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憧れ
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「じゃ、時間がなくなるからすぐに試合の準備をするぞ」
先生の声かけに、回りにいた気配が無くなって行く。
「春川?」
乃田さんの声に、我に返る。
「っ…はい」
「立てるか?」
乃田さんの声に、静かに立ち上がろうとする。
「右手は痛いのね?」
布之さんの言葉に、痛かったことを思い出す。
強く握っていたけれど、途中でドキドキが大きくなって痛みどころじゃなかったのは本当だ。
「だ、大丈夫」
今、この場には乃田さんと布之さんしかいないのだろうか。
「あの、少し痛いけど…でも、大丈夫なの。心配してくれて、ありがとう」
言いながら立ち上がろうと、足に力を入れようとする。
タイミング良く乃田さんの手に引かれ、ひょいっと立ち上がれた。
自分の体じゃないみたい。
「不思議」
反動で立ち上がるみたいな動きだったのかな?
見えないことが、悔しい。
見たい。
私も、この光景を。
2人と一緒にいるこの空間を。
一緒に体育を出来る幸せを、もっと感じたい。
そう、心の中で強く思う。
「あかり、上手に我慢できたじゃない?お利口さんだったわ」
布之さんの言葉は、変わらず冷静だ。
「かすみまで、やめろよ。人のこと脳筋だと思ってんだろ?」
「間違いじゃないでしょ?確実に脳筋の思考回路よ。でも、『表出ろ』は女子としてアウトね」
「だって、腹立つだろ?あんなん」
「そうね、否定はしないわ。でも、教師がいる所ではお勧めはしないって話」
「ごめんて」
「脳筋には仕方ないことよ?」
「ほら、また人のことそうやって脳筋キャラにする」
「あら、違ったかしら?ねえ、春川?」
「え?」
さっきから2人が言う『のうきん』って何だろう?
ゆっくりと歩き出し、そんな会話になったけれど、意味が分からないと相槌も打てない。
「『のうきん』って何?」
私の問いかけに、左側から「ふふっ」と布之さんの笑い声がした。
笑う所だったのかな?
「ごめんなさい、ちゃんと知らなくて…?乃田さんは言われたくない言葉、なの?」
「…優しいな、春川は。アイツらに、爪の垢でも飲ませてやりたいくらいに」
乃田さんの言葉に、布之さんはクスクスと笑う。
さっきのクラスメイトと同じような笑い声なのに、不思議と怖くない。
うん。
怖くない。
「勿体ないわよ、爪の垢すら」
布之さんの言葉に、今度は乃田さんが笑い出した。
「そうだな、爪の垢すら惜しいな。アイツらには」
「ヘドロでも飲ませておけば、丁度良いんじゃないかしら?」
「お前ら、本当に性格が悪いな」
2人しかいないと思っていたのに、聞こえて来た高杉君の言葉にびくりとする。
「ほら、急に高杉が声をかけるから、春川がビックリしてんじゃん」
乃田さんの言葉に、繋いでいた手を強く握りすぎていたことを思い出す。
「ごめんなさい、乃田さん」
手に入れていた力を抜く。
「全然。むしろいたこと、私も忘れてたし」
「悪かった」
乃田さんの言葉に、高杉君が謝った。
「この通り謝っているから、許してあげましょ?春川」
「え?」
急に振られて、私に謝っているのかと気付く。
と、いうか謝る必要なんて全然ないのに。
「えと、ごめんなさい。高杉君にびっくりしたのは、急だったからで…」
「そうよね、急に女子の会話に混ざってくるなんて無粋よね?」
「…布之も、悪かった」
「そこまで謝るなら、許すこともやぶさかだわ」
「普通、『やぶさかではない』なんじゃないのかよ?」
「うん、だって女子の会話に急に入って来るから。許したくないもの」
「かすみの方が、ブチ切れてるじゃないかよ」
「あら、そうかしら?」
布之さんの声は、いつも通り落ち着いている。
乃田さんが言う『ぶちぎれる』って何だろう?
