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最終章 英雄の燔祭と最後の救世

316 最後の晩餐の終わり

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「しかしまあ、こうして改めて振り返ってみると、随分と忙しない六ヶ月間だったようじゃのう。イサクよ」

 ほとんど具のなくなった熊鍋に米を投じながら、母さんがしみじみと言う。
 薄々気づかれていたことだったとは言え、俺が救世の転生者である事実についてはこの場で初めて共有した話だ。
 ヨスキ村で両親と共に十八年過ごし、学園都市トコハでも割と頻繁に会って近況を話したりしていたものの、そこに救世の転生者としての視点は含まれていない。
 生まれてから今日この日に至るまで。
 皆で熊鍋をつつく間、思い出話は尽きることがなかった。
 もっとも、母さんの言う通り、本格的に救世の転生者として活動を求められることとなったこの六ヶ月の密度はヨスキ村で過ごした日々の比ではない。
 語ることの多さに、俺の話を聞いた両親が目を丸くする程だ。

「うん。でも、きっとそれももうすぐ終わる。それからはゆったり過ごすよ」
「うむ。そうであって貰わねば困るぞ」

 俺の言葉に大真面目に頷いた母さんは、しかし、すぐに表情を崩すと締めの雑炊をハフハフ言いながら食べていたルトアさんに目を向けて口を開いた。

「じゃが、それはそれとしてルトアよ」
「は、はい! 熱っ! しゅ、しゅみましぇん……」

 呼ばれて慌てて返事をした拍子に口の中を火傷してしまったのか口元を抑えて涙目になった彼女に、母さんは呆れたように溜息をつきながら話を続ける。

「これまで話を聞いてきて思ったのじゃが、お前、地味じゃのう」
「ふえ?」

 突然そんな、それこそ地味に酷いことを言われて変な声を出すルトアさん。

「仮にも救世の転生者と真正少女契約ロリータコントラクトを結んだ少女化魔物ロリータじゃろうに」

 可哀想ではあるが、しかし、母さんの言い分も理解できなくもない部分がある。
 他の皆と比べると、彼女はよくも悪くも普通な女の子なのだから。
 とは言え、それは決してマイナスな要素ではない。
 フォローしようと口を開く。いや、フォローと言うか、本心を告げるだけだ。

「普通なのはいいことだよ。皆、本当に色々とあったからね。ルトアさんみたいな子が傍にいてくれると凄くホッとするんだ」

 勿論、他の皆といると気が休まらないということではない。
 方向性の問題だ。
 彼女といると、極々普通の自分に戻ることができる気がするのだ。

「…………まあ、言いたいことは分からなくはないがな」

 前半部分を嘆息気味に告げた俺に、母さんは苦笑気味に理解を示す。
 そうしながら、雑炊を食べ終えてテアと花札で遊び始めたサユキ達を筆頭に、思い思いに過ごし始めた彼女達を見回した。
 振り返ってみれば、この中で事件を起こしたことがないのはイリュファとルトアさんだけ。だが、イリュファは【ガラテア】に並々ならぬ憎悪を抱いている。
 普通に普通なのはルトアさんぐらいのものだ。平均より臆病な部分もあるにはあるものの、それはむしろ普通の女の子っぽく感じる部分であるとも言えるし。
 そんな彼女との触れ合いの数々は、このイベントだらけの六ヶ月間において何ものにも代えがたい心の清涼剤だったが……。
 得てして、そういう子は目立ちにくいものだ。
 しかし、派手な活躍を見せなければ全く価値がないという訳ではない。
 母さんもそこは重々承知しているだろう。

「帰る家。安らげる場所。お前がイサクにとってのそれであるのなら、地味などと言ったことについては謝ろう。すまぬな、ルトア。妾はどうも口が悪いらしい」

 謝罪を口にする母さんに、他者への口の悪さに自覚があったのかと少し驚く。
 その口振りからすると、あるいは割と最近気づいたのかもしれない。
 ルトアさんのように明確に他人として接していた者が身内になったことは初めてのことだったはずなので、配慮しようと意識して自らの言動を省みたのだろう。
 そんな母さんに対してルトアさんは、わたわたと両手を振りながら口を開く。

「い、いえ。私自身、イサク君の役に立てず歯痒く思う気持ちもありますから」

 元々は俺が戦いの場に立たずに普通を守って欲しいと頼んだことでもあるし、その理屈に彼女自身も一定の理解と納得もした。
 それでも、そうした引け目は完全に消え去ることはないだろう。
 隣の芝生は青く見えるとよく言われるように。
 逆に彼女のあり方もまた、誰かにとっては羨望の的かもしれない。
 誰しもが他人への小さな引け目を心に持っているのだ。
 それでも自分で言って若干落ち込んでいるようなので、横から口を出す。

