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暗転

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「明らかに、春川の様子が変だったのに、みんなで遠巻きに様子を見ているだけで、春川が転んでも誰も助けなかった。そのまま、春川が学校を休んで、何か…もやもやするようになって」
苦しそうに言う乃田さんの言葉に、思わず顔を上げる。
乃田さんの表情は、やっぱり苦しそうに歪んでいた。

「春川の欠席は、自分たちのせいなんだって考えるようになって、すごく気になったの」
布之さんの言葉にも、ふるふると首を振る。
何をどう返したら良いのか、頭が働かない。

「ごめん、もっと早く春川のことを知ろうとすれば良かったのに」
「本当にごめんなさい。謝っても、謝りきれない、酷なことをしてしまったわ」
2人が、また頭を下げる。

違うのに。
2人が悪いわけじゃないのに。
言われている言葉を聞きながら、何かがずれている感覚になった。
だって、あの時のあの場所に2人はいたかもしれないけれど、直接私に何か言った子ではなかった。
…気がする。

その場にいただけで、状況を見ている子。
そんな印象しか残っていなかった。
乃田さんも、布之さんも私に罪悪感を持つようなことは、特にしていないと本気で思った。

何でそう思ったのかは自分でも不思議だったが、自分の気持ちと2人の気持ちが違う場所にある感覚。
そんな私を置いて、2人は私から視線を逸らした。
私が気にしていることと、乃田さんと布之さんが気にしていることのズレとでも言うのだろうか。
視線が合わない、この距離感がそのままズレているように…。

頭を上げた乃田さんが、やっぱり私を見ないままで、眉間に皺を寄せ口を開く。
「自分に分からない空間を、そいつが持ってるって思ったら…。何だか悔しくてさ?自分じゃ理解できないことがあることを、認めたくなかったんだろうな…。ほんと、ただのクソガキだったんだ。あほな奴らがするように、自分も見ないふりをしようとしてさ…。馬鹿だろ?今でもすげえ後悔するんだ」

乃田さんの言葉は、私には向かっていなかった。
怒っているような表情と、やりきれない口調、そして乱暴な言葉たち。
私を通して、昔の自分に向かって言うような…。
そんな気がした。

私と視線を合わせない乃田さんを不思議に思っていると、布之さんも静かに頭を上げる。
布之さんは私と目を合わせてくれたけれど、やはり困ったように笑っていた。
「未知もそうだけど…。自分には想像もつかない怖さとか、理解できない不気味さみたいなものがあったんだと思うの。確かに、幼かったんだわ。知らないのなら、素直に聞けば良かったのに…って、ずっとずっと後悔しているもの」

布之さんの視線は私に向かっていたけれど、やはり言う言葉は私には向かっていなかった。
乃田さんと同じで、かつての誰かに向けてという雰囲気。

だけど、私は妙に落ち着いてしまった。
さっきまでのじりじりする不安も、込み上げるモヤモヤも、今はない。
給食前に感じていたあの不思議なドキドキも、だ。
乃田さんと、布之さんのお話を想像して、でも、思いつかなくて…。
まさか、昔の話をして思い出に浸るなんて、絶対に思い当たるわけがない。

そして、納得する自分。
そう、納得だろう。
今までの2人の表情や、雰囲気に私を気遣う空気があったのは、当然だったんだ。

2人が私に優しくしてくれたのは、罪悪感からだった?
後悔する気持ちがあったから、私に親切にしてくれたってこと?
それなら、全部信じられる。

人との付き合い方もよく分からない、会話も充分にできない私と一緒にいてくれたのは、過去の私に対して後ろめたい気持ちがあったからだろう。

絶望の4日間を終えた朝、久しぶりに訪れた眩しい世界を感じたあの時。
私は決めたことがあった。
今後は、自分から「見えない」なんて絶対に言わないと。

よそよそしくなってしまった私に、近付いて来る子は誰もいなかった。
だから、自分から目のことをいう機会は二度と訪れなかったのだけど…。
あの時までは、普通に会話をして交流していた時間が、さっぱりとなくなった。
一緒に過ごしていた時間が、本当にあったのか不思議なほどに。

あの時の「お友達」には、見えなくなることや早退が増えたことで、更に変な顔をされていた。
それを、自分でも強く感じていた。
時々、からかうように目のことを聞かれても、上手には答えられずもっと溝は深くなっていった。

決意を固めた誓いも、今年のこのタイミングで、乃田さんと布之さんと高杉君には自分から打ち明けてしまった。
あれから毎日、見えなくなる生活には変化がない。
もう、5年が経過する。

そうだ、5年ぶりにお友達が出来たと思ったのに…。
私は、乃田さんと布之さんに何度も助けられた。
2人と一緒にいることが楽しくて、毎日学校に来ることが本当に嬉しかった。

2人も私と「一緒」を選んでくれたけれど、それはあの日を悔やんでのこと?
膨らんでいた気持ちが、急速に萎んでいく。
空回り、とはこういうことを言うのかもしれない。

今日が、絶望後4日後の朝と重なる。
私の決意とは、違う気持ちのところに2人はいた。
そう思ったら、また情けなくなった。
お友達になれた気がしていたのは、私だけだったということだろう。

