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それから

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「春川、そこ段差!」
乃田さんの声に、びくりとする。
そのおかげで、段差の上に足を乗せた段階で止まることが出来た。
「あ、ありがとう」

小さな声で言うのがやっとだった。
聞こえていたのか、確かめることは出来なかった。
あぁ、“またやってしまった”と悔しくなる。

今は、見えていない。
聞こえて来た、溜め息2つ分に俯く。
私が俯いたことで、2人は顔を見合わせていたのだろうか。

無意識に出た小さな呼吸。
私がついたことに、2人は気付いていたのか。
それすらも、口に出せなかった。

「春川、見えなくなったら、すぐに言えって」
回りを気にしながら言うような、乃田さんの小さな声に「うん」と答えた私の声は2人まで聞こえたのだろうか。
確かめる方法を、私は知らない。

3人に打ち明けて、私が安心した日からすでに3週間は経っている。
私は、毎日学校に行くようになった。
気持ちの変化があっても、毎日見えなくなる時間は何ひとつ変わらず私に訪れた。

朝から見えない日も勿論あったけれど、それでも私は登校を希望した。
困っているお母さんを説得して、どうにか学校に行った。
そういう時は、途中でお迎えに来ることが条件になってしまうけれど、それでも毎日3人に会いたかったから私も納得した。

見えないからと、休んでいた去年よりはすごく気持ちが満たされた。
どんな時でも、みんなと一緒にいられることが嬉しかった。
学校での、生活にお友達がいることがこんなにも嬉しいから。

でも、嬉しい気持ちと一緒に、小さな何かが芽生えているのも確かな事実だった。

「春川、疲れたろ?」
「ううん、大丈夫」
乃田さんの問いかける小さな声に、私も小さく返答する。

大袈裟ではなくても、気遣われると居心地が悪くなる。
3人を信じていないとか、安心していないとかではない。
ただ、申し訳なくていたたまれない、という気持ち。

「不安な時は、ちゃんと言ってね」
布之さんのゆっくりとした言葉に、曖昧に頷く。
「…うん、大丈夫だよ?」

布之さんの声には、心配が含まれていた。
今でも、見えなくなると、それを隠したくなる気持ちがなくならない。
どうしてか、心配をかけてはいけないという気持ちが強くなってしまうだけ。

「荷物、重たくないか?」
「大丈夫だよ?ありがとう」
高杉君の声にも、こくこくと頷く。

あれから、3人の声掛けは私を助けることや心配することばかりが中心になった。
乃田さんも、布之さんも、高杉君も、毎日私のお世話ばかりしている。
そういう、気分になってしまう。

今までもそうだったのだろうけれど、あの日から私にもはっきりと分かるほど、3人が気にかけてくれるようになった。
“助けられている”ときちんと感じられるほど、声と態度で心配されるようになった。
実際には、面倒も手間もかけさせていると思うけれど、自分でできることは自分でしたいと思っている日常。

私が見えないことが分かると、3人は急に心配性になるみたい。
だから、素直に言いにくいというのは言い訳だろう。
自分から、見えないことを自慢するような行為に思えて、言えなくなってしまう。

「なあ?春川」
「なあに?」
ドキドキしながら、乃田さんの問いかけに返事をする。

昨日も段差で躓いて、右膝に痣を作ったばかりだ。
「何で、見えなくなりそうな時に教えてくれないんだよ?見えなくなった瞬間に、言ってくれないんだよ?昨日も言ったよな?怪我をしてほしくないから、早く言ってほしいんだって」

乃田さんは、怒ったように毎日私にそう言う。
言い出さない私を、ほぼ毎日叱っている。
「ご、ごめんなさい…」
それは、私が見えないことではなく、言い出さないことを責めているのだけど…。
言われている私は、結局見えないことを責められている気持ちになってしまうみたいで。

だから、見えなくなってもそれを言い出せない、そして見えないことを責められていると感じてしまう私が悪いのだと思っている。
見えない自分に自信がないから、卑屈になっていく。
自分が惨めで仕方がないと、後ろ向きなことしか考えられなくなる。

