苦手な君と異世界へ

波辺 枦々

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さようなら、異世界

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水に吸い込まれるような感覚はほんの一瞬だけだった。
体にかかる水圧から解き放たれると、バシャ、という音を立てて二人は水辺に着地していた。

衝撃でよろける体は、とっさに拓海が支えて尻もちをつかずに済んだ。
取り囲んでいた水の柱は弾けるように消えた。

同時に歓声が湧き上がる。

智也達は光の泉の中にいた。
その周りを、神官達や民衆が取り囲んでいる。
歓喜に溢れる光景は、全ての儀式が無事に終わったことを実感させた。

割れんばかりの歓声の中で、拓海が何かを言っているが、智也には聞こえない。
指差す方向を見た。

「虹だ…」

頭上に大きな虹がかかっている。
神が二人を労うために架けてくれたような気がした。
二人が笑い合うと、さらに歓声は大きくなる。
耳が痛くなるほど大きな歓声に、二人は苦笑するしかなかった。

しばらくして、セイランがこちらへ向かってきた。
二人の前までくると、歓声が静寂に変わる。

そして、セイランは二人の前に跪いた。

「神子様方のご尽力により、この星は救われました。藍の星を代表して、心より感謝申し上げます」

セイランは立ち上がると、大勢の人々へ向けて言った。

「親愛なる神、そして神子へ、大いなる感謝を」

両手を上へ伸ばし、天を仰いだ。

セイランに続いて、その場にいる者全てが同じように天を仰ぐ。

突然、柔らかな風が吹いた。
そして、晴れているのに霧のような雨が降ってきた。
拓海と目を合わせると、自然と手を繋いだ。

(この星はもう大丈夫だ)

きっとこの雨は、神がこの星を見守っている証拠だと智也は思った。

雨に気づいた人々は再び歓声をあげた。
楽しそうに踊る者、口笛を吹く者、肩を抱き合って喜ぶ者、皆幸せそうだった。

宴のようなその光景は、暗くなるまで続いた。





離れ難い気持ちもあったが、いつまでも泉の中に立っているわけにもいかなかった。
セイランに先導され光の泉を離れると、智也と拓海はそれぞれの宮へ戻った。

右宮ではシュンラン達が涙を浮かべ、出迎えてくれた。
軽く湯浴みを済ませると、縁側に豪華な食事が用意されていた。
一度しか出来なかったお茶会の無念を晴らしたかったらしい。

「私のわがままでございます」

シュンランが照れたように言った。
食事は智也のためのものだったらしいが、せっかくだから皆で食べようと声を掛けた。

楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
刻々と、別れの時間は近づいている。

「そろそろ、ご準備を致しましょうか」

シュンランが重たそうに口を開いた。
それを聞いた側仕え達が、寂しそうに片付けを始めた。


今夜、智也と拓海は元の世界へ戻る。
この星で生きていく、という選択肢もあったけれど、元の生活を投げ出すことは出来なかった。

智也は綺麗に保管されていた、召喚時の服に袖を通した。
と言ってもズボンはない。
今ではそのおかしな格好に、懐かしささえ感じられた。

「イリノ様、少しよろしいですか?」

着替え終わるとシュンランが躊躇うように声を掛けてきた。

「これを、お納め頂きたいのです」

手に持っていたのは、見覚えのある足輪だった。

「こんな貴重な物、受け取れないです!」

智也は慌てて首を横に振った。
いいえ、とシュンランが強い眼差しで言う。

「イリノ様とご一緒した日々はかけがえのないものでございました。生涯、忘れることはないでしょう。これは私の最後にして最大の望みでございますが、イリノ様にもこの星での日々を覚えていて頂きたいのです」

智也の手を取ると、掌に足輪を乗せた。

「この足輪を見て思い出してくださいませ」

そう言って足輪を握らせるように包んだ。
涙が溢れた。

「ありがとうございます。一生大切にします。俺からも、何か無かったかな…」

智也も何かを贈りたかった。
しかし、貴重な足輪の代わりに渡せるような物は持ち合わせていない。
あげられるものは、それしかなかった。

「本当に申し訳ないです。これしかなくって…これは俺達の世界でTシャツと呼ばれる服なんですけど」

着ていたものを脱いで手渡した。

「頂けません!このような貴重なお品を…」
「いや、足輪の価値に比べたらゴミみたいなもんなんです!これをもらってくれないと、後は…」

パンツしかなかった。
パンツに手を掛けると、シュンランが慌てふためいて、その手を抑えた。

「頂きます、私、ティーシャツを頂戴いたします!」

こうして、智也はパンツだけを纏った姿で元の世界に戻ることになった。




(いよいよか…)

