涙はソラを映す鏡

青空顎門

文字の大きさ
上 下
14 / 35
三 涙と嘆きの種

グリーフとラクリマ

しおりを挟む
 それから五分程して生物の教師、つまり琥珀がようやく教室に入ってきた。
 瞬間、その五分間を雑談で過ごしていた生徒達の声が止む。

「じゃ、授業始めよっか。ま、分かってると思うけど、私は生物の担当。生物は当然理系では必須だから面倒臭いとは思うけど、しっかり勉強してよ?」

 生物という教科は昔なら医学か理学の特定の分野を目指す人の科目というイメージだったが、琥珀の口振りでは現在は違うようだった。
 それはともかく、穹路は琥珀の格好が気になった。
 彼女は形から入ろうとしているかの如く白衣を着ていた。
 しかし、その白衣がまた酷くよれよれで、微妙に黄ばんでいる部分もあり、前髪に隠された顔が美少女と呼ぶに相応しいぐらい整っていることを忘れそうだ。
 姿勢も教室では猫背気味で、研究室でのシャンとしたイメージと合わない。
 まるで自分の可愛さを隠そうとでもしているかのようだ。

「と、その前に今日の授業は、数学、現代文、物理、情報演習って、あー、この前は九条先生か。……穹路君さ、ティアについてどう感じた?」
「え? あ、物凄い技術、だと」

 突然そんな質問をされ、穹路は戸惑いながら答えた。

「それだけ?」

 琥珀の声色からその答えに不満があるのが聞き取れ、慌てて言葉をつけ加える。

「いえ、凄過ぎて、少し恐ろしく感じました」
「ん。そうね。とりあえず、そんな印象なら大丈夫、かな」

 打って変わって琥珀は満足そうな笑みを浮かべた。

「物事にはいい面と悪い面が必ずある。当然ティアだってそう。だから、恣意的にいい面だけを見て悪い面を見ようとしない、あるいは別のもののせいにする、なんてのは駄目だからね。あ、別に九条先生がどうとか言っている訳じゃないよ?」

 最後の部分だけ冗談染みた口調で言い、それからとても真剣な、と言っても口元の雰囲気だけでの判断だが、そんな表情で続ける。

「たとえ実行したのがAIだとしても、落涙の日のような被害を出せるだけの力をティアは持っていた。その事実を忘れると、きっとまた悲劇は繰り返されるから」

 そこまで言って、琥珀は口元に笑顔を戻す。

「さて……ティアには原子配列変換による形状変化、物質再構成って機能があるよね? まあ、むしろ物質生成と言った方が視覚的には分かり易いかもだけど」

 琥珀は白衣のポケットからエグゼクスを取り出して、即座にトリガーを引いた。
 竜也の時と同様にティアに連なるように刃物が生み出される。

「はい。これでナイフの完成」

 そして、すぐさまもう一度トリガーを引く。
 すると、その刃物はまるで白昼夢だったかのようにそこから消滅した。

「これでナイフは消滅したよね? 原子配列変換の一環で分解された訳。つまり、ティアには物質の分解機能もあるの。例えば」

 琥珀は撃鉄を起こして回転式弾倉の部分を回転させ、別の記憶装置をティアに接続させた。
 そして、エグゼクスのティアを教卓にくっつけながら、トリガーを引く。

「あ――」

 穹路は目の前の光景に思わず呆けた声を出してしまった。
 その瞬間、教卓は砂と化して教壇に降り積もってしまったのだ。僅かに遅れて教卓の上に置いてあった名簿がその上に落ち、砂が微妙に舞い上がる。

「おっと、これはちょっとまずいよね」

 琥珀は悪戯っ子のように笑いながら名簿を拾い上げ、表面についた砂を払って脇に抱えた。
 それから再び撃鉄を起こし、次の記憶装置をティアに接続してトリガーを引く。
 すると、何事もなかったかのように砂は消え去り、教卓がそこに存在していた。

「で、教卓の復活、っと」

 微妙にずれた位置に再構成された教卓を少し重そうにしながら所定の位置に戻し、琥珀はその上に両手を置いた。

「とまあ、こんな感じで無生物なら分解、再構成をいくら繰り返しても大した問題にはならないよね? でも、生物、特に人間に分解を行えばどうなると思う?」

 その琥珀の言葉に、穹路は背筋がぞくっとするような強い恐怖を受けた。
 現実に砂と化した教卓を目の当たりにしたことで、昼休みに螺希が口走った言葉にはまだ乏しかった現実味を強く感じてしまったためだろう。

「穹路君のその表情が見られれば、ちょっと満足かな。落涙の日の被害の一つとして、これもあった訳ね。連関型ティアを持っていた。ただそれだけで、一瞬の内に分解されてしまった人も数多くいた事実を忘れないで」

