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第2章 人間⇔少女化魔物

108 藪をつついて臆病者が顔を出す

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「実は、その……」

 と、そこまで言いかけて、どう切り出したものか悩む。
 力を貸して欲しいと言うにしても、俺の事情を隠してというのは不誠実だ。
 しかし、ルトアさんがどこまで知っているか分からないし、ストレートに俺が救世の転生者であることを知っているか聞くのは勇み足になりかねない。
 変に拗れる可能性もある。
 なので、とりあえず軽く探りを入れるところから始めることにする。

「ええと、ですね。トリリス様から何か俺のこと、聞いてませんでしたか?」
「トリリス様からですか? ……今のところ特に連絡はなかったと思いますけど」

 俺の問いかけに、少し考え込んでから不思議そうに首を傾げるルトアさん。
 ちょっと迂遠過ぎて勘違いされてしまったようだ。
 もう少し踏み込もう。

「いえ、そうではなく、俺が初めてルトアさんと会う以前に」
「え!? え、えっと、その、それは……」

 つけ加えた俺の言葉を受け、ルトアさんが突然しどろもどろになる。
 これは間違いなく何か聞かされている。その確信を得る。

「実は、今日ここに来る前にトリリス様達に会ってきたんです」
「そそ、そうですか。……ええと、どういうご用件だったか聞いても?」
「はい。ライムさんの事件で第六位階の身体強化の必要性を再認識しまして。どうにか身体強化系の複合発露エクスコンプレックスを得られないものかと相談をしに行ったんです」
「な、成程! 確かに、精神干渉への対抗策には必要ですね!」

 何とか口調を戻して同意を示しながらも、視線を斜め上に逸らすルトアさん。
 明らかに誤魔化そうとしている反応だ。

 しかし、何かしらトリリス様からの指示が明確にあったとしても、そこまで必死に避けようとする程の内容だろうか。
 ……いや、隠しごと自体を後ろめたく思っているのかもしれない。
 もしそうなら、救世の転生者である事実を隠している俺も申し訳なくなってくるな。
 まあ、ともかく今は話を進めよう。

「その話の中でですね。ルトアさんは俺と少女契約ロリータコントラクトを結ばせることも視野に入れて、俺と接触し易い補導員事務局の受付に配置したと教えられたんです。その辺りの事情について、ご存知でしたか?」

 少々意訳したが、おおよそそういうことのはずだ。
 実際、ルトアさんから否定はなく――。

「…………はい。実は、受付の仕事に就いた時、既にトリリス様からイサク様のことは伺ってました。何年後かに現れる、とある補導員の力になってやって欲しいって」

 少しの沈黙の後、弱々しく頷いた彼女はどこか申し訳なさそうに告げた。
 微妙にぼかした言い方をされている辺り、俺が救世の転生者であるという部分については知らされていないのだろう。
 しかし、どうにも負い目があるかのような態度が過剰な気がする。
 普段の元気な彼女を思うと、罪悪感が募って胸の辺りがチクチクする。

「ですけどっ」

 そんな気持ちを抱いていると、ルトアさんは意を決したように続けようとした。
 が、言葉を続けることができず、俯いて唇をきつく結びながら口を噤んでしまう。
 何故、そんな辛そうな顔をするのか。尚更、分からない。

「ルトアさん?」

 だから俺は、思わず疑問の声色と共に呼びかけた。
 すると、ルトアさんは諦めたように小さく息を吐き、顔を上げて口を開く。

「私、本当は臆病者なんです」
「臆病者」

 咀嚼するように繰り返すが、今一話の繋がりが分からない。
 とりあえず額面通りに受け取っても、俺の中の彼女にそんな印象はないのだが……。

「まだ魔物だった頃のことです。私は同族の仲間達に臆病者、種族の恥晒しと蔑まれてました。いえ、勿論、言語能力はありませんでしたが、鳴き声のニュアンスとして」

 言外の疑問に答えるように、自嘲気味に過去を振り返り始めるルトアさん。
 彼女の基になった魔物、サンダーバードの群れに属していた時の話のようだ。

「野生の中では他種族との争いは日常茶飯事でした。狩り。縄張り争い。けど、私はそれが怖くて、いつも逃げ回って。今思い返せば、そういう風に扱われるのも当然です」

 魔物は人の思念の集積体だが、この世界に存在し続けると血肉を得る。
 そうなれば動物とそう大きくは変わらない。
 弱肉強食の理に従い、食物連鎖を形成しもするだろう。
 それに反する者が、野生生物のコミュニティでは異端なのは間違いない。

