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青空顎門

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二 使徒達――新たな日常⑤

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 日常に決定的な亀裂が入った日の翌日。
 千影がいないこと以外は普段通りだったのも午前九時まで。
 その瞬間、世界は非日常へと移行してしまった。それこそが朔耶の新たな日常だと通告するように。
 世界の色に穢れが見て取れるのは、ここがアノミアである証拠だ。
 晴天であるにもかかわらず、空の青にも太陽そのものにもどこか違和感を抱いてしまう。
 腕時計を確認すると午前九時丁度を示したまま停止している。
 世界標準時で午前零時が基準のため、東経一三五度の地方時に属する日本でアノミアが始まるのは午前九時だ。

「アノミアが始まってから、大体一時間。今日は異変、なさそうだね」

 己刃は小さな砂時計を確認しながら、ほっと息を吐いた。
 そんな彼女の様子に朔耶は緊張を和らげた。晶から感じられていた緊張感も若干薄らいでいる。
 もし迷い子がアノミアに入り込んでいたなら、大抵最初の一時間の内にタナトスが具現化し、その気配を察知できるらしい。
 己刃によれば、それ以外にも魂が砕ける気配、同じ使徒の気配、野良タナトスの気配などは分かるとのことだ。
 しかし、朔耶は学校の敷地内を巡回している光輝と智治の気配を察知できなかった。
 その理由は二人も分からないらしいが……。
 特殊な能力に特化しているからかもしれない、と己刃は推測していた。

 朔耶は感じ取れずにいたが、街を巡回しているのは己刃と晶だけではないそうだ。
 街にあるアフェシス派の教会には使徒が常にいるのだとか。
 しかし、彼等は己刃達に比べて力が弱いため、集団で巡回を行っているらしい。加えて管轄も狭く、学校近辺は己刃と晶だけで広域をカバーしているとのことだ。
 昨日は彼等の襲撃のために己刃は学校に残ったが、晶は街での迷い子の発生に備えて一人巡回を任されていたらしい。
 逆に学校内で朔耶と千影という迷い子が生じ、完全に裏目に出た形になってしまったが。

「とりあえず学校に戻るとするか」

 晶の提案に従い、三人並んで静寂に包まれた街中を学校へと戻っていく。
 三人が横に並ぶと歩道の幅程のスペースを取るが、このアノミア内では迷惑をかける相手もいない。
 今日は事前に己刃から説明があったように、本来なら別々に街を巡るところを朔耶のために三人一緒での巡回だ。この区域で複数の場所に同時にタナトスが発生しなかったのは幸運だろう。
 彼女達が言うには、今日は統計的に見て迷い子が出にくい日らしいのだが。

「さて」

 学校の校門を通り抜け、高校側校舎の奥にあるグラウンドの中心まで来たところで晶が立ち止まって振り返って言う。

「アノミアが終わるまでまだ一時間以上ある訳だが――」

 晶は己刃に視線を向けた。と、己刃は頷いてその場から離れていった。

「朔耶はグノーシスの使徒に対する戦闘能力は皆無と言っていい。だが、実際に奴等と出くわせばそうも言っていられない。だから、とにかく私達の足手まといにならないように逃げる訓練をしようと思う」

 そう言いながら晶が右手を前に突き出すと、その先から紅に染まった火球が生まれた。

「え、ちょ、ちょっと待って下さい!」
「敵は待たん!」

 これが晶の力か、随分とスタンダードだな、と思う間もなく、彼女はさらに二つ、三つと火球を生み出し、物凄い勢いで投げつけてきた。
 咄嗟のことだったため、朔耶は両手で顔を守るようにしたままその場に立ち尽くしてしまった。
 しかし、熱さも衝撃も訪れない。恐る恐る手を下ろして見ると、一つの火球は直前で止まり、空中でゆらゆらと揺らめいていた。
 他の二つは正三角形を描くように朔耶を取り囲んでいる。

「こら、朔耶!! 受けようとするな!! 回避しろ!! 実戦で敵の攻撃を真正面から受け止めたりしたら、下手をすれば死ぬぞ!!」

 目の前にある火球の先では、目を吊り上げた晶が地面をだんだんと踏んで怒っていた。

「特撮のように破裂音がして火花が散るだけで済む訳ではないのだ! 一撃一撃が命に関わると思え!」

 その喩えと彼女の子供っぽい動作のせいで、一瞬和やかな気分になりかける。
 が、その目の本気具合に朔耶は軽く恐怖も覚えた。

「いいか! 次は止めんからな」
「ま、待って――」
「敵は待たんと言っているだろう!」

 とは言いながら、次に襲いかかってきた火球は先程より飛来する速度は遅かった。
 それでも本来の身体能力では無理な速さだったが、アノミアの中だからか、何とか回避に成功する。
 やはり精神世界であるため、多少肉体的な枷は外れるようだ。
 しかし、無意識に持つ現実での常識のせいで余りにも人間離れした挙動は難しいようだが。

「そうだ。次はもっと速く行くぞ」

 徐々に上がっていくスピード。
 更に三つの火球が連係を取り始め、避け辛くなる。

「どうした。これぐらいは簡単に避けられねば奴等に殺されてしまうぞ!」

 位階は力の強さを示し、そのままアノミアでの身体能力の高さをも示す。
 晶が避けられて当然のその速度も、単純な力では最下位に属するらしい朔耶には難しかった。
 やがて完全に追い詰められ、情けなくも地面に尻餅をついてしまう。

「ほ、本当にちょっと待って下さい」
「全く、情けない奴だな。さっさと立て」

 晶に呆れられながら、よろよろと立ち上がる。

「あ、あの。俺も力を使ってみていいですか?」
「ん? しかし、お前の力は精神と魂の保管だろう?」
「多分そうですけど、あの時、力を使った方がよく動けたように思うので」