 琥珀はエグゼクスを白衣のポケットに無造作に放り込みながら言った。

「でも、まあ、これも使い方によっては利点も大きいんだよね。例えば、分解を体内の病巣のみに設定すれば悪性新生物ガンだってあら不思議。何てことない無害な有機物になっちゃうからね。手術も投薬も必要なし。さっきも言ったけど、物事にはいい面と悪い面が必ずある。ま、所詮は道具だから結局最後は人間の選択次第な訳だけど、だからこそ、その両面を理解してなければ使う資格はないってことね」

 最後の部分を琥珀は真剣な口調で強調した。

「この分解機能の人体への使用は医療以外では決して行われないように法律で禁止されてるし、当然、違反者には厳しい罰則がある。何でも逮捕された人のその後は誰も知らないとか。もしかしたら、人体実験の材料にされてるかもね」

 さらりと怖いことを言いながら、琥珀は一転して子供っぽく笑った。

「ま、冗談はさておき、穹路君はグリーフについてはまだ知らないよね?」
「あ、はい。分かりません」
「なら、復習も兼ねて――」

 琥珀がそう言葉を発した瞬間、翠の肩がぴくりと動いた。

「出席番号一番の、相坂翠さん。グリーフについて簡単に説明して」
「は、はい……」

 ああ、またか、という感じの微妙な表情の翠は、いつもより大分調子の下がった声で返事をして立ち上がった。

「えっと、グリーフとは落涙の日に連関型ティアによって干渉され、遺伝子レベルでの改変を受けてしまった生物の総称です。共通の特徴として元の生物よりも巨大になり、黒ダイヤをも超える硬さを誇る外殻と鋭い爪を持つことが挙げられます」

 説明自体には淀みがなく、翠がしっかり理解していることが窺えた。
 しかし、黒ダイヤを引き合いに出したのは、昼休みの話題に引きずられてのことかもしれない。

「そのプログラムはAIドラビヤによって作られ、その設定によってなのかグリーフは食欲など、他のあらゆる本能より先に人間を襲う本能を持つと推測されます」
「そう。たとえ命の危機に瀕してる時でも、人間を見つければそれを顧みず襲いかかってくる。兵士、と言うか、駒としては優秀よね。続けて」
「はい。体内にティアを有するグリーフは特にラクリマと呼ばれて区別され、触れた別の生物をグリーフとすることができます。ティアを持つため分解することも可能ですが、人間のグリーフ化を優先させることが確認されています。またグリーフは元となった生物に依らず繁殖が可能です。それにより生態系が大きく乱され、地上に生きる多くの生物が絶滅してしまいました」
「口頭ならそれぐらいで十分かな。座って」

 翠はほっとした様子で静かに席に着いた。

「穹路君は当然知らないだろうし、街を出たことがない人には実感が湧かないかもだけど、街の外はグリーフが跳梁跋扈する人外魔境なの。建築物はラクリマのティアによって分解されてるしね。落涙の日から九年、もはや昔の面影は欠片もない」

 表情、口調はそのままだったが、琥珀の雰囲気からは怒りが明確に感じ取れた。
 それを落ち着けるためか、彼女は一つ息を深く吐いて一旦言葉を止め、それから再度口を開いた。

「だからグリーフを駆逐して街を徐々に拡大してるんだけど、その過程で人体冷凍保存の施設が何故か発見されたりする訳。これはグリーフの謎の一つなのよね。何故グリーフは、特にラクリマは分解能力すら持ってるのに施設を破壊しないのか」

 琥珀は少し間を取って、更に続ける。

「まあ、それは何でドラビヤがそう設定したのかって話になるんだけどね。落涙の日に人間を大量虐殺したドラビヤが、何のために施設を残してるのか」

 琥珀は考え込むように腕を組んで押し黙ったが、ハッとしたように首を振った。

「おっと、今は授業中だったね。えーっと、グリーフの写真は教科書に載ってるから、気持ち悪いかもしれないけど、後で一応見ておいてね」

 ばつが悪そうな琥珀の言葉に従って、穹路は手元にある教科書を開いてみた。
 とりあえず目次を見てみると、昔通りの高校生物の内容も当然あったが、四分の一近くがグリーフについての情報のようだった。
 その最初のページにはグリーフの名の由来が書かれていた。
 それによるとグリーフとは嘆きの種という意味であり、それはティアに関連して名づけられているようだ。
 また、それはGenetically Reconstituted Incarnation of Entity’s FoeあるいはFutureの頭文字を繋げたものであるとも書かれている。存在の敵Foeか存在の未来Futureかはグリーフに対するスタンスによるらしい。
 Futureが少数派なのは言うまでもない。
 写真に写されているそれらは元の生物が分かるものもあれば、完全な異形、モンスターとでも呼ぶべき姿のものもあった。しかし、穹路が最も強く嫌悪を感じたのは、グロテスクなだけのそれらではなかった。