私の意識が違う所に行っても、3人は会話を続けていた。
「そうよ?それに、失礼だわ。性格が悪いのはあかりだけよ」
布之さんの言葉に、「は?」と言う乃田さんの声がする。
「じゃ、布之は性格悪くないんだ?」
高杉君が、笑うような声で聞き返す。
「そうよ。私は性格悪くないもの、しいて言うのなら根性が悪いだけ」
「もっと悪いじゃねーか」
乃田さんの言葉に、そんなことはないと思う。
「2人とも、優しい…よ?性格も悪く、ないと…私は思う、の」
「それは、春川相手に根性悪くする所なんてないからよ?私は、可愛い子には優しくしたいもの」
布之さんの言葉に、嬉しく思うのと何だか恥ずかしい気持ちになる。
「可愛く、なんてない、よ?」
私なんかが。
可愛いなんて、言うのは全然違うと思う。
「そういう所」
布之さんの機嫌の良さそうな声に、気恥ずかしさが増していく。
「布之って時々、ヅカみたいな所あるよな」
ヅカは、何となく分かる。
「あー、分かるなそれ。無駄に男前な」
「男勝りなら、あかりの方がダントツじゃない?」
「かすみも、ほんとに一言多いんだよな」
「生まれつきだから仕方ないんじゃない?」
「生まれつきのワケあるか!」
「まあまあ、良いじゃないの。高杉?一応、褒め言葉と取っておくから?」
「分かった」
宝塚歌劇団、だったっけ?
女性が多くて、男装した女性が人気のショーをする…。
男装する女性?
高杉君の声に、イメージが湧かないけれど男装している布之さんを想像してみる。
想像力がなさ過ぎて、あまり良いイメージにはなっていない。
布之さんが学ランを着ている?
何か、良く分からない。
ゆっくりと歩き、ざわざわしている空間が近いことを感じる。
試合をすると言っていたことを思い出し、急に緊張を思い出した。
「ほら、乃田と布之も行くんだろ」
高杉君の言葉に、小さな溜め息が両隣から聞こえた。
そして繋がれた左手は、そっと離される。
指先に、残っている感触を思い出してゆっくりと握る。
「乃田さん、ありがとう」
「どういたしまして。任せたからな、高杉」
乃田さんは、高杉くんにそう言い離れて行った。
「ほら、春川行くぞ」
「どこに、行くの?」
思わず聞き返してしまう。
「あ、と…。すまん。目の前に得点票があるんだが…。左手付近にある細い棒を持てるか?縦になっている棒だ。そのまま腕を上げたら触れるから、ゆっくり腕を持ち上げて」
高杉君の言葉に、そろそろと左手を動かす。
ゆっくりとつま先に触れる、冷たい棒。
シャーペンよりは太いけれど、マッキーよりは細い感覚だった。
「掴めたか?」
「うん」
「動かすぞ」
「うん」
私の返事を聞いてから、ゆっくりと動き出す。
先を歩く高杉君が引いているようで、着いていくだけの自分。
カラカラと、車輪が回る音がする。
少し油が切れたような、掠れた軽い音。
進むスピードは決して速くない。
だから、歩幅を間違わないように、慎重に着いて行く。
「春川?」
「はい」
「大丈夫って言うなら、きちんと見せてやらないと」
「…何を?」
「春川の、出来ることを」
私の?
右手のピリピリは、少しずつビリビリに変わって行った。
痺れているような感覚に、自分で握ったり開いたりを繰り返す。
「終わったら、すぐに保健室な」
「…はい」
見られていたのだろうか?
前を歩いているはずなのに。
前を向こうが、後ろを向こうが、私の視界は黒いままだ。
闇の中を歩いているような、不思議な感覚。
でも、見えないのが怖いと思うのは、久しぶりのような気がした。
毎日の繰り返しの中で、確実にないことが起こっているからか。
ドキドキは止まらない。
こういう時に、見えていたらと思ってしまう。
もし、ちゃんと目が見えていたなら、ボールが当たることもなかった。
怪我をして、乃田さんと布之さんに心配をかけなくても済んだ。
でも、そのおかげで得点係をすることになったのは、私にとってはすごくラッキーなのかもしれない。
だって、体育に参加できただけでもすごいのに、ちゃんとクラスの役に立てるかもしれないのだ。
ゆっくり動き、手に持った棒が止まる。
「座って」
「はい」
得点係をする場所に着いたのだろうか?
「コートの、真ん中辺りに移動した。回りにはほぼ誰もいない」
「ほぼ?」
「試合中、選手が走ったりドリブルで通過する可能性がある」
「はい」
「春川?そのまま左手を棒に沿って上げて、肘を伸ばし切った高さで得点票があるから触って」
「はい」
そろそろと上がる指先に、何かが触れる。
紙よりは厚みのある、薄いゴムのような物が束になっている物だ。
これが、得点票?