「けど、当時の私は単なる魔物。知能は低く、知性は乏しく、己を省みるということもできなかった。痛みや苦しみから逃げて、逃げ続けて……」

 ルトアさんは一度そこで区切り、少しだけ間を置いてから続ける。

「その逃げたいという思いを核に私は少女化魔物ロリータになりました。だから、私が持つ複合発露はその影響を色濃く受けています。一応身体強化系ではありますが、素早く逃げるために速度に特化していて防御力は低い。同位階の干渉には打ち勝てません」

 朧げながら、話が見えてきた気がする。

「私には戦う力はありません。イサク様に必要な戦力にはなり得ないんです。そんな私に、少女契約を結ぶ価値なんてないんです」
「……戦う力がないって、一応、補導員事務局の受付兼警備員だったのでは?」
「警備員なんて言っても、万が一の時はムニの分身体と重要書類を抱えて遠くへ逃げるだけの役割ですから」

 つい重箱の隅をつついてしまったが、ルトアさんは一層自嘲するように答えるのみ。
 戦闘という行為に、彼女は全く自信がないらしい。とは言え――。

「少女契約を結ぶ価値があるかどうかは、ルトアさんが決めることじゃありません」

 少女化魔物側が決めるべきは、誰となら少女契約をしてもいいか、だろう。

「けど、イサク様は第六位階の精神干渉への備えが必要なんですよね?」
「それはそれ。これはこれです。精神干渉への対抗策として身体強化が必要なのは確かな事実ですが、だからと言ってルトアさんに価値がないことにはならないでしょう」

 精神干渉対策で第六位階の身体強化が必要などと最初に言ってしまったから、こんがらがってしまった。
 だが、その辺りのことは本来全く別の話だ。

「……トリリス様も、イサク様ならそう言ってくれるとおっしゃってました。この世の誰よりも少女化魔物を大切にしてくれる人間だから、と」

 この世の誰よりも、か。
 俺はそうありたいと思うし、実際その通りであると信じたい。
 字面は悪いが、前世から続く筋金入りの人外ロリコンなのだから。

「そう聞かされて、出会える日を期待して待って、そんな人と少女契約を結べたらいいなってずっと思ってて……でも、実際は思い描いていたよりも凄過ぎる人で――」

 話していて感情が溢れてきたのだろう。
 俯く彼女の声は震えている。

「会話を交わせるだけでも嬉しくて、憧れと想いは強くなるけど、それ以上に引け目が大きくなって……」

 ルトアさんは一つ深く嘆息し、それから普段の快活な笑顔からは想像もつかないような儚げな笑みを浮かべながら顔を上げた。

「力の大小は言い訳です。弱くても、なろうと思えば盾になることぐらいはできますからね。結局のところ、私はただの臆病者で……救世の転生者に待ち受ける苦難に共に立ち向かうのが怖くて堪らなかっただけなんです」
「ルトアさん、俺が救世の転生者だと――」
「気づかないはずないじゃないですか。あれだけの功績を短期間で上げて。トリリス様と頻繁に面会することができて。補導員になる前から格別に配慮されていて」

 …………まあ、それはそうか。
 特にルトアさんは連絡役として事情を知る存在との接点も一際多かった訳だしな。
 たとえ最初から知らされていなくとも、自然と察しがついても不思議じゃない。

「臆病者の私は、こういう安全な場所でしか笑っていられません。イサク様、トリリス様から言われたことは忘れて下さい。そうすれば、私は元気が取り柄の単なる受付のままでいられますから。その中でちょっとしたお手伝いができれば、私は満足です」

 元気が取り柄。自己紹介の時にも聞いた言葉だが、随分と虚しく聞こえる。
 イサク様という呼び方にも、酷く距離を感じる。

 少女化魔物というものは人間とは違う。
 思念の蓄積が基であるが故に、多種多様な歪みを持つことが多い。
 俺の身内で言えば、サユキの言動を顧みれば明白だろう。
 執着。拘り。そういうものが一般的な人間よりも遥かに強い。

 結果的に、それを短絡的につついた格好となった訳だ。
 藪蛇とは正にこのことか。
 複合発露を主要な目的に置いて少女化魔物と向かい合うなどという不純にも程がある真似をしてしまったから、罰が当たったのだろう。
 上辺だけ取り繕った誠実など誠実ではない。

「すみません。今日は、お帰り下さい。明日からは普段通りに振る舞いますから」

 弱々しく頭を下げるルトアさん。
 彼女も動揺しているだろうから、時間を置くべきなのかもしれない。だが――。

「…………嫌です」

 人外ロリが苦悩を抱くなら、人外ロリコンとして即座に解決しなければならない。
 だから俺は、余計なことばかり考え過ぎている彼女に対し、そうハッキリと告げた。
 一旦救世の転生者として求めるべき全てを棚上げにし、単なるイサク・ファイム・ヨスキとして、目の前にいる一体の人ならざる少女と対峙するために。
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