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日直のお仕事

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高杉君の言葉に、右手を隠すように左手で握る。
乃田さんと布之さんも、私の手を確認しているようだった。
「妹が、その手当をしてくれて…、登校前なのに、気になったみたいで…」
朝、わざわざ包帯を巻いてくれたことを、しどろもどろになりながら説明する。

乃田さんが、「そっか」と笑った。
「そりゃ、春川の妹だって心配だろうな」
「続けての処置は、当たり前のことよ」
布之さんも、そう言ってくれた。

大袈裟に巻かれた包帯は、私には少しわざとらしいのではないか心配になったが、3人は気にしていないようだった。
「痛みが続いていないなら良い」
高杉君の言葉に、私も頷く。
痛いという感覚ではない。

隠すように握っていた左手を外す。
何か、すごくホッとしてしまった。
何でだろう?

さっきまで、あんなに必死に謝ることを考えていたのに…。
3人に謝って、“仲直り”なんて言われて安心してしまったみたいだ。
思わず笑ってしまったが、側にいた3人も穏やかに笑っているように見えた。
気のせいか、乃田さんと布之さんの顔が赤く見える。

でも、見えている時は沈黙も怖くない。
表情と空間が、自分でも見えるから。

見えることが、こんなにもありがたい。
毎日、そう思って過ごしているはずなのに…。
見えなくなって落胆する。

いつか、私の目はずっと見えないままになってしまうのだろうか?
こんなに不安定な状態が、続くことを怖いと思う。
自分でも不安を掻き立てていると思うけれど、そう心配してしまうのは仕方ないだろう。

見えている今の時間を、知ってしまった自分には願ってはいけない想い。
そんなことが悔しくなる。
“見えなくなるのなら、一生そのままが良いのに”
暗くなる思考回路。

「春川?」
乃田さんの言葉に、ハッとして視線を合わせる。
「大丈夫か?指痛いか?」
「ううん、大丈夫」

どうにか、それだけを絞り出す。
だって、見ているとつい期待してしまう。
このまま眠るまで、見える生活を送れたらどんなに幸せだろう。
願っても仕方のないことを考えてしまう。
考えても、何の解決にもならないこと。

「春川、今日日直だけど…」
高杉君の声に、また我に返る。
黒板は綺麗な状態だ。

今の、私がすることは黒板消しを綺麗にすること?
教卓を拭くこと?
先生が来たら、挨拶をすること?
一気に、頭の中が忙しくなった。

「あ、朝の会の前に、黒板消しのクリーナーをしても良い?」
伺いながら聞く私に、高杉君は頷いて返事をしてくれた。
席を立ち、黒板の前に行く。
高杉君も、気になったのか着いてきてくれた。

黒板消しを手に持ち、クリーナーをかけていく。
まだそこまで白くない黒板消し。
静かに動かすと、白い煙みたいなものが時々舞う。
でも、そこまで白くなかったからか、すぐに綺麗になった。

「あとは、何かすることはある?」
「いや、今はまだない」
高杉君の声に、頷き席に戻る。
「号令は?」
「え?」

隣にいる高杉君に聞かれ、少し困る。
「大きな声、出ないから…」
「じゃ、俺がかけるから」
「ありがとう」

先生がやって来た。
高杉君の号令で、クラスの中で朝の会が始まった。
毎日の繰り返しの中なのに、自分が日直をしていて、しかもきちんと見えていることが奇跡のように感じる。

先生の言葉を聞きながら、今日の夕方まで見えていたら、と静かに決意する。
もし、放課後まで見えていたら、3人に話をしたいと自然と思えた。
それで、3人に変な顔をされてしまったら…と暗い考えになってしまうけれど。
優しくしてくれる3人に、自分のことを知ってほしいと思えることを不思議と怖く感じなかった。

どうやって伝えたら良いんだろう?
そんなことをぼんやりと考えながら時間が過ぎて行く。
1時間目が終わり、高杉君が前に出て行く。
黒板を消しに行ったことを知り、慌てて後を追う。