痛いと思っていたけれど、思わず右手も伸ばしてそれに触れる。
厚みのある束は、パラパラと動く。
左手で後ろから抑え、右手で表面を触る。
ひんやりとして、硬い感じのする感触だ。
でも、パラパラめくれるのは、柔らかい動きが可能だから。
「ざらざらしている」
小さなデコボコを感じながら、右手の痛くない指で撫でていく。
「その状態だと、点数は0のまま。得点が入ったら、教えるから2枚ずつめくって」
「はい」
これだけ厚みがあれば、枚数を間違えることはない。
触ってみて、そんな発見をする。
試しに2枚めくる。
「そう。追加点が入ったら、更に2枚めくって。これなら、枚数を数えながらめくるだけだから、バスケのルールなんて分からなくても出来るだろ?」
「本当だ、高杉君すごい」
そうだ。
ルールは分からなくても、こうやって簡単なことなら私にだって出来る。
多分。
出来るはず。
「3点の時もあるけど、その時は『3枚めくって』ってちゃんと言うから」
「はい」
これなら、ちゃんとできそうな気がする。
位置を、間違えないようにしないと。
何度か予想しながら、シートに手を伸ばす。
位置的には、多分大丈夫。
前に、ニュースで見た海外のバスケットボールの試合は、点数がどんどん入って行ったのを思い出す。
めくることが間に合わなかったらどうしよう。
心配になり、何度も2枚ずつめくる練習をする。
「全部めくったら、隣を1枚めくる。そうしてまた束を戻す」
言われた通り、隣を1枚めくり端の束を元に戻す。
「そう、そこで10点」
「はい」
自分でゆっくりと数え、2枚ずつめくる。
束がなくなったら、隣を1枚めくり束を戻す。
そして、また2枚ずつめくって行く。
「そう、出来てる」
何度も自分が確認したいだけなのに、高杉君はずっと一緒に確認してくれた。
「出来そう?」
「はい!」
高杉君の言葉に、自信がないなんて言えなくて小さく頷く。
でも、さっきまでの不安は嘘のように無くなっていた。
現金な自分。
しっかり練習したことが自信になった?
ううん、高杉君がいることの安心感だろう。
だから焦らないで、ちゃんと練習もできたんだ。
今の私に出来ること。
やるしかないなら、頑張ろう。
得点係なんて、滅多にやれる係じゃない。
だから、これは私にとってチャンスなんだろう。
出来なかったら、謝れば良い。
私に何も出来ないと思っているクラスメイトに、これ以上ガッカリされることはない。
だから、失敗したらすぐに謝ろう。
笑われても、できないのは仕方がないんだから。
ピーッ
笛の音が体育館に響く。
準備が終わったのか、クラスメイトの声援が聞こえてくる。
先生の声かけに、回りにいた気配が無くなって行く。
「春川?」
乃田さんの声に、我に返る。
「っ…はい」
「立てるか?」
乃田さんの声に、静かに立ち上がろうとする。
「右手は痛いのね?」
布之さんの言葉に、痛かったことを思い出す。
強く握っていたけれど、途中でドキドキが大きくなって痛みどころじゃなかったのは本当だ。
「だ、大丈夫」
今、この場には乃田さんと布之さんしかいないのだろうか。
「あの、少し痛いけど…でも、大丈夫なの。心配してくれて、ありがとう」
言いながら立ち上がろうと、足に力を入れようとする。
タイミング良く乃田さんの手に引かれ、ひょいっと立ち上がれた。
自分の体じゃないみたい。
「不思議」
反動で立ち上がるみたいな動きだったのかな?
見えないことが、悔しい。
見たい。
私も、この光景を。
2人と一緒にいるこの空間を。
一緒に体育を出来る幸せを、もっと感じたい。
そう、心の中で強く思う。
「あかり、上手に我慢できたじゃない?お利口さんだったわ」
布之さんの言葉は、変わらず冷静だ。
「かすみまで、やめろよ。人のこと脳筋だと思ってんだろ?」
「間違いじゃないでしょ?確実に脳筋の思考回路よ。でも、『表出ろ』は女子としてアウトね」
「だって、腹立つだろ?あんなん」
「そうね、否定はしないわ。でも、教師がいる所ではお勧めはしないって話」
「ごめんて」
「脳筋には仕方ないことよ?」
「ほら、また人のことそうやって脳筋キャラにする」
「あら、違ったかしら?ねえ、春川?」
「え?」
さっきから2人が言う『のうきん』って何だろう?
ゆっくりと歩き出し、そんな会話になったけれど、意味が分からないと相槌も打てない。
「『のうきん』って何?」
私の問いかけに、左側から「ふふっ」と布之さんの笑い声がした。
笑う所だったのかな?
