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第5章 治癒の少女化魔物と破滅欲求の根源

238 長距離搬送

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「イサク様、一先ず救出した人魚の少女化魔物ロリータを安全な場所に」

 人間至上主義組織スプレマシーの秘密施設の前。
 転移の複合発露エクスコンプレックスを用いて去っていったベヒモスの少女化魔物ムートがいた場所を忌々しく睨みつけていた俺に、イリュファが諭すように告げた。

「…………そうだな」

 対して、苛立ちを全て吐き出すように一つ深く息を吐いてから顔を上げる。
 いずれにしても、いつまでもこの場所で立ち尽くしていても仕方がない。
 ここで俺にできることはもうない。

 今回のこの敵からの依頼については、昨日の内にホウゲツ学園所有の海水浴場にも備えられているムニさんの端末を利用してトリリス様達には伝えてある。
 なので、しばらくすれば内部の調査は行われるはずだ。
 ただ、それまでには氷漬けの彼らも全員転移させられているだろうし、施設内の物品についても回収し忘れがあるとは思えないが……。
 まあ、後のことは彼らに任せるとしよう。
 俺は救い出した少女化魔物を優先するべきだ。

 今は影の中で安静にしている人魚の少女化魔物。
 彼女は未だ隷属の矢が刺さったままだ。
 暴走状態だったなら即刻抜き取ったのだが、そうではない以上、下手に刺激を与えてしまうと逆に暴走を誘発してしまう可能性がある。
 万全を期すには、速やかに特別収容施設ハスノハに向かわなければならない。
 俺達の危険はともかくとして、彼女自身の命に関わりかねないのだから。

「では、ルトアさん。俺達は一旦学園都市トコハに戻ります。トリリス様とアコさんへの連絡は頼みます」
「はい! 任せて下さい! イサク君、その子のこと、お願いしますね!」

 影から出てハキハキと応じてくれたルトアさんの言葉に「勿論です」と返し、それから二人同時にアーク複合発露エクスコンプレックス裂雲雷鳥イヴェイドソア不羈サンダーボルト〉を発動させる。
 そして互いに共鳴するような雷光を放ちつつ、俺達は異なる方向へと翔けた。
 彼女は海水浴場にある宿泊先のログハウスへ。
 俺はここ森林都市モクハから学園都市トコハへ。
 セト達と一緒に来た時はマナプレーンを用いたために数十分かかっていた距離を、中の彼女になるべく刺激を与えないように安全運航気味に進んでいく。
 それでも目的地までかかった時間は僅か十分弱。
 勿論、ルトアさんは距離的にそれよりも遥かに早い段階で宿泊所に到着しているはずなので、先んじて連絡はついていることだろう。

「早かったね、イサク」

 それを証明するように、俺が特別収容施設の出入り口前に降り立つと、そこには既に施設長たるアコさんが待ち構えていた。
 その隣に視線をやると、アコさんの秘書的な役割も担っていると聞く職員、ヴァルキリーの少女化魔物であるエイルさんも控えている。

「人魚の少女化魔物は?」
「ここに」

 極めて真剣な色を声に滲ませるアコさんの問いかけを受け、俺は影の中から虚ろな表情のままの少女を引き上げて抱きかかえると彼女に示した。
 その姿を目の当たりにして、アコさんは不愉快そうに眉をひそめる。
 救出し立ての瞬間よりは多少マシだが、素肌には痛々しい痕が残ったままだ。

「全く。惨いことをするものだね。……しかし何にせよ、まだ暴走の危険性もあるし、一先ず封印の注連縄のある部屋に入って貰おう。それから隷属の矢の摘出だ」

 俺と同じ感想を抱きながらもアコさんは年の功によってか即座に切り替え、こちらからエイルさんへと視線を移しながら指示するように告げた。
 その方針には俺としても異論はない
 なので、促すように再び俺を見たアコさんに首を縦に振って同意を示し、人魚の少女化魔物を抱えたまま彼女達と共に足早に施設内へと入っていく。
 途中、エイルさんと別れ、アコさんの後についていくと小さな部屋の前に至る。

