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あの日
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保健室で給食の時間を過ごしたけれど、ほとんど食べられなかった。
林先生に何度も不調の確認をされた。
不調ではないこと、目もしっかり見えていることを繰り返し伝えた。
「熱が出たばかりだし、無理はしないこと」
「…はい、すみません」
きっと、お母さんが林先生にも連絡を入れているんだろう。
「すみません、お母さんが色々と言ったんですよね?」
「こら、そういう言い方はしないの。春川が、我慢しないように、大谷先生も私も出来ることをしたいだけ。だから、春川さんから春川のことを聞くのは、保健医の意思」
「…ありがとうございます」
こういう所が、大人と子どもで違うのだろうか?
私が無理をしない、その線引きをきちんと見てくれる先生達。
自然と甘えてしまうのは、仕方がないこと。
「疲れるようなことがあったんでしょう?」
だから林先生の言葉に、素直に頷く。
きっと、お母さんから『心配され過ぎて…』という話は伝わっているのだろう。
「贅沢な悩みですよね?」
「まあね?それが大人の階段を上るってことじゃないの?」
人との距離感。
付き合い方。
「…はい」
「ま、何かあったらすぐに来るんだよ?」
保健室の時間も短く、といっても20分は過ぎてしまった。
乃田さんと布之さんが、待ちぼうけをしているかもしれない。
焦る気持ちとは別に、少し足が重くなる感覚。
何があるんだろう?
不安がよぎる。
それでも、ここでぐずぐずしているわけにはいかないので、覚悟を決めて席を立った。
階段を上がって、教室を通り過ぎて社会資料室が見えてくる。
一歩近付く度に、ドキドキが増していく。
前は、布之さんと一緒だった。
でも、今は1人だ。
深呼吸をして、ノックをする。
「どうぞ」
遠い声が聞こえた。
もう1度息を吸って、ドアノブを回す。
中は、この間来た時と変わっていない。
大谷先生が綺麗に保っている、社会資料室のままだ。
窓際に、乃田さんと布之さんが見えた。
「失礼します」
ドキドキする鼓動を抑え、中に入る。
「念のため、鍵してな」
乃田さんの言葉に、後ろを振り返り鍵をする。
鍵を閉めて、思わず固まる。
ここには、今3人しかいない。
「どうしたの?春川」
布之さんの言葉に、びくりとする。
ドアノブを握ったままだったのを自覚し、手を離す。
「春川がすることは何もないのよ。だから、怯えていないでこっちに来てちょうだい?」
布之さんの優しい声。
おそるおそる振り向く。
2人の浮かないような顔に、不安が募る。
もう、私とは一緒にいたくなくなった?
やっぱり、私の面倒を見るのは重荷だった?
ぎくしゃくしていて、疲れちゃった?
2人に気を遣わせ過ぎたことが、次々に蘇ってくる。
不安の種は、いくつも出て来た。
そんな私の焦りを感じ取ったのか、「違うからな!」と乃田さんが言った。
「春川、あのさ、ちょっとだけ時間をくれ。春川は聞くだけ。本当に聞くだけで良い。それに遠いままじゃ、話も出来ない。頼み事とか、何かしてもらおうなんて、そんなんじゃない」
乃田さんの真剣な表情に、ふらふらとドアから離れて2人に近付く。
「うん…」
頷きながらも、不安は消えない。
「かすみと、私で話していたこと。ちゃんと、春川に聞いてほしい」
「う、うん」
話し合った?
もしかして、私のことを?
「お前の悪いことではない。絶対に!」
「そうね、どちらかと言うと、私達の告白、みたいな…ね?」
布之さんの言葉にも、こくりと頷く。
ゆっくりと近付き、1mを切った辺りで足が止まってしまった。
少しの距離。
でも、ここが私が近付ける限界。
私が止まったことで、乃田さんが前に出て来た。
すごく真面目な顔だ。
私の正面に立つと、1度視線を合わせてくれた。
どきりとする。
「ごめん!春川!」
勢いよく頭を下げた乃田さん。
急に頭を下げられても、何の謝罪かが分からず言葉が出て来ない。
少し後ろにいた布之さんも、困っている私に視線を合わせた。
「謝って許されることじゃないけれど、それでも…ごめんなさい」
静かに、頭を下げる布之さん。
何で?