「ごめんなさい、ちゃんと知らなくて…?乃田さんは言われたくない言葉、なの?」
「…優しいな、春川は。アイツらに、爪の垢でも飲ませてやりたいくらいに」
乃田さんの言葉に、布之さんはクスクスと笑う。
さっきのクラスメイトと同じような笑い声なのに、不思議と怖くない。
うん。
怖くない。
「勿体ないわよ、爪の垢すら」
布之さんの言葉に、今度は乃田さんが笑い出した。
「そうだな、爪の垢すら惜しいな。アイツらには」
「ヘドロでも飲ませておけば、丁度良いんじゃないかしら?」
「お前ら、本当に性格が悪いな」
2人しかいないと思っていたのに、聞こえて来た高杉君の言葉にびくりとする。
「ほら、急に高杉が声をかけるから、春川がビックリしてんじゃん」
乃田さんの言葉に、繋いでいた手を強く握りすぎていたことを思い出す。
「ごめんなさい、乃田さん」
手に入れていた力を抜く。
「全然。むしろいたこと、私も忘れてたし」
「悪かった」
乃田さんの言葉に、高杉君が謝った。
「この通り謝っているから、許してあげましょ?春川」
「え?」
急に振られて、私に謝っているのかと気付く。
と、いうか謝る必要なんて全然ないのに。
「えと、ごめんなさい。高杉君にびっくりしたのは、急だったからで…」
「そうよね、急に女子の会話に混ざってくるなんて無粋よね?」
「…布之も、悪かった」
「そこまで謝るなら、許すこともやぶさかだわ」
「普通、『やぶさかではない』なんじゃないのかよ?」
「うん、だって女子の会話に急に入って来るから。許したくないもの」
「かすみの方が、ブチ切れてるじゃないかよ」
「あら、そうかしら?」
布之さんの声は、いつも通り落ち着いている。
乃田さんが言う『ぶちぎれる』って何だろう?
私の意識が違う所に行っても、3人は会話を続けていた。
「そうよ?それに、失礼だわ。性格が悪いのはあかりだけよ」
布之さんの言葉に、「は?」と言う乃田さんの声がする。
「じゃ、布之は性格悪くないんだ?」
高杉君が、笑うような声で聞き返す。
「そうよ。私は性格悪くないもの、しいて言うのなら根性が悪いだけ」
「もっと悪いじゃねーか」
乃田さんの言葉に、そんなことはないと思う。
「2人とも、優しい…よ?性格も悪く、ないと…私は思う、の」
「それは、春川相手に根性悪くする所なんてないからよ?私は、可愛い子には優しくしたいもの」
布之さんの言葉に、嬉しく思うのと何だか恥ずかしい気持ちになる。
「可愛く、なんてない、よ?」
私なんかが。
可愛いなんて、言うのは全然違うと思う。
「そういう所」
布之さんの機嫌の良さそうな声に、気恥ずかしさが増していく。
「布之って時々、ヅカみたいな所あるよな」
ヅカは、何となく分かる。
「あー、分かるなそれ。無駄に男前な」
「男勝りなら、あかりの方がダントツじゃない?」
「かすみも、ほんとに一言多いんだよな」
「生まれつきだから仕方ないんじゃない?」
「生まれつきのワケあるか!」
「まあまあ、良いじゃないの。高杉?一応、褒め言葉と取っておくから?」
「分かった」
宝塚歌劇団、だったっけ?
女性が多くて、男装した女性が人気のショーをする…。
男装する女性?
高杉君の声に、イメージが湧かないけれど男装している布之さんを想像してみる。
想像力がなさ過ぎて、あまり良いイメージにはなっていない。
布之さんが学ランを着ている?
何か、良く分からない。
ゆっくりと歩き、ざわざわしている空間が近いことを感じる。
試合をすると言っていたことを思い出し、急に緊張を思い出した。
「ほら、乃田と布之も行くんだろ」
高杉君の言葉に、小さな溜め息が両隣から聞こえた。
そして繋がれた左手は、そっと離される。
指先に、残っている感触を思い出してゆっくりと握る。
「乃田さん、ありがとう」
「どういたしまして。任せたからな、高杉」
乃田さんは、高杉くんにそう言い離れて行った。
「ほら、春川行くぞ」
「どこに、行くの?」
思わず聞き返してしまう。
「あ、と…。すまん。目の前に得点票があるんだが…。左手付近にある細い棒を持てるか?縦になっている棒だ。そのまま腕を上げたら触れるから、ゆっくり腕を持ち上げて」
高杉君の言葉に、そろそろと左手を動かす。
ゆっくりとつま先に触れる、冷たい棒。
シャーペンよりは太いけれど、マッキーよりは細い感覚だった。
「掴めたか?」
「うん」
「動かすぞ」
「うん」
私の返事を聞いてから、ゆっくりと動き出す。
先を歩く高杉君が引いているようで、着いていくだけの自分。
カラカラと、車輪が回る音がする。
少し油が切れたような、掠れた軽い音。
進むスピードは決して速くない。
だから、歩幅を間違わないように、慎重に着いて行く。
「春川?」
「はい」
「大丈夫って言うなら、きちんと見せてやらないと」
「…何を?」
「春川の、出来ることを」
私の?