「まあ、そもそも。役に立つ立たないで言うなら、ルトアさんとのアーク複合発露エクスコンプレックスはとりあえず使っておけば間違いないってレベルで役に立ってますけどね」
「イサク君……」

 スピードに特化した身体強化。雷速に近い高速飛翔。
 三大特異思念集積体コンプレックスユニークジズの少女化魔物たるアスカの真・複合発露と併せて用いれば、こと肉弾戦において勝る者は本来いないだろう。
 まあ、最近の相手は人形化魔物ピグマリオンだったり、少女化魔物でもアーク暴走パラ複合発露エクスコンプレックスを使用してきたり、特殊な祈望之器ディザイア―ドで底上げしてきたり。
 救世の転生者というアドバンテージだけでは油断できない状況が増えているが。
 むしろそういう場面でこそ、スピードの強化は生命線と言うこともできる。
 ……もっとも、ルトアさんの口にした役に立つという言葉の意味はそういうことではなく、もっと直接的なものであることは明らかだけれども。
 だからと言う訳ではないのだろうが――。

「間もなく救世の最終段階が始まる。それは間違いない。その時、イサクの言う通り、救世の転生者は過酷な運命と相対さねばならんのじゃろう」

 母さんは表情を引き締めて、彼女に静かに語りかけた。

「遠くにあって帰る場所となる。それもよいが、イサクが危機に陥った時にすぐ傍で言葉をかけてやることで何かが変わるやもしれん。運命を覆す一手となるやもしれん。イサクに普通の自分を想起させられるお前の声ならば尚更のことじゃ」

 その真剣な口調に、対するルトアさんもまた居住まいを正して耳を傾ける。

「じゃから、次ばかりはイサクの傍にいてやって欲しい。勿論、戦えと強要するつもりはない。かと言って、戦わなければ危険がないとも言えん。それでも、イサクの傍らで、イサクを支えてやって欲しい」

 そう言って深く頭を下げる母さん。
 その隣に寄り添う父さんもまた同じ気持ちのようで、どこか申し訳なさそうにしながらもルトアさんを真っ直ぐに見詰めていた。

「お母さん……お父さん……」

 それを受けてルトアさんは、母さんの言葉を噛み締めるように目を閉じて、それから一つ小さく頷いて再び口を開いた。

「戦いは怖いです。傷つくのも、死ぬのも。けど、今明確に死の運命がイサク君に迫っているのに、その結果が出るのを遠く離れた場所で待っているなんてことはできません。それこそ、恐ろしくてたまらないです」

 自分が同行することなく、その果てに俺がバッドエンドを迎える。
 そんな未来を想像したのか、身震いして自分を抱きしめるルトアさん。
 そして彼女は、それを振り払うように顔を上げ――。

「だから私も、イサク君が許してくれるなら一緒に行きたいです。もしそこで私にできることがあるのなら、イサク君の助けになりたいです」

 そう決意の滲んだ声と共に意思を示した。

「うむ。……ありがとうな、ルトアよ」

 懸命に言葉を紡ぐ義理の娘の姿に母さんは強い感謝と共に再度頭を下げ、それから俺に目を向けた。後は俺の判断と言いたいようだ。

「……トリリス様に頼んでみます」

 俺の死は彼女の死。となれば、今回ばかりはそうすべきだろう。
 ルトアさんには、救世の転生者の使命を最後まで見届ける権利がある。
 そして母さんの言う通り。彼女が傍にいることで定められた運命を乗り越えようという意思が更に強くなるだろうことは間違いない。
 とは言え、ルトアさんには補導員事務局の受付という仕事もあるのでホウゲツ学園側には筋は通しておかなければならない。
 学園都市トコハに戻ったら、すぐに彼女の下へと向かうとしよう。

「食べている途中にすまなかったな。温め直すか?」

 真面目な話はこれで終わりと言うように、母さんはルトアさんの前に置かれた茶碗に視線をやった。中には熊鍋の雑炊が半端に残っている。

「いえ、このまま食べちゃいます」

 話している間に冷めたのを利用し、一気にかき込んで食べ終えるルトアさん。
 こうして食事会は終わり……。

「テアよ。妾達も混ぜてくれるか?」
「うん」

 ようやく隠しごとなく家族団欒を楽しみながら、恐らく最終局面前の最後の安らぎの一時となるであろう夜は過ぎていったのだった。
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