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青空顎門

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四 死の欲動←→生の欲動⑤

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 そこ、朔耶の内側は死の欲動によって闇に閉ざされつつあり、照らす光は朔耶の諦めない意思と千影自らが放つ頼りない銀色の輝きだけだった。

『先輩! 己刃先輩、晶先輩!』

 その闇こそが朔耶を苦しめ、痛みを与えているものだと知り、身代わりになれないことに悔しさを抱きながら必死に叫ぶ。自分と同様にここにいるはずの二人に向かって。

『答えて下さい! 朔耶君のために!』

 そんな千影の叫びに応えるように、闇が広がる空間に微かな光を放つ何かが二つ現れた。
 それは黒一色の外殻で覆われた球体で、光はそこに走る僅かなひびから漏れ出ているようだ。
 しかし、それはその光以上に溢れんばかりのデストルドーを生み出している。

『そこに、いるんですね。二人共』

 千影はこれこそが死の欲動の根本と使徒を繋ぐものだと直感した。
 これを砕けば、二人は使徒の力を失うことになるだろう。
 だが、あの時とは死の濃度が余りにも違い過ぎる。
 精々デストルドーを抑制するぐらいのことしかできないに違いない。
 そして、そもそも破壊することが目的ではない。

『これを抑え込めば、きっと――』

 千影は淡い光を漏らす二つの黒い球体へと掌を向けて、集中するように目を閉じた。

    ***

 視界が黒一色に覆われて尚、朔耶はそれを睨み続けていた。
 諦めないとは言っても大き過ぎる恐怖が膝を震えさせる。
 それでも千影もまたそう言ってくれたことを支えとして、どんな状況下にあっても僅かな勝機を見出すために、それを見逃さないために意思だけは強く持つ。

『朔耶君!』

 内側から叫ぶ声。それが聞こえた瞬間、朔耶の視界は全てが金色の輝きに覆われた。
 その光は朔耶が力を行使した際に生じる銀色の衝撃波のように、急激に周囲に広がっていく。
 その行く手にあった黒い壁は粒子と化して霧散し、その衝撃に襲われたエネルゲイアはその巨体からは考えられない距離を吹き飛ばされていた。

『朔耶』

 次いで聞き慣れた晶の声が脳裏に響く。

『朝日奈君』

 さらに己刃の声が耳に届き、二人は千影と同じように半実体として現れた。
 それは一先ず二人が命を繋いだ証。しかし、変わらぬ二人の出で立ちに気が抜けそうになる程の安堵感を覚えながらも、千影の姿がないことに不安が過ぎる。

「先輩……千影は?」
『中で死の欲動を抑えてくれているよ。そのおかげで私達が表に出て来られたの』

 己刃の言葉に安堵しつつ、気を引き締め直す。

『全く、叱られてしまったよ。破壊衝動を利用してまで、敵を倒すことを優先させたから足を掬われたんです、とな』

 苦笑しながらそう言った晶は真剣な表情になってさらに続ける。

『……確かに私達は前提を忘れていた。使徒としてなすべきことを』
『今度こそ、絶対に守る。その気持ちを照屋さんが思い出させてくれたから』

 完全にいつもの調子を取り戻した己刃と晶。
 そんな二人が心強くて、朔耶はこんな状況にあって笑みを浮かべてしまった。
 それに釣られるように二人もまた微笑む。

『朔耶。私達の魂は確かにお前に託した。私達は死の欲動に由来する使徒故、少々お前の姿は歪になってしまったようだが――』

 その晶の言葉に初めて朔耶は自分の体を見下ろした。
 銀色の装甲だった部分のほとんどは漆黒に染め上げられ、歪んだ形状に変化してしまっていた。
 だが、その変化を抑え込み、死の闇を拘束するが如く金色の輝きを放つラインが装甲を縁取っている。
 そんな視覚的に感じられる歪みとは対照的に、内側から湧き上がる力は強大。
 それこそは純粋な生の欲動、生きる意思だった。