黙々と黒板を消す、高杉君の背中を眺める。
背が高いから、上の方も背伸びをしなくても届くのが羨ましい。
そう思いながら眺める。
羨ましさが出てしまったのだろう。

「春川もやる?」
高杉君の声に、「え?」と間抜けな声を出してしまった。
確かに心の中で“やりたい”と思っていた。
でも、それを高杉君に言ったわけではない。

応えない私に構わず、高杉君は消す作業に戻ってしまった。
俯いて、終わるのを待つ。
終わった黒板消しを、またクリーナーにかければ良い。
無理をして、この後で見えなくなってしまって出来ないよりは良いだろう。

自分を説得し、高杉君が終わるのを待った。
「はい、春川」
高杉君の声に、黒板消しを差し出される。
「はい」
受け取り、クリーナーをかけようとするが「まだ」と言われふと顔を上げる。

黒板の上の方は消されていたけれど、下の方はまだ残っていた。
ということは、残りは私が消しても良いってことだろうか?
「あの…」

「やりたいんだろ?黒板消し」
「…うん」
「思ったことは、言った方が良い」
「うん」

何でもないことだろう。
でも、私にとっては、黒板消しで黒板の文字を消すことはすごく貴重なことだ。
昨日の得点係と同じくらい、特別なことのように思えた。

ゆっくりと、まっすぐに消して行く。
向き合うのは黒板だけ。
だから、緊張もしない。

しっかりと消して、黒板が綺麗になった。
すごく誇らしい気持ちになった。
私が、日直で黒板を綺麗にしている。
日直の仕事としたら、当たり前のこと。
でも、私にとっては当たり前ではない出来事。

家に帰ったら、さやかに言いたい。
今日は、日直をやったんだよって。
さやかは驚くかな?
私が日直の仕事をしたんだよって言ったら、どんな顔をするかな?

早退しないで家に帰りたいと思っているのに、早く帰ってさやかやお母さんに言いたいことができた。
「もう、十分綺麗だ」
高杉君の声に、ハッとしクリーナーで黒板消しも奇麗にする。

2時間目も、3時間目も、高杉君が上を消して、下は私が消すことを繰り返した。
4時間目は移動教室だから、今はクラスメイトはいない。
「もう良いよ、春川充分綺麗だって」
呆れたような乃田さんの声がした。

「何回も何回も嬉しそうに黒板消して、よく飽きないな?」
乃田さんは、移動教室を待ってくれている。
多分。
「春川のおかげで、上半期1番の綺麗さよ?この黒板」
布之さんの言葉にも、褒められているのだろうと嬉しくなる。

「そうかな?」
「もう、大丈夫。ありがとう春川」
高杉君の声に、頷いてクリーナーをかけていく。

自然と4人で教室を後にする。
「春川、バスケに興味持った?」
高杉君の声に、曖昧に頷く。

「興味というか、知らないことや出来ないこと…が、多いから知れることは勉強したいって思って」
私の言葉に、高杉君は首を傾げる。
「春川は勉強ができるだろ?」

高杉君の言葉に、今度は私が首を傾げる。
「勉強は、覚えることがほとんどでしょ?」
高杉君はそっと視線を外した。
「まあ、でも。その“覚える”が出来ない奴も多いから」

高杉君の言葉に、やっぱり曖昧に頷く。
「あの、高杉君?」
「うん?」
「あのね、朝も言ったと思うけれど、私にそんなに優しくしないで大丈夫だからね?」
「…優しくなんてしていない」

「本当に?」
朝も気になってしまったけれど、やっぱり高杉君は優しいイメージだ。
「高杉が優しいのは春川にだけだもんね?」
「やめろよ、布之」

布之さんの言葉に、“何となく?”が“やっぱり?”に変わる。
「違う、春川」
「違くないだろ。認めろよ?高杉」
乃田さんの言葉に、高杉君と視線が合う。

「乃田まで、俺は特別に春川に優しくしているつもりはない」
「そうか?」
乃田さんの返答は、軽かった。
「でも、高橋が気にしていたのって、そういうことじゃないのかよ?」

乃田さんの言葉に、高杉君は少し視線を上にした。
「俺としたら、去年春川と一緒にやった委員会の影響というか、名残があって…」
それは何となく理解している。
何もできない私に、高杉君は嫌な顔をしないで付き合ってくれた。

