には、無理に押し付けようとしてるように見えたけど…」
「押し付け…」
「だって、汚して怒られたら嫌になるだろ?」
そうかもしれない。
「だから、はっきりと『汚す可能性があるから良い』と断ったんだけど…」
「うん」
高杉君は、机の上の使用していない方の暗記カードをちらりと見た。
「変に長男だから、みたいな気分になったんだろうな?『使え』って言い出して。でも、そこで二番目が『俺の方が綺麗だし分かりやすい』って言い出して」
特に焦った様子でもないけれど、高杉君はそのことを思い出したように呟く。
「二番目も、変な意地を張る。今も、時々教室に見に来るし」
「え?何で?」
思わず、教室から廊下を見てしまった。
「さっき、来てた」
「さっき?」
「気付かないフリをしていたから、向こうは俺が気付いたとは思ってない」
「何で?」
「どっちの暗記カードが使われているか確認したかったんだろ?」
「何のために?」
「さぁ?」
でも、現に高杉君が手にしているのは、二番目のお兄ちゃんの物だった。
机にあるのが、一番上のお兄ちゃんの物だって、さっき見ていたし…。
「分かりやすいんだ」
私が高杉君の手にしているカードを見て言う。
「いや、変わらないな。どっちも似たような物だ」
高杉君て、不思議だなぁ。
「でも、賑やかで楽しそう」
「そうかもしれないが、昨日は危うく殴り合いだ」
そうだった。
何で、暗記カードでそんな大喧嘩に…?
私の疑問が分かったのか、高杉君は『原因はこれだ』と手にしたカードを再度見せてくれた。
「どっちのカードが分かりやすいかとか、勉強が捗るか、みたいなことから、段々字の話になって」
「じ?」
「そう、書く文字の話」
「1番上が『俺の方が字が綺麗だ』って言い出して」
「…うん」
「それを聞いてた二番目が『汚い字のくせに』って言ったと思ったら、気が付いたらお互いの首元を持ってたな」
「えぇ?」
「一瞬触発とは、あぁいうことを言うんだなと思った」
どこか呑気な言葉に、私は返答が出て来なかった。
「まぁ、母親が出て来てすぐに収束したが。お互い2発は入ってたんじゃないかな?」
「…そうなんだ。お母さんは、すごいね」
「そうだな」
「ま、結果的に2人の分を借りられたから、俺としてはラッキーだったが」
「お前は大物だな」
前から、首だけを後ろに向けた乃田さんが言っていた。
「そうか?」
「というか、春川は怖くないのか?そんな家で育ってる高杉が」
乃田さんの言葉に、首を傾げる。
「怖い?何で?」
「だって、殴り合いだぞ?怖くないか、家とか壊れるだろ」
「…激しいとな。この前は中庭で揉めたみたいで、木のドアを外して、爺さんに怒られてた」
「木のドア…」
想像が出来ない。
でも、ドアは外れて、おじいちゃんに怒られた。
「だけど、懲りない。あの二人はそれでコミュニケーションを取ってるんだろうな」
「コミュニケーション?そんな可愛いものかよ?」
「確かに、少々荒々しいか」
高杉君の言葉に、色々なことを想像する。
「荒々しいで片付けるなよ?春川、怖くなって来ただろ?殴るんだぞ?」
確かに、私が殴られたら怖い。
でも、殴ったのは高杉君じゃない。
お兄ちゃん達だ。
「高杉君が怖いとは思わないかな?」
「何で?」
「だって、優しい…から?」
いつも、どこでも。
「そっか。ま、いざとなったら、高杉も拳を振るうという選択肢があるってことか」
乃田さんは、私と高杉君を見て前を向いた。
「…しないけどな」
高杉君の小さな言葉に、こくりと頷く。
もうすぐ、英語の試験だ。
今日は記憶する学習が多いからか、教室の中はほとんど着席した人ばかりだ。
布之さんはいない。
休み時間で、どこかに用事があると足早にいなくなった。
こういう時もあるのだろう。
静かな空間。
試験期間中の、どこか独特の空気。
英語の試験も、時間内に終わった。
迷う問題もなく、気を付けていた綴りの引っかけ問題もきちんと書くことが出来た。
リスニング問題の時は、少しだけ考えてしまった。
だけど、少し前に智ちゃんとお勉強した所だったので、多分大丈夫だろう。
休み時間になると、少しだけ目が疲れていることを感じた。
問題を見すぎたからかな?
