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第2章 雄飛の青少年期編

126 父の症状と世知辛い問題

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 脳卒中で倒れた父さんは、翌日の昼過ぎになって意識を取り戻した。
 しかし、危惧していた通り、後遺症が出てしまっていた。
 分かり易い症状としては、まず左半身が動かしにくい片麻痺。
 それに付随して顔の左側が引きつり、言葉はうまく話せない。

 当たり前にできていたことができなくなってしまった。
 その苦痛は計り知れないものがあるだろう。
 右側の表情の変化だけだが、父さんも酷くもどかしそうだった。

「じゃあ、父さん、母さん。着替えとか色々取ってくるから」
「ええ。秀治郎、お願いしますね」

 母さんの言葉に合わせ、父さんも微かに表情を変化させて応じる。
 2人共、どことなく申し訳なさそうだ。
 そんな両親にできる限り明るい顔で頷き、それから俺は病院の外に出た。

 母さんは取るものもとりあえず来たし、俺は俺で昨日学校から直接来てそのまま家族控室に泊まったので互いに服装は昨日のままだ。
 父さんもしばらく入院だし、色々持ってこないといけないものもある。
 けど、まあ、母さんはまだ父さんの傍にいた方がいいだろう。
 その方が安心だ。
 と言う訳で、俺は一旦帰宅するために駐車場の方へ向かった。
 すると、見慣れた車が目に入る。
 その傍には見知った2人が立っていた。
 あーちゃんと加奈さんだ。

「すみません。また来て貰って」
「いいのよ。気にしないで」

 そう応じて微笑みを浮かべる加奈さんに自然と頭が下がる。
 当然ながら2人は一旦家に帰っている。
 ありがたいことに、また送り迎えをしに来てくれたのだ。
 しかし、今日は平日。
 俺は朝の内に連絡して休んでいるものの、学校はあるはずだが……。

「あーちゃん、学校は?」
「そんなの行ってる場合じゃない」
「あ、うん」

 大真面目な顔で俺を見るあーちゃんに、二の句を継げなくなる。
 隣の加奈さんも諦め顔だ。
 ……ま、まあ、いいか。

「それより、秀治郎君。大丈夫?」
「はい。大丈夫です」

 気を取り直して心配そうに問う加奈さんに頷きながら答える。
 とりあえず最悪の事態は避けられた。
 勿論、現時点で後遺症は重そうだし、手放しで喜べる状況ではない。
 それでも想定よりは幾分かマシではある。
 意識が戻らないどころか、命を落としていた可能性もあったのだから。
 目覚めた父さんから反応があったことで、気持ちは大分落ち着いてきている。

 まあ、慣れない場所で一晩過ごしたせいで少々疲れはあるけれども。

「しゅー君」

 そんな俺を気遣うように、私服のあーちゃんがすぐ隣に来て手に触れてくる。
 立ち話も何だ。
 彼女に小さく笑みを向けてから一緒に車に乗り込む。
 それから俺は、今後について医師から受けた説明を2人に簡潔に伝えた。

 まず父さんはこのまま1週間から2週間、集中治療室で入院。
 経過を見つつ、可能ならなるべく早い段階からリハビリを開始するとのこと。
 どうも、その方がより回復し易くなるらしい。

 リハビリはいくつか段階があり、急性期、回復期、維持期に分けられるそうだ。
 急性期リハビリから回復期リハビリは主に入院してのリハビリ。
 父さんは後遺症が重いので、合わせて5ヶ月から6ヶ月が目安と聞いている。
 そこから退院して通院に切り替わると維持期リハビリの期間になるそうだ。
 いずれにしても、長い闘病生活となる。

「……秀治郎君にこんなことを聞くのも何だけど、お金の方は大丈夫なの? 集中治療室の入院費も大分高いって聞くけど」
「そうみたいです。受けてる治療内容によって変わってくるらしいですけど、最低でも1日3、4万はかかるみたいで……」

