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二 使徒達――新たな日常⑥
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「それで、朝日奈君はどうだった?」
三階の三年A組の教室の前で己刃は晶に尋ねた。
この二つ先の教室が晶のC組だが、アノミアが終わるまで後五分程度ある。
なので、訓練の成果を聞こうと考えたのだ。
「そうだな。通常状態は全く下の下だが、変身状態は中の下ぐらいにはなるか」
中の下、ということは位階で考えると『能天』ぐらい。
グノーシスの使徒達を相手にするのは無理だろうが、自力で逃げることは不可能ではない程度か。
「変身状態は通常状態の約一.四倍ぐらい全体的に能力が高まるようだな」
「約一.四倍?」
操る火球の速度などから算出したものなのだろうが、その中途半端さに引っかかる。
そう言えば、朔耶の自己申告によれば彼が手にした千影のデュナミスは全体の三分の一程度。そして、己刃が回収した欠片は一割程度。つまり合計四割強。
この符合に何か意味はあるのだろうか。
「どうした?」
「う、ううん。何でもない」
確証はない。偶然そうなった可能性もある。
結論はタナトスからデュナミスを奪い返してからにすればいい。
「しかし――」
晶は決まりが悪そうな笑みを浮かべ、廊下の天井を見上げながら言葉を続けた。
「今日は少しやり過ぎたかな」
確かに最後の方は炎の集中豪雨のような状態だった。
朔耶もほとんど立っていられなくなり、芋虫のように転がることしかできなくなっていたし。
「やはり、私は朔耶が羨ましいのだろうな。不幸の比較など愚かだと思うが、やはり失った者を取り戻せる可能性があるだけ、本当に羨ましい」
晶の父親はその存在を世界から忘却されていたらしい。
つまりアノミアの中で亡くなった、ということ。
彼女はそれを使徒になったその時のアノミアで知ったのだ。
長い間、父親がいないことを全く疑問に思わなかった、と悲しげに自嘲しながら語っていたことが思い出される。
「しかし、同時に朔耶の望みを叶えさせてやりたい。それは私の確かな本心だ」
己刃はその言葉を聞き、自分がアノミアに初めて入った時のことを思い出して頷いた。
四年前のあの時、死の欲動が溢れ出た原因の一つは敬愛する祖父が亡くなったことだ。
あの時のことを思い出すと未だに胸が締めつけられる。
アノミアに落ちる瞬間、己刃はたまたま幼い弟の手を握っていた。
そのせいで彼を道連れにしてしまったのだ。
結果、弟は己刃の目の前でタナトスに蹂躙され、命を失い、己刃は使徒となった。
だが、あの時己刃が抱いたのは、タナトスという存在への憎悪、目の前の理不尽への怒り、破壊衝動だけだった。
朔耶という事例を目の当たりにし、今更に思ってしまう。
彼のように、弟を生かしたいと思うことができていれば、と。
そのことで自分が酷く自己中心的な人間に思えて、朔耶に対する引け目を抱く部分も幾許かある。
しかし、だからこそ、朔耶を全力で助けなければならない。
そもそも彼から彼女を奪ったのは自分の弱さだ。
きっとそうすることがそのことだけでなく、弟に対する僅かばかりの償いにもなるはずだ。
何より、それをなすのは使徒として当然の役目なのだから。
「おっと、己刃、時間は?」
少しの沈黙の後、晶が思い出したように尋ねてくる。
「後、二分ぐらいかな」
「そうか。では、戻るとしよう。続きはまた、放課後だ」
晶はそれだけ言うと己刃に背を向け、軽く駆けて自分の教室へと向かっていった。
彼女が教室に入っていくのを見届けてから、己刃も自分の教室に入った。
席は廊下側一番前なので、すぐに席に着くことができる。
アノミアの継続時間で設定された砂時計は、間もなく全ての砂が落ちる。
それを確認して己刃は砂時計を机の中にしまった。
次の瞬間、世界の色から穢れが取り払われ、周囲にクラスメイトの姿が戻ってくる。
教団に立つ教師は、アノミアに入る直前の状態から続きの言葉を発し始める。
一瞬、何の話をしていたところだったかと戸惑うが、黒板とノート、そして耳に届く教師の言葉からすぐに思い出せる。この辺は慣れだ。
だが、やはり不慣れだとすぐに適応するのは難しいだろう、と初めて元いた場所でアノミアの終わりを迎える後輩を思い浮かべる。
己刃は彼が混乱せずに授業に再び集中できているか心配し、そう考えている自分こそ集中できていないな、と軽く苦笑した。
そうしてから今が授業中だったことを思い出して少し慌てるが、幸い教師も隣の席のクラスメイトも黒板の方を向いていて気づかれなかったようだ。
