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青空顎門

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三 共に明日を生きるために①

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 翌日。まだ梅雨には入っていないものの、朝から一日中雨になると予報された通りに降り続く雨の断続的な音に、朔耶はぼんやりと耳を傾けていた。
 朝のアノミアでは雨天ということで訓練はなく、幸い迷い子も現れなかったため、晶達と共に傘を差して散歩しながら過ごした。
 それからはいつも通りに授業を受けて、今は昼休み直前の授業が半分程度終わったところ。
 待ち望んでいた時は、正にその瞬間に訪れた。

『高校三年A組鳴瀬己刃、C組橘晶、高校二年C組朝日奈朔耶。以上の者は至急職員室に来なさい』

 突然、放送の前触れとなる音もなく、教室のスピーカーから光輝の場違いな程切迫した声が響いた。
 クラスメイトのざわめきが起こり、それを教師が注意する。
 朔耶はその放送の意味を理解し、即座に教師から許可を貰い、全力で廊下を駆けた。
 途中、三階から降りてきた己刃と晶と合流し、そのまま職員室に向かう。
 そして、そこで待っていた光輝と共に傘も差さずに外へと走り出ていき、素早く彼の三列式のワゴンに乗り込んだ。

「タナトスが現実化したんですね?」

 二列目の座席から運転している光輝に尋ねると、彼は厳しい表情のまま黙って頷いた。

「擬似アノミアが形成されているからな。そう考えて間違いない」

 隣に座っていた晶が微かに焦りの含む口調で言う。
 彼女達は既に気配からどこで発生したのか分かっているらしく、二人共ある一方向を睨みつけていた。
 車の窓から見える景色の流れは、速度は違えど朔耶がいつも帰り道に見ているものと同じ。
 刻々と住宅団地に近づいていて、そのことが不安を煽る。
 何せ彼女達が見詰めている先が、正にその方向なのだから。

「そうだ。森本先生は?」
「授業中だ。最低限同時に授業が入ることはないようにしているが、少々タイミングが悪かったな。これだから擬似アノミアは厄介なんだ」

 光輝の言葉に一抹の不安を覚える。
 しかし、社会人には高校生とは比べものにならない責任というものがあるのだろうから、仕方がないと言えば仕方がないか。

「見えたぞ」

 晶の言葉に朔耶は彼女の視線を追い、定期的にワイパーが水滴を拭い取っているフロントガラスの先へと目を向けた。

「あれが……」

 朔耶の家があるマンションから少し離れた場所、千影が住んでいたマンションを含めた数棟を覆うように、何か膜のようなものが半球形に形成されている。
 視覚的、感覚的にそれが毎朝見ているものと同じ穢れを有することが分かる。

「そうだ。あれが擬似アノミアだ。中間的アノミアとも呼ばれている」

 車は団地の駐車場内に入り、さらにスピードを上げた。
 時間帯的に駐車している車は少ないため、白線で描かれた枠を無視して真っ直ぐに走っていく。時折水溜まりの上を走り、水が盛大に飛び散る音が聞こえてきた。

「いいか、朔耶。現実化したタナトスは手強くなっている。デュナミスを得たことで存在として確かになっているからな。油断だけはするなよ」
「は、はい」

 強い緊張感を抱きつつ擬似アノミアを見据える。と、そこから逃げ出てくる男女の姿が見えた。
 部屋着でそのまま出てきたような姿の年配の女性は顔が恐怖に引きつり、蒼白になっていた。
 そんな彼女を真面目そうな大学生風の男性が肩を抱きながら、今正に擬似アノミアの外へと出てこようとしている。そして、彼等は擬似アノミアと外界との境界を跨いだ。

「え?」

 その瞬間、女性の表情から恐怖の色が一瞬の内に消え去り、彼女はただ雨を不快そうにしながら、どこかへ走り去ってしまった。
 しかし、残された男性はさして気にした様子もなく、再び擬似アノミアの中に戻っていく。

「あれは偶然近くにいた使徒の人だね。中の人を避難させてくれているみたい。多分、そんなに力が強い人じゃないんだと思う。晶が言ったけど、現実化したタナトスは位階が低い人にはちょっと手に負えないレベルになっているから」

 疑問を察知したのか己刃が男性について説明してくれた。
 更に、女性の異常な様子について補足するように晶が続ける。

「時間の流れが現実と同じで、生成範囲内にいた人間が全て取り込まれる以外はアノミアとほぼ同じ空間だからな。一般人はそこから出れば、中でのことは忘れてしまう。外にいる者は近づこうとも考えない。無意識的に回避、いや、忌避するのだ」
「説明はそこまでだ。中に入るから、気を引き締めろ」

 光輝の声に意識を二人から戻すと、丁度その膜のようなものが目の前に迫っていた。
 と思った時には、それを突き抜ける。

「これは……」

 その中に入ったことで、朔耶は膜という印象は誤りだったことを理解した。
 内部の空間は全てが死の穢れに似たもので満たされている。
 雰囲気としてはアノミアとほとんど変わらない。