何で、乃田さんと布之さんが私に謝っているんだろう。
とりあえず、意味が分からず混乱する。
「あの、やめて?頭を上げて、乃田さん、布之さん。だって、何で?あの…」
それでも、2人は頭を上げてくれなかった。
「あの…乃田さんと、布之さんから謝ってもらうこと、ないよ?逆に、私の方が毎日のように、迷惑を…かけているんだし、困らせてばかりでごめんなさい」
「そう思わせる原因」
「え?」
乃田さんの言葉に、本当に意味が分からず首を傾げる。
ようやく、乃田さんが頭を上げてくれた。
「あの時も、自分を責めていただろ?」
「あの時…?」
思い当たることがないか、記憶を辿る。
おろおろする私に構わず、布之さんも頭を上げた。
そして、私と目が合うと困ったように笑った。
「学校からの帰り道、あの日も何度も謝っていたわよね?」
乃田さんと、布之さんの言葉を、ゆっくりと反芻していく。
2人が言う、「あの日」「あの時」は、多分私の知っているあの日と一緒なのだろうか?
それは、つまり、小学生の時のあの帰り道しかないと、自分でも気付く。
「何で?…今?」
思わず声が震えてしまった。
「遅すぎるってのも、重ねてごめん!でも、春川にきちんと謝るタイミングが掴めなくて。謝るなら、しっかり顔を見て謝りたかったから。だから、ごめん!」
乃田さんの言葉に、違うのだと首を振る。
だって、2人が謝る必要なんて何もないこと。
「違う。違うの、あの遅いとかじゃなくて…。何で、乃田さんと布之さんが謝るの?あれは、誰も、何も…悪くないこと…でしょ?」
「春川に、悲しさとか絶望とか、悔しさとか…。全部負わせてしまったんじゃないかしらって、謝って済むことじゃないの。本当に、だからごめんなさい」
布之さんは、困ったように笑っている。
でも言っている言葉は、ずっと真剣だ。
2人の言葉は、全くピンと来ない。
だって、2人が謝ることなんて…。
あの日は、急に来た。
自分が起こした気まぐれで。
小学生にありがちな、話題がどんどん変わって行く中の1つ。
私の話題もそうだと思ってしまった、自分の勘違いから起きてしまった。
でも、あの時確かに私はみんなとは「違う」人だと線引きされてしまった。
それが、乃田さんと布之さんの謝罪に結びつかない。
2人の気まずそうな顔を見ている内に、段々あの日が鮮明に思い出された。
最近、眼科に行くことが増えた。
きっかけは、そんな話からだったと思う。
小学3年生の私は、この症状が皆にも時々起こっているものだと勝手に信じていた。
世間一般的に、視界が薄暗くなることは、皆にも定期的にやって来ているものと思い込んでいた。
さっきは見えているのに、急に見えにくくなる時間がある。
つい、そんな話をしてしまった。
その時の、皆の反応。
疑うような、うさんくさそうな表情。
「え?」
皆の表情を見て、あれ?と思った時にはもう遅かった。
「のぞみちゃん、何言ってるの?意味分かんない」
「ほんと。見えているのに、見えなくなるわけないじゃん」
「気持ち悪い、何で急に目が見えなくなるの?」
一斉に否定されてしまい、私の方が焦ってしまった。
だって、その時には、すでに視界は薄暗いことが何度かあったし、その度に眼科に行っていたから。
「違うよ!見えなくなるんだもん。ほんとだよ!お医者様にも、行っているし」
私は、必死に理解してもらおうとした。
「怪我とか病気じゃないのに、見えなくなるわけないじゃん」
「だっておかしいよ!今は見えてるじゃん」
「そうだよ、それなのに、見えなくなるの変だよ!」
だけど、クラスメイトも譲らなかった。
「嘘ついてるんでしょ?」
「絶対嘘だよ!のぞみちゃん、嘘つくのいけないんだよ」
口々に、嘘つきと言われて、悲しい気分になっていく。
「嘘じゃ、ないもん。本当に、見えなくなることがあって…お医者様にも、ちゃんと見てもらっているのに、治らないだけ、だもん」
泣きそうになりながら、必死に見えないことで眼科に行っていることを伝えるけれど、その時にはもう誰も聞いてくれなかった。
「のぞみちゃん、嘘つきだったんだ!」
「言ってること分からないし、今度から遊ぶのやめよう」
「私もそうする!」
クラスメイトには理解できなかったことで、疑いの表情は変わらなかった。
そして、タイミング悪くその時がやって来てしまった。
ぼやけていく視界。
まだこの頃は、明るさまで無くすことはなかったが、見えにくくなる度合いと暗さは増していた。
「ほら、見えなくなってきたもん」
滲んでいく視界に、歯を食いしばる。
「嘘だ。だって、のぞみちゃんの目、ちゃんと開いてるじゃん!」
誰かが言い、そのまま6~7人のクラスメイトが私の顔を覗き込む。