 実際、今までの訓練での挙動では、昨日のように敵の使徒が放った氷塊を察知して、それを避け切ることができたとは思えない。
 あの状態の方が色々と動けるようになるのではないだろうか。

「そうか。なら、やってみろ」
「はい。……止揚転身」

 特撮ヒーローのようにではなく、口の中で小さく呟くようにその言葉を紡ぐ。
 趣味が似ているらしい晶しかいないのならともかく、己刃が近くにいるのにそれを高らかに叫ぶのはさすがに躊躇われる。
 ともかく、その言葉を口にした瞬間、昨日と同じように銀色の衝撃波が広がり、晶と己刃は強い風から身を守るように眼前に手をかざした。
 それが治まってから自分自身の視界に映る体を確認すると、やはり白銀に輝く装甲によって全身が覆われていた。

「お、おおお、朔耶! お前の力にはそんな機能もあったのか! 全く、この私に黙っているとはお前も人が悪いな」

 晶は興奮で訓練のことなど忘れたように駆け寄ってきて、朔耶の肩を守る装甲をばんばんと叩いた。
 その瞳は子供のように爛々と輝いている。
 しかし、それ以上に輝きを放つものがあった。形容できない美しい光を放つ何かが晶の胸の辺りに見て取れたのだ。恐らく、それこそが精神の光なのだろう。

「これはジン・レーベンだな。個人的にはジン・リーベやジン・ジークも好きだが、やはり主人公は外せない。しかし、外見は本物以上だな。特撮用のスーツよりもよくできている気がするぞ。実にリアルだ」

 中に入るための機構や視野の確保が必要ないのだから当然だろう。
 特撮番組では、それをカムフラージュするのもスタッフの腕の見せ所なのだが。
 晶は興味津々という感じで、朔耶の周りを背伸びしたりしゃがんだりしながら、全身を舐めるように見回していた。
 そこまで熱心に見られるとさすがに少し、いや、かなり恥ずかしい。

「パラダイムブレイカーは撃てるのか?」
「い、いえ、さすがにそこまでは……」
「そうか。残念だな。まあ、設定上仕方がないか」

 心の底からそう思っているような声を出す晶。
 パラダイムブレイカーとはジン・ヴェルトの主人公の技で、他のジン達の力を拳に集めて相手を穿つ必殺の一撃だ。ただし、その性質上一人では撃てない。
 とは言え、設定がそうだから使えない訳ではない、だろう。
 姿形しか似ていないことは朔耶自身も重々理解している。

「うーむ。もしお前と似た能力に目覚める者がいれば、いや、あるいは私達の――」
「晶。訓練をしているんでしょ?」

 真剣に考え込み始めた晶に、呆れたように己刃が声をかけてくる。

「お、おお?」

 晶は彼女の言葉で我に返ったようで、頬をかきながら誤魔化しの笑みを浮かべた。

「すまない。つい。すぐ訓練に戻るから、己刃は探知を続けていてくれ」
「はいはい。真面目にね。アノミアでしか力を使った訓練はできないんだから」

 そして己刃は再び目を閉じる。
 彼女は昨日の彼等の監視を行っているのだ。
 ふと見ると、己刃の胸にも晶と同様の光が煌いていた。が、二人は互いのそれに気づいていない。
 そもそも見えてすらいないようだ。
 この変身状態でしか見えないものなのだろう。

「ああ。分かっている」

 晶は元の立ち位置に戻り、再び右手を開いて火球を三つ作り出した。

「さて、気を取り直して……行くぞ!」

 そんな晶のかけ声を合図に、速度をさらに増したそれらが襲いかかってくる。

「これなら――」

 速度の増加ははっきりと感じられる。
 しかし、朔耶はそれをしっかりと目で追うことができていた。
 反射神経の向上と共に身体能力も高まっているらしく容易く避けられる。

「ほう。成程、確かに随分とよくなったな。しかし――」

 本当の地獄はそこからだった。
 晶はまだまだ速度を抑えていたらしく、攻撃はこの状態でも回避不可能な領域に入っていった。
 それでも彼女は、やれ根性だ、勘だ、と一昔前の特撮の特訓回の如く無茶を言う。
 巧みな火球の操作で、一応は直撃しないようにしてくれているようだった。
 が、逆に朔耶をいたぶるように複数の火球が動く。
 意外とサディスティックな面もあるのかもしれない。

「晶、そろそろアノミアが終わるよ」
「む、そうか。なら、今日はここまでだ。中々頑張ったな、朔耶」
「は、はい」

 精神世界であるため身体的な疲労はないはずだが、妙な疲れが残る。
 難解な問題を考え続けた後の疲労という感じか。
 そのせいかどうかは分からないが、精神の光もいつの間にか見えなくなっている。

「疲れたか?」
「まあ、さすがに」
「だろうな。私も慣れるまでは相当苦労したものだ」

 確かに不慣れなことも疲労の要因の一つかもしれない。
 とは言え、昨日までの非日常が今日からの日常となるのだ。
 その全てを受け止めていかなければならない。

「さ、教室に戻ろう?」

 己刃に頷き、三人揃って昇降口に向かう。
 後は教室の自分の席でアノミアが終わるのを待つだけだ。
 他の場所にいても記憶が改竄されるが、その方が自分自身の記憶との齟齬が小さくて済むため、余程のことがなければそうしているらしい。

「それじゃ、放課後になったらあの部屋に来てね?」
「はい。分かりました」
「では、またな。朔耶」

 高校側の校舎に入り、階段の二階部分に至ったところで二人と別れ、朔耶は自分の教室に戻った。
 そして、誰もいない教室で自分の席に座り、独りアノミアが終わるその瞬間を静かに待っていた。
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