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夢幻
心の芽生え
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彼女はただ日々を、自分自身に与えられた作業を機械的に繰り返していた。
いや、機械的ではなく機械そのものとして、と言うのが正しいだろう。
それを穹路は我がことのように体験していた。
自身の夢の中で。彼女の記憶や知識の一部を持ちながら。
彼女の視点と穹路の視点は完全に一致しており、鏡でも見なければ彼女の姿を見ることは不可能だ。事実、穹路はまだ彼女の顔を確認できていなかった。
視覚は人間よりも優れているのか世界が鮮明に見える。しかし、彼女がそれに対して何の感慨も抱いていないためか灰色にしか感じられない。
今は仄暗い部屋の中で微動だにせず、彼女はどこを見るでもなく佇んでいた。
彼女はティアをコアとした機械人形であるため、他の機械人形のようなメンテナンスは全く必要ない。
だから、そうやって放置され、自身が必要となる時を待っているのだ。
『ウーシア、追加の素材の準備ができた。作業を開始しろ』
男の簡潔な言葉が部屋に備えられたスピーカーから聞こえてくる。
「……はい」
対して彼女は機械の如く、いや、正に機械なのだが、そう平坦に返答した。
それがたとえ相手に届かないものであっても、プログラムに設定されている以上は行わなければならないことだから。
微かな駆動音を静かな部屋に響かせつつ、彼女は立ち上がって部屋を出た。
自らに課された作業をこなすために。
眩いばかりの白で染められた廊下を歩く。
だが、そのような光景すらも彼女には灰色同然にしか見えていなかった。
完全一定の速度で歩く彼女の脇をストレッチャーが追い越していく。
軌道エレベーター天橋立によって、ここ天の御座へと運び込まれた新しい素材は様々な実験を繰り返された後、最終的にこの第二重力区画内のとある部屋へと搬入されていくのだ。
その様子を彼女はただ無感情に、自身との距離が適正であるかどうかだけを確認しながら見送り、彼女もまたその部屋へと入っていった。
ストレッチャーに横たわるのは、それの用途通り当然の如く人間。
クライオニクスから解凍され、他の研究機関で体内を好き勝手に弄り回された挙句、瀕死の状態でここに運ばれ、最期の時を迎える憐れな実験素材だ。
それを彼女の目で見ていた穹路は思わず目を背けたくなった。
しかし、背けられない。
この目はあくまでも彼女のものであり、体もまたそう。
彼女にその意思がなければ、身動きはできない。
それ以上に、この光景はしっかりと目を開いて見なければならないものだと穹路は感じていた。
そんな穹路の思いを知らず、彼女は部屋に置かれているティアを無造作に手に取り、その男性の頭部に押しつけた。
すると、青く輝いていたティアが怪しく煌めき、その輝きが黒く鈍くなりながら吸い込まれるように頭の中へと消えていった。
そうして、しばらく時を待つ。
彼女には相変わらず感情と呼べるものが何もなく、ただそれを見下ろすだけだった。しかし、胸の奥のさらに奥底に僅かな疼きが生じているのを、それが少しずつ大きくなっているのを穹路は確かに感じていた。
『こんなこと、してはいけない。早く、早く私の声に気づいて』
痛みと共に胸の奥、彼女を形作るティアから発せられ続けていたその言葉は、彼女には届かずとも穹路の耳には届いていた。
しかし、その願いは彼女に気づかれぬまま、待機していた彼女は再び動き出す。
視界の中、男性の頭部が砂と化し始め、その範囲が少しずつ広くなっていく。
それはティアに脳が完全に取り込まれた合図。
だから、彼女は頭部からティアを引き剥がし、その男の首を切断した。
このまま放置していれば、全身が砂となって零れ落ちる。
それを処理するのは、静止軌道上にある天の御座では色々と面倒だ。
故に、そうなる前に頭部を体から切り離し、残った肉体をダストシュートから地球の大気圏に向けて射出し、焼却処分するのだ。正に空は天然の火葬場だ。