右手のピリピリは、少しずつビリビリに変わって行った。
痺れているような感覚に、自分で握ったり開いたりを繰り返す。
「終わったら、すぐに保健室な」
「…はい」
見られていたのだろうか?
前を歩いているはずなのに。
前を向こうが、後ろを向こうが、私の視界は黒いままだ。
闇の中を歩いているような、不思議な感覚。
でも、見えないのが怖いと思うのは、久しぶりのような気がした。
毎日の繰り返しの中で、確実にないことが起こっているからか。
ドキドキは止まらない。
こういう時に、見えていたらと思ってしまう。
もし、ちゃんと目が見えていたなら、ボールが当たることもなかった。
怪我をして、乃田さんと布之さんに心配をかけなくても済んだ。
でも、そのおかげで得点係をすることになったのは、私にとってはすごくラッキーなのかもしれない。
だって、体育に参加できただけでもすごいのに、ちゃんとクラスの役に立てるかもしれないのだ。
ゆっくり動き、手に持った棒が止まる。
「座って」
「はい」
得点係をする場所に着いたのだろうか?
「コートの、真ん中辺りに移動した。回りにはほぼ誰もいない」
「ほぼ?」
「試合中、選手が走ったりドリブルで通過する可能性がある」
「はい」
「春川?そのまま左手を棒に沿って上げて、肘を伸ばし切った高さで得点票があるから触って」
「はい」
そろそろと上がる指先に、何かが触れる。
紙よりは厚みのある、薄いゴムのような物が束になっている物だ。
これが、得点票?
痛いと思っていたけれど、思わず右手も伸ばしてそれに触れる。
厚みのある束は、パラパラと動く。
左手で後ろから抑え、右手で表面を触る。
ひんやりとして、硬い感じのする感触だ。
でも、パラパラめくれるのは、柔らかい動きが可能だから。
「ざらざらしている」
小さなデコボコを感じながら、右手の痛くない指で撫でていく。
「その状態だと、点数は0のまま。得点が入ったら、教えるから2枚ずつめくって」
「はい」
これだけ厚みがあれば、枚数を間違えることはない。
触ってみて、そんな発見をする。
試しに2枚めくる。
「そう。追加点が入ったら、更に2枚めくって。これなら、枚数を数えながらめくるだけだから、バスケのルールなんて分からなくても出来るだろ?」
「本当だ、高杉君すごい」
そうだ。
ルールは分からなくても、こうやって簡単なことなら私にだって出来る。
多分。
出来るはず。
「3点の時もあるけど、その時は『3枚めくって』ってちゃんと言うから」
「はい」
これなら、ちゃんとできそうな気がする。
位置を、間違えないようにしないと。
何度か予想しながら、シートに手を伸ばす。
位置的には、多分大丈夫。
前に、ニュースで見た海外のバスケットボールの試合は、点数がどんどん入って行ったのを思い出す。
めくることが間に合わなかったらどうしよう。
心配になり、何度も2枚ずつめくる練習をする。
「全部めくったら、隣を1枚めくる。そうしてまた束を戻す」
言われた通り、隣を1枚めくり端の束を元に戻す。
「そう、そこで10点」
「はい」
自分でゆっくりと数え、2枚ずつめくる。
束がなくなったら、隣を1枚めくり束を戻す。
そして、また2枚ずつめくって行く。
「そう、出来てる」
何度も自分が確認したいだけなのに、高杉君はずっと一緒に確認してくれた。
「出来そう?」
「はい!」
高杉君の言葉に、自信がないなんて言えなくて小さく頷く。
でも、さっきまでの不安は嘘のように無くなっていた。
現金な自分。
しっかり練習したことが自信になった?
ううん、高杉君がいることの安心感だろう。
だから焦らないで、ちゃんと練習もできたんだ。
今の私に出来ること。
やるしかないなら、頑張ろう。
得点係なんて、滅多にやれる係じゃない。
だから、これは私にとってチャンスなんだろう。
出来なかったら、謝れば良い。
私に何も出来ないと思っているクラスメイトに、これ以上ガッカリされることはない。
だから、失敗したらすぐに謝ろう。
笑われても、できないのは仕方がないんだから。
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準備が終わったのか、クラスメイトの声援が聞こえてくる。
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