それが、今年も続いているような感覚。
高杉君の言葉に、しっくりときた私。
「何で、それで春川は納得してんだよ?」

乃田さんの鋭い言葉に、私も高杉君を見る。
「えぇと、確かに合ってるなって思ったら…」
「委員会のままの流れってこと?」
布之さんの問いかけにも、しっかりと頷く。

「あの、私去年はもっと休みも多くて、学校にはほとんどいなくて…でも、図書委員のお仕事は、何て言うか落ち着くというか、すごく好きで…」
私の拙い説明を、乃田さんも布之さんも聞いてくれている。
「参加できていない時も、勿論いっぱいあって…。でも、高杉君は、いつでもちゃんと参加していたって、大谷先生が言っていて、私が委員会の作業をする時や、何かしなくちゃいけないことがあった時に…」

『落ち着いて』『大丈夫』
何度も、本当に何度も繰り返しそう言ってくれた男の子だった。
私の目が悪いことを、多分察してくれていた。

「春川?」
乃田さんの言葉に、我に返る。
「あの、高杉君は嫌な顔をしないで一緒に作業をしてくれて…。『焦らないで良い』って『ゆっくりで良い』って何回も言ってくれて…だから、あの…」

「春川にとっては、去年の関わりのまま。確かに日常の一部なのね。それが基準で、高杉の印象になった、と?」
布之さんの言葉にしっかりと頷く。
「じゃ、優しくないってのも、仕方ないか」
乃田さんは、やっぱりあっさりと笑った。

「私は、声を大にして春川にだけ優しいって言えるわ」
布之さんの言葉に、高杉君が笑った。
言われている私は、どんな顔をしたら良いのか分からず思わず俯く。
「それは、布之ほどはっきりとしていたら、確かに疑いようはないな」
「でしょ?良いのよ、高杉も認めても」

「いや、俺は良い」
「“自分、不器用なんで”かしら?」
「いや、特に不器用とも思っていない」
「つまらない男」

布之さんの言葉に、高杉君は怒ることもなかった。
布之さんも、特に悪いことを言っているという感じではなかった。
「だから、春川は気にしなくて良い」
高杉君の言葉に、“そうか”と思ってしまう。

でも、高橋さんにはそう見えていた。
何でだろう?
見えなくなってからも、高杉君の言葉や仕草、雰囲気などに変化はないと思う。
でも、見えなくなった時に無意識に頼っている可能性はある。
なら、今度から見えなくなっても、頼り過ぎないように自分で気を付けるだけだ。

移動教室で授業を受け、お昼の時間になった。
給食の時間は、保健室に行くことがほとんどだった。
でも、今日は行こうかどうしようか迷ってしまう。

だって、見えているのに…。
乃田さんと布之さんと一緒にお昼を食べられるかもしれないのに…。
でも、見えていないことが多いのも事実なので、諦めようと席を立つ。

「春川?」
乃田さんの声に、視線を合わせる。
乃田さんは、私と目が合うと少し驚いた表情をした。
何でだろう?

「あ、と…。悪い、もう保健室に行くのか?」
「えぇと…」
言葉を濁して、誤魔化してしまう。
今は見えているから、行かなくても良いけれど…。
余計なことを言ってしまいそうになる。

「あの、さ?嫌じゃなかったら、一緒に食べないか?給食」
「え?」
「やっぱり、嫌か?保健室に行きたいか?」
「そんな、嫌じゃない…そんな、ことはないの。でも、あの…」

どう言えばいいのだろう?
こういう時に伝える言葉を、私は何も持っていない。
嫌なわけじゃない。
本当は、一緒に給食を食べたい。
でも、なら毎日のように保健室に行っているのは何でだろう?

そう聞かれたら、何て返答すれば良いんだろう?
困ってしまった私から、言葉が出てくることはなかった。
「ごめんなさい」
謝ってしまう自分。

困らせている自分。
乃田さんが折角誘ってくれたのに、何も返せない弱い自分。
だから、お友達がいないのだろう。
お友達になってくれる人がいないのだろう。

「悪い、春川」
悲しそうな表情をさせてしまった。
「違うの、乃田さん」
言葉が出ない。

結局、弱いままの自分がそこにいた。
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