次の化学は、化学式や実験した物から出題される。
本当に、覚える物が多い日だ。
特に、早退したり、参加していない授業の物は少しだけ不安だった。
後で布之さんや高杉君に、ノートを見せてもらっただけの学習。
だけど、布之さんのノートは分かりやすいし、高杉君のノートもすごく丁寧だった。
高杉君の手には、参考書がある。
またお兄ちゃんから借りた物かな?
「今日の春川は、少しそわそわしてる」
言われて、ぎくりとする。
「それに、目は大丈夫か?さっき押さえてた」
気付かれていたことも、少しだけ気まずい。
「あの、少し…問題を見すぎて、疲れちゃったのかも…。でも、痛いとか見づらいとかじゃないから」
暗に、まだ見えていることを返答する。
「そうか、無理をしない方が良い」
「そうだね。朝、お母さんがホットタオル?を貸してくれて、すごく目がスッキリしたの。だから、また帰ったらやってみたいな、って」
「ホットタオル?」
高杉君も聞き慣れない言葉みたいだ。
良かった。
私だけが知らない物じゃなくて。
「うん。私も初めて知ったんだ。タオルを濡らして、温めた?のかな。温かいお湯で濡らしたタオルなのかな?目、全体がすごく温かくて、当てている時にじわじわする感じで…」
「そうか。それは良かった。これも、兄貴に借りた物だ、1番上のな」
「うん」
私が見ていた参考書についても、それとなく教えてくれる。
すごいな、高杉君って。
私の考えていることが、何で分かるのだろう?
「春川は、分かりやすいな」
「…そう?」
「これは、どっちもケンカしてない。書き込みは、似たようなものだったし」
聞いてはいないことも、教えてくれた。
「そうなんだ」
今日は、高杉君のお兄ちゃんの話が、たくさん聞けたなぁ。
と、思う。
終了時間は、ほぼぴったりだった。
でも、焦るほどギリギリではなかった。
覚えることが多かったけれど、それは大事なことがそれだけ多いということ。
歴史上の人物も、何があったのかの年号も。
昨日の古文より、乃田さんはイライラしていなかった。
休み時間になっても、教室には一定の人数がいる。
女の子達は、やっぱり少ない。
英語も、英単語が多い。
スペルや綴りが合っているか、少しの不安が出てしまう。
でも、お勉強をしていることは、ちゃんと私の中に残っている。
だから、間違えてしまった綴りなどをしっかりと思い出すようにする。
間違わないように、繰り返し覚えた単語たち。
高杉君は、今度は小さな暗記カード?を持っていた。
丸い部品に繋がれた、小さなカードが束ねられた物。
それを、ゆっくりとめくり後ろの文字を確認することを繰り返していた。
「どうした?」
高杉君は、やっぱり私の視線に気付いてしまったようで、手を止めた。
「ううん。大したことじゃなくて、ごめんね…。お勉強、高杉君もすごく頑張るなぁって思ったら、つい見ちゃった」
「…いや、今までやって来なかった分が今、皺寄せで来てるだけだから」
「そうなの?」
「英単語は間違えやすいし、早とちりしたら困るからな」
「そうだね…。焦ったら、間違えちゃうからね」
「しかも、間違えやすいものとか、範囲内に指定されていただろ?」
「そうだね」
高杉君は、カードをゆっくりとめくっていた。
お勉強のために、あのカードを作ったということだろう。
めくるカードは小さい。
あんなに小さいカードに、一単語ずつ書いていったんだ。
「すごいね、小さなカードにわざわざ記入して…」
「いや、これ兄貴のお下がり」
「そうなの?お兄ちゃんのお下がりかぁ…、良いね。ずっと使えて」
「兄貴は、俺と違ってマメだから…」
「そうなんだ」
高杉君のお兄さん、か。
知らなかった。
「春川が思うような関係ではないと思うが…」
「うん?」
「春川の家は、みんな仲が良いだろう?」
「みんな…」
「春川とさやかちゃんも、春川とお兄さん達も…」
高杉君の言葉に、こくりと頷く。
でも、さやかとみーちゃん達は?と考えると困ってしまうけれど。
「うちは、弱肉強食だから」
高杉君の言葉に、首を傾げる。
弱肉強食。
言葉は、知っている。
強い物が勝ち、食べ物や利を得ること、弱者が犠牲になること…。
だけど、どういうことだろう?
