αφεσις

青空顎門

文字の大きさ
上 下
21 / 38

二 使徒達――新たな日常⑥

しおりを挟む
「それで、朝日奈君はどうだった?」

 三階の三年A組の教室の前で己刃は晶に尋ねた。
 この二つ先の教室が晶のC組だが、アノミアが終わるまで後五分程度ある。
 なので、訓練の成果を聞こうと考えたのだ。

「そうだな。通常状態は全く下の下だが、変身状態は中の下ぐらいにはなるか」

 中の下、ということは位階で考えると『能天』ぐらい。
 グノーシスの使徒達を相手にするのは無理だろうが、自力で逃げることは不可能ではない程度か。

「変身状態は通常状態の約一.四倍ぐらい全体的に能力が高まるようだな」
「約一.四倍?」

 操る火球の速度などから算出したものなのだろうが、その中途半端さに引っかかる。
 そう言えば、朔耶の自己申告によれば彼が手にした千影のデュナミスは全体の三分の一程度。そして、己刃が回収した欠片は一割程度。つまり合計四割強。
 この符合に何か意味はあるのだろうか。

「どうした?」
「う、ううん。何でもない」

 確証はない。偶然そうなった可能性もある。
 結論はタナトスからデュナミスを奪い返してからにすればいい。

「しかし――」

 晶は決まりが悪そうな笑みを浮かべ、廊下の天井を見上げながら言葉を続けた。

「今日は少しやり過ぎたかな」

 確かに最後の方は炎の集中豪雨のような状態だった。
 朔耶もほとんど立っていられなくなり、芋虫のように転がることしかできなくなっていたし。

「やはり、私は朔耶が羨ましいのだろうな。不幸の比較など愚かだと思うが、やはり失った者を取り戻せる可能性があるだけ、本当に羨ましい」

 晶の父親はその存在を世界から忘却されていたらしい。
 つまりアノミアの中で亡くなった、ということ。
 彼女はそれを使徒になったその時のアノミアで知ったのだ。
 長い間、父親がいないことを全く疑問に思わなかった、と悲しげに自嘲しながら語っていたことが思い出される。

「しかし、同時に朔耶の望みを叶えさせてやりたい。それは私の確かな本心だ」

 己刃はその言葉を聞き、自分がアノミアに初めて入った時のことを思い出して頷いた。
 四年前のあの時、死の欲動が溢れ出た原因の一つは敬愛する祖父が亡くなったことだ。
 あの時のことを思い出すと未だに胸が締めつけられる。
 アノミアに落ちる瞬間、己刃はたまたま幼い弟の手を握っていた。
 そのせいで彼を道連れにしてしまったのだ。
 結果、弟は己刃の目の前でタナトスに蹂躙され、命を失い、己刃は使徒となった。

 だが、あの時己刃が抱いたのは、タナトスという存在への憎悪、目の前の理不尽への怒り、破壊衝動だけだった。
 朔耶という事例を目の当たりにし、今更に思ってしまう。
 彼のように、弟を生かしたいと思うことができていれば、と。
 そのことで自分が酷く自己中心的な人間に思えて、朔耶に対する引け目を抱く部分も幾許かある。
 しかし、だからこそ、朔耶を全力で助けなければならない。
 そもそも彼から彼女を奪ったのは自分の弱さだ。
 きっとそうすることがそのことだけでなく、弟に対する僅かばかりの償いにもなるはずだ。
 何より、それをなすのは使徒として当然の役目なのだから。

「おっと、己刃、時間は?」

 少しの沈黙の後、晶が思い出したように尋ねてくる。

「後、二分ぐらいかな」
「そうか。では、戻るとしよう。続きはまた、放課後だ」

 晶はそれだけ言うと己刃に背を向け、軽く駆けて自分の教室へと向かっていった。
 彼女が教室に入っていくのを見届けてから、己刃も自分の教室に入った。
 席は廊下側一番前なので、すぐに席に着くことができる。
 アノミアの継続時間で設定された砂時計は、間もなく全ての砂が落ちる。
 それを確認して己刃は砂時計を机の中にしまった。
 次の瞬間、世界の色から穢れが取り払われ、周囲にクラスメイトの姿が戻ってくる。
 教団に立つ教師は、アノミアに入る直前の状態から続きの言葉を発し始める。
 一瞬、何の話をしていたところだったかと戸惑うが、黒板とノート、そして耳に届く教師の言葉からすぐに思い出せる。この辺は慣れだ。

 だが、やはり不慣れだとすぐに適応するのは難しいだろう、と初めて元いた場所でアノミアの終わりを迎える後輩を思い浮かべる。
 己刃は彼が混乱せずに授業に再び集中できているか心配し、そう考えている自分こそ集中できていないな、と軽く苦笑した。
 そうしてから今が授業中だったことを思い出して少し慌てるが、幸い教師も隣の席のクラスメイトも黒板の方を向いていて気づかれなかったようだ。
 そんな自分を叱咤するように、集中集中、と心の中で呟いて、己刃は板書を写す手を再び進め始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

婚約破棄からの断罪カウンター

F.conoe
ファンタジー
冤罪押しつけられたから、それなら、と実現してあげた悪役令嬢。 理論ではなく力押しのカウンター攻撃 効果は抜群か…? (すでに違う婚約破棄ものも投稿していますが、はじめてなんとか書き上げた婚約破棄ものです)

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

【完結】染髪マン〜髪色で能力が変わる俺はヒーロー活動を始めました〜

仮面大将G
ファンタジー
金髪にしたらヒーローになっちゃった!? 大学生になったから髪を染めてみよう。そんな軽い気持ちで美容室に行った染谷柊吾が、半分騙されてヒーロー活動を始めます。 対するは黒髪しか認めない、秘密結社クロゾーメ軍団!黒染めの圧力を押しのけ、自由を掴み取れ! 大学デビューから始まる髪染めヒーローファンタジー! ※小説家になろう様、カクヨム様、ソリスピア様でも同作品を掲載しております。

処理中です...