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一 非日常への陥穽③
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放課後。朔耶は千影と和也、そして彼の妹である陽菜と共に帰宅の途についていた。
進行方向に対して左から和也、陽菜、朔耶、千影という順だ。
この時乃宮市は県庁所在地である隣の市のベッドタウンという色が強く、特定の地区に住宅が集中しているためか皆家が近い。そのため、友人の家に遊びに行くのは日常茶飯事と言っていい。
「朔兄、今日はありがとね」
そう言って、にぱっと可愛らしい笑顔を見せるのは陽菜。
朔耶の顔を覗き込むように動いたため、二ヶ所でまとめられた長めの黒髪、俗に言うツインテールが大きく揺れる。
綺麗好きな性格の表れか新品のような純白のブラウスに、深緑を基調としたチェックのプリーツスカート。胸元を彩るリボンは青色一色。
制服の基本的な部分は当然千影と同じだが、陽菜はまだ中学二年生であるため、高校生の証である白いラインがリボンに入っていない。
すらりと伸びた足を包む黒いオーバーニーソックスも千影の白いシンプルな靴下とは違うが、それは陽菜自身の好みだろう。
そんな彼女が使う朔兄という呼び名は、朔耶達が中学生だった頃、まだ小学生だった陽菜がいつの間に使っていたものだ。
当時はよく和也の家に行き、陽菜とも一緒に遊ぶことが多かったため、兄のように慕ってくれているのかもしれない。
「全く、お前が予約設定を弄ったりするから……」
「何よー。そうだとしても、お兄ちゃんがちゃんと確認してくれればいい話でしょ? 陽菜はおっちょこちょいだし、機械、苦手なんだから!」
「こいつ、開き直った上に人のせいにしやがったよ」
そして、舌打ちする和也と不満そうにむくれる陽菜。相変わらず仲がいい兄妹だ。
それを口に出すと二人声を揃えて否定した上に同じ感じで怒るのだが。
それでも、朔耶は一人っ子であるため羨ましく思っていた。
実のところ朔兄という呼び名はかなり気に入っている。
「それにいざとなったら朔兄がいるもん」
くるっと振り向いて、笑顔で腕を絡めようとしてくる陽菜。
しかし、いつの間にか音もなく間に入っていた千影によって腕を掴まれ、完璧に防がれていた。
「ちょ、千影先輩、放して下さい」
「駄目。朔耶君が迷惑する」
「そ、そんなの、千影先輩が決めることじゃないです!」
むっとしたように千影を睨む陽菜と、そんな陽菜の目を冷たい瞳で見据える千影。
両者の間には火花でも散っていそうな雰囲気がある。
掴まれている腕、掴んでいる腕、双方に相当の力が込められているようでぷるぷると震えていた。
二人が並ぶと背丈が同じぐらいであるためか、体つきの違いがよく見て取れる。
端的に言えば、千影は全くの貧乳で、陽菜は年齢から考えると中々の巨乳。
比較対象がすぐ傍にいるためか、それが際立っていた。
「先輩は同じクラスで、しかも隣の席なんですから、少しぐらいいいじゃないですか」
「それとこれとは関係ない」
朔耶は剣呑な空気の濃くなっていく二人の傍から静かに脱出して、和也の隣に逃げた。
「また始まったな」
どこか楽しげに言った和也がさらに言葉を続ける。
「いわゆる女と女の戦い、だな。何を賭けてのかは説明するまでもないよな?」
さすがにここまで露骨であれば、どんな朴念仁でもさすがに気づくはずだ。
しかし、現実では相手の気持ちを断定できる訳もなく、自意識過剰な気もして朔耶は曖昧な表情を浮かべることしかできなかった。
「陽菜が機械音痴を治そうとしないのも、お前のせいだろうな。お前、昔陽菜が困ってた時に懇切丁寧に教えてやっただろ? あれであいつ味を占めたんだろうよ」
二人を見ると陽菜は感情を表に出して、千影は表面的には平静を装って論戦を繰り広げている。
その内容はいつの間にか、過去の思い出話自慢にまで及んでいた。
妙に美化されているように感じるのは気のせいではないだろう。
突っ込むと確実に藪蛇になるので、朔耶はこの場はスルーすることにしておいた。
「お前もいい加減どっちかに決めちまえよ。そうじゃないといつまでもあれ、それこそ顔を合わせる度に続くぞ? それに、選ばれなかった方の傷が変に深くなるだけだ」