そんな自分を叱咤するように、集中集中、と心の中で呟いて、己刃は板書を写す手を再び進め始めた。
三階の三年A組の教室の前で己刃は晶に尋ねた。
この二つ先の教室が晶のC組だが、アノミアが終わるまで後五分程度ある。
なので、訓練の成果を聞こうと考えたのだ。
「そうだな。通常状態は全く下の下だが、変身状態は中の下ぐらいにはなるか」
中の下、ということは位階で考えると『能天』ぐらい。
グノーシスの使徒達を相手にするのは無理だろうが、自力で逃げることは不可能ではない程度か。
「変身状態は通常状態の約一.四倍ぐらい全体的に能力が高まるようだな」
「約一.四倍?」
操る火球の速度などから算出したものなのだろうが、その中途半端さに引っかかる。
そう言えば、朔耶の自己申告によれば彼が手にした千影のデュナミスは全体の三分の一程度。そして、己刃が回収した欠片は一割程度。つまり合計四割強。
この符合に何か意味はあるのだろうか。
「どうした?」
「う、ううん。何でもない」
確証はない。偶然そうなった可能性もある。
結論はタナトスからデュナミスを奪い返してからにすればいい。
「しかし――」
晶は決まりが悪そうな笑みを浮かべ、廊下の天井を見上げながら言葉を続けた。
「今日は少しやり過ぎたかな」
確かに最後の方は炎の集中豪雨のような状態だった。
朔耶もほとんど立っていられなくなり、芋虫のように転がることしかできなくなっていたし。
「やはり、私は朔耶が羨ましいのだろうな。不幸の比較など愚かだと思うが、やはり失った者を取り戻せる可能性があるだけ、本当に羨ましい」
晶の父親はその存在を世界から忘却されていたらしい。
つまりアノミアの中で亡くなった、ということ。
彼女はそれを使徒になったその時のアノミアで知ったのだ。
長い間、父親がいないことを全く疑問に思わなかった、と悲しげに自嘲しながら語っていたことが思い出される。
「しかし、同時に朔耶の望みを叶えさせてやりたい。それは私の確かな本心だ」
己刃はその言葉を聞き、自分がアノミアに初めて入った時のことを思い出して頷いた。
四年前のあの時、死の欲動が溢れ出た原因の一つは敬愛する祖父が亡くなったことだ。
あの時のことを思い出すと未だに胸が締めつけられる。
アノミアに落ちる瞬間、己刃はたまたま幼い弟の手を握っていた。
そのせいで彼を道連れにしてしまったのだ。
結果、弟は己刃の目の前でタナトスに蹂躙され、命を失い、己刃は使徒となった。
だが、あの時己刃が抱いたのは、タナトスという存在への憎悪、目の前の理不尽への怒り、破壊衝動だけだった。
朔耶という事例を目の当たりにし、今更に思ってしまう。
彼のように、弟を生かしたいと思うことができていれば、と。
そのことで自分が酷く自己中心的な人間に思えて、朔耶に対する引け目を抱く部分も幾許かある。
しかし、だからこそ、朔耶を全力で助けなければならない。
そもそも彼から彼女を奪ったのは自分の弱さだ。
きっとそうすることがそのことだけでなく、弟に対する僅かばかりの償いにもなるはずだ。
何より、それをなすのは使徒として当然の役目なのだから。
「おっと、己刃、時間は?」
少しの沈黙の後、晶が思い出したように尋ねてくる。
「後、二分ぐらいかな」
「そうか。では、戻るとしよう。続きはまた、放課後だ」
晶はそれだけ言うと己刃に背を向け、軽く駆けて自分の教室へと向かっていった。
彼女が教室に入っていくのを見届けてから、己刃も自分の教室に入った。
席は廊下側一番前なので、すぐに席に着くことができる。
アノミアの継続時間で設定された砂時計は、間もなく全ての砂が落ちる。
それを確認して己刃は砂時計を机の中にしまった。
次の瞬間、世界の色から穢れが取り払われ、周囲にクラスメイトの姿が戻ってくる。
教団に立つ教師は、アノミアに入る直前の状態から続きの言葉を発し始める。
一瞬、何の話をしていたところだったかと戸惑うが、黒板とノート、そして耳に届く教師の言葉からすぐに思い出せる。この辺は慣れだ。
だが、やはり不慣れだとすぐに適応するのは難しいだろう、と初めて元いた場所でアノミアの終わりを迎える後輩を思い浮かべる。
己刃は彼が混乱せずに授業に再び集中できているか心配し、そう考えている自分こそ集中できていないな、と軽く苦笑した。
そうしてから今が授業中だったことを思い出して少し慌てるが、幸い教師も隣の席のクラスメイトも黒板の方を向いていて気づかれなかったようだ。
そんな自分を叱咤するように、集中集中、と心の中で呟いて、己刃は板書を写す手を再び進め始めた。
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