作業を終えると研究員が台に残されたそれを然るべき場所へと運んでいき、他の研究員がまた別の人間、今度は女性を運び込んでくる。
そして、彼女はそれを繰り返す。
ティアに人間の脳を取り込ませることによって、進化型のティアを生み出す、その行為を。それが彼女に与えられた仕事だから。
繰り返し、繰り返し、そしてまた、繰り返していく。
夢の世界は時間に支配されない。まして、これが彼女の記憶を追体験しているのであれば、一瞬にして重要な場面へと時が進むのもおかしくはない。
しかし、夢の時間が進んだのを感じても、視覚的な変化は全くなかった。
時が経とうと彼女の日々は変わらないのだ。
彼女の体内にある時計では既に最初に稼動してから四年が経過している。
それでも彼女は繰り返し、繰り返し、人間を材料に進化型ティアを作り出していく。いつの日か自分の役目が終わるその時まで。
『そんなのは、駄目!』
だが、ようやくその日々に変化が訪れた。
これまで決して届かなかったティアからの声が彼女に届いたのだ。
それにより、ただ機械として反復される行為が一時停止される。
『ウーシア、何をしている。さっさと作業を続けろ』
「……はい」
天の御座を管理する研究者に命ぜられ、彼女は即座に同じ行動に戻った。
しかし、彼女の内部では大きな変化が起こっていた。
『素材が尽きた。お前は部屋で待機していろ』
相変わらずの冷たい命令口調に文句も言わず、彼女は部屋を出て自室へと戻る。
この第二重力区画に存在するのは、重力下での実験を行う実験室と物置部屋だけだ。研究員用の居住区はこことは反対側にある第一重力区画にある。
どちらも遠心力によって重力を発生させているのだが、現在第二重力区画では低重力エリアからの物資搬入のため、第一重力区画では研究員の移動のために徐々に減速しているところだ。
そんな中で彼女はただ独り、いつも通り何もないその部屋に佇む。
これまでなら、そこに何の感情も伴わないはずだった。
だが、穹路が寂しいと感じるその部屋に対し、彼女は今、人間らしく寂しいという感情を僅かに抱いていた。
「貴方は、一体誰だったの?」
彼女は胸の奥に問いかけたが、もはやその声は聞こえない。
穹路にも聞こえなかった。
「私は、進化型ティアに書き込まれたAI。そして、この体はティアによって生み出された機械の体。進化型ティアは人間の脳と通常のティアから作られるもの」
これまで返事以外の言葉を発しなかった彼女が、枷を外されたように呟く。
「なら、貴方はティアにされた人間の人格、心のパターン? そして、その人格を私が擬似的にコピーしたの?」
彼女は自身に生まれた心のようなものに問いかける。
しかし、答えはなかった。
これまでの研究報告にこのような事例はないはずだ。
「私は、一体何を、してきたんだろう」
今日まで繰り返してきた自分自身の行為を思い返し、自分のことながらそれを何とも思わなかったことにショックを受けてしまう。
同時にこの環境の異常さを感じた。
もしかしたら、それはティアに記録されていた人格の価値観に過ぎないのかもしれないが、蓄積された知識と照らし合わせてみても彼女にはその価値観は正しいように思えた。
「本当、私は何をしているのかな……」
彼女は思わず泣きたくなった。
しかし、そんな機能はなかったことを思い出し、そのことによって更に悲しみが増してしまった。
人間は泣くことで悲しみを浄化すると言う。それができないということは、悲しみは雪のように降り積もっていくということ。
それでは、いつの日か心が押し潰されかねない。
そんな彼女の心に募る悲しみの重さは穹路の心にも伝わってきて……。
だから穹路は、夢の中ではあるが、彼女の代わりに涙を落としていた。
そんな夢から目覚め、また朝が来る。
この新しい時代に放り込まれてから、もう一週間。
初めの内は目を覚ましても一瞬、病院で目を覚ましたような感覚を抱いていたが、それも今ではもうない。
こここそが自分の居場所だと自覚し始めているのだろう。
そんなことを考えながら、穹路は起き上がった。
そして、ふと自分の頬が濡れていることに気づき、あの夢の内容を思い出す。
人間の脳から作り出される進化型ティア。
