αφεσις

青空顎門

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エピローグ 共に歩めば何であれ日常

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 反定立宇宙もまたアノミアと同じく、中での記憶は使徒以外には残らず、全て都合よく改竄される。
 魂を取り戻し、現実での肉体も取り戻した千影のことも含めて。
 彼女の席が元の状態に戻っていたことがその証と言えるだろう。
 むしろ世界から忘却されていたことの方が夢だったかのようだ。

 それはそうと今、即ち反定立宇宙の翌日、その放課後。
 朔耶と千影は目の前の事態に呆然と立ち尽くしていた。

「あ、あの。何でこんな状況に?」

 何故だか妙に疲れたような表情の晶に尋ねる。
 帰りのホームルーム中に突然千影と共に呼び出され、朔耶は職員室で待っていた己刃に連れられて管理棟の地下に向かった。
 そして、出くわしたのが、空き部屋に運ばれていく見覚えのある机や棚、という光景だった。
 別の空き部屋にも家具などが運び込まれており、それを千影が口をぽかんと開けて見詰めている。

「ここが今日からお前達の住居になる。朔耶はこの部屋、千影はあの部屋だ」
「……は?」

 面倒臭そうに告げられた晶の言葉に一瞬理解が追いつかなくて、朔耶は思考停止に陥ってしまった。
 千影もまた目を瞬かせている。

「って、いやいや、ちょっと待って下さい。どうして――」
「ご両親が転勤で引っ越すことになったから。まあ、寮にでも入ったと思って、ね?」
「え、ちょ、どういうことですか!?」
「あー、つまりだ。お前達の力がエネルゲイアに有効だと分かったからな。切り札として手元で管理しておきたい、ということだろうな」

 つまり、父親が転勤させられることも、運ばれていく荷物も、全てアフェシス派の差し金ということか。ならば、この運送会社の社員らしき人達もその関係者なのだろう。
 しかし、使徒の生活を全面的にサポートするとは聞いていたものの、まさかここまで影響力を持っているとは思わなかった。
 となると、もはや文句を言っても仕方がない状態になっているに違いない。
 千影もそう考えたようで、朔耶は彼女と顔を見合せて諦めの溜息をついてしまった。
 元々非日常への強い憧憬から非日常的な事態には耐性があったと思っていたが、どうも使徒として経験を積んだせいなのか、それが更に強まってしまっている気がする。
 驚きはするものの、どこか受け入れ易くなっているようだ。

「全く大変だったぞ。何せ二人共漫画やら小説やら、とにかく本が多くて」
「もしかして、先輩も手伝ったんですか?」
「ああ。昨日、無断で教会を出て戦った罰として、な。……まあ、これも公欠扱いだが」

 疲労困憊という感じで言う晶。
 この引っ越しは勝手にされたことだが、反定立宇宙では彼女達の助けがなければ危うく死ぬところだったので、さすがに気の毒に思えてくる。

「朔耶君。何だか、大変なことになっちゃったね」

 千影は微かに呆れの色を含んだ口調で言い、微苦笑を浮かべていた。

「ああ……そうだな」
「でも、こういうのも悪くないって思える。朔耶君と一緒なら」

 かつての日常から大分かけ離れた状況を前にしながら、静かに手を握ってくる千影。
 ここ数日の経験によって関係が一歩進み、以前よりも遥かに距離が近くなった。
 ほとんどのクラスメイトは気づいていないだろうが、教室でも彼女の雰囲気は二人きりの時とほんの僅かながら近くなっている。
 これらは確かな日常の中での変化であり、日常の延長上にあるものだ。

「世界は常に変化し続けてる。それを受け入れられれば日常のままで、本来受け入れられないようなものが非日常になるんだろうな」

 そして、前者は生に対応し、後者は死に対応しているように朔耶には感じられた。
 人が非日常を望んでしまうのは、忌避しているにもかかわらず死の欲動に引きずられて死に魅了される状態に、どことなく似ているような気がする。
 受け入れられるか否かの違い。
 それを分ける何かを明確には言えなかったが、ただ一つだけ、その要素になり得るものは朔耶にも分かっていた。

「大事な人と共に歩めるなら、何であれ日常にすることができるのかもしれない」

 小さく呟いた言葉は、しかし、千影には確かに届いていたようで、彼女ははにかむような笑みを見せながら、うん、と頷いた。

「二人共。いちゃついていないで、頼むから手伝ってくれ。私達はもうへとへとなのだ」

 戦いで危機に陥った時でもしないような酷く情けない顔を見せる晶。相変わらずの尊大そうな口調や仕草も今日ばかりは張りがないように感じられる。
 そんな様子で頼まれると、朔耶には断ることなどできなかった。

「分かりました」
「ごめんね。私達が勝手にしたことなのに」

 申し訳なさそうに謝る己刃に、大丈夫です、と千影が柔らかく微笑で答える。
 こういう展開になると予想できていた、という感じだ。
 それは朔耶も同じで、やはり慣れてしまったのだろう、と思った。
 そこには不快感などなく、長年親睦を深めた親友のような自然な感覚だけがある。
 改めて数えれば僅かな時間。
 だが、共に戦って危機を乗り越えたからこその時間を超えた関係とでも言うべきか。
 そして、だからこそ、この二人もまたあらゆる苦難を共に歩むに足る大事な人だ。
 そういう人のことを真の意味で仲間と呼ぶに違いない。

「おい、朔耶。早く手伝ってくれ。これは私には重過ぎて持てん。本が入っているのだろうが……」

 入口に置かず部屋の中まで持っていってくれればいいものを、と続けて文句を言うその口調とは対照的に、彼女の表情は体格と相まって途方に暮れた子供のようだった。
 アノミアでは強大な力を扱える彼女も、現実では外見相応の腕力しかないのだ。

「照屋さんは中の整理を手伝って」

 晶とは対照的にてきぱきと箱を運んで中身を棚に収納していく己刃に、はい、と頷いてこれから自身が暮らすことになる部屋に向かう千影。
 彼女は一度だけ朔耶を振り返って小さく笑顔を見せてから、その部屋に入っていった。
 そんな千影を見送りながら、朔耶はここから始まる彼女達との新たな日常の行く先に思いを馳せた。

 この先どのような未来が実際に待っているのかは誰も知り得ないことだ。
 しかし、皆と共に歩んでいけるなら、どんな問題も乗り越えていけるに違いない。
 そして、死の欲動に負けたりせず、生を最後まで貫くことができるはずだ。
 たとえその先にあるのが死なのだとしても。いや、生の答えが死だからこそ、と言うべきか。
 両者は表裏一体なのだから。
 そんな思考を遮るように、早くしてくれ、という晶の言葉が耳に届き、朔耶もまた情けない表情で助けを求める彼女の手伝いに向かうことにした。
 一先ず、新たな日常を思うよりも今日の日常生活を整えるために。
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