 勿論、それは健康保険で負担額が減った上での価格だ。
 更に手術費もあって20万前後。
 最初期の治療だけで50万以上になる計算だ。

 病というものは身体的な負担だけではない。
 金銭的な負担もまた、大きくのしかかってくる。
 それが現実だ。

「一応、最低限の医療保険には入っていたみたいですけど……」

 当然ながら、それで医療費を全て賄うことができる訳ではない。
 その上で収入の問題もある。
 父さんの仕事は未だに倉庫整理の現場作業。
 役職につくようなこともなく、50歳を過ぎた今も平社員のままだった。
 肉体労働以外の何ものでもないので、今の仕事を続けるのは厳しいだろう。

 リハビリがうまくいったと仮定して。
 約半年後に病状に配慮したポストを用意してくれるとはさすがに思えないしな。
 現実問題として、再就職できるかどうかも分からない。

 元々、家計は常に火の車。
 共働きのおかげで幸い借金などはなかったものの、貯蓄はほぼゼロ。
 この状況で父親の収入が減るのは相当な痛手だ。

「一応、利用できそうな公的支援は私達の方で調べておいたわ」
「ありがとうございます。助かります」
「ただ、それも焼け石に水よね……」
「……でしょうね」

 居た堪れない様子で言う加奈さんに、静かに同意する。
 そこで会話は途切れた。
 沈黙の中、車は自宅へ。
 私服に着替え、荷物を纏めてからすぐに戻ってくる。
 それから加奈さんの運転で再び病院へと向かった。

「……ねえ、秀治郎君」
「何ですか?」
「あのね。お金のことなら――」
「ストップ!」

 途中、そう切り出してきた加奈さんの言葉を慌てて遮る。
 ありがたいことだが、その話はまだ駄目だ。

「返す当てのない借金は詐欺罪になりかねません」
「……私達からの提案だから、そうはならないわ」
「道義的にもよくないです」
「しゅー君の家族はわたし達の家族。家族は助け合い」
「……あーちゃんの気持ちは嬉しいけど、さすがにお金の問題はな。そういうことは、たとえ家族でもちゃんと線引きしないと」

 まあ、毎日送り迎えして貰ったり、食事をご馳走になったりと色々援助して貰っている身の上で偉そうに言えることではないかもしれないが。
 現ナマとなると、それこそ生々しさが違い過ぎる。
 相手が善意でお金を貸してくれるにしても、それに対して少なくとも返済計画の1つや2つ提示するのが最低限の礼儀だし、筋というものだろう。

「しゅー君、頑固」
「いや、そこは真面目って言って欲しいな」

 と言うか、それぐらいのことはしておかないと、個人的に申し訳なさ過ぎて鈴木家と真っ当なつき合い方ができなくなる。

「何より、余りにも大きな恩義があるとさ」

 あーちゃんを見て言いながら途中でとめると、彼女は小さく首を傾げた。
 それに答えるように続ける。

「いざ結婚するって時、何か不純な感じになるだろ?」
「……むぅ。しゅー君、頑固」

 そんなことは別に気にしなくていいのにと言いたげな不満顔をしながらも、あーちゃんはほんのり頬を赤くしながら少し視線を逸らす。
 父さんが大変な状況下でラブコメをする気はないので、そこは突っつかない。
 あくまで近い将来訪れる既定路線の話でしかない。
 そんな感じで当たり前の顔を維持しておく。

「まあ、そういう秀治郎君だから茜を任せられるんだけど……本当の本当に大変な時はちゃんと言ってね? 無理なんかするものじゃないし、寂しくもあるから」
「はい。分かってます」

 義理人情は互いの自立心と配慮の間に成り立つもの。
 正しく機能させるには規範意識が必要だ。
 自分で頑張るべき部分は頑張る。
 その上で頼るべき部分は頼る。
 けじめが大切だ

 そして実のところ。
 頼りたい部分は既にハッキリしている。

「だから、今後の身の振り方も含めて相談する場を設けて貰えますか? 以前からおじさんに話してた計画もありますし、お願いしたいこともありますから」
「ええ。勿論よ」
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