「あかり、いい加減にしなさいな。毎日毎日飽きもせずに…」
声だけで、布之さんも困っているのが分かる。
「ごめんなさい」

「そんなに、縮こまらないで?あかりがいじめるから、春川が小さな体を更に小さくさせているのよ?」
布之さんの言葉に、乃田さんからの返答はない。
乃田さんも、困っているのかもしれない。

「さ、行きましょ」
布之さんが手を握ってくれたみたいだ。
「謝らないで?春川」

布之さんの温かくて柔らかい手に繋がれ、無意識に私も手に力を入れてしまう。
「ほら、席に座りましょう」
教室に戻る廊下での出来事、さっきの段差でのこともそうだった。
思い出している内に、布之さんが反対の手を椅子の背もたれに持って行ってくれた。

「ご、ごめんなさい」
素直に座る。
自分の感覚で、自分のことをしたいというのは、3人にとっては心配で仕方がない、らしい…。

高杉君には、「見ていられない」と直接言われたこともある。
その位、私の行動は安心できないのだろう。
昼休みのざわざわの中にいるのに、私の気持ちはそわそわと落ち着かない。

会話は聞こえていないだろうが、乃田さんが心配する度に回りの反応が気になってしまう。
暗い視界の中で、回りのクラスメイトにどういう風に見られているのか怖くなっている自分。
2年生が始まった時は、他の人達にどう見られているのかなんて気にしていないことだったのに。

考えても、返答する言葉は出て来ない。
『ごめんなさい』しか滲み出て来ない。
この気持ちを伝える方法が、何も思い浮かばない。

「ごめん、違う。春川が悪いわけじゃない…」
何も言葉を発さない私に、乃田さんがぼそぼそとそう言った。
「ううん…乃田さん。ごめんなさい」
また、申し訳ない気持ちが増していく。

どんな顔をして良いのか分からない。
黙り込んだ私達に、布之さんが溜め息をついたのだろうか、小さな呼吸音が聞こえた。

「春川さん?」
遠くから、私を呼ぶ声が聞こえた。
誰だろう?不思議に思い、声を思い出そうと考える。

「春川さんはいますか?」
思い出した、隣のクラスの図書委員の女の子だ。
「…はい!」
思い出したことで、委員会のことかもしれないと思い、慌てて席を立つ。

机に左手をついたつもり、だった。
よほど慌ててしまったのだろう。
机の端に力を入れてしまったらしい私の体は、不自然なバランスで前のめりに倒れた。

立て直せるわけもなく、足がもつれる。
咄嗟に右手を出すが間に合わず、机の左側に倒れる形で床に転がる。
派手な音は立てていないけれど、右手の腕が鈍く痛み始める。

「春川!?」
乃田さんの声が大きく、クラスメイトが「何?」「どうした?」と言っているのが聞こえて来た。
また、やってしまった…。
「起き上がれるか?」

起き上がろうと思うのに、足も手も力が入らない。
「春川さん?」
「ごめんなさいね、少し体調が悪くて…代わりに要件を聞きましょうか?」

布之さんの、ゆっくりとした声が聞こえて来た。
私に用事だったことは、代わりに布之さんが聞いてくれたみたいだった。
「痛い所はないか?」

急に大きな手で左手を繋がれる。
この手は、高杉君だ。
「それとも、足とか他の場所で、どこか痛い?」

「ううん。大丈夫です」
その手に引かれながら、右手で机を探す。
右手で机の端を掴みながら、ゆっくりと体を起こす。

右腕は、じんじんしている。
後は左脛がピリピリしている。
でも、我慢できる。

もう、この後は下校になる。
だから、大丈夫。
「聞いて来たわ。図書委員で、今日の放課後に本の修繕作業があるみたい。でも、春川はこの後、その…」
布之さんの言いにくそうな声に、「うん」と頷く。

見えない時に、委員会の伝達や作業などは難しい。
でも、自分でやらないと、という気持ちでいないといけないと私は思っている。
自分でやりきるくらいの気持ちを持っていないといけない。