弱者?家族の中で?
「男兄弟なんて、みんなそうだと思うが…。早い者勝ちとか、先に言った者勝ちとか…」
勝ち負けなんだ。
何を?
「早い者勝ち…」
不思議に思って、口に出してしまった。
「そう。食事の時間も、ぐずぐずしてたら、あっという間に食べ物が消えてる。だから、食事の時間には遅れられない」
のんびりしている口調に、そこまで焦った響きはない。
「そうなの?ご飯の時間、大忙しだね?」
「年子だと、もう力関係も同じくらいになるし、」
「力関係…。大変なの?年子…って」
私の言葉に、高杉君はふっと笑う。
「そんな気遣わなくて良いことだけど…。年が近いと良くも悪くも、3人一緒にされてしまうし」
「3人も?男の子がたくさんいると、とても賑やかそうだね」
「…そうだな。賑やかには変わりないな」
高杉君は、穏やかにそう言った。
「兄貴達に、良い意味で鍛えられてるようなものだし…」
鍛える?
何を?
「まぁ、弱肉強食とは、少し位置がずれてるような時もあるけど…」
こんなに穏やかなのに、家では弱肉強食?
「ずれてる?」
「そう。俺のことは、兄貴達もあまりケンカには誘わない」
「家で、お兄ちゃん達、ケンカ…するの?」
途切れ途切れになってしまったけれど、気になったので聞いてしまう。
高杉君が、ケンカ…。
想像が出来ないけれど。
「…一番上と、二番目が激しい。昨日も、2人で殴り合いをしていた」
「なぐ…?」
高杉君の言葉に、一瞬考えることが難しくなった。
「俺は、そういう意味では反射は鈍い方かも…。あまり相手にされてないと言った方が、もしかしたら合ってるかもしれないが」
「お兄ちゃんたち、大丈夫だったの?」
「何が?」
「お互いに、怪我とか…病院とか」
高杉君はまたふっと笑う。
思い出し笑いをしているようだった。
「大したことではないが…」
「うん」
「二番目に単語帳を借りようと思ったから、声をかけたんだ」
「うん」
「俺は、あまり真面目に勉強する方じゃないし、部活が中心なのは変わってないから」
「…うん」
そんなイメージもないけれど、とりあえず頷く。
「二番目の兄貴は、去年勉強したことだし。学習した範囲も大きく変わってないと思ったから、単語帳とかあったらないか確認したんだ」
「うん」
「そうしたら、真面目に書くことはしていたみたいで」
手に持った小さな暗記カードを見せてくれた。
丸い部品が付いていて、小さなカードに英単語が書かれていて、後ろをめくると日本語で意味が書いてある物。
これが、お兄ちゃんの物ということだろうか?