視界のぼやけは増していき、不安が大きくなる。
「…開いていても、見えなく、なるんだもん」
「変なの」
「何かやだ、先に帰ろ」
「そうだね、一緒に帰るのやめよ」
見えなくなると、誰かに側にいてもらわないと怖くなる。
でも、目の前にいたはずの人数は明らかに減っていた。
まだ伺うように私の前にいる子は、輪郭のみで顔の判別は無理だった。
その子に呼びかける声も、遠くから聞こえて来た。
「うそつきー」
「早く来なよ、のぞみちゃん置いて行こ」
「だって、絶対見えてるもん」
慌てて追いかけようとするが、足元がぼやけてしまい一歩が踏み出せなかった。
はっきり見えないことが、恐怖で走ることも動くことも出来なかった。
そして、目の前から人の気配がなくなった。
私は置いていかれたのだろう。
人の気配がなくなることで、怖さが増す。
1人にされた恐怖。
見えていなくても、動かないと本当に置いていかれる。
焦った私は、弾かれたように動き出した。
しかし、何かに躓き地面に転ぶ。
「誰か、いないの?」
転んだ先で伸ばした自分の手すらも、薄暗く滲んでいた。
顔もぶつけてしまったのか、顎や口がヒリヒリしていた。
手も足も痛いけれど、必死に体を起こす。
背中に背負うランドセルの重み、夕暮れ独特の匂い、下校を知らせる町内放送。
手で涙を拭うが、その視界は薄暗く掌にピントが合わない。
「誰か、誰かいない…の?…助けて」
怖くて、足が出せずに震える体。
「わざとらしー」
「ほら、やっぱり嘘じゃん!行こ」
「明日から、のぞみちゃんと一緒にいるのやめようね?」
「私もそうするー」
クスクス笑う声に、遠くから響くヒソヒソ話に、もう何も言えなかった。
嘘で良いから、言ったことを取り消したかった。
あんなに急にみんなが冷たくなるのなら、「目が見えない」なんてもう2度と言わないと思った。
うそつきで良い。
みんなに謝って、また一緒に遊べるお友達がほしかった。
起き上がっても勿論誰もいなくて、他の子よりも下校が遅いことを心配したお母さんが迎えに来て、私は手を繋がれながら家に帰ったあの日。
泣きながら、何度も「ごめんなさい」と言い続けた記憶。
思い出した記憶の断片に、思わず口をぎゅっと結ぶ。
「でも、次の日も春川の様子がおかしくても、みんな昨日の続きをしているって、思い込んで…」
乃田さんの言葉に、私も俯く。
私が思い出しているように、乃田さんも思い出していたんだろうか。
触れたくない記憶が、まざまざと思い出される。
おかしいのも当然だ。
次の日は目を覚ました時から、何も映らなかったから。
朝から全く何も見えず、明るさすらも感じることができなかった。
視界が暗いのも、何も見えないのも初めてのことで、目を覚ましてから気付いた私は1人で泣いた。
自分でも、どうすればい良いのか分からず、戸惑いながらもお母さんに「見える」と駄々をこねて登校した。
お母さんは不思議そうにしていたけれど、私が譲らなかった。
早くみんなに会いたかったから。
でも、見えない目ではそのみんなを見つけられず、登校後に廊下を走っていた男の子にぶつかってしまい、私は廊下でまた転んでしまった。
そのまま、お母さんがお迎えに呼ばれて下校した。
転んでできた傷もあったことで、お母さんが心配して眼科と外科に行くことになった。
眼科で、光にも反応しない状態だと言われた。
つまり、視界が完全に閉ざされた状態。
視力がなくなったことを意味し、全盲だと診断された。
私の後ろにいたお母さんが、泣いていたと思う。
お母さんの泣いている声を聞いて、自分はとんでもないことをしてしまったのだと深く後悔した。
みんなに言わなければ、こんなことにはならなかった。
みんなを追いかけていれば、お母さんが泣くこともなかった。
自然とそう思った。
それから4日間、見えない状態が続いた。
毎日眼科に通ったけれど、何も変化がなかった。
その間、私は学校を休んだ。
行きたいと言っても、お母さんが許してくれなかったから。
もう、これで「お友達」に謝罪も訂正もできないことを、何となく悟った。
あの日から、私のお友達は誰もいなくなった。
林先生に何度も不調の確認をされた。
不調ではないこと、目もしっかり見えていることを繰り返し伝えた。
「熱が出たばかりだし、無理はしないこと」
「…はい、すみません」
きっと、お母さんが林先生にも連絡を入れているんだろう。
「すみません、お母さんが色々と言ったんですよね?」
「こら、そういう言い方はしないの。春川が、我慢しないように、大谷先生も私も出来ることをしたいだけ。だから、春川さんから春川のことを聞くのは、保健医の意思」
「…ありがとうございます」
こういう所が、大人と子どもで違うのだろうか?