乃田さんと布之さんが親切でしてくれていることは、私の代わりに十分なっている。
でも、折角の親切を、邪魔するようで怖くて言葉を言えない。
自分の意見を主張することが、まるで悪いことのように思えてくる。

まただ。
じわりと浮きそうになる感覚を、慌てて引き留める。
自分の情けなさに、泣きそうな気持ちになる自分。

泣いたって、何の解決にもならないし。
泣くのは甘えている証拠だと、自分でも思う。
今まで、先生に頼っていた部分もあって、今更先生を頼るのも都合の良いことのように思える。

クラスの中では、私のことを『ズルい子』だと言う人がいるのも知っている。
反感を買っているのだろう。
でも、何も出来ない自分。

「ほら、また春川さん人にやらせて」
「だって、甘えるの得意だもんねー?」
小学生の時のクラスメイト。

村野さんと越川さんの声に、立ったまま俯く。
理解ができないことは、受け入れられない。
受け入れられないことは、不信感に繋がる。

あの時に感じた息苦しさが、そこにはある。
そのまま目を瞑る。
だって見えていないのに、どうすれば良いのだろう。

「やらせているんじゃなくて、私の意思で手伝っているのよ?それが分からないのかしら?」
布之さんの堂々とした声に、ハッとする。
「私だって、クラス委員なんて面倒なこと、出来たらしたくないもの。やりたくないことは、嫌だって拒否するわ。例えば、貴方達の話し相手とか?頼まれてもお断りする気持ちだもの」

「かすみ、それは言い過ぎだろ?」
乃田さんの声に、口をぎゅっと噤む。
「そうかしら?正直を売りにしている私のモットーだからって、いけないわね。ごめんなさい?村野さん、越川さん。言い過ぎたわ」

「マジで、だるいんだけど」
「そんで、本人は高みの見物?貴族かよ」
「誰に向けて言っている言葉か分からないから、それは私に向けての言葉で良いのか?」
乃田さんのあっけらかんとした言い方。

「貴族のわけないじゃん、お前らと同じ庶民。平民だけど、何か文句あるか?」
「乃田は関係ないだろ?」
「じゃ、村野も関係ないだろ?図書委員じゃないんだし」

「乃田と話してると、マジでイライラするわ」
「奇遇だな、私も越川の声聞くと昔のことを思い出してイライラするわ」
「はぁ?何が」

「あらやだ、同じ小学校だったの忘れたの?登下校は一緒だったはずなのにね」
布之さんも意外そうな声を出していた。
これ以上、何をどうすれば良いのだろう。
「春川、座った方が良い。それか、保健室に行こう」

高杉君の繋がれた左手に、無意識に力を入れていたことを思い出す。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて手を離そうと思うが、高杉君の手は離れなかった。

「もうすぐ、早退だろ?保健室まで行こう」
促されるように、手を引かれた。
「痛いのか?」
「ううん!大丈夫」

私は笑えているのか、表情がどうなっているのか想像もつかなかった。
「大丈夫のわけがない。ぶつけているんだから、早く処置してもらおう」
「大丈夫なの、折れてるわけじゃないし」
「そうは言っても、最近怪我が多い」

「それは…落ち着きがないから、そうなるだけだもん」
「でも、今のは痛かったと思う」
「…大丈夫だから」

「そうか、なら保健室に行こう」
会話になっていない。
「高杉は、いつまで春川の手を握っているの?そして、春川は早退をするんだから、保健室に行くんでしょう」

布之さんの言葉は、事実だ。
でも、それにも頷くのみで、言葉が出て来ない。
「顔色が悪い。ごめんな、春川。すぐに体を支えられなくて」

乃田さんの優しい声と、温かい手がおでこに触れる。
思わずびくりと身構える。
「ごめん、急に触って。顔は打ってないか?」
「う、うん。…大丈夫」

あれから3週間。
毎日、こんなやり取りばかり。
心配させたくて、一緒にいるわけじゃない。
助けてもらいたくて、打ち明けたんじゃない。

こんなことは初めてで、どうすればこのサイクルが変わるのかそればかり気にしていた。
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