涙はソラを映す鏡

青空顎門

文字の大きさ
上 下
35 / 35
エピローグ

流れ星

しおりを挟む
 再び起きてしまった落涙の日、天の崩落と名づけられたこの事件は、徐々に、だが確実に鎮静化へと向かっていた。
 真弥と共にシェルターから自宅に戻ることができたことが、その証拠の一つとなるだろう。
 天の崩落から早一週間。
 その事件は人々の体と心に深い傷を残しながらも、既に街にはその爪跡は残っていない。
 それは全てにおいてティアの分解再構成機能のおかげだが、被害の原因もまたティアなので螺希には皮肉としか思えなかった。

 何にせよ、今のところ混乱もなく過ごせているが、まだ街には緊張感が残っている。
 鳥型のグリーフという新たな脅威が周知のものとなったのだから当然だろう。とは言え、現状それらが大規模に襲ってくることはなく、一部が編隊を組んで現れることすらもないが。
 天橋立が塵と化して消えたあの瞬間、鳥類由来を含めた全てのグリーフがまるで指揮官を失って動揺し、連係の仕方を忘れてしまったかのように総崩れになった。とは、正規の拭涙師と合流し、無事に帰ってきた琥珀達の談だ。
 その話から推測するに、ラクリマはリンク機能によって連係し、人間の位置などの情報を共有していたらしい。中枢なき今、全く今更な情報だが。
 現在、学校はまだ休校状態にあるため、琥珀はその辺りについて考察しながら、鳥型グリーフの研究に没頭しているようだ。
 何でも区からそれらが嫌う何か、例えば音などを見つけるように要求されているそうで、琥珀は、そんな不確かなものより街全体をドームで包み込んでしまえ、と怒っていた。

 翠は無事に母親と再会できた。
 あの戦闘のすぐ後で満身創痍のぼろぼろの姿で会ったせいで、母親に無茶したことをこっぴどく叱られたようだが、最後には優しく抱き締められていた。
 そんな光景を前に様々な思いから螺希は目頭が熱くなったが、それは真弥も同じだったようだ。

 武人は超法規的措置のような形で仮の拭涙師としてグリーフと戦っている。
 琥珀の話によれば、彼はもう本職以上の力がある、とのことだった。
 そのため、別段心配する必要はないだろう。

 則行は職務を全うしている。
 区長として、この事態の完全な収拾のために尽力しているようだが、これは態々報告すべきことでもない。その役職に就く者として責任を果たすことは当然なのだから。

 そして螺希は今、自室の窓から空を眺めていた。
 旧時代から残る最後の軌道エレベーターは崩れ落ちてしまった。
 しかし、螺希は、それはそれでいいのだ、と思っていた。
 何故なら、見上げた空はきっと昔の人々が見ていたものと同じように、どこまでも広く澄み渡っているだろうからだ。
 とは言え、螺希がそう思っていても、かつての栄光を象徴していたあの天を貫く塔が崩壊した事実は、多くの人々に落胆を与えることになるに違いない。
 そんなことを考えながら、螺希は昔、軌道エレベーターがバベルの塔などと揶揄されていたことを思い出していた。

 それは旧約聖書、創世記に登場する塔の名前だ。
 伝説によれば、天に至る塔を作ろうとした人間の傲慢さに怒った神は、人々の言葉を混乱させて意思疎通を乱し、塔の建設を中止させたという。
 創世記には塔が崩壊したという明確な記述はないが、建設が止まれば必然塔の維持も不可能になる訳で、崩壊という結果に繋がることは想像に容易い。
 この伝説は進化、進歩という願望に囚われ、目の前にある大切なものを見失った人間への戒めの物語なのかもしれない。解釈はいくつかあれど、螺希はそう思った。
 いつしか言葉という道具に依存していた他者との繋がり。それを、正に言葉が通じなくなっただけで保てなくなり、それによって天に至る力までもが失われたのだ。
 これは、人と人との結束こそが全ての力の根幹にあることを示しているのではないだろうか。
 だから、もし言葉という道具を失って尚、一致団結して塔を完成させようとしていたなら、それをも止めるような真似は神もしなかったのではないかと思う。
 人間が得た知恵という力、そこから生み出される全ての技術。それがもし人々の結びつきを壊してしまうようなことがあれば、きっとその技術はバベルの塔の如く失われるに違いない。
 となれば、軌道エレベーターが塵となって消えたのは、自分達と穹路との、そして、この時代に生きる多くの人々の繋がりを壊そうとしたからだろう。
 螺希はそう考え、無性に寂しくなって大きく嘆息した。