私が無理をしない、その線引きをきちんと見てくれる先生達。
自然と甘えてしまうのは、仕方がないこと。
「疲れるようなことがあったんでしょう?」
だから林先生の言葉に、素直に頷く。
きっと、お母さんから『心配され過ぎて…』という話は伝わっているのだろう。
「贅沢な悩みですよね?」
「まあね?それが大人の階段を上るってことじゃないの?」
人との距離感。
付き合い方。
「…はい」
「ま、何かあったらすぐに来るんだよ?」
保健室の時間も短く、といっても20分は過ぎてしまった。
乃田さんと布之さんが、待ちぼうけをしているかもしれない。
焦る気持ちとは別に、少し足が重くなる感覚。
何があるんだろう?
不安がよぎる。
それでも、ここでぐずぐずしているわけにはいかないので、覚悟を決めて席を立った。
階段を上がって、教室を通り過ぎて社会資料室が見えてくる。
一歩近付く度に、ドキドキが増していく。
前は、布之さんと一緒だった。
でも、今は1人だ。
深呼吸をして、ノックをする。
「どうぞ」
遠い声が聞こえた。
もう1度息を吸って、ドアノブを回す。
中は、この間来た時と変わっていない。
大谷先生が綺麗に保っている、社会資料室のままだ。
窓際に、乃田さんと布之さんが見えた。
「失礼します」
ドキドキする鼓動を抑え、中に入る。
「念のため、鍵してな」
乃田さんの言葉に、後ろを振り返り鍵をする。
鍵を閉めて、思わず固まる。
ここには、今3人しかいない。
「どうしたの?春川」
布之さんの言葉に、びくりとする。
ドアノブを握ったままだったのを自覚し、手を離す。
「春川がすることは何もないのよ。だから、怯えていないでこっちに来てちょうだい?」
布之さんの優しい声。
おそるおそる振り向く。
2人の浮かないような顔に、不安が募る。
もう、私とは一緒にいたくなくなった?
やっぱり、私の面倒を見るのは重荷だった?
ぎくしゃくしていて、疲れちゃった?
2人に気を遣わせ過ぎたことが、次々に蘇ってくる。
不安の種は、いくつも出て来た。
そんな私の焦りを感じ取ったのか、「違うからな!」と乃田さんが言った。
「春川、あのさ、ちょっとだけ時間をくれ。春川は聞くだけ。本当に聞くだけで良い。それに遠いままじゃ、話も出来ない。頼み事とか、何かしてもらおうなんて、そんなんじゃない」
乃田さんの真剣な表情に、ふらふらとドアから離れて2人に近付く。
「うん…」
頷きながらも、不安は消えない。
「かすみと、私で話していたこと。ちゃんと、春川に聞いてほしい」
「う、うん」
話し合った?
もしかして、私のことを?
「お前の悪いことではない。絶対に!」
「そうね、どちらかと言うと、私達の告白、みたいな…ね?」
布之さんの言葉にも、こくりと頷く。
ゆっくりと近付き、1mを切った辺りで足が止まってしまった。
少しの距離。
でも、ここが私が近付ける限界。
私が止まったことで、乃田さんが前に出て来た。
すごく真面目な顔だ。
私の正面に立つと、1度視線を合わせてくれた。
どきりとする。
「ごめん!春川!」
勢いよく頭を下げた乃田さん。
急に頭を下げられても、何の謝罪かが分からず言葉が出て来ない。
少し後ろにいた布之さんも、困っている私に視線を合わせた。
「謝って許されることじゃないけれど、それでも…ごめんなさい」
静かに、頭を下げる布之さん。
何で?