 目を閉じれば、この反定立宇宙に多くの気配を感じる。
 エネルゲイアによって無惨に砕かれた者達の無数の精神を。
 彼等が最後に思い、望んだことが伝わってくる。

『もはや足止めなどとけちなことは言わん。奴を、倒せ』
「はい!」

 晶の言葉に深く頷きながら、朔耶は目を見開き、エネルゲイアを見据えた。

『そこまでして死に抗うか』

 あの金色の衝撃波では一時の足止めにしかならず、エネルゲイアは再び朔耶達の前にその悪魔然とした姿を晒した。
 黒い槍の豪雨が再びその場に降り注ぎ始める。

『今更、そんな攻撃っ!』

 だが、それは即座にその前に身を躍らせた己刃が黒刃で全て切り落とし、朔耶には届かなかった。
 死の欲動による影響が抑えられた今、己刃の動きは先程にも増して確かで、不安を感じさせるような要素は一切見当たらない。

『くらえ、ブレイズガトリング!』

 更に晶は自らが半実体であることをいいことに、姿を消したり現したりしながら槍の合間を縫い、炎を極限まで圧縮させた無数の弾丸を放っていた。

『何故受け入れない。死こそは全ての答えだというのに』
「お前が魂を砕いた人達に聞いてみろ!」

 朔耶は左手に意識の全てを集中させ、それを天高く掲げた。
 瞬間、その手は黄金の輝きを放ち始め、そして、その光に吸い寄せられるようにどこからともなく形容不能の輝きを有した光が集まり出す。
 あの金色の衝撃波は反定立宇宙を余すことなく広がり、そこに漂う精神全てを照り返しによって具現化させていた。
 それ程までに朔耶の使徒としての特性、力は晶と己刃の精神と魂を得ることで強化されていた。
 エネルゲイアに魂を砕かれた犠牲者達の精神が朔耶の中に蓄えられていくに従って、降り注ぐ黒色の槍の密度は明らかに減っていく。
 エネルゲイアが取り込んだデュナミスが本来の所有者を思い出し、力を与えることを止めたかの如く。

『こ、これは――』
「皆、最後の瞬間には生を強く望んでいたんだ。そして、たとえ死が生の答えなんだとしても、それで生きたいと思う気持ちが否定されていい訳がない!」

 そして、朔耶は黄金色を帯びる左手をエネルゲイアに向けた。

「何故なら、死は生の果てにあるものだからだ。生きていない者に死は訪れない。死によって生を強く思い、生によって死は思い起こされる。両者は表裏一体。一方的に与えられる死に、死としての価値はない! 死は徹底的に抗われなければならないんだ!」

 左手の輝きがさらに強まり、それに呼応するようにエネルゲイアの体から虹色の光が放たれ始める。
 その光はエネルゲイアに取り込まれた魂から発せられたもの。それらは全て生への意思の証だ。

『ならば、抗った果てに死ぬがいい。それで満足なのだろう?』
「ふざけるなよ。少なくとも、お前程度の死じゃ役不足だ」

 不敵に口角を吊り上げて見せ、左手を固く握り締める。
 瞬間、虹色の輝きが世界を覆わんばかりに増し、光を枷にエネルゲイアを拘束した。
 その様は磔にされた罪人のようだった。
 その光明と共に魂と精神とが引き合う力を体に感じ始めるが、弓を引き絞るように腰を落としてそれを一時的に抑え込む。

「千影、辛いかもしれないが、力を貸してくれ」
『大丈夫。皆の意思が死の欲動を抑えてくれてるから』
「己刃先輩」
『任せて!』
「晶先輩」
『ああ、あれで決めろ、朔耶』
「はいっ!」

 右手に力を込め、大地をしっかりと踏み締めて構える。
 瞬間、全身を走る黄金のラインから輝きが右手に収束していき、強大な生の力が蓄えられる。
 そして、歪んだ装甲が取り払われ、そこに黄金一色の手甲が姿を現した。