「穹路……」

 たった一週間。されど一週間。穹路と過ごした日々も、穹路がいなくなってからの日々も客観的な時間としては変わらないはずなのに、しかし、全くの別物だった。
 心にぽっかりと穴が開いてしまったような虚無感。
 こんな気持ちになるのは両親を失った時以来のことだっただろうか。
 これは既に穹路が螺希の生活の一部となっていた証拠なのかもしれない。
 あるいは、何か別の感情が働いたからなのか。

 そんな螺希と同様に真弥もまたこの一週間、どことなく元気がなかった。
 穹路によく懐いていたのだから、当然と言えば当然だ。
 表面上は笑顔で、穹路のことを口にするようなこともないが、姉である螺希には無理をしているのが一目瞭然だった。

「お姉ちゃん、琥珀お姉ちゃんから電話みたいだよ」

 その真弥に呼ばれ、螺希はぼんやりとした思考から現実に引き戻された。
 やはり表情に翳りが見て取れる彼女からリビングに置きっ放しにしていた電話機能のみの携帯電話を受け取り、通話ボタンを押して耳に当てる。

『ああ、螺希? ちょっといい?』
「大丈夫。……どうしたの?」
『うん、ちょっと、ね。知り合いから聞いた話なんだけど……』

 どこか歯切れの悪い琥珀に螺希は黙って続きを促した。

『五日程前、だったかな。流れ星を見たんだって』
「別に流れ星ぐらい見えたって何の不思議もないでしょ?」

 何だそんなことか、と思って、少しばかり不機嫌な声を出してしまう。
 そんな螺希の態度に対して琥珀は訳知りな感じで苦笑した。

『それは、まあ、そうなんだけどね。少し気になったから、調べてみたの。そしたら、何でも第十三区の近くに落ちたらしいのよ』
「それだって、よくある、とは言えないかもしれないけれど、おかしい話じゃない」

 ある程度の大きさの小天体であれば、燃え尽きず地上まで落下することは可能性として当然あり得ることだ。それが話題になることもままある。

『まあ、ここまでは、ね。でも、調査報告によると隕石は発見できなかったんだって。隕石としては結構な大きさのものが落ちた形跡があったのに。欠片すら、ね。まるで、その場からいなくなったみたいに』
「え?」

 琥珀の言葉に心臓が跳ねる。それは、もしかしたら――。

『螺希、最初に言ってたでしょ? 穹路君は空から降ってきたって。だから、そういうことなのかなって』
「琥珀……」
『螺希を混乱させちゃうかなと思って、話すのちょっと躊躇ったけど、やっぱり伝えといた方がいいかと思って』
「うん……ありがとう、琥珀」
『いいって。ちょっとでも元気が出たなら。じゃ、私は研究が待ってるから。またね』

 いつも自分を気にかけてくれる大切な幼馴染にもう一度だけ感謝の意を伝えて、螺希は電話を置いた。そして、傍でその様子をぼんやりと眺めていた真弥に振り返る。

「真弥。ちょっと秤を持ってきて」
「え、秤? そんなの、どうするの?」
「いいから」

 真弥は不審そうに首を傾げながら部屋を出ていった。それに続いて、螺希もリビングへと急いだ。そこに真弥がミリ単位まで計れる電子天秤を持ってくる。

「真弥のティアを、そこに置いて」

 その電源を入れながら真弥に言う。

「お姉ちゃん、もしかして――」
 それだけで真弥は螺希の意図を理解したようで、すぐさま胸元のネックレスから母親の形見であるティアを外して丁寧に秤の上に置いた。

「ティアの質量は変わってない。そして――」

 平らな面になるべく力が加わらないように置かれたティアは、しばらくするとある方向へと微かに動き始めた。しかし、それはやがて計量皿の縁に行く手を遮られ、動きを止めてしまう。

「この方角には十三区がある」
「これって……お姉ちゃん!」

 久しぶりに見る花が咲いたような真弥の笑顔に、螺希もまた自然と表情が綻んだ。

「穹路に貸したティアとこのティアは引き合う。でも、質量が変わってないということは、あのティアは地表を基準に上方にも下方にもないということ。そして、普通のティアは当然単体では大気圏を突破できずに燃え尽きるから――」
「お兄ちゃんはお姉ちゃんのティアを持って、このティアが動いた方向にいる!」