 独房とは異なる小綺麗なガラス窓つきの扉。
 その奥は、飾り気こそないが単なる待機室のようにも見える。
 今回のような、被害者のための部屋なのだろう。
 話の流れからして、これも以前に見た独房と同じように、封印の注連縄によって内部での複合発露の使用ができないようになっている訳だ。
 ウラバ大事変の時は似たような境遇の者が独房の方に入れられていたが、それは人数の多さと、一応は暴れていたところを捕まえた形だったために違いない。

 ともあれ、その小部屋に入り、中央に置かれた椅子に件の少女を座らせる。
 そして一旦そこから出ると、入れ替わりに杖を持った職員が中に入った。
 いつの間にかエイルさんもいる。彼女が連れてきた少女化魔物のようだ。
 しかし、あの杖は――。

「先月、君がウインテート連邦共和国で怪盗ルエットから守り抜いたアスクレピオス。その複製改良品の一つだよ。これは第三位階だけど、普通の傷には十分だ」

 杖に視線を向けた俺に、アコさんが言外の問いに答えるように告げる。
 元の世界で言うなれば、簡易的な医療キットのような扱いか。
 もっとも、元の世界の傷病程度なら全て治るだろうから、効果の程は別格だが。

「あ、ああ、あああああああっ!!」
「おっと」

 そちらに意識を向けている間に、隷属の矢の摘出が済んだらしい。
 それによって人格を解放された少女は、塞き止められていた感情の奔流に飲まれてしまったかのように叫び声を上げる。
 やはり下手な真似をしていれば、あの場で暴走してしまっていたかもしれない。
 まあ、そうでなくとも今にも暴走してしまいそうだが……。
 この部屋の中なら、少なくとも危険はない。
 たとえ暴れるにしても、か弱い少女の力だ。
 彼女と一緒の空間にいる職員は、そうした状況であっても適切に対処できるからこそ処置を担当しているのだろうし。

「あ、あああ、ああっ!!」

 この場の全員の視線が集中する中、人形の少女化魔物は恐れ、怯えの色濃い表情を浮かべながら喚き声を上げ続ける。
 少女のそんな姿を目の当たりにすると、さすがに居た堪れない。

「う、うううううっ!!」

 だが、傍に行くために扉を開けると封印の注連縄の効果が切れかねない。
 だから、俺は一歩だけ前に出て、呻く少女に視線を送るしかなかった。
 すると、視線を彷徨わせていた彼女の目と俺の目が扉越しに合い――。

「あ……」

 その瞬間、何かに気づいたように少女は絶叫をやめる。
 そして……。

「……どうやら、気絶してしまったようだね」

 彼女はフッと体を弛緩させ、椅子の背もたれに己の体を預けて意識を失った。
 アスクレピオスを使用している以上、傷や病が原因ではない。
 既に赤裸だった肌も全て少女らしい柔らかなものに戻っているし。
 防衛機制の一種だろう。
 かの祈望之器ディザイア―ドを以ってしても、その者の記憶に由来するような精神的な負荷までは軽減することができないのだ。
 祈望之器の機能は、どのような思念が蓄積したかの問題なのだから。

「だ、大丈夫、でしょうか」
「大丈夫だよ。何も心配いらない」

 眼前の状況に焦燥感と共に尋ねた俺を安心させるように、アコさんが即答する。
 少女化魔物は精神状態が肉体に大きく影響を及ぼすだけに、単純に傷が治ればいいというものではないはずだが……。

「〈命歌残響アカシックレコード〉で見た限り、施設から助け出された時、イサクに抱き締められたことが彼女の精神を守るのに大きな役割を果たしている。命に別条はないはずだ」

 アコさんが自らの複合発露を以って保証してくれると言うのであれば、それは確かな事実と考えて差し支えない。彼女の言葉は信じるに値する。
 なので、俺は一先ず安堵してホッと一息ついた。
 後はこの子が心を落ち着かせ、普通の生活に戻ってくれるのを祈るばかりだ。

「まあ、何にせよ、無理に起こすのは酷というものだし、彼女が目が覚めたら連絡するよ。その時には君がいてくれた方が、この子も落ち着くだろうからね」
「……分かりました」

 そうして、更に続けて己の複合発露を基に推測を口にしたアコさんに、意識を失った少女にもう一度だけ目をやってから応じ……。
 それから俺は次の目的地に向かうため、特別収容施設ハスノハを後にした。
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