「終わりだ。エネルゲイア!」

 左足で地面を蹴って跳躍し、拳を握り締める。
 限界まで蓄えられて解放された精神と魂の引力によって急激な加速度が生み出され、朔耶はエネルゲイアへと飛翔した。
 同時に全身のラインから金色の輝きが溢れ出した。
 その光に包み込まれ、まるで自分自身が一本の光の矢そのものになったかのような錯覚を受けながら、一直線にその巨躯へと向かう。

「砕けろ。パラダイム――」

 迎撃のために放たれた槍は光の中に塵となって消え去っていく。

「ブレイカアアアアアアアーッ!」

 その朔耶の叫びと共に、エネルゲイアの胸部を生の光を帯びた矢が貫く。
 瞬間、反定立宇宙そのものの断末魔のような歪んだ音がその世界に響き渡った。
 それを合図とするようにエネルゲイアから虹色の光が解き放たれ、全てが朔耶の左手に集い始める。
 その光の源たるデュナミスによって具現化、維持されていたエネルゲイアの体は黒色の粒子と化して脆くも崩れ去っていく。
 やがて精神と魂の引力は両者が再び一つとなったことで消滅し、朔耶は常識という名の重力に従って大地に降り立った。
 その場で即座に振り返り、消えゆくエネルゲイアと対峙する。

『見事だ、死の運命を持つ者よ。……だが、次はより強き死を以って臨もう。お前が生を諦め、自ら死を望むような強き死を、な』

 どこか満足気に捨て台詞を吐いた直後、それは完全に形を失い、その粒子は風にさらわれて空の彼方へと消えていった。
 その足下にいつか見た使徒、有馬公彦を残して。
 彼も既に使徒としての力を失い、この反定立宇宙が終われば、使徒としてなしたこと全てを忘れて普通の人間として生きることになるだろう。
 彼等の目的を考えるなら、それもまた行為の代償として正しいのかもしれない。

『勝った、んだよね、わたし達』

 確認するような千影の問いに世界が答え、それに気づいた彼女は顔を上げた。

『あ……空が』

 反定立宇宙は、核となっていた存在が消失したことによって崩壊を始めていた。

「これは……」

 その時を待っていたかのように朔耶の内部から無数の虹色の光が溢れ出て、天高く舞い上がる。
 それらは一斉に流れ星のように反定立宇宙に降り注ぎ始めた。
 流星雨を思わせる光景が、しかし、一つ一つが人間の命そのものの輝きだからか、それ以上に美しく眼前に広がっている。
 すぐ隣に並んでいた千影、そして、少し離れた位置に立つ己刃と晶も空を見上げながら感嘆の溜息をついていた。

「綺麗、だね。朔耶君」

 呼ばれ、振り返ると千影の微笑み。その確かさといつの間にか握られていた手に感じる命の温かさ。
 その意味を理解して朔耶は彼女に微笑み返し、しっかりと手を握り返した。

「千影と同じように皆、元に戻るんだ。それぞれの、生きる場所で」
「うん。だから、わたしは朔耶君の隣にいる。だって、わたしは――」

 初めて見るような穏やかで綺麗な笑みに思わず見惚れてしまう。
 彼女は頬を軽く朱に染めながら、さらににこっと可愛らしく笑顔を重ね、不意をつくように手を握ったまま爪先立ちで顔を近づけてきた。
 視界一杯が彼女の幼げな、紅潮した顔で満たされ、そして、唇と唇が触れ合う。
 それはほんの一瞬の出来事。微かな温もりと柔らかな感触を朔耶の唇に残し、千影は顔を離し、恥ずかしそうに視線を地面に向けてしまった。
 しかし、朔耶の手を握る力は更に強くなり、より近く身を寄せてくる。

