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四 涙が落ちる
小休憩
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「螺希、無事だったか」
「御蔭様で。一応、礼は言っとく」
いかにも役人然とした外見の長身の男に、螺希は少々不満そうに頭を下げた。
「真弥も久しぶりだな」
真弥は、彼の言葉にどう応じていいかよく分からない、という感じで穹路の制服の裾を掴みながら小さく頷いていた。
彼の言葉通り、本当に久しく会っていないようだ。
螺希が会わせなかったのだろう。
「それで、君が穹路君、だな。初めまして。私が螺希の伯父で、この一区の区長をしている逢瀬則行だ」
「は、はい。よろしく、お願いします」
則行に手を差し出され、戸惑いながらも握手すると、彼は満足そうに頷いた。
「とりあえず、疲れただろう。少し休みなさい」
「どこで?」
螺希が冷たい声で尋ねる。
今穹路達がいるのははシェルター内の区長室近くの会議室、と言うより閣議室という風の部屋だ。当然、ここには避難してきた一般人はいない。
外に出れば彼らがいる大きなフロアがあるが、そこには休めるような余裕ある空気はなかった。
「ここを使っていい。勿論今日だけだがな。男女一緒になるが、まあ、先生がいれば大丈夫だろう。それぞれティアも持っているだろうしな」
則行はそう言うと忙しそうに立ち上がって、そのまま部屋を出ていこうとした。
「待って。現状はどうなの?」
それを止めるように琥珀が尋ねる。
正直、穹路としても休憩よりも先に、まずそれを聞きたかった。
他の皆も同じだろう。
「……芳しくないな。あの飛行可能な鳥類由来のグリーフのせいで正規の拭涙師も一杯一杯だ。早急に奴らに有効な狙撃用の武装プログラムを作成して貰っているところだが、それではやはり根本的な解決にはならない」
「蒼穹の雷は?」
琥珀の問いに則行は首を横に振って答えた。
「これは極秘の情報だが、蒼穹の雷は観測上、一週間程前に忽然と姿を消してしまっているそうだ。またデータ上では五年前に事故で崩壊したことになっている」
琥珀は口の中で、何それ、と訝るように呟いたが、則行の様子に嘘を言っている雰囲気はないと判断したようで、尚のこと不審そうに眉間にしわを寄せた。
彼の言を正しいとするなら、蒼穹の雷に関して何者かが情報操作した、とでもしか考えられない。何を目的としてのことかは欠片も分からないが。
「それに、あれは落涙の日以来操作を受けつけなくなったと聞いている。まあ、これについてはあの科学者連中の言葉だ。信憑性は皆無だが」
「……なら、やっぱり天の御座に乗り込むしかないんじゃないの? あそこの研究所との連絡が前触れなく途絶えてからなんでしょ? この異変が起こったの。あそこにはリンク機能の中枢もある訳だし」
その琥珀の言葉に疑問を覚えて、穹路はおずおずと手を挙げた。
「あの、あれだけの事件があったのにそんなものが残ってるんですか?」
「え? あー、うん、いつか安全に再利用できるんじゃないかってことでね。凍結状態にしただけなの。結構もめたらしいけど、あれも含めてティアを解明するって名目で、ね」
「はあ、それはまた……。でも、なら、完全にそこが元凶じゃないですか」
「ああ、それは分かっているが、そこに辿り着くには軌道エレベーターを利用するしかない。短くない時間密室に閉じ込められるんだ。余りにも危険過ぎるし、そもそも今はそれだけの人員を確保できない」
則行は天の御座がある場所を睨むように見上げながら答えた。
軌道エレベーターの加速度が中間点まで一G、その後マイナス一Gとして静止軌道まで到達するには約一時間。拭涙師が一般人より遥かに耐G能力に優れていると都合よく見積もっても数十分は必要。
確かにその間に攻撃されれば一巻の終わりだ。
「だったら、軌道エレベーター自体を破壊するのは?」
「不可能だろう。軌道エレベーター自体の強度も含め、防衛システムも存在しているし、何より鳥類由来のグリーフに制空権を握られている。やはり直接乗り込んで中枢を破壊するしか方法はない」