二人から告白されている訳でもなし、まだそのレベルの話ではない気がするが、それでも和也の話は理解できる。とは言え、自分から一歩踏み出すのは中々難しかった。
何分フィクションからの机上の知識は多少あっても、実際の経験が全くないのだから。
理由は至極単純かつ明瞭で、朔耶が特撮をこよなく愛する人間だったからだ。
と言っても、ステレオタイプのオタクのような突き抜けたレベルにある訳ではない。
友人関係はそれなりだった。
しかし、やはりその趣味が積極的に異性に好意を持たれる要素になるかと言えば甚だ疑問だ。
つまりはそういうことで、そもそもこの例外二人と同じレベルまで女子と親密になったことはない。
当然、恋愛経験があろうはずがない。
「俺としてはあの馬鹿の貰い手になってくれると嬉しいけどな」
和也は半ば本気の声色でそう言ったが、それはないだろうな、と朔耶は思っていた。
彼も内心ではあり得ないと考えているが故の発言だったのかもしれない。
もし陽菜がそれ程の好意を持ってくれているとしても、朔耶からすれば彼女は妹分以上にはならない。
何より胸に手を当てて考えてみれば、陽菜よりも千影に対する気持ちの占めるウエイトの方が確かに大きいのだから。
陽菜自身、丁度年上に憧れる年頃で、単に他に年上が周囲にいないから手近な相手を選んだに過ぎないのではないか。などと、言い訳染みた理由づけを考えてしまう辺り、自分の気持ちのありかを示しているように朔耶には感じられた。
だから、二人の本当の思いはともかくとしても。
自分の答えはある程度出ているのだから、すぐにでも行動に出るべきなのだと思う。
フィクションでよくあるように優柔不断の挙句、最悪の結果を招くようなことは避けなければならない。
物語から得られる教訓は、生かさなければ意味はないのだ。
心の奥に微かに存在する、陽菜を傷つけたくないという思いは自意識過剰なものである上、誰かを傷つける自分にはなりたくないという偽善的な感情に他ならないのだから。
しかし、そこまで理解していても一歩を踏み出せないのは経験不足のせいか、それとも根っこのところで根性なしの臆病者だからなのか。
軽く嘆息してしまうが、和也は全く気づいた様子もなく、あるいは気づいていながら朔耶の反応を楽しんでいるのか陽菜の話を続けていた。
「何せ、この間のテストでもまた成績が落ちてたし。ありゃ、まともな大学には入れないぞ。本当、何でこの学校に受かったのか未だに謎だな。実は金――」
和也の言葉の続きは、その頭を叩かれる音と彼の、ぐお、という呻き声にかき消されてしまった。
その衝撃で和也の眼鏡が飛んでいき、遠くの地面に落ちたが、余程頑丈に作られているのか傷がついた様子はなかった。
「もう! お兄ちゃん、朔兄に何言ってるのよ!」
見ると、羞恥で顔を真っ赤にした陽菜が和也の後ろに立っていた。
「陽菜よりちょっと成績がいいからって調子に乗って!」
どうやら千影との論争は一旦終了したようだ。
しかし、その苛立ちはまだ残っているのか、和也は激しい追い討ちを受けていた。
実に激しい兄妹のスキンシップだ。
「陽菜ちゃん、地獄耳だね。悪口に反応したみたいだった」
「そ、そっか」
陽菜の悪口を言う機会はないだろうが、一応覚えておこうと朔耶は思った。
「あの二人は放っておいて、わたし達は行こ?」
そう言って本当に二人を無視して歩き出した千影は、さりげなく朔耶の右手を取っていた。
彼女に手を引かれては無理に留まるような真似もできず、結果その場から遠ざかってしまう。
「って、朔兄、待ってよ!」
その声と共に懸けてくる足音が聞こえ、左腕に軽い衝撃が来る。
次いで朔耶は柔らかい感触を受けた。
その左手を見ると、陽菜が今度こそ腕を絡めてきていた。
千影に邪魔されずに目的を達せたことが嬉しいのか彼女は満足そうだ。
そんな陽菜に苦笑しつつ、和也はどうしたのか、と振り返る。
すると、彼は陽菜とは対照的にぶすっとした顔ですぐ後ろをついてきていた。
表面的にダメージがなさそうに見えるのは、慣れているからなのだろう。
そんな暁兄妹を見比べていると、右手を握り締めていた千影の力が陽菜に対抗するように強くなる。
それを意識すると今正に両手に花状態であることに気づいてしまう。