「朔耶君が、大好きだから」
「千影……」

 気恥ずかしさよりも何よりも充足感が先立つ不思議な感覚。
 この空を満たす流星がその感覚を強めているように感じられた。
 その空気に全身を浸らせながら、千影と見詰め合う。
 そして、勝利の高揚感によってか再び吸い寄せられるようにどちらからともなく――。

「あー、二人共?」

 気まずそうな晶の声にはっとして朔耶達は二人同時に彼女を見た。
 その隣には苦笑いをしている己刃の姿もある。
 一瞬時間が止まり、次いで二人の反応の意味に気づいたらしい千影が、ひうぅ、と妙な悲鳴を上げてあたふたし始めた。
 いつかの寸止めよりも酷い状況だったためか、彼女は現実逃避をするように朔耶の背に隠れ、嵐が過ぎ去るのを待つように頭を抱えたまま目を瞑ってしまった。

「まあ、その、何だ。確かにここは学内ではないが……さすがに私達の目の前でそういうことをするのは控えて貰いたいな」

 彼女達もまた千影と同じように半実体ではなく、確かな体を取り戻すことができていたようだった。
 しかし、そのことに対する安堵と激し過ぎる羞恥が入り交ざり、何とも言えない複雑な気分だ。
 それが表情に出ていたのか、晶の隣で己刃が声を押し殺すように笑っていた。

「でも、今ぐらいは大目に見てもいいんじゃない? キスの一回や二回」

 フォローしているようで、しかし、はっきり言って完全に追い討ちにしかならないようなことを言う己刃に、うーむ、と晶は腕を組んで唸る。

「いや、やはり、好き合っているとはいえ、慎みは持たなければな」

 この状況では、もはや何を言われても追い討ちにしかならないようだ。
 千影はさらに身を縮こめていて、恥ずかしさが極まったのか目には涙が溜まり始めていた。

「な、何はともあれ、よくやったな。朔耶」

 そんな千影にさすがに度が過ぎたと思ったのか、頬をかきながら晶は話題を変えた。

「うん。中々格好よかったよ。ね? 晶」
「む、まあ、それなりに、だな」

 そんなことを言い合う二人を千影が不満そうに唸りながら睨む。
 己刃と晶は少しだけ困ったような、しかし、優しく穏やかな表情で彼女の視線を受け止めていた。

「……さて、間もなく反定立宇宙も完全に終わるな。それまでこの、使徒の記憶にしか残らない流星雨でも眺めているとしようか」

 そう言って空を見上げた晶に釣られるように、朔耶もまた遠くから反定立宇宙の終わりが近づく空へと目を向けた。
 晶の言う通り、この光景を目に焼きつけられるのは使徒だけ。そう考えると貴重なものに思えてくる。
 いや、そもそもこの流星の一つ一つが何よりも尊い命そのものであり、即ち生きる意思の塊。
 それが尊くないことなど、本来ならいかなる場面でもあるはずがない。
 そう。たとえ全ての答えが死なのだとしても、だ。
 こんな言葉がある。未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。
 生を知らない者に死の意味も分からない。生と死は表裏一体。己の人生を生き抜き、その意味や答えを見つけることができて初めて、死にも確かな意味が生まれるのだ。
 しかし、彼等、グノーシスの使徒達は死にばかり囚われ、生きようとしている人を見ていない。
 彼等のしていることは、教義という理屈をつけて生から逃げ出した挙句、集団無理心中しようとしているようなものだ。
 個人として思想は自由だ。
 しかし、それに無理矢理他人を、世界を巻き込むことは決して許されないことだ。
 だから、もし彼等が今回のように生きる意思を無視し続けるのならば、自分は使徒として戦い続けなければならない。それがきっとあの日、己刃に命を救われた自分がなすべきことのはずだから。
 朔耶はそう思いながら、晶と己刃が空へと意識を向けた隙に腕を組んできていた千影を見詰め、はにかむように見上げてくる彼女に微笑んだ。
 そして、再び命の輝きを記憶に刻み込むために視線を空へと向けた。
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