「そう、ですか」
「……当時、想永博士は一体どうやってあの場所へ行くことができたんだ。そんなことが可能なプログラムでも作ったと言うのか?」
則行は独り言のようにそう呟くと、疲労の色濃く俯いて深く嘆息した。
「何にせよ、今君達にできることはない。休んでいなさい」
「あ、あの!」
再び出ていこうとする則行を今度は翠が呼び止める。
その表情は切実なものだった。
「その、あたしのお母さんが無事か、分かりませんか?」
「お母さんの名前は?」
「美里。相坂美里です」
「調べさせよう。……君の家族の安否も確認しようか?」
則行は武人に向かって尋ねた。しかし、武人は無表情のまま首を振った。
「俺の両親は、落涙の日にグリーフ化して亡くなっていますから。その後は施設育ちですし、特に無事を確認して欲しい人もいません」
「……そうか。では、私はこれで失礼するよ」
ほんの一瞬だけ悲しげな表情を浮かべて、則行は今度こそ部屋を出ていった。
「桐生君も、両親がいないのか」
「同情はしなくていい。この時代では珍しくないことだからな」
翠と同じようなことを言うので、尚更穹路は居た堪れない気持ちになった。
こんなに技術が発展したはずの未来でも、昔と同等かそれ以上の悲しみがあるという事実に。
いや、幸せの形が技術に依存しないように、悲しみの形もまた技術には依存しないのかもしれない。
「相坂さん……」
「お母さん。たった一人の家族だからね」
「こういう時はむしろ家族を失っていた方が楽なのかもしれないな」
「それは、違うよ。きっと……」
武人の言葉に翠は心底悲しそうに呟いた。
それは比べられるようなものではないはずだ。心配することもされることも、心配する者もされる者もいない事実を再確認することも。
どちらも、きっと辛い。
「ほら、折角この部屋を貸してくれたんだから、休んどきなさい」
その暗い空気を払うように、琥珀はパンパンと手を叩いた。
「でも、変に興奮しちゃって休めないよ」
真弥はそう言って唇を尖らせた。
確かに緊張の連続でそう簡単には気を楽にはできないだろう。
しかし、穹路は緊張の糸が切れてしまったのか強烈な睡魔に襲われていた。
「俺はちょっと眠らせて貰おうかな。何だか急に眠気が……」
「お兄ちゃんは仕方ないよ。何だか大変なことになってたし。ゆっくり休んで」
「ありがとう」
皆同じようなものだろうとは思いつつも、穹路は微笑んで労ってくれる真弥の厚意に甘えて休ませて貰うことにした。
「あ、でも、寝るとこは……このソファーっぽい椅子でいいとして、枕がないよ?」
この状況で枕に拘る必要があるとは思えなかったが、真弥は深刻な問題のように腕を組んで唸り出した。
それから彼女はわざとらしく少し間を置いて、名案を思いついたという感じで手を叩いた。
「じゃあ――」
「なら、私の膝を貸してあげる。今日のお礼に」
真弥の言葉を遮るように螺希が素っ気ない口調でそう言った。
「え? あ、今それ、わたしがお兄ちゃんに提案しようと思ったのに。って、今日はお姉ちゃん、積極的だね。さっきも手を握ってたし。釣り橋効果?」
目をぱちくりさせている真弥に螺希は激しく赤面してしまった。
穹路も妙に恥ずかしくなって周囲を見回す。
すると、武人は余り興味なさそうに目を瞑り、翠は表情を和らげ、琥珀は口元を隠すように顔を僅かに背けながら意地悪くにやついていた。
「は、早く寝て!」
螺希は顔を耳まで真っ赤にしている自覚があるのか、それを誤魔化すように怒っている風に言いながら自分の膝を軽く叩いた。
「あ、ああ」
「よかったね。お兄ちゃん、お姉ちゃんの膝枕だよ?」
にしし、と嫌らしく笑う真弥のからかいに羞恥のメーターが振り切れそうになって一瞬躊躇うが、覚悟を決めた様子の螺希に見詰められ、穹路は横になった。
見上げる形になった螺希の顔は激しく紅潮していたが、僅かに微笑んでもいて、その可愛らしい表情に心臓が高鳴ってしまう。
さらに後頭部の柔らかく温かい感触と彼女の優しい香りに緊張し、こんな状況で眠れるだろうか、と穹路は思った。
