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登校

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さやかが登校して、静かなリビングでごはんを食べる。
さっき、さやかに意地悪されたと思っていたけれど、食べていたら段々おなかがいっぱいになってきた。
少しずつ、食べる手が止まって行く。
でも、パンは意地でも食べる。

おかあさんが戻って来て、向かいに座る。
私の手が止まりがちなのを見て、苦笑している。
さやかとの会話を、聞いていたからだろう。
「のぞみ?無理に食べなくても良いのよ?」
お母さんは、困ったようにそう言った。

「おなかがいっぱいになったら、途中でおしまいにしたら?苦しくなってしまうわよ…」
お母さんの言葉に、食パンを全部食べた所で一旦手を止める。
自分の食べている食卓を、渋々見直す。

サラダは食べた。
コンソメスープは、半分くらい残っている。
スクランブルエッグとウィンナーも、半分くらい残っている。

ヨーグルトとリンゴは食べたい。
でも、リンゴも1切れで良いかな…とチラッと思う。
「ヨーグルトとリンゴは食べるから」
「はいはい」
お母さんは、気にしていないように笑った。

「ねえ、のぞみ?」
「なあに?」
「昨日は、通院で何か変わったことを言われたりしたかしら?」
お母さんの、伺うような問いかけ。

昨日のことを、ふと思い出す。
本当なら、通院くらいしか言うことがなかったはずなのに、出来事がたくさんあってすっかり忘れていた。
「言わないで、ごめんなさい」
「違うのよ?先生から何か新しいお話があったかしらって思ったの。お母さんも、昨日の内に聞いておけば良かったのに、すっかり忘れちゃったわ…」

お母さんが言う言葉に、責めている響きはない。
でも、気になっていたはずなのに、聞けなかったのは私が怪我をしてしまったから。
お母さんも、聞きにくかったのかもしれない。
昨日の通院で話した、先生との会話を思い出す。

「…新しい目薬は、あまり効果はなかったみたい、って」
「そう…」
私の落ち込んだ様子に、お母さんも合わせたように肩を落とす。
2人で、少しの間沈黙する。

「また再来週、一緒に行きましょう」
お母さんの穏やかな声に、そろそろと顔を上げる。
「はい」
「学校に、行きましょうか?」
「…はい」

お母さんの言葉に、止めていた手を動かす。
ヨーグルトとリンゴを1切れ食べて、私も食器を片付けに流し台に行く。
私が諦めたことを、お母さんは何も言わなかった。

お母さんは、車の用意をしに行ったのだろう。
私が立ち上がったのを見てから、リビングからそっといなくなった。
食べ終わった食器を洗い、食べ残したものは迷ったけれど「ごめんなさい」と処分する。

罪悪感を感じながら、それでも片付けて行く。
でも、もうおなかいっぱいだから残してはおけないし、仕方がないと諦める。
今度から、もう少し減らしてもらおう。
勿体ないことをしないように、そう思った。

「のぞみ、もう良いわよ。ありがとうね。行きましょう」
「はい」
自分で食べた食器くらい、洗わないと。
もう中学生なんだから。

見えていても、見えていなくても車で送ってもらうのは、少し恥ずかしい。
でも、そんなことは言えない。
ただでさえ迷惑をかけているのに、どう言えば良いのかも分からない。
言い方も、言葉も選びようがないから。

「のぞみ?」
「っ!、はい」
「大丈夫?」
お母さんの、伺うような視線。
見えていないと、思われているのかな?