そのせいで朔耶は家に着くまでの間、周囲に対する羞恥と内面の動揺を二人に悟られないようにするので異様な疲労を感じることになってしまった。
進行方向に対して左から和也、陽菜、朔耶、千影という順だ。
この時乃宮市は県庁所在地である隣の市のベッドタウンという色が強く、特定の地区に住宅が集中しているためか皆家が近い。そのため、友人の家に遊びに行くのは日常茶飯事と言っていい。
「朔兄、今日はありがとね」
そう言って、にぱっと可愛らしい笑顔を見せるのは陽菜。
朔耶の顔を覗き込むように動いたため、二ヶ所でまとめられた長めの黒髪、俗に言うツインテールが大きく揺れる。
綺麗好きな性格の表れか新品のような純白のブラウスに、深緑を基調としたチェックのプリーツスカート。胸元を彩るリボンは青色一色。
制服の基本的な部分は当然千影と同じだが、陽菜はまだ中学二年生であるため、高校生の証である白いラインがリボンに入っていない。
すらりと伸びた足を包む黒いオーバーニーソックスも千影の白いシンプルな靴下とは違うが、それは陽菜自身の好みだろう。
そんな彼女が使う朔兄という呼び名は、朔耶達が中学生だった頃、まだ小学生だった陽菜がいつの間に使っていたものだ。
当時はよく和也の家に行き、陽菜とも一緒に遊ぶことが多かったため、兄のように慕ってくれているのかもしれない。
「全く、お前が予約設定を弄ったりするから……」
「何よー。そうだとしても、お兄ちゃんがちゃんと確認してくれればいい話でしょ? 陽菜はおっちょこちょいだし、機械、苦手なんだから!」
「こいつ、開き直った上に人のせいにしやがったよ」
そして、舌打ちする和也と不満そうにむくれる陽菜。相変わらず仲がいい兄妹だ。
それを口に出すと二人声を揃えて否定した上に同じ感じで怒るのだが。
それでも、朔耶は一人っ子であるため羨ましく思っていた。
実のところ朔兄という呼び名はかなり気に入っている。
「それにいざとなったら朔兄がいるもん」
くるっと振り向いて、笑顔で腕を絡めようとしてくる陽菜。
しかし、いつの間にか音もなく間に入っていた千影によって腕を掴まれ、完璧に防がれていた。
「ちょ、千影先輩、放して下さい」
「駄目。朔耶君が迷惑する」
「そ、そんなの、千影先輩が決めることじゃないです!」
むっとしたように千影を睨む陽菜と、そんな陽菜の目を冷たい瞳で見据える千影。
両者の間には火花でも散っていそうな雰囲気がある。
掴まれている腕、掴んでいる腕、双方に相当の力が込められているようでぷるぷると震えていた。
二人が並ぶと背丈が同じぐらいであるためか、体つきの違いがよく見て取れる。
端的に言えば、千影は全くの貧乳で、陽菜は年齢から考えると中々の巨乳。
比較対象がすぐ傍にいるためか、それが際立っていた。
「先輩は同じクラスで、しかも隣の席なんですから、少しぐらいいいじゃないですか」
「それとこれとは関係ない」
朔耶は剣呑な空気の濃くなっていく二人の傍から静かに脱出して、和也の隣に逃げた。
「また始まったな」
どこか楽しげに言った和也がさらに言葉を続ける。
「いわゆる女と女の戦い、だな。何を賭けてのかは説明するまでもないよな?」
さすがにここまで露骨であれば、どんな朴念仁でもさすがに気づくはずだ。
しかし、現実では相手の気持ちを断定できる訳もなく、自意識過剰な気もして朔耶は曖昧な表情を浮かべることしかできなかった。
「陽菜が機械音痴を治そうとしないのも、お前のせいだろうな。お前、昔陽菜が困ってた時に懇切丁寧に教えてやっただろ? あれであいつ味を占めたんだろうよ」
二人を見ると陽菜は感情を表に出して、千影は表面的には平静を装って論戦を繰り広げている。
その内容はいつの間にか、過去の思い出話自慢にまで及んでいた。
妙に美化されているように感じるのは気のせいではないだろう。
突っ込むと確実に藪蛇になるので、朔耶はこの場はスルーすることにしておいた。
「お前もいい加減どっちかに決めちまえよ。そうじゃないといつまでもあれ、それこそ顔を合わせる度に続くぞ? それに、選ばれなかった方の傷が変に深くなるだけだ」
二人から告白されている訳でもなし、まだそのレベルの話ではない気がするが、それでも和也の話は理解できる。とは言え、自分から一歩踏み出すのは中々難しかった。