しかし、それ以上に疲れが大きかったのか、恥ずかしさもさることながら安心感もあったのか、穹路はすぐに深い眠りの中に落ちてしまった。
「御蔭様で。一応、礼は言っとく」
いかにも役人然とした外見の長身の男に、螺希は少々不満そうに頭を下げた。
「真弥も久しぶりだな」
真弥は、彼の言葉にどう応じていいかよく分からない、という感じで穹路の制服の裾を掴みながら小さく頷いていた。
彼の言葉通り、本当に久しく会っていないようだ。
螺希が会わせなかったのだろう。
「それで、君が穹路君、だな。初めまして。私が螺希の伯父で、この一区の区長をしている逢瀬則行だ」
「は、はい。よろしく、お願いします」
則行に手を差し出され、戸惑いながらも握手すると、彼は満足そうに頷いた。
「とりあえず、疲れただろう。少し休みなさい」
「どこで?」
螺希が冷たい声で尋ねる。
今穹路達がいるのははシェルター内の区長室近くの会議室、と言うより閣議室という風の部屋だ。当然、ここには避難してきた一般人はいない。
外に出れば彼らがいる大きなフロアがあるが、そこには休めるような余裕ある空気はなかった。
「ここを使っていい。勿論今日だけだがな。男女一緒になるが、まあ、先生がいれば大丈夫だろう。それぞれティアも持っているだろうしな」
則行はそう言うと忙しそうに立ち上がって、そのまま部屋を出ていこうとした。
「待って。現状はどうなの?」
それを止めるように琥珀が尋ねる。
正直、穹路としても休憩よりも先に、まずそれを聞きたかった。
他の皆も同じだろう。
「……芳しくないな。あの飛行可能な鳥類由来のグリーフのせいで正規の拭涙師も一杯一杯だ。早急に奴らに有効な狙撃用の武装プログラムを作成して貰っているところだが、それではやはり根本的な解決にはならない」
「蒼穹の雷は?」
琥珀の問いに則行は首を横に振って答えた。
「これは極秘の情報だが、蒼穹の雷は観測上、一週間程前に忽然と姿を消してしまっているそうだ。またデータ上では五年前に事故で崩壊したことになっている」
琥珀は口の中で、何それ、と訝るように呟いたが、則行の様子に嘘を言っている雰囲気はないと判断したようで、尚のこと不審そうに眉間にしわを寄せた。
彼の言を正しいとするなら、蒼穹の雷に関して何者かが情報操作した、とでもしか考えられない。何を目的としてのことかは欠片も分からないが。
「それに、あれは落涙の日以来操作を受けつけなくなったと聞いている。まあ、これについてはあの科学者連中の言葉だ。信憑性は皆無だが」
「……なら、やっぱり天の御座に乗り込むしかないんじゃないの? あそこの研究所との連絡が前触れなく途絶えてからなんでしょ? この異変が起こったの。あそこにはリンク機能の中枢もある訳だし」
その琥珀の言葉に疑問を覚えて、穹路はおずおずと手を挙げた。
「あの、あれだけの事件があったのにそんなものが残ってるんですか?」
「え? あー、うん、いつか安全に再利用できるんじゃないかってことでね。凍結状態にしただけなの。結構もめたらしいけど、あれも含めてティアを解明するって名目で、ね」
「はあ、それはまた……。でも、なら、完全にそこが元凶じゃないですか」
「ああ、それは分かっているが、そこに辿り着くには軌道エレベーターを利用するしかない。短くない時間密室に閉じ込められるんだ。余りにも危険過ぎるし、そもそも今はそれだけの人員を確保できない」
則行は天の御座がある場所を睨むように見上げながら答えた。
軌道エレベーターの加速度が中間点まで一G、その後マイナス一Gとして静止軌道まで到達するには約一時間。拭涙師が一般人より遥かに耐G能力に優れていると都合よく見積もっても数十分は必要。
確かにその間に攻撃されれば一巻の終わりだ。
「だったら、軌道エレベーター自体を破壊するのは?」
「不可能だろう。軌道エレベーター自体の強度も含め、防衛システムも存在しているし、何より鳥類由来のグリーフに制空権を握られている。やはり直接乗り込んで中枢を破壊するしか方法はない」
「そう、ですか」
「……当時、想永博士は一体どうやってあの場所へ行くことができたんだ。そんなことが可能なプログラムでも作ったと言うのか?」