しっかりと、視線を合わせて大丈夫なことを知らせる。
「作ってくれた朝ごはん、残してしまってごめんなさい」
私の落ち込みが、朝食のことだったことを知りお母さんが「あぁ」と納得したように頷く。
「…気にしないで」
お母さんが笑う。

「次からは、もう少し少なくしてほしいの。勿体ないから…」
私の言葉に、お母さんは困ったように笑った。
「気になるのかしら?」
「…はい」

「足りないよりは、良いかと思ってね。残すくらいの方が、私は安心しちゃうんだけど」
「そう、なの?」
「そうよ。『勿体ない』って思うのぞみとは、逆の考えになるけど…」
「…そうなんだ」

私は残したら罪悪感があるけれど、お母さんは足りないのではって気になってしまう。
確かに、反対の考えだ。
そんな、私の考えに気付いたのかお母さんが「そうね…」と考える仕草をする。

「そうね、勿体なかったかしらね。のぞみの言う通りだわ。今度からは、相談してから食べる量を決めましょ?」
「はい!」
お母さんの言葉に、元気に頷く。
「さ、行きましょう」

お母さんに促されて、家を出る。
車に乗り、“そうだ”と思う。
「あのね、お母さん」
運転しているお母さんに、ドキドキしながら話しかける。
「なあに?」

ドキドキがお母さんに聞こえてしまうのではないか、心配してしまう。
数回呼吸をしてから、意を決して口を開く。
「学校の手前で、下ろしてもらえる?」
私の言葉に、お母さんが沈黙する。

通路には、すでに歩いている生徒は少ない。
登校時間のピークは少し過ぎているからだろう。
お母さんもそれを分かって、時間をずらしてくれる。
少し考えているようで、眉が寄っている。

車の速度が、落ちて行く。
「今日は、歩いて行きたいの?」
「…うん」
「運動が、したいのかしら?」

昨日交わしていた、さやかとの会話を思い出しているのだろうか。
お母さんが、戸惑うようにそう聞いて来た。
それもある。
でも、少し歩くことになっても、1人になる時間が欲しかった。

「運動にはならないと、思うけど…」
だって、他の生徒は毎日この道を歩いたり、自転車で通学しているんだから。
私には、動く時間が少ないから、通学路でさえ大事に感じる。
「他の子の目が、気になる?」

「…はい」
素直に頷く。
「そうね…、少し先の路地に停めるわね。そこでも良いかしら?」
「ありがとう!」
自分でも、分かりやすい喜び方をしてしまった。
「…どういたしまして」

お母さんが、やっぱり困ったように笑った。
「ただ、時間は少しギリギリになってしまうわ。大丈夫?」
「はい」
お母さんの言葉に、しっかりと頷く。

車は、ゆっくりと通学路の横道に入る。
邪魔にならないように、車が停車した。
降りようとすると、「のぞみ?」と呼ばれる。

「はい」
車から降りようとしていたのを止めて、お母さんに向き直る。
「見えなくなったら、できるだけ早く保健室に行ってほしいとお母さんは思っているわ。ここの所、無理をしているように見えるから…」

「…はい、ごめんなさい」
「怒っているわけじゃないの。ただ、怪我をしているのを見たら、さやかじゃないけれど私だって心配してしまうもの」
お母さんの視線が、私の右手に動いた。

右手を庇うように、左手で覆う。
さやかのお節介のおかげで、すごく大怪我をしているように見える。
「はい、気を付けます」
「良いのよ。行ってらっしゃい」

「行ってきます」
少し気まずい思いをしながら、車のドアを開ける。
お母さんが家に帰って行くのを、手を振って見送る。
車が見えなくなってから、時間がないことを思い出す。

急いでいるけれど、走って行くのはどうかと思い早歩きで学校を目指す。
直線にして、そんなに距離はない。
50mもないようだけど、この先には校門がありゆるやかな登り坂が見えている。
でも、私にとっては貴重な通学の時間。

車で見ているのとはまた違う、歩いて見える景色をしっかりと覚えておこうと思う。
回りの景色を眺めながら、学校を目指す。
自転車通学の生徒が、時々私を追い越していく。
校門を過ぎても自転車に乗っている生徒と、校門を過ぎてすぐに降りる生徒が見える。