「そうなんだ、良かったね。お兄ちゃんのを借りられて」
「そうだな。借りた所までは良かった」
「…うん?」
「そこで、一番目が会話を聞いてたのか、1年の時に使ってた、同じような暗記カードを持って来て」
机の上に視線を送る高杉君。
そこには、もう1つ暗記カードがあった。
「もう1つ借りられたんだ。すごいね、お兄ちゃん達、お勉強たくさんしていて…」
「というか、血筋なのか…」
言葉に迷っている高杉君に、首を傾げる。
「うん?」
「書いたことで、満足するというか…。書いて暗記カードを作った所で、どっちも終了なんだ」
「…そうなの?書いたら、使うんじゃないの?」
私も不思議に思ってしまった。
覚えるために書いて、それを復習に使って。
「見たら分かるだろ?」
「…何を?」
「暗記カード、無駄に綺麗じゃないか?」
手に持った暗記カードを見つめる。
「綺麗?」
「春川には信じられないことだろうけど、作っただけで勉強した気になる人達なんだ。兄貴達は」
「でも、書いたら覚えるんじゃ…」
「さっき、言ってたろ?『間違えやすい単語』って、1回書いたり見ただけじゃ、覚えきれない物がほとんどだ」
「…でも」
「その証拠に、兄貴達には『綺麗に使え』って言われたし」
「綺麗に?」
「何回もめくったり、持ち歩くと、字が擦れたり、角が折れたり、カードが千切れたりするんじゃないか?」
私は、単語カードは持っていない。
繰り返し書いて覚えることが、ほとんどだったから。
でも、参考書や古文のミニ便覧などは、確かに持ち歩いていると、少しずつくたびれてくる。
「そうだね、確かに持ち歩いてたら、落としたり汚したり、なくしたりするかも…」
「だろ?だから、借りるのは悪いって断ろうとしたら…」
また思い出したのか、高杉君はふっと笑う。
「一番目が、自分の書いたカードの方が綺麗だから、貸してやるって」
「綺麗だから?」
「そう。謎だろ?変な意地張ったのか、綺麗なんだから、多少汚れても平気、みたいなことを言い出して」
「でも、優しいお兄ちゃんだね?」
「そうか?俺には、無理に押し付けようとしてるように見えたけど…」
「押し付け…」
「だって、汚して怒られたら嫌になるだろ?」
そうかもしれない。
「だから、はっきりと『汚す可能性があるから良い』と断ったんだけど…」
「うん」
高杉君は、机の上の使用していない方の暗記カードをちらりと見た。
「変に長男だから、みたいな気分になったんだろうな?『使え』って言い出して。でも、そこで二番目が『俺の方が綺麗だし分かりやすい』って言い出して」
特に焦った様子でもないけれど、高杉君はそのことを思い出したように呟く。
「二番目も、変な意地を張る。今も、時々教室に見に来るし」
「え?何で?」
思わず、教室から廊下を見てしまった。
「さっき、来てた」
「さっき?」
「気付かないフリをしていたから、向こうは俺が気付いたとは思ってない」
「何で?」
「どっちの暗記カードが使われているか確認したかったんだろ?」
「何のために?」
「さぁ?」
でも、現に高杉君が手にしているのは、二番目のお兄ちゃんの物だった。
机にあるのが、一番上のお兄ちゃんの物だって、さっき見ていたし…。
「分かりやすいんだ」
私が高杉君の手にしているカードを見て言う。
「いや、変わらないな。どっちも似たような物だ」
高杉君て、不思議だなぁ。
「でも、賑やかで楽しそう」
「そうかもしれないが、昨日は危うく殴り合いだ」
そうだった。
何で、暗記カードでそんな大喧嘩に…?