則行は独り言のようにそう呟くと、疲労の色濃く俯いて深く嘆息した。
「何にせよ、今君達にできることはない。休んでいなさい」
「あ、あの!」
再び出ていこうとする則行を今度は翠が呼び止める。
その表情は切実なものだった。
「その、あたしのお母さんが無事か、分かりませんか?」
「お母さんの名前は?」
「美里。相坂美里です」
「調べさせよう。……君の家族の安否も確認しようか?」
則行は武人に向かって尋ねた。しかし、武人は無表情のまま首を振った。
「俺の両親は、落涙の日にグリーフ化して亡くなっていますから。その後は施設育ちですし、特に無事を確認して欲しい人もいません」
「……そうか。では、私はこれで失礼するよ」
ほんの一瞬だけ悲しげな表情を浮かべて、則行は今度こそ部屋を出ていった。
「桐生君も、両親がいないのか」
「同情はしなくていい。この時代では珍しくないことだからな」
翠と同じようなことを言うので、尚更穹路は居た堪れない気持ちになった。
こんなに技術が発展したはずの未来でも、昔と同等かそれ以上の悲しみがあるという事実に。
いや、幸せの形が技術に依存しないように、悲しみの形もまた技術には依存しないのかもしれない。
「相坂さん……」
「お母さん。たった一人の家族だからね」
「こういう時はむしろ家族を失っていた方が楽なのかもしれないな」
「それは、違うよ。きっと……」
武人の言葉に翠は心底悲しそうに呟いた。
それは比べられるようなものではないはずだ。心配することもされることも、心配する者もされる者もいない事実を再確認することも。
どちらも、きっと辛い。
「ほら、折角この部屋を貸してくれたんだから、休んどきなさい」
その暗い空気を払うように、琥珀はパンパンと手を叩いた。
「でも、変に興奮しちゃって休めないよ」
真弥はそう言って唇を尖らせた。
確かに緊張の連続でそう簡単には気を楽にはできないだろう。
しかし、穹路は緊張の糸が切れてしまったのか強烈な睡魔に襲われていた。
「俺はちょっと眠らせて貰おうかな。何だか急に眠気が……」
「お兄ちゃんは仕方ないよ。何だか大変なことになってたし。ゆっくり休んで」
「ありがとう」
皆同じようなものだろうとは思いつつも、穹路は微笑んで労ってくれる真弥の厚意に甘えて休ませて貰うことにした。
「あ、でも、寝るとこは……このソファーっぽい椅子でいいとして、枕がないよ?」
この状況で枕に拘る必要があるとは思えなかったが、真弥は深刻な問題のように腕を組んで唸り出した。
それから彼女はわざとらしく少し間を置いて、名案を思いついたという感じで手を叩いた。
「じゃあ――」
「なら、私の膝を貸してあげる。今日のお礼に」
真弥の言葉を遮るように螺希が素っ気ない口調でそう言った。
「え? あ、今それ、わたしがお兄ちゃんに提案しようと思ったのに。って、今日はお姉ちゃん、積極的だね。さっきも手を握ってたし。釣り橋効果?」
目をぱちくりさせている真弥に螺希は激しく赤面してしまった。
穹路も妙に恥ずかしくなって周囲を見回す。
すると、武人は余り興味なさそうに目を瞑り、翠は表情を和らげ、琥珀は口元を隠すように顔を僅かに背けながら意地悪くにやついていた。
「は、早く寝て!」
螺希は顔を耳まで真っ赤にしている自覚があるのか、それを誤魔化すように怒っている風に言いながら自分の膝を軽く叩いた。
「あ、ああ」
「よかったね。お兄ちゃん、お姉ちゃんの膝枕だよ?」
にしし、と嫌らしく笑う真弥のからかいに羞恥のメーターが振り切れそうになって一瞬躊躇うが、覚悟を決めた様子の螺希に見詰められ、穹路は横になった。
見上げる形になった螺希の顔は激しく紅潮していたが、僅かに微笑んでもいて、その可愛らしい表情に心臓が高鳴ってしまう。
さらに後頭部の柔らかく温かい感触と彼女の優しい香りに緊張し、こんな状況で眠れるだろうか、と穹路は思った。
しかし、それ以上に疲れが大きかったのか、恥ずかしさもさることながら安心感もあったのか、穹路はすぐに深い眠りの中に落ちてしまった。
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