「…もう、いいよ」
カラカラの喉から、乾いた声が出た。
自分でも驚くほどに、感情がなかった。

「え?」
弾かれたようにこっちを見る2人の顔が、次第に薄暗くなってきた。
いつものサイン。

もう今日は、早退で良いだろう。
丁度良かった。
そんなことを思う私は、今世界で一番醜い感情を持っていたと思う。

あんなに願っていたはずなのに…。
見えることを、毎日願い心から求めていたはずなのに…。

“見えない方が、丁度良い”
何も見えない方が、余計なことは考えないから。
そう考えてしまった私は、2人の『お友達』には相応しくないだろう。

ううん、そうじゃない。
元々、お友達にすら並んでいなかったんだから。
だから、これで良い。
醜い感情を持つ私なんか、誰とも目が合わないで生きて行けば良いんだ。

「ごめんね?そんなに…小さい時のことを、気にかけて…くれて。ありがとう。でも、大丈夫だから」
言うことを言って、早く保健室に行こう。
見えなくなったら危ないから、早く行かないと。

「は?急に、何言ってんだよ?」
焦ったような乃田さんの表情に驚き、視界を彷徨わせる。
深呼吸をして、そのまま口を開く。

「もう、過去のことだから…。だから、大丈夫」
「春川、意味が分からない」
乃田さんは、会話を続けようとしている。
だけど、私はもう何も話す気持ちにはなれなかった。

いつか、階段で3人に背を向けてしまった時と似ている。
でも、今日はこれが最後の会話になるのかもしれない。
だから、きちんと感謝だけは伝えないと…。

「ううん、もう気にしなくて、良いよってこと?私も、楽しい時間を過ごせて良かった」
会話は合っていないだろう。
でも、構わずに続ける。
「乃田さんと、布之さんと過ごす時間が、とても大事だったってこと。だから、良かったって思ったの」
早く下に行かないと、お母さんにお迎えに来てもらうのに。
少しでも見えている内に、動かないと…。

「良かったって、何が?」
布之さんの言葉に、つい俯く。
薄暗い視界で、自分の足元をじっと見る。
「2人は十分、私に元気と嬉しい気持ちをくれたってこと」

とりあえず笑い、準備室を出ようと後ろに少し下がる。
「もう、行くね?」
「おい待てよ、春川」

怒ったような口調の乃田さんの前には居続けられなくて、少し体の向きもドアの方に近付ける。
「まだ、話は終わってない」
「終わったよ。もう、十分償ってもらったから、大丈夫だよ?」
「償いって何だよ!」

咄嗟に出た私の言葉に、乃田さんが大きな声を出した。
びっくりして目を瞑ってしまった。
目を開けると、薄暗い視界の端に、はっきりと怒っている乃田さんが映っていた。

「さっきから、何の話してんだよ!こっち見ろ!私は、お前と一緒にいたくて、話したり過ごしてるんだ。友達になりたいから言ってるのに、誤解すんな!やっとお前と堂々と一緒に過ごせるようになって、私は今やっと楽しくて心から笑えるようになったんだ!ちゃんと聞け」

乃田さんの言葉は、勢いも熱量もすごくて、大きな声に神経がビリビリした気がする。
でも、そういうことじゃないだろう?
昔のことを気にしていた乃田さんが、今でも私を気遣ってくれる。

あの日を後悔しているような言い方をしていた2人なら、今の私に無理に付き合ってくれるのも素直に納得ができた。
どのくらい、我慢をさせてしまったのだろう。
どれだけ、迷惑をかけていたんだろう。

何も聞かずに、「お友達が出来た」とはしゃいでいた私は、ひどく2人を困らせていたのだろう。
でも、それも今日で終わりだ。
いつまでも、私の面倒を見ていてもらうのは流石に悪いと思うから。

優しい2人に、いつまでも甘えてちゃいけない。
だから、私との「お友達」は今日で、終わりにしないと…。
悲しいけれど、でもこれは私だけが楽しいお友達なので間違っていると思った。

「でも、乃田さんも布之さんも、昔のことを気にして…。私に優しくしてくれて、それはあの日のことを知っているからでしょう?私のことを、か…可哀そうって思って、償ってくれたってことだよね?じゃあ、十分だよ。もう、いっぱい嬉しい気持ちになれたから、だから、大丈夫だよ。もう、これ以上は…ありがとうじゃ、返せない…から」

それは、すごく申し訳ない。
誤解するなと言われても、状況が昔とは大分違っている。
今は私が助けられているばかりで、何も返せていない。
義務感や過去の罪悪感で、私に時間を費やしてもらうのは気が引ける。

だから、後ろを向く。
もう、帰りたい気持ちの方が勝っていた。
「おい!春川!」
引き留めようとする乃田さんに、顔のみ振り返り首を振る。

「ごめん、なさい…。ちょっと、1人にさせて?少し疲れちゃったみたいなの…。もう、今日は終わりみたいで…。お迎えを、頼みに行きたいから」

「終わり」「お迎え」
この単語が出たことで、2人は私の視界が終わることに気付いてくれたんだろう。
暗い中でも、視線を合わせようとする私に、乃田さんも布之さんも「着いて行く」とは言わなかった。

もし、言われたとしても、きっと断っていただろう。
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