今日は、先生と乃田さんと布之さんと高杉君に謝る。
まず、登校してすぐにしたいこと。
昨日の私の失礼な行動を思い直し、しっかりと決意する。

1人になり、昨日中途半端だったままの思考回路を整理する。
昨日は、先生と3人に助けてもらわないと何も出来なかった。
そして思わず係の仕事もすることになって、とても嬉しかった。
怪我はしてしまったけれど、それは仕方のないこと。

図書室からの帰り道で、3人にひどい態度を取ってしまったことを反省する。
優しくしてもらったのに、恩を仇で返すとはこのことだろう。
謝ったら許してくれるかな?
それとも、もう関わらないでほしいと思われてしまうだろうか。

「春川さん」
急に声をかけられ、思わずびくりとする。
考え事をしていて、注意力が散漫になっていたのだろう。
後ろを振り返ると、クラスメイトがいた。

ヘルメットを被り自転車に乗っている高橋さんは、昨日私を図書室まで追いかけてきたはず。
自転車から降り、昨日のように向き合うような形になる。
高橋さんが、わざわざ声をかけてきたということで昨日の図書室のクラスメイトが高橋さんだったのだと再認識する。

昨日のことがふっと蘇り、思わず顔が強張る。
「お、おはようございます」
とりあえず、挨拶をする。

私の挙動が落ち着かないのは仕方ないだろう。
乃田さんと布之さんとは違う、クラスメイトの存在。
2人ではないというだけで、緊張がじりじりと溜まっていく。

「おはよう」
何でもないことのような挨拶が返って来た。
昨日、2人を前にした時のような気持ちではないことを自覚する。
それと同時に気付いたこと。
高橋さんを目の前にして、あの2人がどれだけ私のことを気にかけてくれているか確信する。

それは、昨日の高橋さんの言葉に出ていたと思う。
私のことを好きではないと思っている気持ち、それは嘘ではないと思う。
でも、嫌われてしまっても、それは私に原因があるから。
何を言われるのか、つい気にしてしまう。

「歩いているの、珍しいね。今日は送りじゃなかったの?」
思っていた言葉と違う言葉に、身構えていた気持ちが少し解れる。
実際は車で送ってもらったけれど、それを説明してもと思い曖昧に頷く。
私のぎこちない態度に、高橋さんもやや気まずそうに視線を逸らした。

「その、昨日は言い過ぎたと思って…。ごめん」
言いにくそうに、でもはっきりとした態度に首を振る。
視線は合わなかったけれど、高橋さんの言葉には昨日と同じ悔しさが残っていた。
高杉君に頼り過ぎないように、自分を戒める。

「そんな、私こそ…あの、ごめんなさい」
誤解をさせてしまうようなことを、高橋さんに嫌な思いをさせてしまったことを謝る。
しっかりと目線を合わせると、高橋さんも気まずそうにしていた。
「うん。でも、思ったことは本当だから」

「はい」
昨日の、高杉君に甘え過ぎという話。
「春川さんが、色々大変なのは分かるけど、乃田さんと布之さんがいるから平気でしょ?」
高橋さんが言う“大変”は、私が何もできないことを差している気がした。

間違いではない。
「…はい」
「それだけ、朝に会えて良かった。じゃ…」
「はい」
高橋さんは、自転車に乗って先に行ってしまった。

すぐに校門があったが、高橋さんは降りずに坂を登って行った。
その背中を見送りながら、私も急ごうと思う。
ゆっくりになりそうな足取りだったけれど、思い直して坂を登って行く。

坂を登り切り、ガラス戸に差し掛かった。
登校時間だからか、ガラス戸は開いたままだった。
見えていない時と、見えている時とで動き方に差はあると思うが、自分のクラスの下駄箱に着いた。
下駄箱を見ると、ほとんど登校済みのようで靴が多かった。

玄関に到着し、溜め息を付いている自分。
学校に着いただけで、何かがのしかかっている気分になった。
ここで溜め息を付いているのは昨日と同じ。
でも、昨日とは違う疲労が、自分を襲っている。
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