 真弥の答えにはっきりと頷く。
 螺希は穹路の無事を信じられる一つの根拠を得ることができ、心に開いていた穴が安堵の気持ちで塞がれていくのが自覚できた。

「お兄ちゃん、戻ってくるよね?」

 螺希は微かに不安げに見上げてくる真弥に微笑み、彼女の頭を久し振りに、穹路がしていたように優しく撫でた。

「大丈夫。二人で穹路と約束、したでしょ? それに、お父さんの形見のティアを返して貰わないといけないし」
「もう。お姉ちゃん、ここにはわたししかいないんだから、素直に帰ってきてくれるって信じてるって言えばいいのに」

 心細そうな表情を一転させて意地悪そうに笑ってそんなことを言う真弥に、螺希は思わず苦笑してしまった。

「この家がこの時代で穹路の帰る場所なんだから、それは当然でしょ?」

 螺希はほんの少しだけ頬が熱くなるのを感じながらそう言って、母親の形見のティアを手に取った。そして、それをしっかりと両手で包み込み、穹路が無事に帰ってくることを強く祈りながら広くなったように感じるあの空を窓越しに見上げる。

「……信じてるから」

 そう小さく呟いた螺希の姿を、真弥は彼女らしい笑顔には少しだけ遠いもののニコニコと見詰めていた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

❤️レムールアーナ人の遺産❤️

apusuking
SF
 アランは、神代記の伝説〈宇宙が誕生してから40億年後に始めての知性体が誕生し、更に20億年の時を経てから知性体は宇宙に進出を始める。  神々の申し子で有るレムルアーナ人は、数億年を掛けて宇宙の至る所にレムルアーナ人の文明を築き上げて宇宙は人々で溢れ平和で共存共栄で発展を続ける。  時を経てレムルアーナ文明は予知せぬ謎の種族の襲来を受け、宇宙を二分する戦いとなる。戦争終焉頃にはレムルアーナ人は誕生星系を除いて衰退し滅亡するが、レムルアーナ人は後世の為に科学的資産と数々の奇跡的な遺産を残した。  レムールアーナ人に代わり3大種族が台頭して、やがてレムルアーナ人は伝説となり宇宙に蔓延する。  宇宙の彼方の隠蔽された星系に、レムルアーナ文明の輝かしい遺産が眠る。其の遺産を手にした者は宇宙を征するで有ろ。但し、辿り付くには3つの鍵と7つの試練を乗り越えねばならない。  3つの鍵は心の中に眠り、開けるには心の目を開いて真実を見よ。心の鍵は3つ有り、3つの鍵を開けて真実の鍵が開く〉を知り、其の神代記時代のレムールアーナ人が残した遺産を残した場所が暗示されていると悟るが、闇の勢力の陰謀に巻き込まれゴーストリアンが破壊さ

鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴
ファンタジー
歪なる怪物「害獣」の侵攻によって緩やかに滅びゆく世界にて、「アーマメントビースト」と呼ばれる兵器を操り、相棒のアンドロイド「カルマ」と共に戦いに明け暮れる主人公「真継雪兎」  ある日、彼はとある任務中に害獣に寄生され、身体を根本から造り替えられてしまう。 乗っ取られる危険を意識しつつも生きることを選んだ雪兎だったが、それが苦難の道のりの始まりだった。 次々と出現する凶悪な害獣達相手に、無双の機械龍「ドラグリヲ」が咆哮と共に牙を剥く。  延々と繰り返される殺戮と喪失の果てに、勇敢で臆病な青年を待ち受けるのは絶対的な破滅か、それともささやかな希望か。 ※小説になろう、カクヨム、ノベプラでも掲載中です。 ※挿絵は雨川真優(アメカワマユ)様@zgmf_x11dより頂きました。利用許可済です。