何分フィクションからの机上の知識は多少あっても、実際の経験が全くないのだから。
理由は至極単純かつ明瞭で、朔耶が特撮をこよなく愛する人間だったからだ。
と言っても、ステレオタイプのオタクのような突き抜けたレベルにある訳ではない。
友人関係はそれなりだった。
しかし、やはりその趣味が積極的に異性に好意を持たれる要素になるかと言えば甚だ疑問だ。
つまりはそういうことで、そもそもこの例外二人と同じレベルまで女子と親密になったことはない。
当然、恋愛経験があろうはずがない。
「俺としてはあの馬鹿の貰い手になってくれると嬉しいけどな」
和也は半ば本気の声色でそう言ったが、それはないだろうな、と朔耶は思っていた。
彼も内心ではあり得ないと考えているが故の発言だったのかもしれない。
もし陽菜がそれ程の好意を持ってくれているとしても、朔耶からすれば彼女は妹分以上にはならない。
何より胸に手を当てて考えてみれば、陽菜よりも千影に対する気持ちの占めるウエイトの方が確かに大きいのだから。
陽菜自身、丁度年上に憧れる年頃で、単に他に年上が周囲にいないから手近な相手を選んだに過ぎないのではないか。などと、言い訳染みた理由づけを考えてしまう辺り、自分の気持ちのありかを示しているように朔耶には感じられた。
だから、二人の本当の思いはともかくとしても。
自分の答えはある程度出ているのだから、すぐにでも行動に出るべきなのだと思う。
フィクションでよくあるように優柔不断の挙句、最悪の結果を招くようなことは避けなければならない。
物語から得られる教訓は、生かさなければ意味はないのだ。
心の奥に微かに存在する、陽菜を傷つけたくないという思いは自意識過剰なものである上、誰かを傷つける自分にはなりたくないという偽善的な感情に他ならないのだから。
しかし、そこまで理解していても一歩を踏み出せないのは経験不足のせいか、それとも根っこのところで根性なしの臆病者だからなのか。
軽く嘆息してしまうが、和也は全く気づいた様子もなく、あるいは気づいていながら朔耶の反応を楽しんでいるのか陽菜の話を続けていた。
「何せ、この間のテストでもまた成績が落ちてたし。ありゃ、まともな大学には入れないぞ。本当、何でこの学校に受かったのか未だに謎だな。実は金――」
和也の言葉の続きは、その頭を叩かれる音と彼の、ぐお、という呻き声にかき消されてしまった。
その衝撃で和也の眼鏡が飛んでいき、遠くの地面に落ちたが、余程頑丈に作られているのか傷がついた様子はなかった。
「もう! お兄ちゃん、朔兄に何言ってるのよ!」
見ると、羞恥で顔を真っ赤にした陽菜が和也の後ろに立っていた。
「陽菜よりちょっと成績がいいからって調子に乗って!」
どうやら千影との論争は一旦終了したようだ。
しかし、その苛立ちはまだ残っているのか、和也は激しい追い討ちを受けていた。
実に激しい兄妹のスキンシップだ。
「陽菜ちゃん、地獄耳だね。悪口に反応したみたいだった」
「そ、そっか」
陽菜の悪口を言う機会はないだろうが、一応覚えておこうと朔耶は思った。
「あの二人は放っておいて、わたし達は行こ?」
そう言って本当に二人を無視して歩き出した千影は、さりげなく朔耶の右手を取っていた。
彼女に手を引かれては無理に留まるような真似もできず、結果その場から遠ざかってしまう。
「って、朔兄、待ってよ!」
その声と共に懸けてくる足音が聞こえ、左腕に軽い衝撃が来る。
次いで朔耶は柔らかい感触を受けた。
その左手を見ると、陽菜が今度こそ腕を絡めてきていた。
千影に邪魔されずに目的を達せたことが嬉しいのか彼女は満足そうだ。
そんな陽菜に苦笑しつつ、和也はどうしたのか、と振り返る。
すると、彼は陽菜とは対照的にぶすっとした顔ですぐ後ろをついてきていた。
表面的にダメージがなさそうに見えるのは、慣れているからなのだろう。
そんな暁兄妹を見比べていると、右手を握り締めていた千影の力が陽菜に対抗するように強くなる。
それを意識すると今正に両手に花状態であることに気づいてしまう。
そのせいで朔耶は家に着くまでの間、周囲に対する羞恥と内面の動揺を二人に悟られないようにするので異様な疲労を感じることになってしまった。
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