あくまでも夢の話。だが、もしそれが本当なら、螺希や真弥が持つティアは一体誰の脳を取り込んだものなのか。
脳裏に浮かんだその疑問と考えついた答えに、穹路は意図的に気づかない振りをしながら、この夢のことはまだ黙っていようと心に決めた。
いや、機械的ではなく機械そのものとして、と言うのが正しいだろう。
それを穹路は我がことのように体験していた。
自身の夢の中で。彼女の記憶や知識の一部を持ちながら。
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今は仄暗い部屋の中で微動だにせず、彼女はどこを見るでもなく佇んでいた。
彼女はティアをコアとした機械人形であるため、他の機械人形のようなメンテナンスは全く必要ない。
だから、そうやって放置され、自身が必要となる時を待っているのだ。
『ウーシア、追加の素材の準備ができた。作業を開始しろ』
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「……はい」
対して彼女は機械の如く、いや、正に機械なのだが、そう平坦に返答した。
それがたとえ相手に届かないものであっても、プログラムに設定されている以上は行わなければならないことだから。
微かな駆動音を静かな部屋に響かせつつ、彼女は立ち上がって部屋を出た。
自らに課された作業をこなすために。
眩いばかりの白で染められた廊下を歩く。
だが、そのような光景すらも彼女には灰色同然にしか見えていなかった。
完全一定の速度で歩く彼女の脇をストレッチャーが追い越していく。
軌道エレベーター天橋立によって、ここ天の御座へと運び込まれた新しい素材は様々な実験を繰り返された後、最終的にこの第二重力区画内のとある部屋へと搬入されていくのだ。
その様子を彼女はただ無感情に、自身との距離が適正であるかどうかだけを確認しながら見送り、彼女もまたその部屋へと入っていった。
ストレッチャーに横たわるのは、それの用途通り当然の如く人間。
クライオニクスから解凍され、他の研究機関で体内を好き勝手に弄り回された挙句、瀕死の状態でここに運ばれ、最期の時を迎える憐れな実験素材だ。
それを彼女の目で見ていた穹路は思わず目を背けたくなった。
しかし、背けられない。
この目はあくまでも彼女のものであり、体もまたそう。
彼女にその意思がなければ、身動きはできない。
それ以上に、この光景はしっかりと目を開いて見なければならないものだと穹路は感じていた。
そんな穹路の思いを知らず、彼女は部屋に置かれているティアを無造作に手に取り、その男性の頭部に押しつけた。
すると、青く輝いていたティアが怪しく煌めき、その輝きが黒く鈍くなりながら吸い込まれるように頭の中へと消えていった。
そうして、しばらく時を待つ。
彼女には相変わらず感情と呼べるものが何もなく、ただそれを見下ろすだけだった。しかし、胸の奥のさらに奥底に僅かな疼きが生じているのを、それが少しずつ大きくなっているのを穹路は確かに感じていた。
『こんなこと、してはいけない。早く、早く私の声に気づいて』
痛みと共に胸の奥、彼女を形作るティアから発せられ続けていたその言葉は、彼女には届かずとも穹路の耳には届いていた。
しかし、その願いは彼女に気づかれぬまま、待機していた彼女は再び動き出す。
視界の中、男性の頭部が砂と化し始め、その範囲が少しずつ広くなっていく。
それはティアに脳が完全に取り込まれた合図。
だから、彼女は頭部からティアを引き剥がし、その男の首を切断した。
このまま放置していれば、全身が砂となって零れ落ちる。
それを処理するのは、静止軌道上にある天の御座では色々と面倒だ。
故に、そうなる前に頭部を体から切り離し、残った肉体をダストシュートから地球の大気圏に向けて射出し、焼却処分するのだ。正に空は天然の火葬場だ。
作業を終えると研究員が台に残されたそれを然るべき場所へと運んでいき、他の研究員がまた別の人間、今度は女性を運び込んでくる。
そして、彼女はそれを繰り返す。
ティアに人間の脳を取り込ませることによって、進化型のティアを生み出す、その行為を。それが彼女に与えられた仕事だから。