 人間由来のグリーフ。形状で即座にそれと分かる。
 だが、その外見から明らかに人間ではないこともまた分かってしまう。
 黒光りする外殻、そして、巨大な爪。
 写真に写るそれらの中で最も綺麗に形作られているものは、遠目では鎧を身にまとった人間のように見えてしまうかもしれない。
 だが、その間接部の隙間から見える酷く有機的な、しかし、肌の色とは確実に異なる色や見開かれて血走った目、そして、だらしなく開かれた口元が人間ではないと主張していた。

「後、繰り返すけど、普通の授業に戻る前に注意。ティアは使い方によって自分自身に危害が及び得ることを忘れないでね。特に連関型ティアをまだ使ってる人は独立型に切り替えた方がいいと私は思うよ」

 琥珀の言葉に教科書から目を離し、翠の方を見る。
 螺希と同じことを教師である琥珀にも言われ、彼女はどう思っているだろうか。

「じゃあ、今日やるところは――」

 通常の授業内容に戻ろうとする琥珀の言葉を聞きながら、穹路はもう一度だけ教科書へと目を落とした。
 教科書に掲載されているグリーフの姿はバリエーションに富んでいる。
 だからこそ、多種多様の生物が滅ぼされてしまったのだと視覚的に理解できる。
 だが、よく見ると類が全て揃っていない。
 そのことに疑問を覚えながらも、穹路は一先ず授業へと意識を戻し、集中させることにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

カラー・マン

上杉 裕泉 (Yusen Uesugi)
SF
とある金曜日の夕方のこと。週末のゴルフの予定を楽しみにする朝倉祐二外務省長官のもとに、一人の対外惑星大使が現れる。その女性――水野は、ウルサゴ人と適切な関係を築くため、彼らの身にまとう色を覚えろと言う。朝倉は、機械の力と特訓により見違えるように色を見分けることのができるようになり、ついに親睦パーティーへと乗り込むのだが……

【総集編】未来予測短編集

Grisly
SF
⭐︎登録お願いします。未来はこうなる! 当たったら恐ろしい、未来予測達。 SF短編小説。ショートショート集。 これだけ出せば 1つは当たるかも知れません笑

No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL
SF
異世界転生も転移もしない異世界物語……(. . `) よろしくお願い申し上げます 男は過眠症で日々の生活に空白を持っていた。 医師の診断では、睡眠無呼吸から来る睡眠障害とのことであったが、男には疑いがあった。 男は常に、同じ世界、同じ人物の夢を見ていたのだ。それも、非常に生々しく…… 手触り感すらあるその世界で、男は別人格として、「採掘師」という仕事を生業としていた。 採掘師とは、遺跡に眠るストレージから、マップや暗号鍵、設計図などの有用な情報を発掘し、マーケットに流す仕事である。 各地に点在する遺跡を巡り、時折マーケットのある都市、集落に訪れる生活の中で、時折感じる自身の中の他者の魂が幻でないと気づいた時、彼らの旅は混迷を増した…… 申し訳ございませんm(_ _)m 不定期投稿になります。 本業多忙のため、しばらく連載休止します。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

虹のアジール ~ある姉妹の惑星移住物語~

千田 陽斗(せんだ はると)
SF
時は近未来、フロンティアを求め地球から脱出したわずかな人々は新たな銀河系にあたらしい文明を築きはじめた しかし惑星ナキの「虹」と名付けられた小さな居住空間にはサイバー空間から発生した怪獣(バグスター)があらわれる 双子姉妹のヤミとヒカリはサイバー戦士として怪獣退治を命じられた 

特殊装甲隊 ダグフェロン 『廃帝と永遠の世紀末』 第三部 『暗黒大陸』

橋本 直
SF
遼州司法局も法術特捜の発足とともに実働部隊、機動隊、法術特捜の三部体制が確立することとなった。 それまで東和陸軍教導隊を兼務していた小さな隊長、クバルカ・ラン中佐が実働部隊副隊長として本異動になることが決まった。 彼女の本拠地である東和陸軍教導隊を訪ねた神前誠に法術兵器の実験に任務が課せられた。それは広域にわたり兵士の意識を奪ってしまうという新しい発想の非破壊兵器だった。 実験は成功するがチャージの時間等、運用の難しい兵器と判明する。 一方実働部隊部隊長嵯峨惟基は自分が領邦領主を務めている貴族制国家甲武国へ飛んだ。そこでは彼の両方を西園寺かなめの妹、日野かえでに継がせることに関する会議が行われる予定だった。 一方、南の『魔窟』と呼ばれる大陸ベルルカンの大国、バルキスタンにて総選挙が予定されており、実働部隊も支援部隊を派遣していた。だが選挙に不満を持つ政府軍、反政府軍の駆け引きが続いていた。 嵯峨は万が一の両軍衝突の際アメリカの介入を要請しようとする兄である西園寺義基のシンパである甲武軍部穏健派を牽制しつつ貴族の群れる会議へと向かった。 そしてそんな中、バルキスタンで反政府軍が機動兵器を手に入れ政府軍との全面衝突が発生する。 誠は試験が済んだばかりの非破壊兵器を手に戦線の拡大を防ぐべく出撃するのだった。

処理中です...