私の疑問が分かったのか、高杉君は『原因はこれだ』と手にしたカードを再度見せてくれた。
「どっちのカードが分かりやすいかとか、勉強が捗るか、みたいなことから、段々字の話になって」
「じ?」
「そう、書く文字の話」
「1番上が『俺の方が字が綺麗だ』って言い出して」
「…うん」
「それを聞いてた二番目が『汚い字のくせに』って言ったと思ったら、気が付いたらお互いの首元を持ってたな」
「えぇ?」
「一瞬触発とは、あぁいうことを言うんだなと思った」
どこか呑気な言葉に、私は返答が出て来なかった。
「まぁ、母親が出て来てすぐに収束したが。お互い2発は入ってたんじゃないかな?」
「…そうなんだ。お母さんは、すごいね」
「そうだな」
「ま、結果的に2人の分を借りられたから、俺としてはラッキーだったが」
「お前は大物だな」
前から、首だけを後ろに向けた乃田さんが言っていた。
「そうか?」
「というか、春川は怖くないのか?そんな家で育ってる高杉が」
乃田さんの言葉に、首を傾げる。
「怖い?何で?」
「だって、殴り合いだぞ?怖くないか、家とか壊れるだろ」
「…激しいとな。この前は中庭で揉めたみたいで、木のドアを外して、爺さんに怒られてた」
「木のドア…」
想像が出来ない。
でも、ドアは外れて、おじいちゃんに怒られた。
「だけど、懲りない。あの二人はそれでコミュニケーションを取ってるんだろうな」
「コミュニケーション?そんな可愛いものかよ?」
「確かに、少々荒々しいか」
高杉君の言葉に、色々なことを想像する。
「荒々しいで片付けるなよ?春川、怖くなって来ただろ?殴るんだぞ?」
確かに、私が殴られたら怖い。
でも、殴ったのは高杉君じゃない。
お兄ちゃん達だ。
「高杉君が怖いとは思わないかな?」
「何で?」
「だって、優しい…から?」
いつも、どこでも。
「そっか。ま、いざとなったら、高杉も拳を振るうという選択肢があるってことか」
乃田さんは、私と高杉君を見て前を向いた。
「…しないけどな」
高杉君の小さな言葉に、こくりと頷く。
もうすぐ、英語の試験だ。
今日は記憶する学習が多いからか、教室の中はほとんど着席した人ばかりだ。
布之さんはいない。
休み時間で、どこかに用事があると足早にいなくなった。
こういう時もあるのだろう。
静かな空間。
試験期間中の、どこか独特の空気。
英語の試験も、時間内に終わった。
迷う問題もなく、気を付けていた綴りの引っかけ問題もきちんと書くことが出来た。
リスニング問題の時は、少しだけ考えてしまった。
だけど、少し前に智ちゃんとお勉強した所だったので、多分大丈夫だろう。
休み時間になると、少しだけ目が疲れていることを感じた。
問題を見すぎたからかな?
次の化学は、化学式や実験した物から出題される。
本当に、覚える物が多い日だ。
特に、早退したり、参加していない授業の物は少しだけ不安だった。
後で布之さんや高杉君に、ノートを見せてもらっただけの学習。
だけど、布之さんのノートは分かりやすいし、高杉君のノートもすごく丁寧だった。
高杉君の手には、参考書がある。
またお兄ちゃんから借りた物かな?
「今日の春川は、少しそわそわしてる」
言われて、ぎくりとする。
「それに、目は大丈夫か?さっき押さえてた」
気付かれていたことも、少しだけ気まずい。
「あの、少し…問題を見すぎて、疲れちゃったのかも…。でも、痛いとか見づらいとかじゃないから」
暗に、まだ見えていることを返答する。
「そうか、無理をしない方が良い」
「そうだね。朝、お母さんがホットタオル?を貸してくれて、すごく目がスッキリしたの。だから、また帰ったらやってみたいな、って」
「ホットタオル?」
高杉君も聞き慣れない言葉みたいだ。
良かった。
私だけが知らない物じゃなくて。
「うん。私も初めて知ったんだ。タオルを濡らして、温めた?のかな。温かいお湯で濡らしたタオルなのかな?目、全体がすごく温かくて、当てている時にじわじわする感じで…」
「そうか。それは良かった。これも、兄貴に借りた物だ、1番上のな」
「うん」
私が見ていた参考書についても、それとなく教えてくれる。
すごいな、高杉君って。
私の考えていることが、何で分かるのだろう?
「春川は、分かりやすいな」
「…そう?」
「これは、どっちもケンカしてない。書き込みは、似たようなものだったし」
聞いてはいないことも、教えてくれた。
「そうなんだ」
今日は、高杉君のお兄ちゃんの話が、たくさん聞けたなぁ。
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関谷俊博
児童書・童話
ぼくの心には閉じられた図書館がある…。「あんたの母親は、適当な男と街を出ていったんだよ」祖母にそう聴かされたとき、ぼくは心の図書館の扉を閉めた…。(1/4完結。有難うございました)。
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