繰り返し、繰り返し、そしてまた、繰り返していく。
夢の世界は時間に支配されない。まして、これが彼女の記憶を追体験しているのであれば、一瞬にして重要な場面へと時が進むのもおかしくはない。
しかし、夢の時間が進んだのを感じても、視覚的な変化は全くなかった。
時が経とうと彼女の日々は変わらないのだ。
彼女の体内にある時計では既に最初に稼動してから四年が経過している。
それでも彼女は繰り返し、繰り返し、人間を材料に進化型ティアを作り出していく。いつの日か自分の役目が終わるその時まで。
『そんなのは、駄目!』
だが、ようやくその日々に変化が訪れた。
これまで決して届かなかったティアからの声が彼女に届いたのだ。
それにより、ただ機械として反復される行為が一時停止される。
『ウーシア、何をしている。さっさと作業を続けろ』
「……はい」
天の御座を管理する研究者に命ぜられ、彼女は即座に同じ行動に戻った。
しかし、彼女の内部では大きな変化が起こっていた。
『素材が尽きた。お前は部屋で待機していろ』
相変わらずの冷たい命令口調に文句も言わず、彼女は部屋を出て自室へと戻る。
この第二重力区画に存在するのは、重力下での実験を行う実験室と物置部屋だけだ。研究員用の居住区はこことは反対側にある第一重力区画にある。
どちらも遠心力によって重力を発生させているのだが、現在第二重力区画では低重力エリアからの物資搬入のため、第一重力区画では研究員の移動のために徐々に減速しているところだ。
そんな中で彼女はただ独り、いつも通り何もないその部屋に佇む。
これまでなら、そこに何の感情も伴わないはずだった。
だが、穹路が寂しいと感じるその部屋に対し、彼女は今、人間らしく寂しいという感情を僅かに抱いていた。
「貴方は、一体誰だったの?」
彼女は胸の奥に問いかけたが、もはやその声は聞こえない。
穹路にも聞こえなかった。
「私は、進化型ティアに書き込まれたAI。そして、この体はティアによって生み出された機械の体。進化型ティアは人間の脳と通常のティアから作られるもの」
これまで返事以外の言葉を発しなかった彼女が、枷を外されたように呟く。
「なら、貴方はティアにされた人間の人格、心のパターン? そして、その人格を私が擬似的にコピーしたの?」
彼女は自身に生まれた心のようなものに問いかける。
しかし、答えはなかった。
これまでの研究報告にこのような事例はないはずだ。
「私は、一体何を、してきたんだろう」
今日まで繰り返してきた自分自身の行為を思い返し、自分のことながらそれを何とも思わなかったことにショックを受けてしまう。
同時にこの環境の異常さを感じた。
もしかしたら、それはティアに記録されていた人格の価値観に過ぎないのかもしれないが、蓄積された知識と照らし合わせてみても彼女にはその価値観は正しいように思えた。
「本当、私は何をしているのかな……」
彼女は思わず泣きたくなった。
しかし、そんな機能はなかったことを思い出し、そのことによって更に悲しみが増してしまった。
人間は泣くことで悲しみを浄化すると言う。それができないということは、悲しみは雪のように降り積もっていくということ。
それでは、いつの日か心が押し潰されかねない。
そんな彼女の心に募る悲しみの重さは穹路の心にも伝わってきて……。
だから穹路は、夢の中ではあるが、彼女の代わりに涙を落としていた。
そんな夢から目覚め、また朝が来る。
この新しい時代に放り込まれてから、もう一週間。
初めの内は目を覚ましても一瞬、病院で目を覚ましたような感覚を抱いていたが、それも今ではもうない。
こここそが自分の居場所だと自覚し始めているのだろう。
そんなことを考えながら、穹路は起き上がった。
そして、ふと自分の頬が濡れていることに気づき、あの夢の内容を思い出す。
人間の脳から作り出される進化型ティア。
あくまでも夢の話。だが、もしそれが本当なら、螺希や真弥が持つティアは一体誰の脳を取り込んだものなのか。
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