INNER NAUTS(インナーノーツ) 〜精神と異界の航海者〜

SunYoh
SF
ーー22世紀半ばーー 魂の源とされる精神世界「インナースペース」……その次元から無尽蔵のエネルギーを得ることを可能にした代償に、さまざまな災害や心身への未知の脅威が発生していた。 「インナーノーツ」は、時空を超越する船<アマテラス>を駆り、脅威の解消に「インナースペース」へ挑む。 <第一章 「誘い」> 粗筋 余剰次元活動艇<アマテラス>の最終試験となった有人起動試験は、原因不明のトラブルに見舞われ、中断を余儀なくされたが、同じ頃、「インナーノーツ」が所属する研究機関で保護していた少女「亜夢」にもまた異変が起こっていた……5年もの間、眠り続けていた彼女の深層無意識の中で何かが目覚めようとしている。 「インナースペース」のエネルギーを解放する特異な能力を秘めた亜夢の目覚めは、即ち、「インナースペース」のみならず、物質世界である「現象界(この世)」にも甚大な被害をもたらす可能性がある。 ーー亜夢が目覚める前に、この脅威を解消するーー 「インナーノーツ」は、この使命を胸に<アマテラス>を駆り、未知なる世界「インナースペース」へと旅立つ! そこで彼らを待ち受けていたものとは…… ※この物語はフィクションです。実際の国や団体などとは関係ありません。 ※SFジャンルですが殆ど空想科学です。 ※セルフレイティングに関して、若干抵触する可能性がある表現が含まれます。 ※「小説家になろう」、「ノベルアップ+」でも連載中 ※スピリチュアル系の内容を含みますが、特定の宗教団体等とは一切関係無く、布教、勧誘等を目的とした作品ではありません。

惑星保護区

ラムダムランプ
SF
この物語について 旧人類と別宇宙から来た種族との出来事にまつわる話です。 概要 かつて地球に住んでいた旧人類と別宇宙から来た種族がトラブルを引き起こし、その事が発端となり、地球が宇宙の中で【保護区】(地球で言う自然保護区)に制定され 制定後は、他の星の種族は勿論、あらゆる別宇宙の種族は地球や現人類に対し、安易に接触、交流、知能や技術供与する事を固く禁じられた。 現人類に対して、未だ地球以外の種族が接触して来ないのは、この為である。 初めて書きますので読みにくいと思いますが、何卒宜しくお願い致します。

関西訛りな人工生命体の少女がお母さんを探して旅するお話。

虎柄トラ
SF
あるところに誰もがうらやむ才能を持った科学者がいた。 科学者は天賦の才を得た代償なのか、天涯孤独の身で愛する家族も頼れる友人もいなかった。 愛情に飢えた科学者は存在しないのであれば、創造すればいいじゃないかという発想に至る。 そして試行錯誤の末、科学者はありとあらゆる癖を詰め込んだ最高傑作を完成させた。 科学者は人工生命体にリアムと名付け、それはもうドン引きするぐらい溺愛した。 そして月日は経ち、可憐な少女に成長したリアムは二度目の誕生日を迎えようとしていた。 誕生日プレゼントを手に入れるため科学者は、リアムに留守番をお願いすると家を出て行った。 それからいくつも季節が通り過ぎたが、科学者が家に帰ってくることはなかった。 科学者が帰宅しないのは迷子になっているからだと、推察をしたリアムはある行動を起こした。 「お母さん待っててな、リアムがいま迎えに行くから!」 一度も外に出たことがない関西訛りな箱入り娘による壮大な母親探しの旅がいまはじまる。

能力が基本となった世界0

SF
これは、ある場所に向かう道すがら、とある男が子供の頃から組織に入るまでのことを仲間に話す。物語 能力が基本となった世界では語りきれなかった物語

トライアルズアンドエラーズ

中谷干
SF
「シンギュラリティ」という言葉が陳腐になるほどにはAIが進化した、遠からぬ未来。 特別な頭脳を持つ少女ナオは、アンドロイド破壊事件の調査をきっかけに、様々な人の願いや試行に巻き込まれていく。 未来社会で起こる多様な事件に、彼女はどう対峙し、何に挑み、どこへ向かうのか―― ※少々残酷なシーンがありますので苦手な方はご注意ください。 ※この小説は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、エブリスタ、novelup、novel days、nola novelで同時公開されています。

魔術師のロボット~最凶と呼ばれたパイロットによる世界変革記~

MS
SF
これは戦争に巻き込まれた少年が世界を変えるために戦う物語。 戦歴2234年、人型ロボット兵器キャスター、それは魔術師と呼ばれる一部の人しか扱えない兵器であった。 そのパイロットになるためアルバート・デグレアは軍の幼年学校に通っていて卒業まであと少しの時だった。 親友が起こしたキャスター強奪事件。 そして大きく変化する時代に巻き込まれていく。 それぞれの正義がぶつかり合うなかで徐々にその才能を開花させていき次々と大きな戦果を挙げていくが……。 新たな歴史が始まる。 ************************************************ 小説家になろう様、カクヨム様でも連載しております。 投降は当分の間毎日22時ごろを予定しています。

処理中です...