神殿の前に着くと、側仕え一人一人を抱きしめて別れの挨拶をした。
涙腺が緩んだけれど、泣きじゃくる側仕え達が予想通りの反応過ぎて笑ってしまった。

「イリノ様の御幸せを、私共は心よりお祈りいたします」

シュンランが目を赤くして言った。

「皆のこと、一生忘れません。俺も、皆がずっとずっと幸せでいてくれることを願ってます…本当に、本当にありがとうございました」

深く礼をした。
いつの間にか智也も大粒の涙を流していた。

大きく手を降り、神殿の扉を開く。
静寂に包まれた神殿に、拓海とセイランだけがいた。

「どうしたんすか、それ…」
「色々あって」

パンツしか履いていない上に泣きじゃくっている男を、拓海が呆れたように見ている。
セイランは二人のやりとりを微笑みながら見ていた。

「カジタ様、イリノ様、この度は誠にありがとうございました。お二方の御力で、土は潤い、河川の水は豊かになりました。この星を救っていただいたこと、後世まで語り継いで参ります。これからは、私共でこの星の再生に尽力致します」

セイランは深々と頭を下げると、二人へ握手を求めた。

「こちらこそ、ありがとうございました。この星の皆さんが幸せに暮らせるように、あっちで祈ってます」
「俺もです。ありがとうございました」

智也と拓海は、それぞれセイランの手をしっかり握り返す。

「有難いお言葉、皆にも必ずや伝えます。こちらはささやかではありますが、私共からの贈り物でございます」

セイランは傍らの机にあった、飾り彫りが綺麗な小さい箱をそれぞれに渡した。

「召喚に作用する可能性もありますので、あちらへ戻られてからお開けください。それでは、参りましょう」

セイランに連れられ、祭壇へ上がる。

「こちらでしばしお待ちください」

セイランは祭壇を取り囲む松明に、一つ一つ青い火を灯している。
智也達が立っている地面には円陣が記されていた。
それを見て、智也は不安な気持ちになった。

「元の世界に戻った時、実は夢でした、とかだったらどうしよう…」
「そうだったとしても、入野君には俺のこと好きになってもらいます」

自信あり気に言う拓海が可笑しくて、笑ってしまった。
不安はどこかへ消えた。
記憶が無くなったとしても、いつか必ず拓海と恋人になる運命なのだ、と思える。

セイランが祝詞を唱えながら円陣に神酒をかける。
円陣から、淡く青い光が放たれた。

「これで準備は完了致しました。このまま目を閉じて風に身を任せてください。鐘の音が鳴り止む頃、元の世界に到着しているはずです」

二人は目を閉じた、拓海がそっと智也の手を握った。

「それでは、お別れの時間でございます」

強い風が二人を包み始めた。

「偉大なる神の御子に感謝と祝福を」

その言葉を最後に、セイランの声は聞こえなくなった。
代わりに鐘の音が、大きく、ゆっくりと聞こえる。
繋いだ手のおかげか、不安は感じなかった。
体が浮いた。
鐘の音がだんだん遠ざかっていった。



*****



風が弱まり、鐘の音はもう聞こえなかった。
急に体に重力を感じ、地に足が着いた感覚がした。

(夢、じゃない…?)

智也は恐る恐る目を開けた。

「入野君、帰って来られましたよ」

拓海が嬉しそうに抱きしめる。

「本当だ…」

ほっとした。
全て現実だった。
もらった箱も手に持っている。
足にはシュンランの足輪があるし、服はパンツだけだ。
拓海が抱きしめてくれているのが何よりの証拠だった。
二人で無事に帰って来られたことを噛み締める。


「おつかれー。あれ?店長来なかった?」

突然ドアが開く音がして、部屋にバイト仲間が入ってきた。
バイト先のロッカー室にいることを忘れていた。
慌てて拓海と離れる。

「お、お疲れ!いや、見てないかな~、倉庫とか?」
「シフト相談したいんだよなー。倉庫行ってみるわ」

すぐに部屋を出ていってくれた。
安堵の溜息が出る。

「とりあえず服着てください」

急いでロッカーの中にしまっていたズボンを履く。
ズボンを履いたところで智也は大変なことを思い出した。

「Tシャツあげたんだった」

上半身裸のままでいるわけにはいかない。
仕方なく油の匂いの染み込んだバイト用のTシャツを着ることにした。

「…俺の家来ますか?服も貸せるし」
「え?」

拓海の家が近いらしい、というのは噂で聞いたことがあった。

「風呂も入れるし、ご飯作りますし、ご飯食べられますし、テレビ見れますし、エアコンありますし…」
「た、拓海君?」

いつになく拓海は饒舌だ。

「もらった箱の中身も確認出来ますし、思い出も語り合えますし…口合わせの儀も出来ます」
「いや、必死だな!」

智也の方が恥ずかしくなるほど、拓海が必死になっている。
つい照れ隠しで冷やかしたようになってしまったけれど、顔が熱くなるほど嬉しかった。

「…お邪魔させてもらおうかな」

そう言った瞬間、拓海の目が輝いた。

「じゃあ、行きましょう」
「うん」

二人は顔を見合わせて笑うと、ロッカー室を後にした。


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