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第4章 前兆と空の旅路

AR20 五百年目の異変

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「世に存在する全ては絶えず変わり続ける。そうは言いながら私達は、変わることなく救世というプロセスを維持し続けることができるとどこかで信じ込んでいた。それこそ何百年先、何千年先に至るまで。たとえ途中で私達の命が尽きることがあっても。けれど、世界は変わる。その中では、それすらも万物流転の理から逃れることはできないんだ」

***

「……ディーム、気づいているナ?」
「勿論です。ほんの数年ですが、これまでよりも早いのです……」

 街で聞いたという噂について尋ねに来たイサクが学園長室から出ていった後。
 万が一にも会話が漏れないようにとトリリスの複合発露エクスコンプレックス迷宮悪戯メイズプランク〉によって学園管理用の地下空間に移動した私は、深刻な様子と共に問うてきた彼女に頷きながら答えた。
 同じだけの強い危機感を持ちながら。
 年の功というもののおかげで、イサクの前では平静を装っていたけれども。

「頭の片隅で、こうなる可能性は考えていたのだゾ」
「私もなのです……」

 嫌な予測程、現実になるもの。
 そう言いたげに深く嘆息するトリリスに同意を示す。
 まあ、悪い出来事が的中してしまった時程、記憶に残り易いというだけのはずだが、こう長く生きていると尚のことその感覚は強く、一つの法則のようにも思えてしまう。
 もしかすると思念の蓄積により、実際にそうなっているかもしれない。

「あれから五百年。とうとう臨界点を超えてしまったようだナ」
「当然と言えば当然なのです……」

 トリリスの言葉に、現実逃避気味に逸れた思考を戻して口を開く。

「祈念魔法の体系化以後、今に至るまで、世界の人口は指数関数的に増え続けているのですから。むしろ、よく持ったと言うべきなのかもしれないのです……」
「そうだナ。観測者が増えれば、思念の蓄積も増える。そうなれば、少女化魔物ロリータも生まれ易くなり、観測者に準ずる存在もまた増える。思念の蓄積は更に増える」
「加速度的に増える一方なのです。そう。それこそ、破滅欲求の蓄積も、です……」

 つけ加えた私の言葉に首を縦に振るトリリス。
 それでも、少なくとも今までは百年周期が完全に破られることはなかった。
 初めにショウジ・ヨスキが共通認識となるように世界に広めたからであり、おかげで破滅欲求が許容量を超えて人形化魔物ピグマリオンとして溢れ出てくるということもなかった。
 しかし、遂にそれが破られてしまった。
 現状ではまだ僅か数年前倒しになったに過ぎないものの、それは半ばルール化していた共通認識をも上回るだけの破滅欲求が蓄積してしまった証に他ならない。
 その事実に私達が受けた衝撃は、並々ならぬものだった。

 根本的な原因は前述した通り、人口が一気に増加したこと。
 こうした状態を救世の転生者の世界では人口爆発と呼んだそうだが、その爆発の余波で破滅欲求を抑え込んでいた堤防まで粉砕されてしまったようだ。

「今代の救世の転生者たるイサクは十分に優秀だからナ。一先ず今回については工程通りに進めることは不可能ではないはずだゾ。問題は――」
「次代以降の救世、なのです。このままで行くと今回よりも遥かに速い段階で人形化魔物が、【ガラテア】が動き出すことになる可能性が高いのです……」
「そうなると…………」

 トリリスはそこで言葉を区切ると、眉間にしわを寄せながら視線を下げて唇を噛んだ。
 私の頭の中にもあるその方策を脳裏に浮かべつつも、口に出したくないのだろう。
 正直なところ私も同じ気持ちだ。
 けれど、それでは話が進まない。
 そもそも、これまで多かれ少なかれ似たような罪を犯してきた私達に、その議論から逃げることなど許されはしない。過去の全てに背く行為以外の何ものでもない。
 救世にこの身を捧げると決めた日に、既に私達の道は定められているのだ。
 だから、罪悪感を押し殺して口を開く。

「状況によっては、人口統制も視野に入れなければならないのです……」
「ああ。救世の工程が破綻することだけは避けなければならない。是非もないことだナ」

 力なく項垂れながらも私が示した手段に同調するトリリス。
 当然ながら、それはあくまでも最後の手段だ。
 まずは他の手段を模索するのが筋だし、それ以前に今代の救世が確実になされるように尽力することを最優先に行動しなければならない。しかし……。

――貴方達は端から諦めている。

 そうこう考えていると、少し前にレンリから言われたことが不意に脳裏を過ぎり、私は思わず嫌な想像をして眉をひそめてしまった。

「どうした、ディーム。大丈夫か?」
「大丈夫です。問題、ないのです……」

 私の様子に気遣いを見せたトリリスに、誤魔化すように表情を取り繕って答える。
 しかし、一度頭の中に浮かんだ考えは消えない。
 彼女にぶつけられた言葉が棘のように胸の内に残り、そこから声が聞こえてくる。
 結局、私達は救世の工程の維持を優先し、これについても別の手段を探し出すことを早々に諦め、状況に流されるまま言い訳をしながら罪深い選択をするのではないか、と。

「ディーム……」

 トリリスが痛ましげな視線を向けてくる。
 長いつき合いだ。
 私が何を考えているか、おおよそ予測できているのだろう。
 重苦しい雰囲気が地下空間を包み込む。

「…………ん?」

 と、そうした嫌な空気を破るかのように。
 突如として地下空間の端に設置されていたムニの端末が動き出し、トリリス共々無意識にそちらへと目を向ける。本体から何か情報が送られてきたらしい。
 しばらくして情報の書き出しが終わったのを見計らってトリリスが彼女に近づくと、その手元に置かれた書類を手に取って読み始めた。
 目が文字を追っていくごとに、表情が緊迫したものへと変わっていく。

「トリリス? 一体、どうしたのです……?」

 疑問に思って尋ねるが、彼女は私の問いに答えずに黙って書類を手渡してくる。
 訝しみながら、私もまたその紙に書かれた文字へと目を落とすと――。

「これは……」

 そこにはイサクが口にした噂、その内の一つの出どころを思われる人形化魔物【イヴィルソード】の討伐に向かわせたシニッドが敗北し、重傷を負った旨が記載されていた。
 即座に信じることができず、もう一度最初から読み直すが、内容は変わらない。

「シニッド程の実力者が、現段階のアレに負けるはずがないのです……」
「ああ。ワタシもそう思うゾ。しかし……」

 ムニを通じて伝達された上に、この内容。
 誤報のはずがない。

「もしかして、出現時期が前倒しになっただけに留まらず、人形化魔物自体の強さまで大幅に増大しているのです……?」
「…………これは、少し認識を改める必要があるのかもしれないナ」

 とは言え、この情報だけでは結論を出すことはできない。
 可能性で言うなら、別の不測の事態が起きた恐れもある。
 いずれにしても、シニッドから事情を聞かなければ判断のしようがない。
 しかし、私が口に出した予測は正しいように感じられ……。

「ともかくシニッドの元へ向かうゾ、ディーム」

 私達は先のことよりも目前の問題への対処を優先し、そのための行動を開始した。

***

「人形化魔物の強さが本当に増していたのかどうかについては、その後すぐ君の知るところとなった。けれど、出現時期が早まったことに関しては、今の君にも何ら関係のない話だ。あくまで、その時の私達と、次代の救世の転生者が対峙すべき問題だからね。……ああ、そうだとも。たとえ何があろうとも、どんな手段を取ろうとも、この社会は私達が必ず守る。それだけは、道理を捻じ曲げてでも変えてはならないものなんだ」
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