 そして一番近いマンションの出入口付近で車から降り、朔耶と晶、己刃と光輝と二手に分かれてタナトスを探索することになった。
 擬似アノミアはタナトスによって生成されたものであるため、その気配は全体から感じられ、大まかにしか位置を特定できないらしい。故に、手分けした方が効率的なのだ。
 晶と組むことになった理由は、訓練で互いの力をよく把握しているためだ。

「よし、行くぞ。朔耶」

 晶のかけ声と共に、二人で雨の中を駆けていく。
 絶え間なく降り注ぐ雨が制服を濡らして不快に思うが、今はそんなことを考えている場合ではない。
 晶は平然としているのだから。
 朔耶は、制服に加えて白いタイツまでも濡れて気持ち悪いだろうに、と思って一瞥したが、実際は彼女の服に湿った様子は一切なかった。
 アノミアでは雨もまた人々の意識の所産。
 ならば、高い精神力を持っていれば影響を受けないということ。
 細かいところで力の差を突きつけられている気がする。

「あ、あの、晶先輩、俺、役に立ちますか?」

 位階が低い使徒では現実化したタナトスに太刀打ちできない、という話も聞いたし、足手まといになるだけではないか。そんな危惧を抱き、朔耶は晶に尋ねた。
 対して晶は子供っぽい笑顔と共に答える。

「余り心配するな。あの変身状態であれば問題ない。それに多少強くなったとはいえ、所詮タナトスはタナトスに過ぎん。私がいれば余裕だ。むしろ問題は別にある」
「それは、まさか――」
「そうだ。グノーシスの使徒。奴等も近くにいる。デュナミスを奪い取るために、な。しかも奴等も二手に分かれているようだ。競争、という訳だな」

 そう言いながら晶は眉をひそめた。それから真剣な瞳を朔耶に向けて続ける。

「朔耶。もしタナトスと奴等、同時に遭遇したら、私が必ず使徒を抑える。だから、お前はタナトスを倒し、千影のデュナミスを取り戻せ。いいな」
「は、はい!」

 晶は朔耶の返事に満足そうに頷きつつ、余り緊張するな、と軽く肩を叩いた。

「よし、ついてこい」

 駆け出した晶の後ろを遅れないように走る。
 周囲の様子は色に穢れが見て取れる以外はいつもと変化がない。
 普段のアノミアでもそうだが、タナトスは人間以外のものを破壊しようとはしないようだ。
 あるいは、それらがいつでも壊せることを知っているかのように。
 今はそんな余計なことを考えている暇はない、と首を振って雑念を振り払い、周りを注意しながら晶の後を追う。が、彼女は突然立ち止まった。
 そして、ある方向を睨み、忌々しげに舌打ちした。
 朔耶はその様子を見て、気配は感じられないものの状況を理解した。

「己刃達が奴等の一人と遭遇したようだな。……急ぐぞ」

 晶は焦りの色で微かに口調を染めて、その走る速度を上げた。
 擬似的にせよ、ここはアノミアと同等の世界。その速度は朔耶でさえ人間の脚力を超えている。
 しかし、本来なら位階にして第三位『座天』に属する彼女のスピードに朔耶が追いつけるはずもない。
 にもかかわらず離されずにいるのは、こんな状況でも朔耶の安全を第一に考えているからなのだろう。

「この辺りのはずだが……」

 やはり正確な位置は把握できないのか、周囲を見回しながら呟く晶。
 彼女は焦りを吐き出すように一つ大きく息を吐くと、集中するように目を閉じた。

「……聞こえた。こっちだ!」

 身体能力の向上は聴覚にも適用される。
 タナトスが発する音はその動きに比べて圧倒的に小さいが、晶はその微細な音を聞き取ったらしい。
 彼女はその方向へと駆け出した。そして……。
 晶の感覚の正確さを示すように、タナトスは姿を見せた。
 あの日、朔耶と千影に恐怖を与えた存在。
 しかし、それは彼女の魂の欠片を得て、確かな姿を形作っている。
 それは人間が持つ破壊衝動を凝縮して作られたかの如く、どこまでもおぞましい気配を湛えていた。
 だと言うのに、千影から生じたことを示すかのように人間的、女性的な形状を僅かに見せているのは、ふざけているとしか思えない。

「あれが……現実化した、タナトス」

 呆然と呟いた朔耶を余所に、晶はすぐさま周囲にいくつもの火球を生み出し、タナトスを攻撃しようとしていた。が、彼女は不愉快そうに舌打ちすると、それをタナトスとは全く別の方向に投げつけた。
 それらは一直線に飛んでいったにもかかわらず、突然何かに弾かれるようにして乱れ飛んだ。
 晶が操作したような素振りはない。
 彼女は苛立ちを隠さず、新たな火球を生み出しつつ鋭い瞳で一点を睨みつけていた。
 その様子に即座に理解する。もう一人のグノーシスの使徒が現れたことを。
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