何で、乃田さんと布之さんが私に謝っているんだろう。
とりあえず、意味が分からず混乱する。
「あの、やめて?頭を上げて、乃田さん、布之さん。だって、何で?あの…」
それでも、2人は頭を上げてくれなかった。
「あの…乃田さんと、布之さんから謝ってもらうこと、ないよ?逆に、私の方が毎日のように、迷惑を…かけているんだし、困らせてばかりでごめんなさい」
「そう思わせる原因」
「え?」
乃田さんの言葉に、本当に意味が分からず首を傾げる。
ようやく、乃田さんが頭を上げてくれた。
「あの時も、自分を責めていただろ?」
「あの時…?」
思い当たることがないか、記憶を辿る。
おろおろする私に構わず、布之さんも頭を上げた。
そして、私と目が合うと困ったように笑った。
「学校からの帰り道、あの日も何度も謝っていたわよね?」
乃田さんと、布之さんの言葉を、ゆっくりと反芻していく。
2人が言う、「あの日」「あの時」は、多分私の知っているあの日と一緒なのだろうか?
それは、つまり、小学生の時のあの帰り道しかないと、自分でも気付く。
「何で?…今?」
思わず声が震えてしまった。
「遅すぎるってのも、重ねてごめん!でも、春川にきちんと謝るタイミングが掴めなくて。謝るなら、しっかり顔を見て謝りたかったから。だから、ごめん!」
乃田さんの言葉に、違うのだと首を振る。
だって、2人が謝る必要なんて何もないこと。
「違う。違うの、あの遅いとかじゃなくて…。何で、乃田さんと布之さんが謝るの?あれは、誰も、何も…悪くないこと…でしょ?」
「春川に、悲しさとか絶望とか、悔しさとか…。全部負わせてしまったんじゃないかしらって、謝って済むことじゃないの。本当に、だからごめんなさい」
布之さんは、困ったように笑っている。
でも言っている言葉は、ずっと真剣だ。
2人の言葉は、全くピンと来ない。
だって、2人が謝ることなんて…。
あの日は、急に来た。
自分が起こした気まぐれで。
小学生にありがちな、話題がどんどん変わって行く中の1つ。
私の話題もそうだと思ってしまった、自分の勘違いから起きてしまった。
でも、あの時確かに私はみんなとは「違う」人だと線引きされてしまった。
それが、乃田さんと布之さんの謝罪に結びつかない。
2人の気まずそうな顔を見ている内に、段々あの日が鮮明に思い出された。
最近、眼科に行くことが増えた。
きっかけは、そんな話からだったと思う。
小学3年生の私は、この症状が皆にも時々起こっているものだと勝手に信じていた。
世間一般的に、視界が薄暗くなることは、皆にも定期的にやって来ているものと思い込んでいた。
さっきは見えているのに、急に見えにくくなる時間がある。
つい、そんな話をしてしまった。
その時の、皆の反応。
疑うような、うさんくさそうな表情。
「え?」
皆の表情を見て、あれ?と思った時にはもう遅かった。
「のぞみちゃん、何言ってるの?意味分かんない」
「ほんと。見えているのに、見えなくなるわけないじゃん」
「気持ち悪い、何で急に目が見えなくなるの?」
一斉に否定されてしまい、私の方が焦ってしまった。
だって、その時には、すでに視界は薄暗いことが何度かあったし、その度に眼科に行っていたから。
「違うよ!見えなくなるんだもん。ほんとだよ!お医者様にも、行っているし」
私は、必死に理解してもらおうとした。
「怪我とか病気じゃないのに、見えなくなるわけないじゃん」
「だっておかしいよ!今は見えてるじゃん」
「そうだよ、それなのに、見えなくなるの変だよ!」
だけど、クラスメイトも譲らなかった。
「嘘ついてるんでしょ?」
「絶対嘘だよ!のぞみちゃん、嘘つくのいけないんだよ」
口々に、嘘つきと言われて、悲しい気分になっていく。
「嘘じゃ、ないもん。本当に、見えなくなることがあって…お医者様にも、ちゃんと見てもらっているのに、治らないだけ、だもん」
泣きそうになりながら、必死に見えないことで眼科に行っていることを伝えるけれど、その時にはもう誰も聞いてくれなかった。
「のぞみちゃん、嘘つきだったんだ!」
「言ってること分からないし、今度から遊ぶのやめよう」
「私もそうする!」
クラスメイトには理解できなかったことで、疑いの表情は変わらなかった。
そして、タイミング悪くその時がやって来てしまった。
ぼやけていく視界。
まだこの頃は、明るさまで無くすことはなかったが、見えにくくなる度合いと暗さは増していた。
「ほら、見えなくなってきたもん」
滲んでいく視界に、歯を食いしばる。
「嘘だ。だって、のぞみちゃんの目、ちゃんと開いてるじゃん!」
誰かが言い、そのまま6~7人のクラスメイトが私の顔を覗き込む。
視界のぼやけは増していき、不安が大きくなる。
「…開いていても、見えなく、なるんだもん」
「変なの」
「何かやだ、先に帰ろ」
「そうだね、一緒に帰るのやめよ」
見えなくなると、誰かに側にいてもらわないと怖くなる。
でも、目の前にいたはずの人数は明らかに減っていた。
まだ伺うように私の前にいる子は、輪郭のみで顔の判別は無理だった。
その子に呼びかける声も、遠くから聞こえて来た。
「うそつきー」
「早く来なよ、のぞみちゃん置いて行こ」
「だって、絶対見えてるもん」
慌てて追いかけようとするが、足元がぼやけてしまい一歩が踏み出せなかった。
はっきり見えないことが、恐怖で走ることも動くことも出来なかった。
そして、目の前から人の気配がなくなった。
私は置いていかれたのだろう。
人の気配がなくなることで、怖さが増す。
1人にされた恐怖。
見えていなくても、動かないと本当に置いていかれる。
焦った私は、弾かれたように動き出した。
しかし、何かに躓き地面に転ぶ。
「誰か、いないの?」
転んだ先で伸ばした自分の手すらも、薄暗く滲んでいた。
顔もぶつけてしまったのか、顎や口がヒリヒリしていた。
手も足も痛いけれど、必死に体を起こす。
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手で涙を拭うが、その視界は薄暗く掌にピントが合わない。
「誰か、誰かいない…の?…助けて」
怖くて、足が出せずに震える体。
「わざとらしー」
「ほら、やっぱり嘘じゃん!行こ」
「明日から、のぞみちゃんと一緒にいるのやめようね?」
「私もそうするー」
クスクス笑う声に、遠くから響くヒソヒソ話に、もう何も言えなかった。
嘘で良いから、言ったことを取り消したかった。
あんなに急にみんなが冷たくなるのなら、「目が見えない」なんてもう2度と言わないと思った。
うそつきで良い。
みんなに謝って、また一緒に遊べるお友達がほしかった。
起き上がっても勿論誰もいなくて、他の子よりも下校が遅いことを心配したお母さんが迎えに来て、私は手を繋がれながら家に帰ったあの日。
泣きながら、何度も「ごめんなさい」と言い続けた記憶。
思い出した記憶の断片に、思わず口をぎゅっと結ぶ。
「でも、次の日も春川の様子がおかしくても、みんな昨日の続きをしているって、思い込んで…」
乃田さんの言葉に、私も俯く。
私が思い出しているように、乃田さんも思い出していたんだろうか。
触れたくない記憶が、まざまざと思い出される。
おかしいのも当然だ。
次の日は目を覚ました時から、何も映らなかったから。
朝から全く何も見えず、明るさすらも感じることができなかった。
視界が暗いのも、何も見えないのも初めてのことで、目を覚ましてから気付いた私は1人で泣いた。
自分でも、どうすればい良いのか分からず、戸惑いながらもお母さんに「見える」と駄々をこねて登校した。
お母さんは不思議そうにしていたけれど、私が譲らなかった。
早くみんなに会いたかったから。
でも、見えない目ではそのみんなを見つけられず、登校後に廊下を走っていた男の子にぶつかってしまい、私は廊下でまた転んでしまった。
そのまま、お母さんがお迎えに呼ばれて下校した。
転んでできた傷もあったことで、お母さんが心配して眼科と外科に行くことになった。
眼科で、光にも反応しない状態だと言われた。
つまり、視界が完全に閉ざされた状態。
視力がなくなったことを意味し、全盲だと診断された。
私の後ろにいたお母さんが、泣いていたと思う。
お母さんの泣いている声を聞いて、自分はとんでもないことをしてしまったのだと深く後悔した。
みんなに言わなければ、こんなことにはならなかった。
みんなを追いかけていれば、お母さんが泣くこともなかった。
自然とそう思った。
それから4日間、見えない状態が続いた。
毎日眼科に通ったけれど、何も変化がなかった。
その間、私は学校を休んだ。
行きたいと言っても、お母さんが許してくれなかったから。
もう、これで「お友達」に謝罪も訂正もできないことを、何となく悟った。
あの日から、私のお友達は誰もいなくなった。
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